神経質礼賛 1100.三聖病院閉院
一昨日、佛教大学教授・岡本重慶先生が主催されている京都森田療法研究所のブログを見て、長年続いてきた森田療法施設の三聖病院が今月いっぱいで閉院となることを知った。初代院長の宇佐玄雄先生(1886-1957)は森田正馬先生の弟子であり、禅僧から精神科医に転身した方だった。中学生頃から早大文学部(インド哲学)在学中まで神経衰弱に悩まれたという。東京慈恵医専で学び医師となり、森田先生の療法を継承することを志した。森田先生は独自の神経症の治療法を「余の療法」とか「特殊療法」と呼んでいたが、何か良い名称はないものかと模索していたところ、宇佐先生が「自覚療法はどうでしょうか」と提案し、「それは良い。君が言い出したこととして記録しておき給え」と森田先生が言われたというエピソードがある。宇佐先生は京都の名刹・東福寺の賛同を得て、大正11年(1922年)東福寺内の塔頭である三聖寺に森田療法専門施設の三聖医院を開業。昭和2年(1927年)に隣地に三聖病院を開設し、禅的森田療法を行った。息子の宇佐晋一先生(1927- )が二代目院長として病院を継承して今日に至っていた。森田先生の直弟子たちが開設した、高良興生院、鈴木知準診療所が後継者なく閉院となっていく中、森田療法原法を継承する唯一の病院だった。私は見学したことがないが、同院の非常勤医もされていた岡本先生の論文によれば、院内には「しゃべる人は治りません」「話しかける人には答えないのが親切」「たった一人の集団生活」という貼り紙があり、講話が行われる部屋には「わからずに居る」と書かれた札がかかっていて、「不問」の姿勢が徹底されていたそうである。「修養生」と呼ばれた入院患者さんにとっては、禅寺での修行のようにも感じられていたのではなかろうかと思う。岡本先生のブログには院内の写真が掲載されているので、関心のある方はぜひ御覧いただきたい。「京都森田療法研究所」を検索してホームページを開き、表紙の下の方にある「ブログ」をクリックすると閲覧できる。
森田先生の診療所にせよ、高良興生院・鈴木知準診療所・三聖病院にせよ、神経症を克服し神経質性格を実生活に生かしている治療者が患者さんと生活を共にしてよい手本となることで高い教育的治療効果を上げることができたが、現代ではそうした治療の舞台を用意するのが極めて困難となっている。三島森田病院で行っているかなり甘口の森田療法でさえ、監査にやってくる保健所や県のお役人様方から、「患者さんに部屋の掃除をさせるのはけしからん。職員にやらせろ」とか「報酬なしに畑作業をやらせるのはいけない」などとクレームをつけられる始末である。「お客様」では神経症は治らない。
森田療法は入院から外来にシフトしてきているが、言葉だけに流れてしまうきらいもある。森田療法で大切なのは日常生活の中での行動である。今後はデイケアや訪問看護の枠を利用した森田療法の実践も必要になってくるだろう。
当ブログを始めてから丸9年になろうとしています。何とか続いているのは、スロースターターながら一旦動き出したら簡単には止まらない神経質ゆえであり、また、皆様からいただく温かいコメントのおかげでもあります。今年もお世話になりました。どうぞよい年をお迎えください。(四分休符)
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