神経質礼賛 1118.会食恐怖
先日、会食恐怖を主訴とする男性が外来を受診された。会社で他の人と一緒に食事をすると、食事が喉を通らない。一人で食べれば大丈夫なので、普段は何とか凌いでいる。ところが困ったことに、上司や同僚たちとともに長期出張して一日中行動を共にしなければならないことがあって、その時は、他の人たちが飲食店に入っている間にコンビニで買ったものを一人で車の中で食べるのだそうで、かなり苦労しているとのことである。
会食恐怖は赤面恐怖、視線恐怖、正視恐怖、体臭恐怖、醜形恐怖、吃音恐怖などとともに対人恐怖の一亜型である。しかし、意外と精神医学事典などに記載がないものである。この男性のように何とか仕事ができていると、自分は気が小さいだけだと考えて、人に相談したり医療機関にかかったりすることが少ないのではないかと思う。男性ばかりでなく、女性にもある。最近は親しい女性だけで飲食を共にする「女子会」が盛んだが、それを苦手とする女性もいることだろう。
対人恐怖だった私の場合、会食の際、食べている時間はいいのだが、食べてしまうと間が持たなくて、「困ったぞ、何か話さなくては」と焦り、居づらい感じはある。会食恐怖とまではいかなくても、その予備軍である。子供の頃から食べながらしゃべる習慣がなかったから、おしゃべり好きの妻からは夕食の時、「お通夜みたい」と揶揄されている。そんな具合であるから、前述の男性の辛さはよく理解できる。
神経症の対人恐怖の場合は、森田療法で言うと「恐怖突入」、緊張しても不安になっても仕方なしに、苦手とする場面を避けずにぶつかっていくのが治療になる。行動療法では曝露療法(エクスポージャー)という。統合失調症のような精神病による対人恐怖の場合は薬による治療がまず必要であるけれども、会食恐怖を含めて神経症の対人恐怖では薬よりもそうした精神療法とりわけ訓練療法が重要となる。苦手な場面を避けていると症状はますます悪化する。「便所飯」(547話)に至ることもありうる。誰でも人前では緊張するし会食中に失態を演じないか心配になる、自分だけではないのだ、とあきらめてその場に出席してみることだ。苦しいながらも何とかその場に居おおせてある程度食べられればそれでよしとしよう。それを続けていけば、いつかは気にならない時が出てくるようになるものだ。
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