神経質礼賛 1106.今川焼
最近、どこの精神科病院でも統合失調症などのため長く入院している患者さんたちの退院・地域移行に力を入れている。勤務先の病院も同様である。だが、現実には退院して帰っていく場がない人も少なくない。そうした人の退院先の目標は社会復帰施設の寮やグループホームとなる。長く入院していると、新しい環境に移ることへの不安が大きい。また、入院の時と違って、自分でやらなくてはならないことが増えるので、退院に二の足を踏む人もいる。そこで、施設見学をして、退院していった「先輩」たちの話を聞いてもらい、希望者には体験入寮してもらうということも行っている。それとともに通常の作業療法に加えて、調理実習を行っている。長いこと調理器具を持ったことのなかった人が調理実習に参加して自分の手を動かして料理や菓子を作って皆で楽しく食べる、という体験を繰り返しているうちに社会復帰への意欲が高まってくる。やはり衣食住の中で「食」は特に重要である。
入院患者さんたちが調理実習をしていると、作業療法室の前の廊下においしそうな匂いが漂ってくる。中を覗くわけにもいかず、看護師さんたちと、今日は何を作っているんでしょうかねえ、という話になる。先月は芋あんどら焼きだった。生地を焼く時の甘い匂いが廊下に充満していた。
どら焼きもおいしいけれど、この寒い時期には、温かいほくほくの今川焼きはもっとおいしい。子供が小学生くらいの頃は冬場にはよく「大判焼き」をおみやげに買って帰ったものだが、その店はもうなくなってしまった。デパ地下に「御座候」という商品名で焼いて売っている店があるので買って帰る。ハチミツ入りの生地でしっとりしたどら焼きに比べると、今川焼は少し素朴な味わいである。やはり温かいのが何より。冷めてしまったら電子レンジで温めるとよい。一口食べると生地と餡子の温かい甘味が口いっぱいに広がり、食べたところからほわんと甘い湯気が立ち上るところに何ともシアワセ感がある。神経質も一休みである。今川焼きの名は、江戸の今川橋付近の神田今川町で作られたことによる、とか今川氏の家紋に由来するとか言われている。大判焼きという呼び方もある。西日本では回転焼と呼ばれることが多いようである。森田正馬先生が今川焼きを食べたという記録は見当たらないが、森田先生はアンパンが大好物だった。慈恵医大副手の時代、毎日午前中は根岸病院に出勤し、午後に巣鴨病院(東大精神科医局でもあった)に出勤のため日暮里から巣鴨まで列車で移動する際に昼食としてアンパン9個を食べていた(森田正馬全集第7巻p.780)という先生のことであるから、もし冬場に今川焼きの店の前を通ったら飛びつかれたに違いない、などと空想する。
« 神経質礼賛 1105.人の長所と交わらん | トップページ | 神経質礼賛 1107.ハイフェッツとカラヤン »
わたくし、神田鍛冶町にあった今川中学(廃校)の出身なんです
今川町は旧町名で、今はだいぶ細分化されて名前も変わってしまいました。
買い食いなどよくしてましたが、今川焼きはお店もなく、ご縁が薄かったのであります。
投稿: たらふく | 2015年1月16日 (金) 12時39分
たらふく様
コメントいただきありがとうございます。 とても由緒ある地にお住まいだったのですね。確かに現在の東京では今川焼きは見かけません。鯛焼きの方が圧倒的にポピュラーでしょうか。四谷の「若葉」のしっぽまでしっかり餡が詰まった鯛焼きは何度か買ったことがあります。
投稿: 四分休符 | 2015年1月16日 (金) 21時26分