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2015年1月30日 (金)

神経質礼賛 1110.上達と下達

 私のような神経質人間は、何か事があると劣等感にさいなまれ、自分はダメだと思い込む。一旦落ち込んだ後は、まあこんなもので仕方ないか、と気を取り直し、とりあえずできることをやっていこう、ということになっていく。森田正馬先生も月1回の形外会の際に、患者さんの発言を受けて、自分も子供の頃は優越感があったが劣等感にさいなまれるようになったと述べておられる。


 
 中学で、最も恥ずかしい目にあった思い出は、作文のできなかった事である。これが僕の第一印象で、それから劣等感に支配される事が、メキメキ進歩した。「君子は上達し、小人は下達する」という事があるが、僕はそれから、グングン下達したのである。僕も、もし坪井君のように、順調に行ったならば、同様に優越感が続いたかも知れない。どっちにしても、僕が神経質の素質だという事は、免れないかと思うのである。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.443


 
 論語の中で孔子が言う上達とは物事の本質を捉えることで下達とは些細なことや目先のことにとらわれることを言うようだが、森田先生の発言は普通に上手になることと下手になることと考えてもよさそうである。

 劣等感に悩まされるのはつらいことである。しかし、優越感に浸り過ぎていては周囲の反感を買うだろうし大きな失敗もしかねない。劣等感は悪いばかりではない。神経質の場合、人一倍完全欲や発展向上欲が強いからこそ生じる劣等感なのである。だから、気分はそのままにして、劣等感をエネルギー源として少しでも劣等でないようにしようと行動努力を積み重ねていけば、結果的には下達ではなく上達になっているのである。

2015年1月26日 (月)

神経質礼賛 1109.狸の置物

 今年に入ってから、京都森田療法研究所のブログには閉院後の三聖病院の様子が写真で紹介されている。元が東福寺の一部であったためか、敷地には小さな古いお地蔵様が多数みられる。「まだ退院できない人たちがいる」という岡本重慶先生のコメントには、長年にわたり三聖病院を見守って来られた岡本先生の病院に対する愛情や閉院の寂寥感がにじみ出ていて心を打たれる。中庭には信楽焼と思われる狸の置物が残っている。「一生を化け損じたる狸かな」そんな焼き物としての狸の「露堂々」である、と岡本先生は書かれている。

 近頃は見ることが少なくなったが、私が子供の頃は、陶器屋さんの店頭はもちろん、飲み屋ばかりでなく一般商店の店頭にも置かれているのを見かけたものだ。狸の置物が作られるようになったのは明治以降であり「他を抜く」ということで商売繁盛の縁起物だという。編み笠を頭にかぶり、片手に徳利、片手に通帳を持って酒を買いにいく小僧のような恰好が何ともユーモラスであり、元祖ゆるキャラといったところだ。これが禅寺・修行場としての雰囲気が濃厚な三聖病院に置かれていたのは面白い。入院していた「修養生」がこの狸の置物を見て、ふと心を和ませる時もあったのではないだろうか。

 「露(ろ)堂々」とは禅の言葉「明明歴歴露堂堂」の一部である。意味をすっかり忘れているので手元にある禅語を解説した文庫本を広げてカンニングする。「歴歴」はあきらかな様子、「露」は「あらわす」「あらわれる」の意味であり、妄想を離れた心には世界が一点の曇りもなくあきらかに見えてくることをいうのだそうである。私のような悟れない小人は、心の目が曇り五感も錆びついていて、偏った先入観で物事を見てしまいがちであるから、こういう言葉には一喝されたように感じる。森田正馬先生の言葉で言えば、「事実唯真(280)」「見つめよ(502)」が近そうである。ありのままに物事をみつめるという認知の歪みの是正とともに、行動の指針が示されているところが森田先生の教えのすばらしいところである。

2015年1月23日 (金)

神経質礼賛 1108.雨が空から降れば

 ここ3日間、冷たい雨の日が続いている。昨日は休みだったので、歩いて元・実家へ行き、片づけをした。紙のゴミが圧倒的に多い。雑誌やパンフレットや小冊子やいろいろな講演会などでもらってきたレジュメやらチラシの裏に書いたメモ類やら新聞の切り抜き、空き箱や段ボール箱、何かに使うだろうと捨てないでいた包装紙やら郵便物の封筒やら、いろいろな物が整理されずに山積みになっている。母は古着やら景品にもらった使わない品々も「もったいない」とそのままにしていたから、いわゆるゴミ屋敷状態なのである。いつも一見しただけでタメ息が出るが、とにかく手を付けて少しずつ減らしていくしかない。果たして今年いっぱいがんばっても終わるかどうか。とりあえず整理した部分の燃えるゴミを出し、雑誌類、雑紙類を紙ひもでしばっておく。一旦帰宅し、午後は車で行って、50mほど離れた邪魔にならない路上に止め、急いで何度も往復して、縛った雑誌類・雑紙類を車に運び込む。傘はさしていたがずぶ濡れである。舗装されていない道を行ったり来たりしているうちに靴の中まで濡れてしまう。そして、スーパーの廃品回収ボックスに持ち込む。ひとまずホッとする。その後、そのスーパーで母の1週間分の食材を買い込んで届ける。

 雨の中を一人歩いていると、昔買った小室等のCDの中にあった「雨が空から降れば」(別役実作詞、小室等作曲)という歌を思い出す。ヴァイオリンの前奏で始まるちょっとユルい感じの曲だ。「黒いコーモリ傘をさして街を歩けばオモイデは地面にしみこむ」何もかも雨の中であり、「しょうがない雨の日はしょうがない」ということになる。雨の日はメランコリックになるけれど、仕方なくやっていこうよ、そんな隠れたパワーも感じさせる歌である。夏は暑く冬は寒いのは何とも仕方ない。雨は不快で厄介だが、これまた何とも仕方ない。とりあえず、できることをやっていくしかない。いつまでも雨の日が続くことはない。また、晴れた日も必ずやってくる。

2015年1月19日 (月)

神経質礼賛 1107.ハイフェッツとカラヤン

 1月13日付毎日新聞夕刊に「演奏、人生そのもの ハイフェッツとカラヤンに学ぶ」という見出しでユダヤ系フランス人ヴァイオリニスト、ピエール・アモイヤルのインタヴュー記事が載っていて、興味深く読んだ。アモイヤルはわずか9歳でパリ音楽院に入り、12歳にして一等で卒業した天才である。その後、20世紀最高のヴァイオリニストと言われていたハイフェッツについて6年間学んだ。ハイフェッツ(1901-1987)は現在のリトアニア出身の神童と呼ばれたユダヤ人ヴァイオリニストであり、わずか7歳でデビュー。その速い弓使いと正確な音程には右に出る者がいなかった。アモイヤルはハイフェッツに音階練習から徹底的に叩き込まれた。ハイフェッツの元を離れる際、ヴァイオリンの名器をプレゼントされた。そして、カラヤン(1908-1989)とは共演しないことを求められた。ハイフェッツは家族をナチスに殺されている。だからナチス党員だったカラヤンが絶対に許せなかったのだ。アモイヤルはその約束を破ってしまう。もう15年も前のことだし、忘れているのではないかと思い、カラヤン指揮のベルリン・フィルとの共演のオファーを受け入れた。カラヤンとの共演はアモイヤルの名声を高め、音楽的な収穫も大きかったが、以後はハイフェッツに電話をかけても出てもらえなかったという。ハイフェッツはドイツでは決して演奏しなかった。そのまっすぐさが素晴らしいとアモイヤルは言う。「全てがうまくいっている時にこそ、人間は痛みや苦悩を感じなければいけない。演奏というものは音楽だけでなく、人生そのものだということです」とアモイヤルはまとめている。

 面白いのはアモイヤルのハイフェッツとカラヤンの性格分析である。「二人とも一見アグレッシブに見えるけれど、とても内気。ハイフェッツにとって話すのは大変な苦労を要する行為で、逆に演奏してみせるのは、自由に語れる行為だったのだと思う。カラヤンは権力によって内気を隠そうとしていた」と述べている。クラシック音楽界に帝王として君臨したカラヤンが自己愛性人格だったことは80話で紹介している。貴族出身であることは確かだが、あえてヘルベルト・フォン・カラヤンと貴族の称号を自称し、自家用ジェット機やスポーツカーを操り、スキーの腕前を誇示し、いつもスポットライトの中心にいなければ気が済まなかった人であるが、尊大な態度のために嫌う人も少なくなかった。そうした行動や態度も内気を隠すため、という分析はなかなか鋭い。ハイフェッツの興味を持ったことへの完璧主義さや潔癖症からアスペルガー症候群だったとする説もあるけれども、「神童」ゆえ幼い時からヴァイオリン一筋の生活だった特殊性を割り引いて考える必要がある。神経質の完全欲を音楽に生かし切った人と見ることもできるのではなかろうかと思う。

2015年1月16日 (金)

神経質礼賛 1106.今川焼

最近、どこの精神科病院でも統合失調症などのため長く入院している患者さんたちの退院・地域移行に力を入れている。勤務先の病院も同様である。だが、現実には退院して帰っていく場がない人も少なくない。そうした人の退院先の目標は社会復帰施設の寮やグループホームとなる。長く入院していると、新しい環境に移ることへの不安が大きい。また、入院の時と違って、自分でやらなくてはならないことが増えるので、退院に二の足を踏む人もいる。そこで、施設見学をして、退院していった「先輩」たちの話を聞いてもらい、希望者には体験入寮してもらうということも行っている。それとともに通常の作業療法に加えて、調理実習を行っている。長いこと調理器具を持ったことのなかった人が調理実習に参加して自分の手を動かして料理や菓子を作って皆で楽しく食べる、という体験を繰り返しているうちに社会復帰への意欲が高まってくる。やはり衣食住の中で「食」は特に重要である。

 入院患者さんたちが調理実習をしていると、作業療法室の前の廊下においしそうな匂いが漂ってくる。中を覗くわけにもいかず、看護師さんたちと、今日は何を作っているんでしょうかねえ、という話になる。先月は芋あんどら焼きだった。生地を焼く時の甘い匂いが廊下に充満していた。

 どら焼きもおいしいけれど、この寒い時期には、温かいほくほくの今川焼きはもっとおいしい。子供が小学生くらいの頃は冬場にはよく「大判焼き」をおみやげに買って帰ったものだが、その店はもうなくなってしまった。デパ地下に「御座候」という商品名で焼いて売っている店があるので買って帰る。ハチミツ入りの生地でしっとりしたどら焼きに比べると、今川焼は少し素朴な味わいである。やはり温かいのが何より。冷めてしまったら電子レンジで温めるとよい。一口食べると生地と餡子の温かい甘味が口いっぱいに広がり、食べたところからほわんと甘い湯気が立ち上るところに何ともシアワセ感がある。神経質も一休みである。今川焼きの名は、江戸の今川橋付近の神田今川町で作られたことによる、とか今川氏の家紋に由来するとか言われている。大判焼きという呼び方もある。西日本では回転焼と呼ばれることが多いようである。森田正馬先生が今川焼きを食べたという記録は見当たらないが、森田先生はアンパンが大好物だった。慈恵医大副手の時代、毎日午前中は根岸病院に出勤し、午後に巣鴨病院(東大精神科医局でもあった)に出勤のため日暮里から巣鴨まで列車で移動する際に昼食としてアンパン9個を食べていた(森田正馬全集第7巻p.780)という先生のことであるから、もし冬場に今川焼きの店の前を通ったら飛びつかれたに違いない、などと空想する。

2015年1月12日 (月)

神経質礼賛 1105.人の長所と交わらん

 毎朝、通勤の時に歩いて横を通る浄土宗のお寺・華陽院には徳川家康の少年時代に駿府で彼の世話をしていた祖母の華陽院(源応尼)、そして家康66歳の時に生まれた最後の子供・市姫の墓がある。墓所に植えられたみかんの木には小さな実がたわわに生っていて、塀の上から道路に顔を出している。塀に掲示される標語がほぼ1年ぶりに替わっていた。「この一年 人の長所と 交わらん」とある。

 1か月か2か月に1回、不定期に外来受診する強迫神経症の患者さんがいる。確認行為があって仕事は遅れがちとなる。先輩社員からしょっちゅう叱られていて、辞めさせられそうになりながら、高齢の嘱託社員に励まされて、どうにか続けているうちに、3、4年くらいして、どうにか仕事が人並みにできるようになってきた。例によって彼女がメモを見ながら語る。「新しい子が入ってきたけど、仕事がのろいし、休憩の時に皆が持ち寄る菓子を持ってこないし、頭に来るから無視してる」のだそうだ。「腹が立つかもしれないけれど、それって何年か前のあなたと同じじゃないのかなあ。慣れないうちは誰だってそんなものかも知れないよ。それに誰でもいい所はあるはずだよ。面白くなくても職場では仲良くした方がいいよ」と話す。

 神経質人間は、他人の欠点によく気が付く。大人の人格を持った(森田)神経質だと、自分の欠点にも目が行くので他罰的であると同時に自罰的でもある。そして対他配慮があれば、他罰よりも自罰が前面に出ることが多い。それに対して人格未熟なヒステリー傾向の神経症、ヒステリー性格の人だと、自分の欠点は棚に上げて他人の欠点ばかりを批判しがちであり、もっぱら他罰に終始する。そうなると、職場や家庭で嫌われて損をすることになり、結局は自分に返ってきてしまうのだ。人の良いところを見つけて、欠点には少し目をつぶってあげれば、人間関係もうまくいき、結果的には自分の気分も良くなるのである。

 

2015年1月 9日 (金)

神経質礼賛 1104.アウトレット商品

 アウトレット商品とかアウトレットモールとかいう言葉をよく聞く。プレミアム・アウトレットと称する商業施設もある。アウトレット商品と言えば、処分品あるいは「わけあり品」のことで格安で販売されている商品というイメージがある。そもそもアウトレットoutletとは水や煙などの出口を意味し、工場から直接出てきたものというのがもともとの意味だったらしく、規格外品とかB級品という意味ではなかったということだ。

 先月、たまには自分への御褒美にとアマゾンを介して新しいヴァイオリンケースを買った。「のだめカンタービレ」TV版の登場人物たちが持っていたようなカラフルなグラスファイバー製である。アウトレット品そして中国製というのが少々気になったが、多少のキズや汚れは承知の上で注文したところ、送られてきたものは一見とてもきれいだった。しかし、ケースを開閉する金具が使いにくい。そして驚いたことに、横長に立てて(普通、ヴァイオリンを並べて収納する置き方で)ケースを置くと倒れてしまうのである。よく見ると、4か所のゴム足のうち一つの位置がずれていた。さらには蝶番部分が突出していてゴム足の先端を結んだ面よりも外側に出ているため倒れるのだとわかった。これでは私のような神経質人間でなくてもガマンならないだろう。写真を撮って、販売した楽器業者にメールを送った。業者が言うにはアウトレット品であり、交換しても同様の問題があるかもしれない、グラスファイバー製なので修理不能、とのことで、結局、問題の品は返品不要・お金は返金します、そして同型のケースは販売中止にします、とのことだった。返金処理も無事済んだ。ケースは勤務先のロッカーに入れっぱなしにしているサイレントヴァイオリンを収納するのに利用することにした。今までは学生時代に買った古いケースに入れていたのでちょうどよいし、ロッカー内ゆえ倒れる心配はない。使う時はケースを寝かせて置くのでまあいいかな。結果的にはタダでもらったことにはなるが、不快な思いをしたのと、一連の処理に手間と時間がかかっているので、損得なしといったところだろうか。

 このヴァイオリンケースはデザイン的にはとても良いので、もう少ししっかりした部材を使い、きちんと作っていれば、それなりの値段で売れ、購入者に喜ばれる商品だと思う。実にもったいない。「安物買いの銭失い」とはよく言うが、作る側・売る側にとっても、神経質が足りない・いい加減なものを作り、そういう品を売ったのでは、結局は銭失いになるのである。

2015年1月 5日 (月)

神経質礼賛 1103.自分の力の発揮

 子供の頃、親から「宿題をやりなさい」とか「勉強をやりなさい」とか言われると嫌な気持ちになったことは誰にも経験があるだろう。そう言われると「わかってるよ!(怒)」とでも言いたくなったはずである。私もそうだった。そして今でも例えば、洗濯物を自分の引き出しにしまおうと思っているところに妻から「洗濯物をしまって頂戴」と言われたり、食後に醤油さしなどを冷蔵庫にしまおうと思っているところに「醤油をしまってよ」と言われたりすると、内心、面白くない。もっとも、神経質人間は思ってもすぐに手を出さず「後でやろう」になりがちである。優先度を考えた上で、気が付いたらすぐ行動に移せば仕事もはかどるし、小言を言われて嫌な思いをしないで済む。
 
 森田正馬先生のもとに月1回患者さんたちが集まる懇談会「形外会」の際に、自分のしようと思っていることを人から言われるといやになる、という患者さんがいた。森田先生は、その話を受けて、そのような経験はいくらでもある、として次のように言っておられた。
 
 我々の生命の喜びは、常に自分の力の発揮にある。抱負の成功にある。富士登山を遂げて、歩けないほど足が痛くなったとしても、自分の損得にもかかわらず、喜びと誇りとを感ずるのは、「努力即幸福」という心境であるのである。モンテッソーリー女史の児童教育が、いたずらに注入教育をしたり、児童を手に取って、世話をしてはいけないというのも、それは、児童の自発心を没却し、自力の喜びを奪ってしまうからである。(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.409
 
 森田先生も患者さんを指導にあたっては、時に厳しく注意することはあっても、作業はおおむね患者さんたちの自主性に任せて、あまり細かい指示は出さなかった。子供さんのいる方、職場で後輩や部下を指導する立場にある方にとっては参考になることかと思う。緊急性がある場合は別として、思いついたらすぐに注意するのではなく、動きをよく観察して、できるだけ自主性に任せた方が本人のヤル気を削いでしまわなくて済むだろう。これも相手の力を最大限引き出す「人の性(しょう)を尽くす」の心得のひとつかと思う。

2015年1月 4日 (日)

神経質礼賛 1102.四年ぶりの新年会

 毎年、11月後半くらいに高校の同窓会から同期の新年会の通知が来る。今年は四年ぶりに出席した。今回は亡くなった同期生たちに黙とうを捧げることから始まった。五十代後半なので、がん好発年齢に突入している。がんセンターの医師だった人も亡くなっている。がん細胞は誰でも持っているから、いつかはがんになるのだけれども、なるべくがん細胞の増殖を遅らせるようなライフスタイルを心がけたい。

順に近況報告をする。会社員の場合、定年が近くなり、閑職に回って時間的にゆとりができたという人も何人かいた。そろそろ子育ては終わったという人が多い。一方、親は八十代なので、介護の話題が多かった。そこから自分たちの老後はどうなるのか、という不安を述べる人もいた。私も最近「ねんきん定期便」という通知に初めて年金の見込額が記載されているのを見て愕然とした。月々給与から厚生年金に引かれている額さらに雇用主が同額を負担していることを考えると割が合わない。これでは悠々自適の年金生活などできようはずはなく、切り詰めた生活をしなくてはいけない。それに、少子化が進めば予想よりもさらに減額となるだろう。原資が不足して年金受給開始年齢をどんどん上げていかざるを得ないから自分の子供世代はさらに深刻である。実質的には国営ぼったくり詐欺と化すのは目に見えている。

もちろん明るい話題もあった。昨年夏は母校の野球部が甲子園に出場。すぐに負けてしまったけれども、応援に行って、久しぶりに同期生と顔を合わせたという話もあった。今年の春の選抜大会にも出場が決まっているので楽しみである。最後に集合写真を撮って、校歌を歌ってお開きとなった。

懐かしい同期生たちと話せて楽しかったと同時にいろいろと考えさせられた。年齢が進むに従って若い頃とは不安のタネは変化してくるが、結局は「不安常住」であって不安はなくならないものである。しかし、早くに逝ってしまった人たちのことを思えば、今こうして生きていられることはとても有難い。不安を抱えながら、今できることをやって生きていくだけだなあ、と思う。次の新年会は六十歳の還暦を迎えてから出てみたい。

2015年1月 2日 (金)

神経質礼賛 1101.天は自ら助くる者を助く

この言葉は私が好きな言葉のひとつである。英国の医師・作家のサミュエル・スマイルズが『Self-Help(自助論)』(1859)の冒頭でHeaven helps those who help themselvesと述べたものを中村正直が『西国立志篇』の中で、天は自ら助くる者を助く、と翻訳して日本で有名になった言葉だという。実は、古くからある言葉らしく、イソップ童話が起源という話もある。岩波文庫『イソップ寓話』(中務哲郎訳)p.219の「牛追とヘラクレス」というわずか5行の短い話がそれである。牛追いが荷車を引いていたら、車が窪みに落ちて動かなくなった。牛追いは何もせずに崇拝するヘラクレスに助けを求めた。するとヘラクレスが現れ、「車輪に取り付き、突き棒で牛を突け。自分でも何かしてから神頼みをするがいい。さもないと、祈っても無駄だ」と。

これは神経症の治療にも言えることである。本人の行動と努力なしには治療効果は望めない。私の師だった大原健士郎先生は「神経症は自分で治すものだよ」と患者さんによく言っておられた。森田療法では治療者・指導者はいわば監督・コーチ役である。本人が言われたように行動しないことには始まらない。理屈は役に立たない。何もしなくてもお任せで治してくれるわけではなく、本人の頑張りが必要なのである。森田先生が「入院中の患者が、初めは仕事がいやでも、その心のままに、これを否定・抑圧しようとせずに、ボツボツやっておれば、心は自然に、外向きに流転して、いつの間にか、いわゆる仕事三昧になるという事は、容易に体験のできる事であります」(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.397)と言われたように、嫌だなあと思いながらも、こんなことをやって治るのかと疑問を持ちながらも、行動した人は治っていくのである。本当の治療の場は何でもない日常生活の中にある。

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