神経質礼賛 1070.そのままであるほか仕方がない
強迫観念に悩む人に対する手紙の中で、森田正馬先生が「そのままでよろしい」と指導されたことを以前書いたことがある。同じく強迫観念に悩む別の人にも同じような指導をされている個所があるので紹介しておこう。物思いに沈んでいて、ふと何か大声で言ったのではないかと気になりだし、非常識なことを言っているのではないかといつも心配するようになってしまった人への返事である。
森田先生は、まず、手紙に苗字だけで名前が書いてないこと、手紙を出したのが初めてかどうか、年齢や境遇もわからない、ということを指摘して、「どうしてズボラで氣無精なのでしょう」と述べておられる。つまり、どうでもよいことにばかりに神経質を浪費して、肝心なことには神経質が足りないではないか、ということなのである。そして、次のように回答されている。
吾々は夢では、心に思ふ事が実際のやうに感ずる如く醒めて居る時でも。余り一つ事を思ひつめて居ると、ふと氣がウツトリしたやうな時、其の事を実際に口外したり・実行したやうに感じられる事があります。又吾々が人を憎んで色々考へて居ると、何かの際に其の人に何かと憎まれ口をきいたやうな氣がして、その人に対して恐ろしいやうな心持になる事があります。之は吾々の心は、誰でも其の様になる事があるといふ事実であるから、之をさう思はないやうにとすることは不可能であります。則ちさう思ひ・心配し・恐れながらも、其のまゝであるより外、仕方がありません。(白揚社:森田正馬全集第4巻 p.565)
強迫観念に悩む人は何とかそう思わないようにしよう、気にしないようにしよう、と努力しがちである。しかし、その努力は不可能の努力であるばかりか、さらにこだわりを強めてしまい、結果的には症状を悪化させるという悪循環に陥ってしまうのである。だから、気になるままに「そのままであるほか仕方がない」というのが最良の対処法なのである。気にはなっても、日常生活でやらなくてはならないことに目を向けて行動していく。たとえ小さな行動であってもそれを積み重ねていく。そうした生活態度を続けているうちに、自分にばかり向いていた注意が外に向くようになって、いつしか強迫観念も薄れていくのである。
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