神経質礼賛 1115.水仙
一昨日の建国記念日は穏やかな晴れの日だった。青空ながら富士山を見ると少し霞がかかっていて、もう黄砂が飛び始めたのかな、と思う。仕事が休みの日の常で旧実家の片付けに行く。主のいない家の庭にはひっそりと水仙の花が咲いている。水仙は冬の季語であり、もう時期外れということになるが、「仏壇に水仙活けし冬至かな(高浜虚子)」の句のように水仙の花を切って母の居宅に持って行き仏壇にあげる。水仙の花は意外に長持ちする。そして「其のにほい桃より白し水仙花(松尾芭蕉)」というように香りを放つのである。
ギリシア神話では水に写った自分の姿に恋焦がれて死んだナルキッソスNarcissusが水仙になったとしていることから水仙の学名はその通りになっている。また、そこからナルシシズムnarcissism(自己愛)という概念が生まれた。弘文堂の新版精神医学事典によれば、臨床的には一人よがり、自己中心的、尊大、誇大的イメージ、すべての人から愛されていると感じ、愛されていることを要求するといった心理を指す。ともすると医学部教授や世襲のお坊ちゃま政治家・経営者にありがちである。そうした人が上司だと部下はとても苦労する。何を言われても「ハー、そうですかー」と聞き流すしかない。神経質人間にも自己愛はあるが、健康的な自己愛であるし、強い劣等感も併存しているので、万能感に満ち溢れて人に迷惑をかけるようなことはまずない。そして、自分はまだまだダメだ、と思って我慢と努力を重ねるので、着実に発展向上していくのである。神経質は小心にオドオドのあるがままでよい。
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