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2014年6月30日 (月)

神経質礼賛 1040.人より見たる己が心の様をも知るべし

自分のことは自分が一番よくわかっている・・・はずであるのだが、必ずしもそうだとは限らない。いつも鏡で見る自分の姿は左右逆の像である。直角に並べた鏡の間の45度方向から見れば本来の像になるが、これだけでもちょっと違った印象になる。さらに、後ろ側は見ることが難しい。部分的には合わせ鏡で見ることができるけれども、後ろから見た全身像は想像もつかない。勤務先の職員さんで、私と同年代ながら胸を張ってキビキビと動いている人を見るにつけ、自分は背中が丸くなっていていけないなあ、見習わなければなあ、と反省することしきりである。姿勢や動作の特徴は自分では見落としている点もあるし、人から指摘されて初めて自分の癖に気付くこともある。ましてや、自分の心ともなると、本当の自分には気が付いていない可能性がある。


 
 三島森田病院には次のような森田正馬先生の色紙が残されている。


 
 月より眺めたる地球の姿を知るが如く

 人より見たる己が心の様をも知るべし


 
 この色紙が書かれた当時は、月まで人類が行くどころか人工衛星さえなかった時代であるから、「月より眺めたる地球の姿」は全く想像の世界でしかない。青い地球を想像することさえできなかっただろう。それだけ、「人より見たる己が心の様を知ること」は難しいのである。神経質人間は、妙に自尊心が強い反面、劣等感も強い。特に神経症の症状に悩む人は、素直に自分の状態を評価することが困難であり、主観的に偏った見方をしがちである。例えば、対人恐怖の人は自分だけが人前で激しく緊張して恥ずかしい、と思いがちだが、はたから見ればそれほど緊張しているようには見えないということはよくある。そして、実はまともな人間ならば誰でも、人前で緊張しているのである。対人恐怖に限らず神経症の症状はいずれも自分だけが特別苦しいという差別観が作り出す虚像だと言えよう。誰もが苦しい時は苦しいという客観的な平等観で物事を見ることができるようになった時、虚像は消え失せ、症状もなくなるのである。

2014年6月27日 (金)

神経質礼賛 1039.枇杷

 自宅からスーパーへ行く途中の月極駐車場の隅に大きな枇杷の木があって、実がたわわに成っている。毎年、この光景を見ると、「そうか、6月は枇杷の季節だったなあ」と思い出す。季節感があってよいのだが、一部は道路に落ちて潰れていて、道路が汚れていけない。神経質人間としては、オーナーさんが実を取って有効利用して欲しいと思う。枇杷は、最近では人気があまりなく出荷量が年々減っているという。枇杷は日持ちがしないし、種が大きくて食べられる部分が少ないし、味の印象もちょっと薄いから、売れ行きが落ちているのだろうか。この時期の果物としては、トキメキ感が強いサクランボがあって、甘いスイカやメロン類も早い時期から出回るようになっているから、ライバルの果物たちの中ではちょっと影が薄いのかなあ。と思っていたら、親類から千葉県産の枇杷を一箱いただいた。枇杷はβカロテンやβクリプトキサンチンやポリフェノールの一種であるクロロゲン酸を多く含んでいるのだそうだ。咳や喉の渇きに効果があるというから、暑くなる季節に合った健康食品と言えるのかもしれない。一方、枇杷の葉は古くから枇杷茶にされたり薬として利用されたりしている。枇杷湯は湿疹やあせもに良いという。枇杷の種は発芽しやすく成長が早い(ただし実がなるまでには長い年月を要する)そうだ。観葉植物にもなるというから、試しに種をまいてみようか。枇杷の存在価値を改めて見直した。

2014年6月23日 (月)

神経質礼賛 1038.病といへば薬

 入院中の患者さんから「物忘れがひどいから物忘れの薬を出して下さい」と頼まれる。この人は入院前には不眠・頭痛・肩こりなどを訴えてあちこちの医療機関から睡眠薬や抗不安薬や筋弛緩剤を処方してもらい、薬物依存傾向がある。入院してから薬を減量・整理して、ようやく安定してきたところである。念のため、よく認知症の検査に用いる「改定長谷川式スケール」をやってみると30点満点の29点(20点以下は認知症の疑いあり)であり全く問題ない。「検査結果は問題ありません。自分で物忘れを気にするうちは大丈夫ですよ。それと、睡眠薬や抗不安薬を服用していると、物忘れが出やすくなります。これからだんだんに減らしていけば今よりもよくなる可能性がありますよ」と答える。

 この人のように、症状ごとに薬を求めていったら、かえって害になることもある。森田正馬先生は著書『生の欲望』の中で次のように述べている。

 「病といへば」薬といふ事は、古来よりの習慣に捕はれた謬想である。病の治療といふ事には、多くの場合、薬は単に医療の補助とするのみである。服薬を必要としない又は其有害な場合は甚だ多い。(中略)今日「病といへば薬」といふ病人と医者との関係から、多くの患者が徒に無用の薬を吞まされて居るといふ事は、既に心ある人々はよく知って居るべき筈である。総てこんな関係から受くる損害は、患者自身の頭の上に降りかゝつて来るのである。(白揚社:森田正馬全集 第7巻p.203

 もちろん、薬物療法が重要である疾患もあるけれども、森田先生の言われたことは現代にも通じることなのではないだろうか。薬が増えれば、副作用が増え、薬同士の相互作用も問題になる。あちこちの医療機関にかかっていると正反対の作用の薬が出ていることさえある。多剤を服用している患者さんの場合、症状ごとに薬を足し算していくのではなく、必要性の低い薬は中止していく薬の引き算(866)も考えることが大切だと思う。

2014年6月20日 (金)

神経質礼賛 1037.人と仲良くするには

 人間関係に悩んでいる人は少なくない。特に神経質人間の中には、人付き合いを不得意としている人がいる。私自身、対人恐怖に悩んでいた若い頃はその傾向が非常に強かった。本心は人と仲良くしたいのだ。上手に人と付き合いたい。それを意識し過ぎて空回りして、しばしば一人相撲になってしまう。そして、やっぱりうまくいかない、と落ち込んでしまうのである。


 
森田正馬先生は、「人と仲良くなれない」ことに悩んで手紙を送ってきた大学生に対して、次のように回答しておられる。

 たとへ友達でも、兄弟でも、自分の心に、心配があり、悲観があるときは、笑顔をするのも・話をしかけられるのも、イヤなものです。之は人情、誰でも同様です。之を神経質の人は、「これではならぬ。朗らかにならなければいけない。大胆に愉快に、人と接しなければならぬ」と、我と我が心を撓め(ため・・「矯め」と同じ・改め正しくする)直さうとするのが、「思想の矛盾」で、この心から、初めは、さほどでも・なかった悲観が、次第々々に増悪して、殆んど本物の卑屈欝憂のやうに・なつてしまふのです。

 こんな時に、普通の人は、どうするかといへば、随分心には、イヤな苦しい悲観や、何かゞあつても、「会釈笑ひ」といつて、強いて愛嬌を作り、人と話を合せて、お世辞もいつて居るのであつて、それで何時とはなしに社交的の調和がとれ、自分も人も情によつて、心の引立てられるものです。(白揚社:森田正馬全集 第4巻 p.446


 
 小心者の神経質人間が大胆で愉快になろうとするのは「不可能の努力」でもある。それよりも、理屈はさておき、気分はどうあれ、森田先生の言われるように、会釈笑いをし、人の話に合わせて行けばよいのである。神経質は一見取っ付きにくいように見えるが、気分にまかせた不用意な発言は少ないので、一旦付き合い出せば、安定した関係が長続きする特徴がある。小心なままでよい。神経質を相手に対する配慮に生かしていけばうまくいくのである。

2014年6月16日 (月)

神経質礼賛 1036.常用漢字

 先日、旧知の間柄のkeizoさんの掲示板「日々の賀状」を見ていたら、ある人がビジネス文書の文頭に書く「御社ますますご盛栄のこととお喜び申し上げます」で「お喜び」とするか「お慶び」とするかについて、常用漢字「慶」にはそのような読みはないから、「お喜び」と書くのが正しい、一流の上場企業は「お慶び」とは書かない、と書き込んでいた。それに対してkeizoさんは古語に、昇進や任官のお礼を申し上げること、またその儀式、を表す言葉に、「よろこびまうし」【慶び申し】というものがあり、さらに慶春、慶幸というような使い方を挙げて、同じよろこぶでも「慶ぶ」の方が意思が入ってより積極的なのではないか、と書かれていた。なるほど、その通りだと思う。私は一流企業に在籍したことはないから、もっぱら「お慶び」を使ってきたし、その方が相手に対する敬意が示されると考えている。

 常用漢字にないと使ってはいけないというわけではなく、漢字使用のひとつの目安にすぎない。常用漢字を強要したら、作家や歌人・俳人は悲鳴を上げるだろう。医学関係も同じである。2010年(平成22年)に常用漢字の改定が行われた際に、勺・錘・銑・脹・匁の5文字が削除された。現代では勺や匁を使う機会がほとんどないし、銑鉄の「銑」もあまり使われないからというのはわかるが、皮膚の腫脹というように「脹」はよくカルテに書く字だし、形状を表すのに紡錘型あるいは紡錘状というように「錘」も時々使う。ついでに言うと、皮膚科の病名は常用漢字にない難しい漢字が多くて、例えば皆様お馴染みの「いぼ」の正式病名は尋常性疣贅である。常用漢字にないからと言って、たとえ国立病院であろうと一流病院であろうと、カルテの病名欄に「いぼ」と書くわけにはいかないはずである。

2014年6月13日 (金)

神経質礼賛 1035.紫陽花(あじさい)

 先週、東海・関東地方とも梅雨に入った。この時期、私たちの目を楽しませてくれるのが紫陽花の花である。病院駐車場脇の紫陽花も咲き始めている。先月、日曜日の朝、ホームセンターの開店前の時間つぶしに外にある鉢植えを見ていたら、一鉢千円の紫陽花があって、つい買ってしまった。まだ花が咲く前だったので、どんな花になるか楽しみにしていた。鮮やかな青や赤紫の紫陽花を期待していたら、外側が白、内側が水色の地味なガクアジサイでちょっとガッカリだった。もっとも、私のように地味な神経質人間には似合っているかなあ、と考え直す。そもそも、ガクアジサイが日本古来の紫陽花なのだそうだ。紫陽花の花言葉には「移り気」「浮気」「冷淡」「高慢」「自慢家」といったあまりよからぬものもあるが、「辛抱強い愛情」「元気な女性」というものがあって、梅雨初期のひんやりした空気の中で雨に打たれながら静かに咲いている様にはそちらの方が適切な気がする。

 森田正馬先生が昭和9年に名古屋へ行かれた際に作られた俳句五句の中に紫陽花の句があった(森田正馬全集第7巻p.458-459)。

 あぢさいの靑味深きがめだちけり

 五月雨に 金の鯱鉾 けむりけり

 旅の雨 あるじが家の 夏の萩

一抱への 大五葉松や 浅みどり

鵜飼すみて 芝居のハネを 思ひけり

この年は森田先生60歳。5月に甲府の形外会の招きで座談会に参加してから昇仙峡などを観光旅行。6月には名古屋新聞社主催の座談会があり、翌日は日本ラインや鵜飼を見物されている。さらにその足で京都に向かわれ、三省会の集まりに参加され、大阪毎日新聞社の講堂で講演もされている。今と違って汽車での移動にはかなり時間がかかり楽ではなかった時代である。そんなお忙しい合間にこのような俳句を作られているのである。忙しいほど仕事もはかどり趣味も楽しめるものである。それにしても森田先生の句のように、紫陽花はやっぱり濃い青がいいなあ、と思う。

2014年6月11日 (水)

神経質礼賛 1034.ホワイトクレーマー

 日経メディカル6月号に「困った患者2014」という特集記事があった。「台頭するホワイトクレーマー」という副題が付いていて、いろいろなパターンが書かれている。TV番組やネット情報を鵜呑みにして自分が望む治療を強要する、長い待ち時間に怒り「遅くなったからタクシー代を出せ」などの理不尽な要求をする、無理難題を押し付けて入院期間を長引かせる、検査が正常だったから検査料を返金しろとか治療費を払わなかったりする・・・。専門家に言わせると、現代では誰がいつ切れるかわからない、怒りの沸点が下がっている、とのことで、「その筋」のブラックな人ではなく普通のサラリーマンや主婦がホワイトクレーマーになってしまうという。背景としては、サービス・権利意識の高まり、医療に対する過剰な期待、マスコミによる医療報道の増加といったことが、医療関係者の意見として挙げられている。しかし、これは医療に限ったことではなく、いろいろな場面でありそうであるし、社会全体の風潮でもあるような気がする。待てない・キレやすい人が増えている。スマホに代表されるような便利道具に慣れて不便が我慢できない、そして人と人の関係が希薄化していることも背景にあるように思う。

 「ハルシオンを出せ」「リタリンは買えるか」と言ってくる人や、女性職員を脅して料金を払わずに帰ってしまうような人もいることは以前に書いたけれども、そうしたブラック系ばかりでなく、クレームをつけてくる人はいるから注意が必要である。待ち時間という点では、神経質ゆえとても気をつけている。外来診療は一応9時からだが、私は8時30分には外来に行って仕事を始めるようにしている。9時までの間に2、3人診察しておくと、午前中の混雑が緩和できる。そうは言っても、状態が悪い入院患者さんの診察のために病棟へ行かなければならない時もあったり、初診の人に時間がかかってしまったり、長時間一方的に自分のことを話し続ける外来患者さんにつかまったりすることもある。こればかりはどうしようもない。そんな時には次の患者さんが入室した時に「大変お待たせしてすみません」と言っている。

2014年6月 9日 (月)

神経質礼賛 1033.仙厓さんは名カウンセラー

 一昨日はちょっと用事があって、午前の仕事を終えてから東京へ行った。ついでに久しぶりに出光美術館に立ち寄る。「日本画の魅惑」と題する展覧会が開かれていて、出光美術館が所蔵する鎌倉時代の絵巻物・室町時代の水墨画・琳派と狩野派の作品・江戸時代の浮世絵・文人画と時代を追って見ていくものだった。「鑑賞のツボ」も書かれていて面白い。作品の裏にあるものを感じ取らせようという趣向である。さらには絵画だけでなく所々に柿右衛門・古伊万里・古九谷などの陶器の名品も展示されていた。そして、この展覧会のアンカーは仙厓さん(8990238話)の作品だった。出光興産の創業者・出光佐三(689話)が仙厓和尚の絵の教えを心の拠り所としていたことは以前にも書いた通りである。今回、目に留まったのは、「すりこぎ画賛」という作品である。姑が嫁にあまりうるさいことを言うと嫁は疲弊してしまう、ということを示したものだそうだ。神経質人間としては、あまり細かいことばかり言い過ぎて、周りに迷惑をかけないようにしなくては、と反省する。名僧の仙厓さんのところには、いろいろな悩み事を持った人たちが相談に訪れた。しかし、仙厓さんは直接アドバイスを与えることはせずに、さらりと絵を描いて渡しヒントを与えるだけで、本人に考えさせたという。本人の考えを整理させて自分で答えを導き出す手助けをする、現代のカウンセリングのやり方と同じである。仙厓さんは名カウンセラーだったのだ。しかも、相談者の手元には愉快な絵が残る。こんなカウンセリングだったらぜひ受けてみたいところだ。

 展示を見た後、給茶機でお茶をいただき、皇居を臨むロビーのソファに座って一休み。この日の東京は風雨が強く、皇居は霧がかかっているように見えたが、夕刻に近づくとだんだんくっきりと見えるようになってきた。雨に打たれた緑が美しく映える。展示を見終わった後に、この屏風絵のような風景を愉しませてくれるのも出光美術館の魅力の一つである。

2014年6月 6日 (金)

神経質礼賛 1032.弱り目に祟り目

 勤務先の病院でも他の精神科病院やクリニック同様に新患は予約制になったので、最近は月曜日の外来に「会社に行けない」と言って駆け込み受診する人は減った。しかし、普段は他の曜日の外来を受診している人が「調子が悪い」と言って月曜日にやって来ることが時々ある。今週も他の曜日に他の先生が診ている人が月曜日にやってきた。初めてお目にかかる人である。カルテをざっと読んでみると神経症の人のようだ。会社の仕事でトラブルが続出、人間関係もうまくいかず、「弱り目に祟り目ですよ」と言う。さらに「先生だったらこういう時どうします?」と質問してくる。「そうだねえ、弱っている時には、なるべく手を広げないで最低限のところをやっていくようにするね。それから、仕事に行きたくないなあ、というような時には、とにかく今日一日、と自分に言い聞かせて家を出るね」と答える。

 マーフィーの法則(153)のように、悪いことが続くことはあるものだ。なぜか次々と災難がふりかかってきて、まさに弱り目に祟り目、泣きっ面に蜂。私自身もそういう状況にはまりこんでしまうことがたまにある。弱って凹んでいると判断ミスが多くなって、さらに次なるトラブルを呼び込む、という負の連鎖だけは避けたい。心身の消耗を最小限に抑える省エネ運転を心がけ、どうにか踏ん張って時が流れるのを待つ。悪いことが永久に続くわけではない。そのうち風向きも変わって来る。

2014年6月 2日 (月)

神経質礼賛 1031.根

以前にどこかで書いた記憶がある、我が家に生えてきた「この木何の木」。3年ほど前、隣家との境のブロック塀と玄関横の50cmほどの隙間に双葉が出てきた。雑草ではなさそうなのでそのままにしていた。多分、鳥が落としていった種が発芽したのだろう。だんだん大きくなり、椿の葉のような濃い緑色の葉が増えた。葉は蟻の好物らしく、よく蟻が集まってくる。後からもう1本、同じような木が生えてきた。こちらは生長が早く、ずんずん伸びていった。どちらも花を付けない。鳥が種を運んで椿やサザンカが生えることはないとのことで、モチノキの雄株ではないかと思われるが、いまだにハッキリしない。後から出てきた木の生長が早いのは、ちょうど雨どいの水が流れ出てくるあたりで、土の水分が豊富なためかと思われる。時々、長過ぎる枝を切ってはいたが、ついに高さ3m近くなり、枝がブロック塀を超えて隣家に侵入していくし、雨どいを押すような枝もあって、これはまずい。ついに切ることにした。まず、枝を少しずつ切り落とし、地上50cm位のところで幹を切った。幹の太さは5cm近かった。そして、根本周囲の地面を掘り、残った幹を力いっぱい引っ張ってみたけれどもびくともしない。さらに地面を掘って引っ張ってもダメである。あきらめて地面のところで幹を切り、また土をかけておいた。雑草は根がしっかりしていて強いが、雑木もまたしかりである。
 
 人間の本性、性格の根本を根と言うことがある。「根は正直者」とか「根は明るい」というような使われ方をする。一頃「ネアカ」と「ネクラ」という言葉が流行ったけれども、植物の根と同様、人間の性格の根本も見えにくいものである。その人の言動や行動、態度や表情から判断するしかない。根は神経質で小心者であっても、大きな声であいさつし、笑顔で人と接すれば「明るい人」と思われる。かつて、メンタルヘルス岡本記念財団理事長の岡本常男さんは御自身の体験をもとに、「森田療法で性格が変わる」という講演をされていた。森田療法を勉強してそれを実践したところ、胃腸神経症がすっかり治ったばかりか、性格も明るくなり、部下から見ても親しみやすく話しやすくなった、ということである。岡本さんは、感情はそのままでプラスの行動を重ねることを勧めておられた。もちろん、性格の根本が変わるわけではないが、行動は変えることができる。神経質という立派な根を生かして、心配性のままに枝を伸ばしていけばよいのである。

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