神経質礼賛 1102.四年ぶりの新年会
毎年、11月後半くらいに高校の同窓会から同期の新年会の通知が来る。今年は四年ぶりに出席した。今回は亡くなった同期生たちに黙とうを捧げることから始まった。五十代後半なので、がん好発年齢に突入している。がんセンターの医師だった人も亡くなっている。がん細胞は誰でも持っているから、いつかはがんになるのだけれども、なるべくがん細胞の増殖を遅らせるようなライフスタイルを心がけたい。
順に近況報告をする。会社員の場合、定年が近くなり、閑職に回って時間的にゆとりができたという人も何人かいた。そろそろ子育ては終わったという人が多い。一方、親は八十代なので、介護の話題が多かった。そこから自分たちの老後はどうなるのか、という不安を述べる人もいた。私も最近「ねんきん定期便」という通知に初めて年金の見込額が記載されているのを見て愕然とした。月々給与から厚生年金に引かれている額さらに雇用主が同額を負担していることを考えると割が合わない。これでは悠々自適の年金生活などできようはずはなく、切り詰めた生活をしなくてはいけない。それに、少子化が進めば予想よりもさらに減額となるだろう。原資が不足して年金受給開始年齢をどんどん上げていかざるを得ないから自分の子供世代はさらに深刻である。実質的には国営ぼったくり詐欺と化すのは目に見えている。
もちろん明るい話題もあった。昨年夏は母校の野球部が甲子園に出場。すぐに負けてしまったけれども、応援に行って、久しぶりに同期生と顔を合わせたという話もあった。今年の春の選抜大会にも出場が決まっているので楽しみである。最後に集合写真を撮って、校歌を歌ってお開きとなった。
懐かしい同期生たちと話せて楽しかったと同時にいろいろと考えさせられた。年齢が進むに従って若い頃とは不安のタネは変化してくるが、結局は「不安常住」であって不安はなくならないものである。しかし、早くに逝ってしまった人たちのことを思えば、今こうして生きていられることはとても有難い。不安を抱えながら、今できることをやって生きていくだけだなあ、と思う。次の新年会は六十歳の還暦を迎えてから出てみたい。
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