神経質礼賛 1119.夜の講演会
昨夜は島田市で医療関係者の小さな会があって森田療法の講演をさせていただいた。今年は家康公四百周年なので、前半で森田療法を概説した後、当ブログで発表してきた徳川家康の話をした。
神経質性格の歴史的著名人の中で家康は筆頭に挙げていいだろうと私は思っている。元々、小心・取越苦労の心配性の傾向はあったのだろう。3歳で母親と離別、今川家の人質となるはずのところを拉致されて織田の人質となり、その間に父親は家臣に殺される。その後の人質交換により改めて今川の人質となっている。これらが「ヒポコンドリー体験」となって、竹千代少年(家康)は「死の恐怖」に怯えたに違いない。駿府では当初は病弱であり、祖母の華陽院が養育することを許されていたが、体の病気というより、神経症的な症状だった可能性が高い。成人となってからの家康の持病に「寸白(すばく)」(条虫症)があり、侍医の反対にもかかわらず、自分で調合した「万病円」という水銀を主成分とする薬をしばしば飲んでいた。生ものは警戒して食べることのなかった家康が条虫症になるとは考えにくく、実は胃腸神経症だったのではなかろうか。そして「万病円」はプラセボ(偽薬)として効果を発揮したのだと思われる。
先週末の新聞に浜松市美術館で家康の「しかみ像」(209話)の実物大像が作られて展示されているという記事が載っていた。普通ならば嫌なことは忘れようとするが、家康は三方原の戦で大敗北を喫した時の惨めな自分の姿を画家に描かせ、常に座右に置いて慢心の戒めにしたという。神経質らしく、失敗にこだわり、同じ失敗を繰り返さないよう心掛けたおかげで大きな目的を達することができたのである。
森田先生が患者さんの指導に用いた「中庸」の中の言葉「己の性(しょう)を尽くし、人の性を尽くし、物の性を尽くす」は神経質の生きる指針として重要だと思われる。家康も臨済寺で今川家の軍師である雪斎から四書(大学、論語、孟子、中庸)を学んでいるはずなので、この言葉を知っていた可能性が高い。家康の場合、己の性を尽くすということでは、我慢に我慢を重ねて常に努力を怠らず、「厭離穢土 欣求浄土」、戦のない世の実現という目的に向かって行動した。人の性を尽くすということでは、部下や家族によく気を配り、上手に人材を登用した。人材登用は武士だけに留まらず、僧侶の金地院崇伝や天海、学者の林羅山、女性の阿茶の局、外国人のウイリアム・アダムス、ヤン・ヨーステンなど、実に多岐にわたっている。物の性を尽くすということでは、無駄をなくして倹約に努め、財を残し、幕府の財政基盤を盤石なものにした。私たち凡人は、信長や秀吉のような大天才の真似はできないけれども、神経質の偉大なる凡人・家康から学ぶところは多いと思う。
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