神経質礼賛 1110.上達と下達
私のような神経質人間は、何か事があると劣等感にさいなまれ、自分はダメだと思い込む。一旦落ち込んだ後は、まあこんなもので仕方ないか、と気を取り直し、とりあえずできることをやっていこう、ということになっていく。森田正馬先生も月1回の形外会の際に、患者さんの発言を受けて、自分も子供の頃は優越感があったが劣等感にさいなまれるようになったと述べておられる。
中学で、最も恥ずかしい目にあった思い出は、作文のできなかった事である。これが僕の第一印象で、それから劣等感に支配される事が、メキメキ進歩した。「君子は上達し、小人は下達する」という事があるが、僕はそれから、グングン下達したのである。僕も、もし坪井君のように、順調に行ったならば、同様に優越感が続いたかも知れない。どっちにしても、僕が神経質の素質だという事は、免れないかと思うのである。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.443)
論語の中で孔子が言う上達とは物事の本質を捉えることで下達とは些細なことや目先のことにとらわれることを言うようだが、森田先生の発言は普通に上手になることと下手になることと考えてもよさそうである。
劣等感に悩まされるのはつらいことである。しかし、優越感に浸り過ぎていては周囲の反感を買うだろうし大きな失敗もしかねない。劣等感は悪いばかりではない。神経質の場合、人一倍完全欲や発展向上欲が強いからこそ生じる劣等感なのである。だから、気分はそのままにして、劣等感をエネルギー源として少しでも劣等でないようにしようと行動努力を積み重ねていけば、結果的には下達ではなく上達になっているのである。
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