神経質礼賛 1024.死ぬことのない命
携帯電話やMP3プレーヤーに録音機能が付いている昨今、カセットテープは使われなくなってきた。それでも「テープ起こし」という言葉はまだ残っているようである。テープ起こしは、私が大原健士郎先生の助手をしていた頃、毎月必要な作業だった。
大原健士郎教授の時代、浜松医大病院では月一回、森田療法の患者さんによる茶話会があった。元は食事会だったが、病院食を止めて患者さんたちが自分たちで作った食事を食べるのはけしからん、と大学当局からクレームが付いて、茶話会に変更したのだった。調理担当者が1カ月前から何を作るか計画を立て、前日に材料を買い出しに行く。なるべく季節感を出すとか、畑で獲れた野菜を使うとか、盛り付けや飾り付けに一工夫加えるようにしていた。当日は患者さん全員で調理する。茶話会には患者さん以外に、大原教授、森田療法担当の助手(私)、看護婦さんたち、研修医たちが参加することになっていた。茶話会が始まると、まず調理係が作ったお菓子や飲物の説明をする。そして、全員でそれを食べる。その後で退院間近の患者さんが体験発表のスピーチを行う。スピーチ担当者のプレッシャーは相当なものである。特に対人恐怖や会食恐怖の人だと、お菓子がノドを通らなかったりした。あらかじめスピーチ原稿を書いてもらい、それを事前に私が添削し、「当日はこれを読みさえすればいい、いくら緊張しても構わないですよ」と言っておくのだが、客観的にはそれほど緊張している風には見えず、みな上手にできていた。その話に合わせて大原教授が講話をされる。講話は病棟備品のカセットテープレコーダーで録音しておき、後日、スピーチ担当者が「テープ起こし」をする。テープ起こししたものを助手がワープロに打って教授に渡す。そして、それは編集されて、大原教授の著書となるのだった。私の前任者の時には、テープレコーダーの調子が悪くて録音に失敗して記録が残せなかっただとか、担当の患者さんが面倒がってテープ起こしをしないまま退院してしまうようなことがあった。だから、私は自分でも小型のカセットテープレコーダーを用意し、別に録音していて、患者さんとは別に自分でテープ起こしをして、必ず次の茶話会の1週間前までには大原教授にワープロ打ちした文書をお渡ししていた。患者さんのテープ起こしは本人の勉強のためにやってもらっていた。
私が最後にテープ起こしをしたのは、大原教授の定年退官の時の最終講義である。2日がかりでテープ起こししたのだけれども、どうしても聞き取れないのが一番最後の言葉だった。亡くなられた奥様の墓参りの後、鎌倉彫の店に立ち寄った時に額の形で堀口大学の言葉を彫ったものが目に留まったという話だ。「心こそ 心こそ 死ぬことのない・・・」という言葉を2回繰り返して講義を終わられたのだけれども、フェードアウトしていく感じでどうしても聞き取れなかった。そこで、教授に直接伺ったところ、「心こそ 心こそ 死ぬことのない命なの」とのことだったので、すぐにそこを加えて原稿をお渡しした。本来は最後の医局年報に掲載されるはずだったが、当時の医局長が新しい教授の御威光を恐れて、すでに校正済みで発行寸前だった年報の発行を中止したため、それは幻となった。この最終講義の内容は『生活の発見』誌2012年12月号、2013年1月号、同2月号に掲載されている。改めてそれを読んで、私がテープ起こししたものなのでとても懐かしく感じた。
この堀口大学の言葉は、いろいろな人が使っている。「死ぬことのない命なり」とか「死ぬことのない命なれ」と記載されたものもあって、どれがオリジナルかわからないけれども、実によい言葉だと思う。大原教授の場合は、奥様は亡くなられたけれども、御自分の心の中にいつまでも生き続けている、ということで、感銘を受けられたのだろう。
森田正馬先生は患者さんたちの前で『仏教に涅槃という事がある。一般には死を意味するのであるが、その反面は、「生き尽くす」事であり、「生をまっとうする」事である。(正岡)子規も命の限りを尽くして、涅槃すなわち大往生を遂げたのである。僕も著書が今度十二冊目になったが、僕が死んでも単に灰になるのではない。著書となって残るのである。(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.705)』と述べられた。時代は流れたけれども、森田先生の著書や言葉とともに、森田療法の心もまた「死ぬことのない命」なのである。
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