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2014年8月29日 (金)

神経質礼賛 1060.感じから出発する(2)

 前にも書いたが、勤務先の病院の待合室の外にある白砂の庭には枯葉がよく落ちる。雑草も生える。以前は休診日に時々草を抜き枯葉を拾って捨てていたが、最近は外来日の夕方、患者さんが途切れた時に庭を見て、これは見苦しいなと感じると外に出て、草を抜いたり枯葉やゴミを拾ったりする。待合室の掲示板を見ると、もうすでに終わってだいぶ経っている講演会のポスターがそのままになっているのに気付く。これはいけないなあ、と感じると、はずして捨てる。大して時間はかからない。別に自分の仕事ではないけれども、気になって行動するだけのことである。そのように外に注意が向いて、何か感じたらさっと行動していると、暑くてだるいなあ、というような気分はいつしか忘れている。森田先生は次のように言われている。


 
 (修養のためにする仕事は、いつでも心の置き所が逆になる、という話をした上で)かくの如く「感じから出発する」、すなわち汚いから清潔にする、埃がいやらしいからはたき出す、という風ではなくて、「理屈すなわち標語から出発する」、すなわち「障子ははたくもの」「毎日掃除するもの」という事から、強いて義務責任とか人道とかいう事で、仕事をするから、鋳型にはまって、いつまでも進歩がない。(白揚社:森田正馬全集第5巻p.583-584


 
 調子が悪い、気分が悪い、と思っている方は、まず周囲を見渡してみることだ。そこで何か感じたら小さいことで良いから行動に移してみよう。やるべきだ、という義務感からではなく、感じから出発して行動してみる。そういう姿勢が身に付くと、確実に何かが変わってくる。

2014年8月25日 (月)

神経質礼賛 1059.潔癖症

 昨日、TVで「開運!なんでも鑑定団」を見ていたら(注:私の住んでいる地方ではテレビ東京は映らず、週遅れで地方局から放送される)、ゲストに元テニス選手の沢松奈生子さんが出演していた。試合の賞金を手にしてロンドンで買った銀のティーポットを出品して25万円の評価を得たのだが、司会者の今田耕司さんが、ポットの下部の汚れを見つけて、「ピカピカにしたいですよ」と言って磨くジェスチャーをしていた。今田さんはキレイ好き、潔癖症で知られている。帰宅するとまず部屋の掃除。仲間の芸人さんたちが自宅に遊びに来るとトイレを汚されないか心配し、料理を作ってくれるというと台所が汚れないように作る横でゴミ捨てしているという。この程度の潔癖症ならば、別に日常生活に支障をきたすわけではないし、お笑いのネタにもなるわけで、役に立つ潔癖症かもしれない。

 私の妻も潔癖症傾向があって、洗面所で歯を磨くと周りが汚れるから、と禁止の御触れを出した。仕方なく、台所で体を縮めて歯磨きしている。その上、洗面所の床が汚れるのが嫌だと言って古いタオルを下に敷いている。しかし、このタオルがいくら汚れても平気なので、見かねて私が妻の留守中にこっそり洗濯しているのである。掃除機をかける時は時間をかけて力をこめてゴシゴシ床や畳をこする。その結果大変だから掃除機をかける回数は減る。だから、私が休日には簡単に短時間で全体に掃除機をかけている。あまり近視眼的に潔癖にこだわってしまうと、全体のバランスを欠く結果になる。

さらに不合理性が強いのが不潔恐怖(628話)である。両手にゴム手袋を常時つけて生活している外来患者さんがいる。初診時、長いこと入浴しておらず、髭や髪も伸び放題だった。トイレにも行けずオムツ着用。一見して統合失調症かと思ったが、話をしてみると幻覚や妄想などの病的体験はみられず、重症ではあるが神経症圏である。まさに「不潔恐怖は不潔になる」の言葉の通りである。普通の食事は食べられず、カロリーメイトとポカリスウェットの類しか摂取しない。栄養失調になっているのではないかと親が心配するので血液検査をしてみた。大塚製薬さんの宣伝をするわけではないが、よくしたもので、検査結果は正常であった。当然、日常生活は全面的に親に依存し、ひきこもり状態である。本人も不合理性はわかっていて何とかしたいのだが、どうしてもやめられないという。まず、どれか一つでも健康人と同じように行動するように、と指導する。次回受診時、一見変わっていなかったが、本人に言わせると、ヒゲと髪を少し切ることができたし、シャワーも浴びてきた、という。強迫性障害について書いたパンフレットを渡したら手袋をはずして受け取ってくれた。まだまだ先は長い。三歩進んで二歩下がるだろうけれども、つらいながら本人が行動してくれれば、いつかは良くなってくるだろう。

2014年8月22日 (金)

神経質礼賛 1058.神経質vsゴキブリ

 蒸し暑い毎日が続き、人間たちはバテバテ。ペットの動物たちまで暑さ疲れが出ているのではないだろうか。そんな中、元気いっぱいなのが嫌われ者のゴキブリたちである。ゴキブリはすばしこいし、高さ1-2ミリの隙間にも潜り込むし、いきなり羽を広げて飛ぶこともある。夜、電気を付けたら発見、というパターンが多い。そっと近づいていきなりスリッパで叩き潰す。壁を這っている時には壁紙を汚してしまうので一旦床にはたき落してから叩き潰す。逃げられて第2弾、第3弾の攻撃をする時はスリルがある。

 我が家では、殺虫剤の類は妻が嫌うので、以前はゴキブリホイホイの類を使っていた。しかし、ひと夏置いても捕獲ゼロということもあるので、最近はホウ酸入りのベイト剤を設置している。ドラッグストアやホームセンターには種々の色や形をしたベイト剤が並んでいる。半年に1回位の割合で新しいものに交換している。その際、交換したことがわかるように同じ商品は買わず、異なる商品を買っている。ここが神経質らしいところである。置き場は台所を重点的に部屋の隅である。それでもゴキブリの出現回数は年10回近くにのぼる。果たして効いているのか効いていないのか、不明である。最近、新聞にベイト剤の二次効果はほとんどないという研究が出ていた。どの商品も、ベイト剤のエサを食べた後の糞やその死骸を食べたゴキブリまで死ぬ、と二次効果を謳っているが、実験してみたところ、それだけの効果はなかったという。人類の歴史とともに生きてきて人類が滅亡しても生き残るだろうなどと言われているゴキブリ。完全に退治するのはむずかしい。特定の病原菌を媒介するわけではなく、単に不潔なだけの「不快害虫」ではあるけれど、お出ましにならないように、ゴキブリとの戦いは続く。

2014年8月18日 (月)

神経質礼賛 1057.甲子園での校歌斉唱

 今年の夏の甲子園高校野球大会は台風の影響で2日遅れてスタートした。現在2回戦が行われている。私の出身高校も出場したが、残念ながら1点差で逆転負け。勝利の校歌を聞くことはできなかった。

甲子園だけでなく地方大会でも、試合終了後に勝った高校の栄誉をたたえて校旗が掲揚され校歌の一番が斉唱される。私の出身校の校歌は旧制中学以来の年代物であり、文語体で七五調、たった四行の歌詞なので、すぐに歌い終わる。オリジナルの歌詞は四番まであり、二番以降の歌詞は軍国調のため新制高校になってからは一番のみが歌われている。

今年の甲子園で校歌が話題になった高校がある。You Tubeに試合直後その群馬県代表の私立高校の校歌が流れるシーンが投稿されていたので、見てみた。Be Togetherという題名にまず驚く。シンコペーションがやけに多いなあと感じる。途中「wow wow」なんていう歌詞もある。校歌と言うよりも応援歌向きの曲だと感じる。最大の特徴は、約1分40秒という長さにある。校歌の歌詞一番の長さのデータはないだろうけれど、甲子園大会で今までこれほど長い校歌はなかったのではないか。もしかすると大会新記録かも知れない。その間、直立不動・整列して待っている敗れたチームの子たちには気の毒だし、TVで観戦している視聴者もその高校出身者以外にとっては間延びして待たされ感が強いだろう。これをそのまま流すのは思いやりに欠ける。入学式や卒業式など学内の行事で歌う分にはどんなに長い校歌でも御自由だが、学外の公式スポーツ大会用にせめて1分以内の短縮ヴァージョンを用意していただけないだろうかと思う。

2014年8月15日 (金)

神経質礼賛 1056.初盆

 昨日は弟の妻の初盆に行ってきた。いつもと同じ通勤列車に乗り、そのまま東京駅へ。総武線の津田沼で新京成に乗り換え、高根木戸駅で降りる。実はここが義妹の終焉の地である。

3か月前、帰宅途中に携帯電話が鳴った。「大変なことが起きたの」という妻からの連絡に私は言葉を失った。義妹がホームから転落して列車にはねられて亡くなったというのだ。その1週間前、連休で弟夫妻が遊びに来て一緒に食事をしたばかりだった。義妹は子供の頃から弱視のハンディをものともせず、明るく頑張り屋さんだった。結婚前は銀行で働いていた。英検も準1級を取った。フラメンコが大好きで、フラメンコ教室に通っていたが、皆と速い動きを合わせるのは困難なため、歌手に転向し、発表会でも活躍していた。そのフラメンコ教室からの帰りに事故が起こった。いつも、電車を降りた時に階段に近い決まった車両の決まったドア近くに乗っていたという。それなのにどうしてこんなことになったのか。たまたま他の乗客と接触して方向感覚がわからなくなったのだろうか。

この駅は住民の反対にもかかわらず2年前に無人化された。鉄道会社は安全対策としてビデオカメラを設置した。しかし、警察が万が一の事件性を考慮して、鉄道会社にビデオ提出を要請したところ、故障していて画像が記録されていない、との回答だったという。これでは何のためのカメラなのか。このことを知った視覚障害の方々が、「カメラには手はありません」(カメラは助けにならない)と声を上げ、地元の市会議員・県会議員がホームドアや音声案内を設置して安全対策を強化するよう鉄道会社に要求する運動を始めた。

眼が不自由な人だけの問題ではない。健康だと思っている誰もが、突然の体調不良で倒れる可能性はある。小さい子供が走り出してホームから落ちることもありうる。先日、気分が悪くなった妊婦さんがホームから転落して列車にはねられて亡くなる事故もあった。私が住んでいる街には静岡と清水を結ぶ静岡鉄道の電車が走っていて、小さい駅であっても、転落防止柵が設置されている。停車時のドア部分は付けられないけれども、それでも転落リスクは半減できる。ホームドアは設置費用や維持費がかかるから容易ではないにしても、静岡鉄道のような転落防止柵ならば設置できるはずである。「落ちる方が悪い」ではなく、コストの許す範囲で、神経質にあらゆる事態を想定して事故のリスクを少しでも減らすのが鉄道会社の務めなのではないだろうか。義妹の死を無駄にしてほしくないと思う。

2014年8月11日 (月)

神経質礼賛 1055.座高

 8月7日の毎日新聞夕刊のトップに「意味がなかった?座高測定」「始まりは胴長健康説」「漫然と78年継続」という見出しの記事があった。この見出しだけで内容がおわかりかと思う。この記事によると、学校の身体検査の際に身長・体重とともに座高の測定が行われるようになったのは日中戦争が始まった1937年で、当時は胴長の方が健康と考えられていて、強い兵隊を育成するために座高測定が取り入れたという。しかし、現在では座高のデータは全く生かされていない。座高に応じて机や椅子の高さを調整しているかというと、そうでもない。ちなみに胸囲も着衣のままでは正確に測定できないという理由で1994年に測定廃止となっているとのことだ。私くらいの世代の体型は胴長短足が多かった。座高が高いと恥ずかしい、という思いがあったものだ。私の子供世代は足が長くなった分、身長も高くなり、欧米人並みの体型になってきている。最近、バレエの国際コンクールで日本人が続々と優勝・入賞していて、ニュースで踊っているシーンを見ると、これが今の日本人か、と隔世の感がある。

それにしても、意味もないことを「今までやっているから」と疑問を持たずにいつまでも継続するのはいかにもお役所仕事である。そういう姿勢は自然と学校で子供たちにも伝わってしまう。森田正馬先生が「教育の弊は人をして実際を離れて徒に抽象的ならしむるにあり」と書かれた色紙を思い出す。

2014年8月 9日 (土)

神経質礼賛 1054.汗拭きシート

 このところ台風が南から湿った暖気を運んでくるためか、気温だけでなく湿度も高く不快指数が高くなっている。夜はエアコンのタイマーをかけて寝るが、タイマーが切れたところで大抵目が覚める。朝起床時には顔には汗の膜が張り付いているような感じがする。洗顔して一旦サッパリするけれど、家を出て歩いて行き、駅の階段を上がったところではまた汗だくになっている。昨年、妻がこれでも使ったら、と汗拭きシートを買ってくれて使わないでいたのを思い出した。超すっきりパワーシートという商品で、「顔の汗やニオイ・テカリをしっかりふき取り、さらさら感長続き!」と書かれている。神経質ゆえ、成分も気になる。確かに顔を拭いてみるとメントールやハッカエキスのおかげでスッキリ感はある。しかし時間が経つと、汗とは別のペトペト感が少しあって、おでこもかえってテカテカ光ってしまうような気がする。エタノールだけでなく、グリセリン・パラベン・タルク・尿素といった軟膏や化粧品やシェービングローションの素材としてお馴染みの物質が使われているからだと思われる。汗臭い臭い(プラス加齢臭?)を振りまいて迷惑をかけるよりはいいけれども、やはり水で顔を洗ってサッパリする方が良いという気がする。自然が一番だ。

2014年8月 8日 (金)

神経質礼賛 1053.露店の食品

 先月末、私が住んでいる街で最大の花火大会の際に露店で売られていた「冷やしキュウリ」を食べて病原性大腸菌O157による食中毒患者が出た。日増しに発症者が増え、昨日のニュースでは患者数413人、うち重症のため入院したのが101人に達したという。冷やしキュウリとはどんなものだろうか。お祭りの類には近づかない私のことなので、想像もつかなかったが、キュウリの浅漬けに棒を刺して氷で冷やして売っているものだそうだ。暑い中では見た目に涼しげだし、ビールのつまみにも好適ということなのだろう。夏場の京都の観光地ではちゃんとした漬物屋さんが作った冷やしキュウリや冷やし大根が店で売られているという。それならば安心だけれども、今回の件では露天商が車の中で漬けた1000本のキュウリを1200円で売っていたのだそうだ。ちなみに1000本完売。二次感染者も含まれているであろうから、単純に発症率4割とは言えないけれども、これだけの人数の人たちが発症したのだから恐ろしい。野菜や果物類を販売するにあたっては、保健所の許可はいらないとのことだが、漬物のように手が加わった物も同じ扱い、というのは疑問である。それに露天商は衛生意識が低く、平気でお金を触った手で食べ物を扱うのが常であるから、火を通した食品よりもこうした生の食品はさらに危険性が高いかもしれない。身を守るためには神経質に祭りの露店の食品は避けた方が安全である。

 私は子供の頃、露店で食べ物を買うことを親から禁じられていた。不衛生だから病気になるかもしれないとか、有害な着色料を使っているという理由からである。

神経質性格になるのは、遺伝的要因に加えて親の養育態度も含めた環境因によると考えられている。私の場合も同様で、母親の家系は神経質な人が多いので遺伝的な要因が大きい上に、細かいことを注意されて育ったために神経質性格が形成されていったのだろう。神経質のために損をしていると思っておられる方々は多いが、神経質のおかげで種々のリスクを回避でき、健康や安全を保つことができ、知らず知らずのうちに神経質の恩恵を受けているのである。

2014年8月 4日 (月)

神経質礼賛 1052.西瓜

 この時期、病棟行事で行われるのは流しそうめんと西瓜割りである。そうめんも西瓜も給食に出てくることはあるけれども、普段と変わった状況で食べるのも季節感があって一興である。

 私が子供の頃、夏は西瓜をよく食べた。夏休みに友達の家へ遊びに行くとオヤツに出てくるのは必ず西瓜だった。わが家では洗濯機に井戸水を入れて西瓜を冷やして食べていた。今と違って子供が多い時代だったから、どこの家でも大きな西瓜を1個買っていた。今では大きいままでは売れないからスーパーで売っているのは6分の1カットや8分の1が多い。それどころか、皮をはずして身をサイコロ状にカットしたカット西瓜も見かける。冷蔵庫に入れやすい小玉西瓜もよく売れる。西瓜のカリウムは利尿作用を持ち、水を飲み過ぎて夏バテ状態に良いとされている。少し塩を付けて食べる食べ方もある。そうすると西瓜自体の甘味を強く感じやすくなるということもあるし、発汗で失われた塩分を補給するということもあるだろう。

 神経質ゆえ、子供の時に「西瓜の種を食べると盲腸(虫垂炎の通称)になる」と言われて心配になったことがあった。種は指ではずしたり、吹き出したりしてはいても、誤って食べてしまうことがある。最近では抗生物質の改良もあってか虫垂炎の手術は激減しているが、子供の頃は年に1人か2人虫垂炎になって入院するクラスメートがいて、大勢でお見舞いに行ったものである。小学校の修学旅行の途中で虫垂炎を起こして入院・手術になってしまった同じクラスの子もいた。子供にとっては、手術されるのは怖いし、1週間入院するのも辛い。だから、ちょっとした「西瓜種恐怖」になったものである。しかし、医学的にそういうことがあり得るのだろうか。種が消化されずに大腸にまで行ってしまうことは十分あり得る。それがたまたま盲管である虫垂に入りこんで出て行かずに炎症をきたす可能性は完全にゼロとは言い切れないが、そう滅多にあることではないだろう。それを心配するくらいならもっと心配すべきことはたくさんある。種々の神経症の症状に関する心配も同様である。

2014年8月 1日 (金)

神経質礼賛 1051.血液型と性格は無関係

 728日読売新聞夕刊に血液型と性格との関連性に科学的根拠はないという研究結果が紹介されていた。九州大学の縄田講師(社会心理学)が日米1万人を調査した研究結果で、68項目の質問に対する回答で血液型による差が出たのは3項目のみで、しかもその差はごくわずかだったという。

 こんなことが研究対象になり、新聞記事に取り上げられるのは日本だけである。海外諸国で血液型を気にするところは皆無である。国内では1970年代から血液型と性格との関連を書いた書籍が売れるようになり、テレビ番組の話題になるようになったという。「A型は真面目」とか「B型は自己中心的」などと言われるようになり、就職活動の面接の際に血液型を聞かれたり、極端な場合には特定の血液型だけを採用する企業があったり、と時には不当な差別にまで発展している。

 血液型と性格が日本で言われるようになったのは実は古く、以前71話に書いたように大正時代からのようである。森田正馬先生はそれを迷信であるとし、弟子の古閑義之先生が血液型と性格の関係を否定する論文を書いている。


 
 古川文学士の「血液型と氣質」の研究は、今は大分、長い年月を経て、最近は之に対して、多くの価値を認めず、両者の間に、一定の関係を認めない・といふ学者も出るやうになッた。根が抽象的分類であるから、一歩誤れば、無意味の研究になり易い・といふ事を忘れてはならない(古閑「氣質と性格の研究」『応用心理』第二巻・第三号参照)。

 更に此の血液型と・スポーツ・軍人・大学生・優等生・耳鼻科疾病・禿頭と白髪等との関係を研究するに至りては、之を瓢箪や・印籠を集める人に相当する処の・学問的道楽と思へばよからうと思ふ。もし一歩脱線して、縁談・運命・失職等の関係を研究するやうになれば、初めて誰でも、之を迷信と氣がつくであらう。(白揚社:森田正馬全集第3p.382

 

 日本人の場合大ざっぱに言えば、A型4割、O型3割、B型2割、AB型1割という比率なので、どうしても少数派のB型やAB型は変人扱いをされやすい。学校で自分の血液型を教えられると、友人と教え合うから、少数派は肩身が狭い思いをすることになる。今では急病や大けがの際に、本人や家族から申告された血液型をいきなり輸血することはなく、必ず交差適合試験(クロスマッチテスト)を行ってから輸血するので、自分の血液型を知っている必要性は必ずしもない。Rh(-)型の人は少ない(日本人では約0.5%と言われている)ので、いざという時に輸血が得られにくいことを知っておく必要性があるけれども、ABO型については知らなくても良いのではないかと思う。血液型で性格がわかるくらいなら性格検査はいらなくなる。しかし、精神科の診断で血液型を問うことはない。よくA型は神経質と言われ、森田正馬先生もA型だったが、神経質が足りないA型の人も少なくないし、非常に神経質なB型の人もいる。占いと同様に、当たると印象に残り、はずれても印象に残らないから、何となく当たっているような気がしてしまうだけのことである。

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