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2014年9月29日 (月)

神経質礼賛 1070.そのままであるほか仕方がない

 強迫観念に悩む人に対する手紙の中で、森田正馬先生が「そのままでよろしい」と指導されたことを以前書いたことがある。同じく強迫観念に悩む別の人にも同じような指導をされている個所があるので紹介しておこう。物思いに沈んでいて、ふと何か大声で言ったのではないかと気になりだし、非常識なことを言っているのではないかといつも心配するようになってしまった人への返事である。

 森田先生は、まず、手紙に苗字だけで名前が書いてないこと、手紙を出したのが初めてかどうか、年齢や境遇もわからない、ということを指摘して、「どうしてズボラで氣無精なのでしょう」と述べておられる。つまり、どうでもよいことにばかりに神経質を浪費して、肝心なことには神経質が足りないではないか、ということなのである。そして、次のように回答されている。


 
 吾々は夢では、心に思ふ事が実際のやうに感ずる如く醒めて居る時でも。余り一つ事を思ひつめて居ると、ふと氣がウツトリしたやうな時、其の事を実際に口外したり・実行したやうに感じられる事があります。又吾々が人を憎んで色々考へて居ると、何かの際に其の人に何かと憎まれ口をきいたやうな氣がして、その人に対して恐ろしいやうな心持になる事があります。之は吾々の心は、誰でも其の様になる事があるといふ事実であるから、之をさう思はないやうにとすることは不可能であります。則ちさう思ひ・心配し・恐れながらも、其のまゝであるより外、仕方がありません。(白揚社:森田正馬全集第4巻 p.565


 
 強迫観念に悩む人は何とかそう思わないようにしよう、気にしないようにしよう、と努力しがちである。しかし、その努力は不可能の努力であるばかりか、さらにこだわりを強めてしまい、結果的には症状を悪化させるという悪循環に陥ってしまうのである。だから、気になるままに「そのままであるほか仕方がない」というのが最良の対処法なのである。気にはなっても、日常生活でやらなくてはならないことに目を向けて行動していく。たとえ小さな行動であってもそれを積み重ねていく。そうした生活態度を続けているうちに、自分にばかり向いていた注意が外に向くようになって、いつしか強迫観念も薄れていくのである。

2014年9月26日 (金)

神経質礼賛 1069.恐怖の神髄

 秋分の日の朝、NHKのホリデーインタビューは「漫画家・図かずお恐怖の神髄を語る」という番組だった。現在78歳ながら、トレードマークの赤白ボーダーシャツと帽子姿で、溌剌とした感じである。「まことちゃん」などの作品で有名な楳図さんは小学生から青年期までを奈良県五條市で過ごした。まだ住んでいた家が残っていて、漫画を描き始めた頃のことを語っていた。初期の漫画には場面に合った効果音を五線紙に書き込んでいたが、編集者から商業的ではないと言われて止めたという。幼少期は奈良県曽爾(そに)村に住んでいたということで、インタビュー場面は緑美しい曽爾高原に移る。楳図さんは父親から地元に伝わる民話を数々聞かされ、その中に怖い話があった。美しい女性と結婚して子供もできて幸せな男性が、ある朝廊下が濡れていることに気付き、夜になって子供を背負って妻の後を追っていくと、池のところで妻は大蛇になり・・・という話であり、それが楳図さんのホラー漫画の原点なのだそうだ。楳図作品では、家族や友人など身近な人が突然変身して恐怖の対象になる。「恐怖なんかない方がいいじゃないですか」という質問に、楳図さんは恐怖の意義を語った。現実社会でも恐怖は起きる。それに対する心の準備やそれを予防するためにホラー作品は必要なのではないか、ということを言っておられた。確かにその通りである。平凡な生活を送っていても、大病にかかったり事故や災害や犯罪に巻き込まれたりしたらそれが一変して、突然に苦痛や恐怖のどん底に落とされてしまう可能性は誰にでもあるのだ。その恐怖を知ることで、そうならないように注意・防止したり、例えば保険などにより、万一そうなってもダメージを少なくするように準備したりすることは可能である。幸い、今の日本には戦争はないけれども、赤紙一枚で戦場に送られたり空爆に怯えたりする日が来ないとも限らない。そうなったら本当に怖い、絶対にそうなってほしくない、と多くの人が念じることが平和を守っていく上で大切なことなのではないかと思う。

 森田正馬先生は9歳頃にお寺の天井に描かれていた極彩色の地獄絵を見て強い恐怖を感じ、死を恐れて夜も眠れなくなったという。また、江戸時代の名僧・白隠禅師も11歳の時に地獄の様子を聞かされて強い恐怖に襲われるようになり、その恐怖から解放されたい一念から出家したという。敏感な神経質人間は人一倍死を恐れる。そして、それは時には多彩な「症状」として現われてくることがある。しかし、「死の恐怖」と表裏一体の「生の欲望」が強いということでもあるのだ。死の恐怖から逃れようとジタバタしてもなくならないばかりかますます怖くなるばかりである。恐怖は怖いままにして、生の欲望、つまり、よりよく生きたいという願望に沿って行動していけば、恐怖はあってなきがごとき状態となってくるのである。

2014年9月22日 (月)

神経質礼賛 1068.薬を飲みたがらなくて困る人・飲みたがって困る人

 精神科病院で仕事をしていると、統合失調症のため、入院を繰り返す人がいる。幻覚や妄想などの症状があっても本人にとってはリアルな体験として感じられるので、自分が病気だという認識が得られにくいから、薬が必要だと思わず中止してしまうことがある。そのために症状が再燃して日常生活が立ち行かなくなって、再入院が必要になってしまうのである。退院してもすぐに戻ってきてしまうということから、以前は「回転ドア現象」という言葉があった。現在では抗精神病薬が改良されて、服薬回数が11回で済み、副作用が以前のものに比べて少なくなっている。口の中でスッと溶ける薬や小さなパッケージに入った液剤もあって、飲みやすい剤型を選択することもできる。また、入院期間は短期に留めてデイケアに通ってもらったり、場合によっては訪問看護を行ったりする支援体制も充実してきている。しかし、それでも、服薬・通院が続かずに再発・再入院になってしまって残念な思いをするケースはなくならないのが現状である。

 それに対して、神経症の場合は、基本的には飲まなくてはいけない薬というものはないはずである。ところが、神経症の人は精神病の人と異なり、自分は病気であって異常である、という思いが強い。そして、中には薬を飲みたがって困る人がいる。特に、抗不安薬や睡眠薬の類を欲しがる人がよくいる。時には服用量を自分で増やしてしまって減量するのが困難になる場合もある。以前にも紹介したように常用量依存の問題もある。そして飲み続けていた薬を急に中止すると激しいリバウンドに苦しむことになる。精神病では薬による治療が中心であるが、神経症では薬物療法はあくまでも補助的なものであり、薬は最小限にする方がよい。「神経質は病氣でなくて、こんな仕合せな事はありません」(白揚社:森田正馬全集第4巻 p.386)という森田先生の言葉を時々思い出していただきたい。

2014年9月19日 (金)

神経質礼賛 1067.酔芙蓉(スイフヨウ)

 母が一人暮らしをしている実家の門の近くに酔芙蓉があって、先月から長いこと花をつけている。夏から初秋にかけての花である。一日花であり、朝咲いた時には白色、だんだんピンクから紅色に変化し、夕方にはしぼんでしまう。まるで酒を飲んでだんだん顔が赤くなっていくようなので、このような名前がついたのだそうだ。母が神社の露店で買ってきた鉢物を庭に植えたらどんどん大きくなって、幹は太くなり高さも軽く3mを超すようになってしまった。実家の庭はそうした植物が無節操に植えられジャングル状態になっている。広い庭があっても車が入れない小路に面しているので、足が悪くなってタクシーを呼ぶのもなかなか大変である。私が週1-2回、食材を買って届けるのも歩いて行かなくてはならない。すでに家自体も老朽化がひどく、雨漏りやら床が割れそうやら、住むのは限界である。そんなわけで、今年になって、私の自宅から500m位のところに母が移り住むための小さな家を確保した。そこならば仕事帰りに寄ることができるし、何かあればすぐに駆けつけることができる。春には引っ越しをと思っていたら、いろいろあって、夏までには、秋の彼岸までには、とズルズル先延ばしになっている。年内に移れればいいところか。やはり母としては長年の思い出とともに自分が植えた木々への愛着もあって簡単には去りがたいのだろう。

 酔芙蓉は神経質流に言えば赤面花ということになるだろうか。恥ずかしさを感じる時に人はなぜ赤面するのか、そのメカニズムを説明した文献は見当たらない。私も若い頃は赤面恐怖に悩んだものだ。学校では授業中に先生にあてられたらどうしよう、とハラハラした。急に指名されて立ち上がると一瞬、顔からスーと血の気が引く感じがする。その後から急に顔がほてって赤くなるのを感じる。言っていることがしどろもどろになり、思ったことが言えず、終わって座るとホッとするが、自分はなんて情けないのかとクヨクヨ悩むのであった。若い頃は深刻に悩んで、何とかしなくては、もっと心を強くして大胆にならなくては、とジタバタしたが、だんだんに諦めがついて、自分はこんなものでどうにも仕方がないと思うようになっていった。今でも人前では緊張するし赤面するが、まだ純情なところが残っている、正直者の証拠だ、くらいに思っているから、赤面「恐怖」ではなくなっている。

2014年9月15日 (月)

神経質礼賛 1066.ピーマン

 このところスーパーの野菜売り場には物が置いてない棚があったりする。台風や豪雨の被害のため青物野菜が極端に品薄になっていて、チラシに書いてあっても、「入荷できませんでした」という貼り紙があったりする。キュウリが1本100円近い。あまり元気のなさそうな白菜の四分の一カットが200円。ホウレンソウも申し訳なさそうに小さな束で売られている。そんな中、棚の上で気を吐いているのがピーマンたちである。ピーマンと聞いただけで後ずさりされる方もいるかもしれない。ピーマンは野菜嫌いの人にとっては最大の鬼門だろう。しかし、昔に比べたら青臭さが随分減っているし、赤ピーマンや黄ピーマンもあって彩り豊かな料理ができる。神経症の「できない」のではなく「やらない」だけ、と同様に、ピーマン嫌いは「食べられない」のではなく「食べない」だけ、という面がある。もしかするとピーマン神経症と言える場合もあるかもしれない。おいしい料理と出会って嫌いが好きになって全治してしまうこともあるだろう。チンジャオロースだとか肉詰めピーマンといった本格的な料理もあるけれども、私はシンプルに茄子とピーマンを炒めておかかをたっぷりかけたナスピーが好物であり、病院の朝食に時々出てくる「(ちりめん)じゃことピーマンの当座煮」がさらに大好きだ。シラスのカルシウムやタンパク質に加えてピーマンのビタミンや野菜線維が摂れて、塩分に気をつければ実に理想的な栄養食である。野菜が品薄で困っている主婦の皆さんは多いと思うが、「そうだ、ピーマン食べよう」で切り抜けられては如何でしょうか。

2014年9月12日 (金)

神経質礼賛 1065.四年ぶりの患者さん

 勤務先の病院から30kmほど離れたところにある内科医院の先生がよく患者さんを紹介して下さる。多くは神経症や軽うつの高齢女性である。今回、紹介状を持って来られた方は、四年前にもやはり紹介状を持って一度だけ受診された方だった。今回、年齢はちょうど80歳になられていたが、かなりお若く見える。体のあちこちの不調を訴えていろいろな医療機関にかかって検査を受けても異常はなく、その内科医院で胃の内視鏡検査をしても異常はなく、再び紹介されてきたのである。

 前回も同様の訴えだった。御主人のガンをきっかけに自分の体の心配が強くなり、不安、不眠をはじめ種々の症状が現れた。こちらを受診して良くなったそうだ。御主人は今もお元気だが、だんだん介護が必要な部分が出てきている。そんなことから、また自分の体の心配が強くなってしまったらしい。症状に関しては雄弁に語る。病気と言うよりは元来の心配性のため自分の体の方にばかりに注意が向き過ぎてあれこれ「症状」が出ているという説明をして、「こちらでは特に薬は出さないけれども内科の先生にはお手紙を書いておきますよ」と言っておいた。「それじゃあ、またカラオケにも行った方がいいのかねえ」と彼女は言う。「カラオケは大いに結構です。80年もずっと休まずに体は動いてきたのだから、小さな不具合は誰にでも出てきますよ。まあ、こんなものかなと思って日々を過ごされていけばいいんじゃないでしょうか。神経質で心配性の人は異常を感じるとすぐに医者にかかって検査を受けるから大病をすることが少なくて長生きしますよ」と言っておいた。さて、またお会いすることはあるだろうか。

2014年9月 8日 (月)

神経質礼賛 1064.家康人生最大の汚点

 先週の月曜日の「謎解き!江戸のススメ」(BS-TBS)という番組は家康の正室・築山殿の殺害、嫡男・信康切腹の謎についての話だった。以前から非常に興味のあるテーマだったので最初から最後まで見た。番組は戦国史研究の第一人者である静岡大学名誉教授の小和田哲男さんの説に基づきまとめられ、小和田さん自身も出演してわかりやすく解説しておられた。事件は嫡男・信康に嫁いでいた織田信長の娘・徳姫が姑である築山殿と夫の信康が武田方と内通しているとして二人の悪行を十二か条挙げた文書を信長に出したことが発端とされる。信長は家康の重臣・酒井忠次を呼び出し、釈明を求めたが、酒井は十二か条のうち十は正しいと認めたため、信長は二人の処分を家康に命じ、家康は信長との力関係からやむを得ず築山殿を殺害し信康を切腹させたということになっている。しかし、徳姫が姑との仲が悪いことを伝えたにしても、十二か条の文書を書くとは考えにくく、史料も残っていないことから、築山殿が武田と繋がりのある中国人医師と密通していたというようなことは、江戸時代になって家康を神格化するために築山殿を悪女に仕立て上げた作り話ではないか。信康が罪のない人々を斬ったという話も同様ではないか。浜松城にいた家康と岡崎城にいた信康の間には対立があって、家康は自分が信康に滅ぼされることを恐れて信康を二俣城に幽閉、それを知って信康の助命を家康に直訴しようと浜松城に向かった築山殿を家臣が気を利かせて途中で殺害した、というのが小和田さんの説である。確かに戦国の世では親子や兄弟間の争いや殺し合いは珍しいことではなかった。美濃の齋藤道三が息子の義龍に殺害された件や武田信玄が父・信虎を追放した件や織田信長が弟をだまし討ちした件など例はいくらでもある。三男の秀忠が生まれたことも信康抹殺に踏み切った一因ではないかと小和田さんは言う。

 築山殿に関する情報は少ない。家康と同年齢か少し年上だったと言われている。京の文化を愛した今川義元の姪であるから教養が高い女性であったことは間違いないし、人質時代の家康とは良い夫婦関係だった。しかし、桶狭間の戦の後、家康が信長と同盟を結び今川と敵対したことから築山殿は信康とともに逆に今川の人質となってしまい、築山殿の父親は自害を余儀なくされる。家康の重臣・石川数正が交渉して人質交換により岡崎に来るが、岡崎城には入れてもらえず、そのために築山殿と呼ばれた。かつて今川のために苦労をした家臣たちに配慮しての待遇だったのではないか。夫の家臣に斬られて非業の最期を遂げた上に悪女にされてしまったのは何とも気の毒であり、本当は良妻賢母だったのだろう。

 信康切腹に関して、家康が信長のように冷徹な人間ならば小和田説で納得できるが、家康の性格を考えると疑問に思う。ことあるごとにもうダメだと思い込んでは自害や斬り死にを何度も覚悟した神経質人間の家康が、積極的に自分の嫡男を抹殺するはずがない。浜松城にいた重臣の酒井忠次と岡崎城にいた重臣の石川数正はともに家康の人質時代から行動を共にしてきた。特に酒井は人質時代の近侍の中では最年長だった。しかし、彼らが一枚板というわけではない。酒井忠次が岡崎方の家臣たちを追い落とすため、重臣の大久保忠世とともに信康の非行について讒言し、家康としては家臣団の中で大きな力を持つ年長の酒井に配慮せざるを得なかったのではないだろうか。家康の祖父も父も家臣に暗殺されている。家臣たちの総意に沿った選択をしていかなければ自分の家が生き残れないことを家康はよく知っていた。また心配性のため信長の意向も過度に気にし、悩みぬいた挙句に仕方なしに築山殿殺害・信康切腹の命を下したのではないかと思う。つまり、「空気を読み過ぎた」のがこの悲劇の原因であり、家康の人生最大の汚点となってしまったと私は考える。家康は信康に会って弁明を聞くことはなかった。最初から無実だと知っていたからだ。会えばかわいそうで命令が下せなくなる。「本当にすまん。こうしなければ家を維持することができないのだ。力の足りない父を許してくれ」というのが家康の声なき声だったろう。切腹の際に介錯を命じられていた服部半蔵は信康があまりにも気の毒で太刀を取ることができなかったという。後年、息子の禄高が少ないと家康に訴えた酒井は「お前も息子がかわいいか」という家康の一言に凍り付く。幸若舞「満仲」を家臣たちと観た時の逸話も残っている。「満仲」とは、源満仲が子の美女丸を寺に預けて修行させたが、美女丸は経典を読まず暴力ばかり働くため、家臣に斬るように命じる。しかし、家臣は自分の子を身代わりにして首を刎ねて満仲に見せる。美女丸は心を入れ替えて修行に励み、立派な高僧になったというストーリーである。これを見ていた家康は涙を流して酒井・大久保の方を向き、「お前たちよ、あの舞は」と言ったので両人とも恐縮して身を震わせたという。また、関ケ原の戦の際には「倅(信康)が生きていれば」とこぼしていた。武勇と才気を持ち合わせた信康には強い愛着があって切腹させたくはなかったし、夫婦愛が醒めていたとはいえ築山殿を死なせたくはなかったのが家康の本心だったのだと思う。

2014年9月 5日 (金)

神経質礼賛 1063.草刈機にご用心

 ある外来患者さんが、このところ忙しくて大変だと言う。御主人が町内会の草刈作業をしていたところ、草刈機から飛んできた何かの破片が眼内に入り、救急車で病院に運ばれ、入院、手術になってしまった。もう退院されて、幸い失明の心配はないが、車の運転ができないので、会社や病院への送迎は彼女の毎日の仕事になってしまった。それで彼女は大忙しである。しかも、医療費で家計が危うくなり頭痛のタネになっているという。担当の眼科の先生が「最近、草刈機でケガをする人が多くてね。ゴーグルしないと危ないよ」と言っておられたそうである。そう言えば、今年の春から夏にかけて、武士風の着物姿の草刈正雄さんがマキタの草刈機を手にして「俺は草刈だー!」「日本の草刈だー!」と叫ぶCMがあったけれど、ちゃんとゴーグルしていたなあ、と思い出す。私は長いこと草刈機を使っていない。浜松医大で森田療法を担当していた頃は、草刈機の使用は患者さんでは何かあっては困るので原則的には医師の仕事だった。ゴーグルはなかった。古いエンジン式のものでエンジンのかかりが悪いトラブルがよくあったことを思い出す。草刈さんのCMのように今では充電式のものが登場し、使いやすくなっているようだが、弾き飛ばされた石が体に当たったり、何かの落下物を切断してその破片が飛んで来たりする危険性は変わらない。安全のためには暑くても長袖シャツに軍手をして長ズボン、そしてゴーグルを必ず着用することが大切である。

2014年9月 3日 (水)

神経質礼賛 1062.神社の草取り

 今年度は町内会の組長が回ってきている。8月最後の日曜日は町内会役員と組長で神社の境内の草取りがあった。10年ほど前に組長だった時に参加して、何も用意せずに行って苦労したので、神経質らしく今回は軍手着用、マスク着用、そして雑草の根をしっかり取るために細いスコップを用意した。蚊に刺されないように仕事に着ていく長袖シャツ着用である。天候は曇りで比較的涼しいので楽である。70代の方々も多く、それを見ると頑張らなくては、という気になる。草をむしり取るだけではすぐにまた生えてきてしまうため、面倒でもスコップで根を掘り上げてから取っていく。つい力が入る。大勢で作業すれば早い。たちまち取った雑草の入ったゴミ袋がたまっていく。終わってみるとすっかりきれいになって気分爽快である。ペットボトルのお茶を1本ずつもらって帰宅する。よし、とついでにここ2カ月ほどサボっていた家の周りの草取り・ゴミ拾いをする。狭いのだけど野良猫除けの「どんとキャット」を敷き詰めてあるので11枚めくりながら進んでいかなくてはならない。誤って踏んでしまうとプラスチック製のため割れてしまうし、隣のものと絡みあってしまったりするので、意外と手間がかかるのである。さあ、終わった。ついでに家中掃除機をかけ、埃で目詰まりが気になっていた網戸もきれいにする。汚れたズボンも洗濯だ。この日1日、いろいろなことができて充実していた。・・・のはよかったが、翌朝、全身が筋肉痛である。駅の階段がどっこいしょ、病院の階段もどっこいしょ。調子づいてやり過ぎに注意しなくては。良い加減が大切である。次の機会があったら、草取り後のストレッチ体操を忘れないようにしよう。

2014年9月 1日 (月)

神経質礼賛 1061.あがり症だった欽ちゃん

 芸能人でも人前が苦手な人として竹中直人さん(105話・484話)小林幸子さん(323話)について書いたことがある。さらにもっと大物を書き落としていたので、ここで紹介しておこう。それは欽ちゃん、萩本欽一さんである。

父親はカメラの販売で成功して会社を経営し裕福な生活を送るも、萩本少年が小学校5年の時に倒産。そのため中学時代は極貧生活。借金取りに追われて高校の時に一家で夜逃げし、やがて家族バラバラとなってしまう。家庭が裕福で小さい頃大切に育てられてその後父親の事業失敗のため経済的に苦労すると、子供にとっては強い「死の恐怖」を味わうことになり、神経質傾向が強まることが考えられる。神経質人間だった松下幸之助(211話)と同様のパターンである。萩本少年は、「お金持ちになりたい」とコメディアンへの道を選び、浅草の劇場で修行に明け暮れる。神経質ゆえのあがり症に苦しみ、自分はコメディアンには向かないんじゃないか、と悩む。しかし逃げ帰る家はないので人一倍努力を重ねる。外食で食べるうどんはいつも「かけうどん」に決めていたという。なかなか芽は出ないが、先輩たちからの応援もあって、何とか芸人の世界に踏みとどまる。やがて坂上二郎さんと出会い、コント55号を結成して大成功をおさめ、国民的スターになった。


 
 誰でも人前では緊張するし多かれ少なかれ「あがる」ものである。ところが神経質人間は「他の人は何でもないのに自分ばかり緊張してあがってしまう」と思いこみがちである。そして何とか緊張をなくそうと不可能の努力をするために、ますます自分の状態に注意が向いて、敏感になり、その結果さらに緊張を高める、という悪循環に陥りやすい。森田先生は次のように言っておられる。

人前で、きまりが悪いとか、恥ずかしいとかいうのは、人の感情であって、なんともない人は、白痴か変質者か精神病者であります。神経質の皆様は、誰でも対人恐怖でないという人は、一人もありますまい。その恥ずかしい事の、あるがままにある人が、常人であって、これに屁理屈をつけて、恥ずかしくては不都合だとか、損だとか、いう風に考えるのが、対人恐怖であります。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.124


 
 欽ちゃんはあがり症でもあきらめずに芸の練習を積んで克服した。そして神経質の良さを芸に生かすことに成功したのだ。緊張してもあがっても逃げずに仕方なしにやるべきことをやっていく。それが成功の秘訣だったのだろうと思う。

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