神経質礼賛 1040.人より見たる己が心の様をも知るべし
自分のことは自分が一番よくわかっている・・・はずであるのだが、必ずしもそうだとは限らない。いつも鏡で見る自分の姿は左右逆の像である。直角に並べた鏡の間の45度方向から見れば本来の像になるが、これだけでもちょっと違った印象になる。さらに、後ろ側は見ることが難しい。部分的には合わせ鏡で見ることができるけれども、後ろから見た全身像は想像もつかない。勤務先の職員さんで、私と同年代ながら胸を張ってキビキビと動いている人を見るにつけ、自分は背中が丸くなっていていけないなあ、見習わなければなあ、と反省することしきりである。姿勢や動作の特徴は自分では見落としている点もあるし、人から指摘されて初めて自分の癖に気付くこともある。ましてや、自分の心ともなると、本当の自分には気が付いていない可能性がある。
三島森田病院には次のような森田正馬先生の色紙が残されている。
月より眺めたる地球の姿を知るが如く
人より見たる己が心の様をも知るべし
この色紙が書かれた当時は、月まで人類が行くどころか人工衛星さえなかった時代であるから、「月より眺めたる地球の姿」は全く想像の世界でしかない。青い地球を想像することさえできなかっただろう。それだけ、「人より見たる己が心の様を知ること」は難しいのである。神経質人間は、妙に自尊心が強い反面、劣等感も強い。特に神経症の症状に悩む人は、素直に自分の状態を評価することが困難であり、主観的に偏った見方をしがちである。例えば、対人恐怖の人は自分だけが人前で激しく緊張して恥ずかしい、と思いがちだが、はたから見ればそれほど緊張しているようには見えないということはよくある。そして、実はまともな人間ならば誰でも、人前で緊張しているのである。対人恐怖に限らず神経症の症状はいずれも自分だけが特別苦しいという差別観が作り出す虚像だと言えよう。誰もが苦しい時は苦しいという客観的な平等観で物事を見ることができるようになった時、虚像は消え失せ、症状もなくなるのである。
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