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2015年1月26日 (月)

神経質礼賛 1109.狸の置物

 今年に入ってから、京都森田療法研究所のブログには閉院後の三聖病院の様子が写真で紹介されている。元が東福寺の一部であったためか、敷地には小さな古いお地蔵様が多数みられる。「まだ退院できない人たちがいる」という岡本重慶先生のコメントには、長年にわたり三聖病院を見守って来られた岡本先生の病院に対する愛情や閉院の寂寥感がにじみ出ていて心を打たれる。中庭には信楽焼と思われる狸の置物が残っている。「一生を化け損じたる狸かな」そんな焼き物としての狸の「露堂々」である、と岡本先生は書かれている。

 近頃は見ることが少なくなったが、私が子供の頃は、陶器屋さんの店頭はもちろん、飲み屋ばかりでなく一般商店の店頭にも置かれているのを見かけたものだ。狸の置物が作られるようになったのは明治以降であり「他を抜く」ということで商売繁盛の縁起物だという。編み笠を頭にかぶり、片手に徳利、片手に通帳を持って酒を買いにいく小僧のような恰好が何ともユーモラスであり、元祖ゆるキャラといったところだ。これが禅寺・修行場としての雰囲気が濃厚な三聖病院に置かれていたのは面白い。入院していた「修養生」がこの狸の置物を見て、ふと心を和ませる時もあったのではないだろうか。

 「露(ろ)堂々」とは禅の言葉「明明歴歴露堂堂」の一部である。意味をすっかり忘れているので手元にある禅語を解説した文庫本を広げてカンニングする。「歴歴」はあきらかな様子、「露」は「あらわす」「あらわれる」の意味であり、妄想を離れた心には世界が一点の曇りもなくあきらかに見えてくることをいうのだそうである。私のような悟れない小人は、心の目が曇り五感も錆びついていて、偏った先入観で物事を見てしまいがちであるから、こういう言葉には一喝されたように感じる。森田正馬先生の言葉で言えば、「事実唯真(280)」「見つめよ(502)」が近そうである。ありのままに物事をみつめるという認知の歪みの是正とともに、行動の指針が示されているところが森田先生の教えのすばらしいところである。

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コメント

四分先生、今回のお話では大変救われた気持ちになりました。
20年近く前ですが、かもめーるで父に暑中見舞を出しましたところ、それが各地の名産品プレゼントに当選しました。
父はいくつかの選択肢の中から信楽焼の狸を選びました。
 俳優だった父は色紙を書く機会が多かったのですが、その狸が気に入って、たくさん描いておりました。
 数少ない親孝行を思い出せて大変救われた気が致しました

たらふく様

 コメントいただきありがとうございます。

 孝行のしたい時分に親はなし、とはよく言いますね。私もそれを痛感します。たらふく様の場合は暑中見舞いハガキという心遣いの結果、お父様が喜んでもらえるものをプレゼントできて大変な親孝行になったのですね。
 最近では見かけることが少なくなった狸の置物ですが、ほほえましくていいなあと思います。

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