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2015年4月29日 (水)

神経質礼賛 1140.現在になりきる

 私の母は現在83歳である。80までは元気に歩き回り一人で旅行にも行っていた人だが、人工股関節の手術後に総腓骨神経麻痺が残ってしまい、今では歩行困難である。週1回、私が食品類を買って届けているけれども、天気が良くて調子が良い時には杖を片手に一人で400mほど離れた昔風の「市場」へ行って自分が気に入ったものを買ってくる。ラジオの短歌・俳句の番組を聴き、テレビの歴史・美術番組を見るのを楽しみにしている。誰しも歳を取れば持病が増え、種々の機能が衰えていくのは何とも仕方がない。それでも生きている限りは、現在になりきって、使える能力を最大限に発揮していきたいものである。それが「あるがまま」なのではないだろうか。


 
 森田正馬先生も晩年は肺結核に苦しまれ、寝たり起きたりの生活になっていた。自分は熱がある時でも、その熱が重ければ軽い本を読み、軽ければ専門書を読む、と患者さんたちに述べ、さらに次のように語っておられる。


 
 ここの患者たちも、頭痛は頭痛、不眠は不眠、強迫観念でもなんでも、その時どきに応じて、その時どきの現在になりきりさえすれば、それらの病症が皆消失する事を体験する事ができるのであります。

 大西君(大西鋭作氏:のちに香川大学教授となる)のように、頭痛も何もないが、ただ勉強する気にならないで悲観するという場合でも、ただその現在になって、気のないままに、その現在の仕事なり読書なりに、ぶつかって、僕が山の坂の中途にある時のように、その境遇に服従して、ただボツボツとやっていさえいれば、必ずいつとはなしに「前に謀らず、後に慮らず」という心境が現れてくるのであります。最も簡単にいえば、なんでもよい。その現在の境遇から逃げる考えを起こしさえしなければ、よいのであります。(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.141


 
 神経症の症状は、不安をなくしたい、完全でありたい、という、いわば「ないものねだり」からくる。生きている以上、不安がなくなるはずはないし、逆に不安が全くないようでは困るのである。

2015年4月27日 (月)

神経質礼賛 1139.弱さに徹する

 神経質人間は、劣等感を抱きやすく、「自分は全然ダメだ」と思い込みやすい。しかし、それは「人よりも優れたい」という強い発展向上欲からくるものである。だから、何とかしなくては、と行動し始めたら簡単には止まらない。粘り強く、継続力が極めて強いので、スロースターターであっても、いつかはものになることが多い。森田先生は次のように言っておられる。


 
 弱さに徹するとは、倉田さん(倉田百三:『出家とその弟子』などで知られる劇作家で森田先生の治療を受け、形外会にも参加していた)もしばしばお話しがあったように、虎穴に入るにも、大胆に平気になるのではない。ビクビクしながら行く事である。赤面恐怖でいえば、恥ずかしがらないようにするのではない。倉田さんの「恥以上」というのは、恥を恥として、それになりきる時に、初めて恥を超越してできる事である。自分は貧乏である、小学校卒業である、だから金持や大学卒業の人には恥ずかしい。恥ずかしくなくてはならない。恥ずかしいからジッとしていられない。働く勉強する。向上一路よりほかに道はない。心に少しもやましいところのない、「念仏申さるる」ような生活ができる。実際に入院患者で、高等小学校くらいで、大学卒業の人よりも、日記の文字も文章も、よくできるような人があるのである。それは恥ずかしいために勉強したからである。(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.728


 
 森田先生の所に入院した患者さんの中には、「神経質は優秀な性格である」という森田先生の学説に反発して「神経質はやはり劣等である」という論文を書いた人がいた。しかし、それを書いた入江英雄氏はのちに九州大学医学部放射線科教授となり、胃癌集団検診法の確立、高エネルギーによる癌治療の研究、長崎原爆被害の調査研究に活躍し、九大総長にまで昇りつめた。九大退官後は九州がんセンターの設立に尽力され、初代院長にもなった。この人も「自分は神経質で劣等である」と思い続けて努力を重ねて、結果的には神経質が極めて優秀であることを自ら実証したのである。弱くて強いのが神経質である。

2015年4月24日 (金)

神経質礼賛 1138.時間のパズル

 この4月に、同居している子供が就職して、電車で通勤するようになった。学生時代はのんびり朝寝をしていたのが、平日は早起きである。会社から日経新聞と専門の業界紙を取って読むようにと言われた。今まで取っている新聞に加えて2紙も取ったのでは、古新聞の山がすぐに高くなってしまう。問題は、朝が私とかち合ってしまうことだ。洗面所、トイレ、台所の使用時間が重ならないようにする必要がある。そこで、私が今までより10分早起きして、洗面所とトイレを使い、先に朝食を台所で済ませてから、メールチェックやブログ更新などのパソコン作業をして、新聞にざっと目を通すようにした。朝食の時間とパソコン・新聞の時間を入れ替えたわけである。6時に朝食を済ませるのはちょっと負担だが、出かける前に新聞をゆっくり読めて、ゆとりができた感じがする。

 職場でも、自分のペースで仕事ができるわけではない。病棟業務の日だと、病棟のスケジュール、会議のスケジュールなどを考えて、時間のパズルを解いて仕事をしていく必要がある。空いた時間には、患者さんのサマリー更新や、入院患者さんが外の病院を受診する際の紹介状作成などをやっておくと、後で楽ができる。これを読んでいる皆様方も、毎日やらなければならないことが次々とあって、スケジュール最適化のパズル解きをしながら生活されていることと思う。

時間のパズルを解いて最適化しても、空き時間は発生する。ぼんやり休憩するのもたまにはよいが、かえって疲労感・億劫感が出てしまうということにもなる。そこで、森田正馬先生の言われた「休息は仕事の中止に非ず、仕事の転換の中にあり」(24話)。空いた時間には、やるべき別のことを見つけて行動していくと、気分も引き立ち、かえって疲労感も感じないものである。

2015年4月20日 (月)

神経質礼賛 1137.小型スピーカー

 今年になってからの買物と言えば小型スピーカー。ちょっとしたマイブームである。いずれもスマホやパソコンやMP3プレーヤーなどとBluetoothで無線接続できる。一つはTDK製の防水仕様のモノラルで音響出力3W。価格は5千円弱。2台使えばステレオになる。クリップが付いているので、リュックサックなどにぶら下げて使うことができる。これは腰に付けてサイレントヴァイオリンにコードで接続して利用することにした。もう一つはSONY製の音響出力10W+10Wのもので1万円弱。ためしに、スマホを持たない我が家に一台しかない無線接続可能なタブレットPCに接続してみた。クラシック音楽の動画を流してみたら、迫力のある音に驚いた。さすがにズッシリした重低音というわけにはいかないものの、低音もそこそこに響き、中高音は実にクリアに鳴ってくれる。こんなに小さなスピーカーからよくこの音が出せるものだと非常に感心する。これは楽器演奏の時の伴奏用にピッタリで、病棟行事で演奏するような機会に役立ちそうである。

 この種のスピーカーの口径はわずか4cm前後である。ポケットラジオのスピーカー程度の大きさであり、以前だったら、せいぜい0.1W位の出力で音が割れたものだ。出力3Wとか10Wで歪みが少ない音を出すには口径10cmとか16cmにしなければ無理なのが常識だった。特に低音は小さい口径では出せなかった。その常識を破ったのが技術者たちの努力だ。神経質な技術者たちが頑張ってくれたのだろうと想像する。スピーカー自体の改良だけでなく、ディジタルアンプの開発が大きかった。

 高価なオーディオ機器や広いリスニングルームがなくても、こうした小型スピーカーを使えば自室で十分に音楽を楽しめる。また、好きな場所に手軽に持ち運んで使えるのも、すばらしいことである。音楽を楽しむにはいい時代になったと思う。

2015年4月17日 (金)

神経質礼賛 1136.石楠花(しゃくなげ)

 毎週休日には旧実家へ行き、ゴミ屋敷処理作業を続けている。何とか今年度中には処分できる物は片付けたいと思っているが、まだまだ先は長い。思わずため息も出るけれども、少しずつ作業を積み重ねていけばいつかは終わることだろう。神経質の粘り強さの発揮どころである。帰り際に庭を見渡せば、木々たちが次々と花を咲かせていて目を愉しませてくれる。今は石楠花が満開である。これも父が植えたものだ。一枝切って持ち帰り、母の居宅の仏壇に供える。

 石楠花は元々、ヒマラヤの高地の植物なのだそうだ。「高嶺の花」の言葉もそこから出たのだという。古くは神に供える花であり、忌み木とされ、庭に植えられることはなかったようである。そのためか、花言葉も「威厳」「警戒」「危険」「荘厳」と美しい花に似合わないものとなっている。石楠花の葉にはロードトキシンなどの毒が含まれていて、誤って煎じて飲んで痙攣やショック状態を呈した症例が国内で報告されている。もちろん、触っただけでどうこうというレベルではないから、心配になって強迫的に何度も手を洗うような必要はない。

2015年4月13日 (月)

神経質礼賛 1135.粛々(しゅくしゅく)と八紘一宇(はっこういちう)

 病棟で仕事をしていたら、突然、看護師さんから「粛々ってどういう意味ですかねえ」と聞かれた。何となくわかっていても、普段は使わない言葉だから即答できなかった。沖縄の新基地建設に反対している県知事や地元住民の意思がどうあろうと、基地建設作業を続けていく、という官房長官や首相の発言の中で使われたものである。粛々を辞書で引くと、①つつしむさま。②静かにひっそりしたさま。③ひきしまったさま。④おごそかなさま。「葬列が-と進む」とある。実態はどれにも当てはまらない。「邪魔立てするな。問答無用、こっちが決めたようにやるだけだ」が本音なのだから。こういう美辞麗句を使いたがる割には意に沿わない野党の発言にヤジを飛ばすような、親の七光りお坊ちゃまが日本のトップでは情けない。

国会議員の八紘一宇発言も話題になっている。私は日本史の教科書でしか知らなかった言葉である。森田正馬先生の晩年の頃にタイムスリップしてしまった感がある。八紘一宇について、これまた辞書を引くと、「(「宇」は屋根の意)世界を一つの家とすること。太平洋戦争期、日本の海外進出を正当化するために用いた標語」とあり、日本書紀の中の言葉に基づくのだそうだ。

神経質人間としてはすでに戦争前夜になっているのではないかと心配になる。首相が「わが軍」を世界に派遣したがっている。だが、それは戦争に巻き込まれていく第一歩である。どうせ投票しても変わらない、と選挙で棄権している人が増えると、粛々と八紘一宇への道を進んでいくことになる。そして、いずれは徴兵制が敷かれ、若者たちが戦場へと駆り出され、血を流していくことになる。

軍国主義一色の時代に「生の欲望」「死の恐怖」を説いた森田先生は特高警察からマークされていたという話がある。元入院患者さんが軍人として出世していくことは喜んでおられたが、そもそも仲の良かった弟が日露戦争で招集されて旅順で戦死していることもあって戦争は嫌っておられた。戦争は馬鹿げているが時節を待つのだ、ということをお弟子さんに語ったとも伝えられている。

2015年4月10日 (金)

神経質礼賛 1134.今日のうちこそ命なりけれ

 先月、市役所の市民ギャラリーで今川氏展があって見てきた。今川氏親、今川義元、太原雪斎の木像などが展示され、今川氏の歴史がわかりやすくパネルで示されていた。今川義元は、永禄3年(1560年)5月に大軍を率いて尾張に攻め込むも、桶狭間の戦いで織田信長の奇襲に敗れて討死している。公家の真似をしてお歯黒をしていたとか、肥満のため馬に乗れなかったなどと言われて、ダメな戦国大名の代表のように思われがちだが、実際のところは有能な大名だった。少年時代には京の禅寺で修行した経験を持つ文化人であるとともに、統治能力にも優れ、父・氏親の分国法「今川仮名目録」をさらに整備し、検地を行い、産業を育成し、外交面でも甲斐の武田氏・相模の北条氏と同盟を結び、駿河・遠江の二国と松平家の三河を上手に経営していた。のちの徳川家康があるのも、義元のもとで太原雪斎の教育を受けたおかげと言えるだろう。私たちが知る歴史は勝者によって残されたものであり、敗者は貶められがちである。織田信長の天才的な軍略や度胸に軍配が上がったとはいえ、もし桶狭間の戦いでの急な豪雨がなければ結果は全く変わっていたかもしれない。

大塚製薬が病院に配布している「大塚薬報」今月号に今川義元の記事があった。それを読むと、馬に乗らず輿に乗って尾張に侵攻したのは、室町幕府が認めた大名しか使用できない塗輿で高い地位にあることを尾張の人々にアピールするためだったように思えてくる。お歯黒も同様かもしれない。

その記事には「昨日なし 翌またしらぬ人はただ 今日のうちこそ命なりけれ」という義元の言葉が書かれている。昨日は過去のことだし明日のことはわからない。今日一日だけが全てだと思って生きるべきだ、ということである。誰にも役立つ言葉だと思われる。特に神経質人間は過去をクヨクヨ後悔し、「ああしておけばよかった」と考え、「こうなったらどうしよう」と先の心配をし過ぎるきらいがある。反省と心配は必要ではあるけれども、とりあえずは今日一日がんばってみる。それを積み重ねていけば結果はついてくる。

2015年4月 6日 (月)

神経質礼賛 1133.上を向いたらきりがない 下を向いたらあとがない

 今年になってBS12チャンネルTwellVで土曜日の午後、「泣いてたまるか」というドラマを放送している。「男はつらいよ」シリーズの元になった渥美清主演の一話完結人情ドラマのリマスター版である。寅さんと同様、人情家で突っ走ってしまう、いろいろな職業いろいろな立場の主人公を、渥美さんが演じている。私が小学生の頃、父がよく見ていたものだ。この主題歌が実にいい。作詞者は吉池まもる(関沢新一のペンネーム)となっている。関沢さんは映画監督・写真家・漫画家など多彩な仕事をした人で、美空ひばりの「柔(やわら)」・村田英雄の「王将」・舟木一夫の「学園広場」など往年の大ヒット曲の作詞でも知られている。

 歌詞は1番から3番まであって、そのうちのどれかが使われている。どうにもならないきびしい状況でも、泣いてたまるか、がんばろう、と自分を奮い立たせるような歌詞である。私は3番の歌詞が好きだ。「上を向いたらきりがない 下を向いたらあとがない さじを投げるはまだまだ早い」。何だか私の高校時代の数学の試験点数みたいである。好きな電子回路工作と楽器演奏に熱中していたので、数学は完全に落ちこぼれ。成績はビリから数えて何番目という情けない有様だった。皆が入試問題を解いている時期に、焦りを感じながらも基本的な問題集を最初から徹底的にやっていくうちに、何とかわかるようになっていった記憶がある。

 神経質人間は劣等感を抱きやすい。実生活では「下を向いてもきりがない」が真実なのであるが、「下を向いたらあとがない」と確信し、自分はダメだ、サイテーだ、と思い込みやすい。そこで、投げやりになってしまっては、本当にどん底へと向かってしまうのであるが、発展向上欲が強い神経質はそれでは終わらない。劣等感をエネルギー源として、「これではまだまだだ」と努力を重ねていけば、大きな力を発揮できるのである。

2015年4月 3日 (金)

神経質礼賛 1132.早めの精神科受診で休職期間が延びる?

 日経メディカルオンラインの最近の記事に「早めの精神科受診でかえって休職期間が延びる?」と題する記事があった。某私立医大精神科教授の連載記事である。現状では、職務上の過重な負荷が原因で不眠や不安や抑うつ気分や焦燥感が生じて精神科を受診するケースが多い。産業医が「うつ病の疑い」とする紹介状を持たせて来ることもある。そうなると、抗うつ薬や睡眠薬を処方され、「適応障害」あるいは「うつ状態」の診断書を会社に提出して「休養しましょう」ということになりがちである。しかしながら、過重な負荷が原因であれば、本人の問題というよりも適正な職務配分をしていない職場に問題があるのであって、休養は根本的な解決にならないし、ましてや投薬という医療行為で解決できる問題ではない。何でもかんでも問題を精神科医療に持ち込むのは間違いである。この記事では、保健師さんが早期介入して休職を減らすことができた、という例を紹介して、職場の保健スタッフが積極的に環境調整を図ることを勧めている。

 しかし、その前に、職場の上司が部下の過重な負荷に気付いて、部下が潰れないように調整していくのが本筋であるはずだ。最近は成果主義があまりにも重視され、少ないスタッフで残業をせずに多くの仕事をさせる職場が増えている。もちろん残業しなければ仕事が片付かないからサービス残業をしたりデスクワークを家に持ち帰ったりして処理せざるを得ないのだ。世間で優良企業と目される企業も社員にとっては「ブラック」というところも少なくない。上司もまた無理なノルマを課せられていて、部下にまで気配りしている余裕がないのである。こうして人間を使い捨てていくような企業はいくら業績が上がり株価が上がったところで長続きするはずがない、と考えるのは私だけだろうか。

 おりしも4月、入社シーズンである。神経質な人は真面目に言われた仕事をこなしていく。適当に手を抜く、ということをあまりしない。そうなると、過重な負荷がかかってくる心配がある。周囲の状況をよく観察して、信頼できる先輩や上司を見つけて相談するのが、生き抜く上で大事である。とにかく孤立しないことだ。

2015年4月 1日 (水)

神経質礼賛 1131.治った人の真似をすれば治る

 森田療法の本を読んで勉強して、自分で実行して神経症が治る人がいる。メンタルヘルス岡本記念財団を創立された岡本常男さん(37268269871)もその一人だった。しかし、理屈ではわかってもなかなか実行できない、という人も少なくない。森田療法は一種の再教育でもあるから、やはり目の前に良いお手本となる人がいてくれると、理解しやすい。そして、その人を真似て行動しているうちに、どんどん良くなっていくものである。入院森田療法でも、良くなった人がいると、他の入院患者さんたちも良い影響を受けてメキメキと治ってくる。入院するわけにはいかないという人は生活の発見会の集談会に参加して、先輩会員から学ぶのも良いだろう。関心のある方はぜひ生活の発見会ホームページを御覧下さい。

森田先生は月1回、患者さんや雑誌「神経質」の読者たちが集まる形外会で次のように述べておられる。


 
 ちょっと話は変わるが、この会でも、また私の家でも、常に元気のよい全治者を見る事ができる。こんな時にも、ただ素直に柔順に、これにあやかりうらやみながら、自分も治ってみたいと思って、じっと見ていれば、自然にその気合いに感化・薫陶されて、自分も治るようになる。これに反してあの人は偉い人であるからであって、自分はそれとは違う。先生の診断の間違いかも知れぬと、ひねくれる人はなかなか治らない。いたずらに治るとか治らぬとかいう文句にとらわれないで、ただ静かに、その治った人の顔を、陰のほうから、人知れず眺めていさえすればよい。屁理屈で、ひねくれるより、いくらか安楽かしれない。行方君や井上君のような元気な気持を見ておれば、自然にそれにつり込まれて治るのである。(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.186


 
 行方孝吉さんは形外会の幹事を務め、戦後、古閑義之先生のもとでの新生形外会会長を務められた。そして朝日生命の社長になっている。井上常七さんもやはり形外会の幹事を務め、森田旅館支配人ののち教育関係の仕事をされ、百一歳の天寿を全うして2010年に亡くなられるまで、「森田療法の生き字引」的存在だった。お二方とも、自分が治ればいいというのではなく、かつての自分と同じ悩みを持った人たちを助けようと活動を続けられ、実生活の上でも大活躍しておられたのである。まさに「己の性(しょう)を尽くし、人の性を尽くす」の人生である。


 
 浜松医大で私が森田療法の担当者となった時、大原健士郎教授から指示されことはたった一言「お前が患者さんのお手本となるように行動していくんだよ」だった。それ以上のことは一切言われなかった。それから二十余年の時が経ったけれども、良い「お手本」にはまだまだだなあ、といつも反省している。それでも、神経質らしく、少しでも努力を重ねていくほかない。そして「努力即幸福」、その努力の中に幸福があるのかなあ、とも思うこの頃である。

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