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2014年10月31日 (金)

神経質礼賛 1080.神経質は優秀か?劣等か?

 森田正馬先生の治療を受けた医師で、後に九大医学部放射線科教授となって長崎の原爆被害についての調査研究を行い、さらには九大総長になった入江英雄という人がいる。この人は治療を受けた翌年に「神経質に対する一つの見方」という小論を「神経質」誌に発表している。森田先生やそのよき理解者だった九大の下田光造教授が神経質は優秀な性格であるとしたことに反論し、「神経質は通常人と比べると劣等だと思わざるをえない」「神経質はやはりつまらぬものだから治療する必要がある。そうすればせめて常人に近づく」と主張している。これに対して森田先生は同じ「神経質」誌に「気分本位の言葉である」と批判を加えている。そして、「私たちが神経質を礼賛するのは、私の6種の気質分類中で神経質が最も治療・教育・修養・向上の可能性が大きいがためである。生まれたままの神経質や、性癖に捉われ・病にこじれ・ひねくれ、何もできなくなった者や、入江君の言うような・煮え切らない・責任回避・意志の動揺等の変質・もしくは精神病的の状態におけるものをあえて好んで礼賛するものではない。ただ、その治る可能性を期待するとともに、今までほとんど低能のように・弱者のように見えていたものが、心機一転・光風月(こうふうせいげつ:さわやかな風と晴れ渡った月・わだかまりがなく、さっぱりした様子)・大なる活動家を礼賛するばかりである」と書いておられる(白揚社:森田正馬全集第6P.139-143)。

 神経質性格に生まれついたことを嘆く人もいるかもしれない。もっと大胆で物事に動じない性格だったら良かったのになあと思う人もいるかもしれない。私自身、かつてはそうだった。しかし、今では神経質で良かったと思えるようになった。心配性の小心者だからこそ、細かいことに目が届き、あらかじめ準備をし、大きな失敗を避けることができる。そして発展向上欲が強いので今のままではダメだと思ってよりよいものを目指して努力することができるのである。神経質は森田先生が言われた通り、優れた素質であることは間違いない。しかしながら、その優れた素質を生かさなければ何もならないし、「症状」にとらわれていたのではせっかくの素質を無駄遣いしてしまうことになる。宝石の原石と同じことで、「玉磨かざれば光なし」であり磨かなければ神経質の良さを発揮できるようにならないのである。難しい理屈はいらない。ドキドキハラハラしながらも日常生活の中で必要なことをひたすらやっていく、それが玉を磨いていくことになるのである。

2014年10月27日 (月)

神経質礼賛 1079.久能山東照宮展

 駅前の市立美術館で国宝久能山東照宮展をやっているので見に行った。展示場に入ってすぐのところにある家康の一生を描いた絵巻は一見して平安・鎌倉時代の絵巻風であり、例えば女性の衣装は十二単のようで、時代風俗に合っていない気がする。安倍川での子供たちの石合戦の様子も、石を投げる子よりも刀や槍を手にしている子が多く、弓を引いている子もいて、これはありえないだろうと思う。徳川家康が戦場で用いた2m以上の大きさの金扇馬標(うまじるし:大将の馬側に立ててその所在を示す目標としたもの)には圧倒された。遠方からでもよく見えたことだろう。一方、家康の黒光りする甲冑は形も地味であり全くの実用本位である。徳川歴代将軍全員の甲冑が肖像画とともに一列に並べられていてなかなかの迫力である。家康愛用の火縄銃や刀と脇差もあった。興味深いのが小笠原家寄贈の六十歳位の家康の肖像画である。歴史の教科書などによくある衣冠束帯姿で顔が肉厚の肖像画とは全く印象が異なり、丸顔ではあってもそれほど太ってはおらず、神経質らしい鋭い目つきである。これがリアルな家康の姿だったのだろうと私は直感した。家康が身辺に置いて使っていた品々も展示されていた。今回の目玉はスペイン国王から贈られた洋時計である。

 家康が使った薬刻小刀、鉢と乳捧のセット、『和剤局方』という薬の本もあった。家康は健康にはとても気をつけていて、漢方薬を自ら調合し、駿府には薬草園まで作らせていた。そればかりでなく、家臣に与えたり、孫の家光に飲ませたりしたこともあった。家康が特に愛用したのは八味地黄丸という薬だったと言われている。『今日の治療薬』(南江堂)によれば、この薬は虚証ないし中間証の人に適し、その効能は疲労、倦怠感著しく尿利減少又は頻数、口渇し手足に交互的に冷感と熱感のあるものの諸症とあり、現代の適応症としては、腎炎、糖尿病、陰萎、坐骨神経痛、腰痛、膀胱カタル、前立腺肥大、高血圧とされている。薬理効果としては、血圧降下作用、動脈硬化抑制作用、ホルモン調節作用があり、ラットやマウスの実験では利尿作用や糖脂質代謝改善作用も認められている。まさに中高年男性向けの薬である。家康は五十代後半から六十になっても若い側室との間に次々と子を儲けているから、この薬は強壮剤でもあったのかもしれない。質素な食事、鷹狩などによる適度な運動、漢方薬、そして神経質性格による強い生の欲望が家康の健康と長寿の秘訣だったと言えるだろう。

2014年10月24日 (金)

神経質礼賛 1078.社畜童謡

 1021日付毎日新聞夕刊の特集ワイドは「社畜童謡」がテーマであり、興味深く読んだ。「働く人の心捉える社畜童謡の悲哀」という副題がついている。例えば、「ぞうさん」の替歌「♪減産減産 不況がながいのね そうよ減収もながいのよ」とか「赤とんぼ」の替歌「♪夕焼け小焼けの社畜さん 定時で帰るはいつの日か」同じく「赤とんぼ」で「♪転職苦労して正社員 勤めてみた所は黒(ブラック企業のこと)だった 不況で転職もままならず 黒だとわかってもしがみつく」といった具合である。実際に外来通院している方々からよく聞く話だ。働く者にとっては身につまされる替歌である。強きを助け弱きをくじくアベノミクスとやらは非正規労働者を着実に増加させている。やっと正社員になれても成果主義の名のもと少人数で過重な労働が求められ、隠れ残業による実質長時間労働が横行している。外食チェーンでの「ワンオペ」(深夜時間帯などでの休みなし一人勤務)が問題になった。職場でのパワーハラスメントも酷い。それでも正社員でいるためには忍従の日々を送り、社畜にならざるを得ない。社畜でいてもリストラでいきなり切り捨て御免になってしまうこともある。社畜童謡は、持って行き場のない不満や怒りや哀しみをソフトな童謡に乗っけて自嘲しているようにも見える。のどかな童謡の旋律とシリアスな替歌の歌詞との差が顕著で印象に残りやすい。同じような苦しみを抱えた人たちの共感を呼んでネット上に広がっているようである。450年前だったら岡林信康の真面目に働く人が報われて幸せになれる社会にしていこうじゃないかというメッセージが込められた歌も世に出たし、30年前だったら尾崎豊の社会への疑問や反支配を訴える歌があったけれども、現代ではそうした歌は出てこない。仕事帰りに仲間と一杯飲んで職場や上司への不満を語り合って鬱憤を晴らすような時間も金もない。それだけ社会からの管理・締め付けが厳しくなって羽をむしり取られた鳥のように諦めざるを得なくなっているのだろうか。社畜童謡の広がりが、このままの社会ではいけない、と少しは世を動かす力になってくれるといいのだが。

現代社会は特にまじめにコツコツ働く神経質人間にとっては生きにくい世の中になってしまっている。がんばり過ぎず、適宜休符を入れるとともに、自分なりの世界を作ることも必要である。

2014年10月20日 (月)

神経質礼賛 1077.「きつね」それとも「たぬき」

 涼しくなってくると暖かい汁物がおいしく感じられる。病院での朝食はいつも御飯に味噌汁であり、好物の油揚げが入った味噌汁だと嬉しくなる。お椀の蓋を開けた瞬間、油揚げの甘い香りが漂ってくるのがなんとも言えない。近頃は町の豆腐屋さんが少なくなって、その前を通ると油揚げや厚揚げを揚げている時の芳香と遭遇することは稀になってしまった。油揚げはうどん・そばとの相性も抜群である。油揚げの載ったうどんやそばを「きつね」と呼ぶのは、油揚げが狐の好物(実際にはそうでもないらしい)だとされていること、色や形がうずくまった狐に似ているからだ、と言われている。ちなみに「たぬき」は、天ぷらのタネを抜いた「たねぬき」が語源であるとも、丸い天かすを腹を膨らませた狸に例えたからとも言われている。

 以前、大坂の蕎麦屋に入って「たぬきそば」を注文したことがある。当然、天かすが載ったそばが出てくるものと思っていたら、油揚げが載っていてびっくりした。店員さんに「たぬきそばをお願いしたんですけれど」と言うと、「はい、たぬきそばです」と。いったいどうなっているんだろうか?狐と狸に化かされたのかなあ、と思いながらも、油揚げは大好きなのでおいしくいただいた。東京では油揚げが載ったきつねうどんときつねそば、天かすが載ったたぬきうどんとたぬきそばがあるが、大坂では「きつね(けつね)」と言えば油揚げが載ったうどん、「たぬき」と言えば油揚げが載ったそば、すなわち東京で言うところの「きつねそば」のことなのだと後から知った。まさに所変われば品変わるである。間違いのないように、「油揚げそば」とか「天かすそば」と呼べばいいのではないか、と神経質らしく無粋なことを考えてしまうが、たまにはおいしく騙されるのもいいのかも知れない。

2014年10月17日 (金)

神経質礼賛 1076.情報流出のツケ

 1047話にベネッセコーポレーションの情報流出の話題を書いたが、我が家にも「お客様情報漏えいに関するお詫びとご報告」と書かれた通知が送られて来た。私と子供の住所、氏名、生年月日などの情報が流出していたとのことである。我が家では子供たちが幼少時に「しまじろう」の「こどもチャレンジ」を利用していたのは確かだ。そしてすっかり忘れていたが、子供が高校生の時に通信添削を一時期利用していたことを思い出した。漏えいしたのは後者の時のものだと思われる。再発防止策を取るとともに、お詫びの品500円分(ギフトカードまたは図書カード)を提供する旨が書かれていた。図書カードだと送付に最大6カ月かかり、ネット経由でギフトカードを選択すれば処理が早いと書いてはあったが、またメールアドレスなどの情報が漏えいしたのではたまらない。安全のため図書カードにする。返送用ハガキにはQRコードが印刷されていて、住所氏名等は書かなくていいようになっていたのは一工夫と言えるだろう。最近よくある返信用ハガキに個人情報保護シールを貼って出すのに比べるとスマートだ。また、個人情報の消去を希望するかどうかをチェックする欄があったので、当然チェックを入れて返送した。昨日、また同じ通知が送られてきた。それはもう一人の子供の情報に関してだった。返信ハガキの個人情報消去のチェック欄はなく、すべて情報を消去します、とのことだった。

 先月のベネッセの記者会見によれば情報漏えい件数は3504万件にのぼるという。一件につき500円分の金券に郵送費などの経費を加えれば、お詫びに要する費用は200億円を超えてしまうだろう。情報管理に神経質が足りなかったツケは大きい。

2014年10月13日 (月)

神経質礼賛 1075.新しい作用機序の睡眠薬ベルソムラ

 今までの睡眠薬とは全く異なる作用機序の一般名スボレキサント・商品名ベルソムラという薬がMSD(メルク)から近々発売予定とのことである。添付文書とIF(インタビューフォーム)が公開されたのでダウンロードしてみた。IFは100ページにもわたる。ベルソムラは脳の覚醒に関与するオレキシン受容体を遮断するという作用機序であり、従来の睡眠薬とは異なる。血中半減期は単回投与の場合、日本人のデータで10時間、外国人のデータで12時間である。従来、入眠剤としてよく使われているレンドルミンの7時間より少し長めである。入眠困難だけでなく中途覚醒にもある程度効果が期待できそうだ。依存性や耐性やいわゆるリバウンドは今のところ報告されていない。従来の睡眠薬がベンゾジアゼピン系・非ベンゾジアゼピン系とも眼圧上昇のリスクがあって急性隅角緑内障の患者は禁忌となっていたが、添付文書を見る限りそうした制限はないので、眼圧上昇を心配する患者さんにはよいかと思われる。

 しかし、問題点もある。まず、併用禁忌の薬剤がいくつかあって、その中に内科でよく処方される抗生剤のクラリスロマイシン(クラリシッド・クラリス)が入っている。また、併用注意の薬剤も少なくない。それと、ナルコレプシー様症状つまり日中の短時間の睡眠発作・驚きや笑いなどの情動によって誘発される脱力発作が出ることがあるという。特に高用量では起こりやすいそうである。となると、自動車の運転や作業中に事故を起こす心配もある。

 従来の睡眠薬に耐性がついているとか依存傾向が強い患者さんの切り替えに使ったり、精神病の入院患者さんの不眠に使ったりする価値はあるだろうが、安易に処方するべきではないと思われる。特に神経症性の不眠は不眠恐怖つまり不眠に対する強いこだわりからくるものなので、繰り返し言っているように、森田療法でよく言われる「眠りは与えられただけとる」・・・眠れたとか眠れなかったとかを問題にしない姿勢がよいだろう。

2014年10月10日 (金)

神経質礼賛 1074.三河物語

徳川家康について調べるために大久保彦左衛門忠教(ただたか)の『三河物語』を図書館から借りてきて読んだ。徳間書店の百瀬明治編訳版である。全文ではなく抜粋ではあるが、原文に対訳と解説がついている。三河物語は「それ迷(まよい)の前の是非ハ、是非とも非なり。夢之内の有無は、有無共に無なり」で始まる。260話に書いたように森田正馬先生は「夢ノ本態」の中で大久保彦左衛門の言としてこの言葉を紹介している(白揚社 森田正馬全集第6巻p.48)。百瀬明治氏によれば、この言葉は新義真言宗開祖の覚(かくばん)による偈(げ:仏教の真理を詩の形で述べたもの)が元になっているそうである。神経質な人は夢の良し悪しを気にかける。精神分析では夢の内容を重視して夢の解釈を行うが、いい夢を見ようが悪い夢を見ようがそれを問題にしないというのが森田療法の立場である。そして、前半の「迷いの中の是非は是非とも非なり」は症状にとらわれている時に正しいとか正しくないとか考えていることは治ってみれば正しくないという意味で用い、考えはさておき目的本位に行動していくことを説くものである。

大久保彦左衛門は講談やドラマの世界では「天下の御意見番」として大活躍するのだが、実際は千石、晩年になっても二千石の一旗本に過ぎない。大久保一族は代々松平家に仕えて家康の天下統一にも貢献した。彦左衛門の長兄・忠世(ただよ)が小田原四万五千石に封ぜられ、次兄・忠佐(ただすけ)は沼津二万石の大名となる。忠佐は跡継ぎがなく、病没する前に彦左衛門を後継者にしようとしたが、武骨で頑固者の彦左衛門は自分の武功によるものではないからと固辞したため、忠佐の死とともに領地は没収となった。忠世の息子の忠隣は幕閣として活躍するも本多正信らのグループに敗れて失脚してしまう。三河物語には大久保一門の零落や武芸を捨てた要領の良い文官が取り立てられていく世への不満が反映されているという。

 最後の方に、子孫のために書いたところがあって、必ず知行(領地)を取れる方法五つが書いてある。

第一に主君に弓を引き、謀反や裏切りをすること。

第二、卑怯なことをして人に笑われること。

第三、礼儀作法をよくし、座敷などで見栄えよく立ち働くこと。

第四、そろばん勘定をこなして、代官役が板につくこと。

第五、節操のない他国人(長年三河で松平家に仕えた譜代に対して)であること。

しかし、知行を欲しがってこのような考えを夢々してはならない、と書いている。

 これらの一部は、現代のサラリーマンやオフィスレディにも通じることかも知れない。まじめにコツコツ働いている人はなかなか報われず、自己アピールが巧みで蔭では他人の足を引っ張り責任は負わず逃げるような人が出世しがちではある。それでも要領よく立ち回れない神経質人間としては「ウサギとカメ」のカメさんのように少しずつ一歩一歩前に向かって進んでいくほかはない。

2014年10月 8日 (水)

神経質礼賛 1073.人間ピラミッド

 すっかり秋らしい陽気になってきた。今は運動会シーズンでもある。先週の日曜日は町内会主催の学区の運動会が予定されていたが、台風18号の雨のため今度の日曜日に順延となってしまった。今年度は組長なので小学校に詰めていて、参加者に弁当を配り、出場者が足りないような時にはその種目に出なければならない。あいにく今度の日曜日には妻の母親の七回忌を予定していたのと重なってしまい困ったなあ、と思っていた。運動会に家族全員で参加予定になっている隣の奥さんに妻が事情を話して相談したところ代役を快く引き受けて下さって助かった。もっとも、次の台風19号のため週間予報では日・月(祝日)に雨マークが入っていて、運動会は中止になる可能性もある。

走るのが遅く運動神経が鈍くて「体育」が「体苦」でしかなかった私にとって運動会の楽しい思い出はほとんどない。学校の運動会だと必ず組体操があって、人間ピラミッドがよく行われる。通常は3段からせいぜい4段。組み上がったら合図とともに全員で左を向いて、次に右を向いて、最後に手足を伸ばして一斉に崩れるのがクライマックスとなる。最近の新聞記事によると、なんと小学校で9段、中学校で11段という例があるのだそうだ。うまくいけば子供たちの連帯感を育むとともに大きな達成感を与え、見ている人たちにとっても迫力はあるだろうけれども、これでは失敗して事故が起きた時に例えば頚骨骨折など重大な後遺障害を負うおそれがある。そうなったら取り返しがつかない。神経質ゆえ、その辺はとても心配になる。普段からよほど体を鍛錬しておられる方々が記録に挑戦しようと自分たちの意思と自己責任でやるならばともかく、5段以上の高層いわんや9段や11段もの超高層ピラミッドは学校で強制してやるものではないと思う。

2014年10月 6日 (月)

神経質礼賛 1072.台風の朝の出勤

 毎度のことながら、台風が近づいてくると、出勤や帰宅の足が心配になる。いつも台風の予想図を見てはハラハラドキドキである。昨夜の段階で、台風18号が朝9時頃に静岡を直撃する予報が出ていた。JR東海のホームページを見ると東海道本線の運休はすでに決定していて、東海道新幹線は状況により運転と出ていた。月曜日は外来担当日だからよほどのことがない限り休むわけにはいかない。とにかく朝5時に起きてニュースを見ながら朝食を摂る。6時のニュースとJR東海のホームページを最終確認してから家を出た。駅に近づくにつれてだんだん雨が強くなる。歩道には倒れた自転車もある。地下道に入ってとりあえずほっとする。もし一番列車が動かなければ運転再開は台風が通り過ぎる午後になるだろうから、暴風雨にならないうちに急いでまた家に戻らなくてはならない。幸い東京行きの一番列車は定刻通りに出発した。時速50km位の徐行運転である。最悪、列車がどこかで立ち往生して長時間閉じ込められた場合に備えてスポーツドリンクを1本用意していた。新富士を過ぎて通常運転になる。「三河安城-静岡間運転見合わせ」という電光掲示が出た。一本後の列車だったら完全にアウトだった。10分ほど遅れて7時前には三島駅に到着する。風雨が強くなれば病院からの送迎ワゴンも来てくれるかどうかわからないので、タクシーに乗って無事に出勤することができた。台風は足早に通り過ぎて昼前には雨は上がって青空が見えだした。昼のニュースでは新幹線の運転再開を伝えていた。東海道本線は蒲原-由比間の土砂崩れで復旧のメドが立たないとのことだった。近隣の患者さんたちは午前中に来ておられたが、「電車が動かないからバスを乗り継いで来ました」と言って午後に来られた方もいた。

台風などの自然現象はどうにも仕方がない。もう次の台風19号が控えている。神経質を生かして、身の安全を考えながらできる範囲で準備して臨機応変に対応していくほかはない。

2014年10月 3日 (金)

神経質礼賛 1071.新幹線開業五十周年

 この101日で東海道新幹線が開業して五十周年を迎えた。駅では記念セレモニーが行われ、報道のカメラが多数入っていた。改札のところで、歴代車両の写真入りのクリアファイルをいただいた。私が初めて新幹線に乗ったのは、開業して1年ばかりたった時のこと。小学校3年の途中で急に父が転勤になり、一家で横浜に引っ越した時だった。「夢の超特急」に乗れたのは嬉しかったけれども、見知らぬ街に移り、それも学期の途中で転校というのは大きな不安だった。ともあれ、新幹線のテーブルが引き出せるゆったりしたシート、デッキにある冷水器は強く印象に残った。当時の新横浜駅の周りは建物らしい建物もなく、周囲は田んぼばかりだった。もちろん地下鉄はなく、チョコレート色の横浜線の古びた電車に乗り換えて横浜駅に向かった。学校の理科の宿題で浮草を集めてこい、と言われて、母に連れられて新横浜駅近くの田んぼまで行って取ってきたこともあった。今の新横浜駅周辺にはビルが立ち並び、隔世の感がある。

 開業当日、新大阪からの一番列車を運転した運転士さんの話が秘話としてTVニュースや新聞に紹介されていた。車掌が乗客たちから「いつ200kmを出すんだ」と詰め寄られた。運転士には最高210kmまで出していいということになっていたが、ダイヤからすれば最高は160km程度になってしまう。そこで「夢の超特急」の期待を裏切ってはいけないと思い、200kmを出したという。もちろん無謀運転ではなく、許された範囲内でのことであり、状況を見て安全な直線のところで出したのだから全く問題はない。しかし、初めてのことではあるし、何かトラブルがあっては大変なことになるので、運転士さんはハラハラドキドキ、緊張は大変なものだったと思う。東京駅近くになって時間調整のためゆっくり運転したため山手線に抜かれてそれも話題になったという。

 現在の東海道新幹線は新型車両が投入され「のぞみ」中心となってさらに高速化されダイヤは当時よりもかなり密度が高くなっていて、東京駅には次々と列車が到着しては発車していく。列に並んで乗車を待っていると、清掃担当の女性チームの活躍が目に留まる。乗客が降りた後、わずかな時間の間にシートの向きを変え、カバーを取り換え、清掃していく。そして客に笑顔で挨拶して去っていく。本当に見事である。そして、日夜、安全確保のために保守・点検に励む担当者の見えない活躍も忘れてはならない。多くの人たちの努力で安全で快適な旅が成り立っているのであり、日本の誇りと言ってよいだろう。緊張している時には事故は起こりにくい。スタッフたちのどこかで油断があって、「ちょっとくらい大丈夫だろう」と思った時に事故は起こり得る。これからも神経質を忘れずに快適な移動を提供し続けてほしいと思う。

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