神経質礼賛 1050.着眼点を変える
昨年から外来初診は予約制で1日1名限定になったので、このところ新患の診察数は減っている。その分、他の病院からの依頼で、入院を必要とする統合失調症やうつ病・躁うつ病の新患を受け入れる数が増えている。とはいえ、神経症や慢性化(神経症化)したうつ病の新患にもお目にかかる。私はそうした方々にいきなり大上段に構えて森田療法を振り回すようなことはしない。希望する人には薬を処方するが、なるべく少量に留め、薬は補助的なものである旨話す。注意が自分の心身に向き過ぎているために症状が悪化するメカニズムを説明した上で、症状は気になりながらも仕事や勉強や生活上のことに気を配って行動していくようにと話している。外来森田療法などという立派なものではないけれども、自然と森田療法的な症状への対処法や神経質を生かす生活態度を身に付けてもらえればと考えている。
森田正馬先生は、強迫観念に悩む人に対する手紙指導の中で次のように書いておられる。
快を求め・不快を避くる事は、生きとし・生けるものゝ本性であり・本能であります。快が欲望で、不快が恐怖で、相対立したものであります。神経質の性質は、この欲望が強過ぎるために、之に対する恐怖を、非常に苦にするものであります。頭痛持ちは、頭痛其のものゝ苦痛よりは、人並優れて、活動が出来ないといふ事が残念で・苦痛であります。拙著『根治法』中の鼻尖恐怖の例は、勉強の思ふやうに出来ないのが苦しいので、皆神経質の向上発展の欲望の過大から起るものであります。
之と同じく、赤面恐怖は、優越感・支配欲・権勢欲・負けおしみ・勝ちたがり・の反面でありまして、其のための劣等感や・恨み事・過去の繰言等に悩むものであります。従て、其着眼点を恐怖の方ばかりに向けず、其欲望のみに向けさへすれば、心機一転、強迫観念は全快するのであります。それは死にたくないといふ恐怖を、生きたいといふ欲望に向けかへると同様であります。(白揚社:森田正馬全集第4巻 p.510)
神経質は人一倍生の欲望が強いので、それと表裏一体の死の恐怖にもとらわれやすい。森田先生の言われるように、劣等感や恨み事や過去の繰言はそのままにしておき、着眼点を変えて、生の欲望に沿って現実的な行動にエネルギーを向けていけば、症状は自然に消退するばかりか、神経質の良さが実生活に生かせるのである。
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