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2015年5月29日 (金)

神経質礼賛 1150.欲望と恐怖との調和(2)

 神経質人間はどうかすると、細かいことにこだわって屁理屈をこねがちである。月に1回、患者さんや雑誌「神経質」の読者が集まる形外会の席で森田正馬先生が、「絶えずハラハラしているようであれば、よくなる」という話をしたところ、「先生が言われたことは、自分が独りで部屋にいる時には、その必要はないと思うが」と質問した人がいた。それに対して森田先生は次のように述べておられる。


 君の質問の仕方は神経質の特徴であって、自分をハラハラさせなければならぬ、物を食べたいと思わなければならぬというので、自分をかくあらなければならぬと、人為的に作為しようとするものである。

 ハラハラというのは、あれもしなくてはならない、これもしたいという欲望の高まる事であって、これがために自分の異常に対して、一つひとつこだわっていられなくなり、そこに欲望と恐怖の調和ができて、神経質の症状がなくなるのである。ちょっと考えると、忙しくて気が紛れる、という風に解釈されるようであるけれども、決してそれだけではない。

 ここの療法で、その症状だけは、単に苦痛もしくは恐怖そのものになりきる事によって、治る事ができるけれども、これが根治するのに、さらに欲望と恐怖との調和を体得する事が必要であります。 第5巻 p.112-113


  欲望と恐怖の調和については以前にも書いている(650話)。森田正馬先生によれば、最も上等の気質は神経質である。強迫観念や病的異常に迷っているうちは敗残者のようであるけれども、心機一転して欲望と恐怖が調和し、感情と理智とが平衡を保つようになった時には上等の人になるということである。よりよく生きたい・人から好かれたい・成功したい、という生の欲望に背中を押されて、怖いという気持ちはそのままにしておいて、行動していく。それが欲望と恐怖が調和した状態なのであり、自己の存在意義を発揮して人からも大いに認められるところとなるのである。

2015年5月25日 (月)

神経質礼賛 1149.苦言と甘言

 「苦言は薬なり、甘言は病なり」という言葉がある。誰しも褒められるのはうれしいし、叱られるのは嫌である。できれば苦言は受けたくないのが本音であり、お世辞とわかっていても甘言にはつい惹かれやすい。受容、暗示、励まし、保証、共感的評価、などによる支持的精神療法は、落ち込んだ人を支え、立ち直ってもらう上で必要ではあるけれども、そればかりやっていたのでは患者さんのためにならない。時には耳の痛いことであっても問題点を指摘して行動を修正していくことを促すことも必要になる。特に、病気探しをしがちな神経症の人に対しては苦言が必要であることがよくある。思想矛盾 事実唯真(280)。つらくても現実に直面することを求めていかなくてはならない。神経症の症状をなくそう、不安をなくそう、とないものねだりして「はからいごと」を繰り返していたのでは、ますます自分の方に注意が向いて症状を強めるという悪循環をきたすからである。森田正馬先生は次のように言っておられる。


 しかるに僕の神経質療法は、「病ではない」とか、「治らぬと覚悟せよ」とか、「不眠など、どうでもよい。眠るに及ばない」とかいう事になると、普通の患者はたいてい逃げてしまう。しかし神経質の患者を、いたずらに患者の心持に迎合し、気休めのような事をすれば、一時はその症状がよくなるにしても、その根治は決して望まれない。

 真理は平凡である。「道は近きにあり」で、決して奇抜でもなければ、僥倖にあこがれるというわけには行かない。これを理解する人の少ないのも無理のない事である。(白揚社:森田正馬全集第5巻p.721


 治したがりの人に対して安易な「癒し」を与えるのではなく、そのままでよい、というメッセージを送って、こころはいじらずに行動に目を向けさせるのが、森田療法の真骨頂である。

2015年5月24日 (日)

神経質礼賛 1148.安全とは言えない電子タバコ

 欧米では若者の間で電子タバコが流行っているのだそうだ。国内でも販売され、あたかも害が少なくて健康的かのように宣伝されている。私は吸っている人をまだ近くで見たことがない。「電子」という名称は高級そうなイメージを与えるが、実態は電熱線を充電池の電流で熱してカートリッジ内の液を気化させるだけのことである。そして、吸引すると先端の赤色LEDが光って、あたかも火がついているように見えるという。確かにタール分はないから発がん性の点ではリスクが低いように思われ、通常のタバコほど副流煙による害も多くはないかのようにも思われていた。ところが、厚労省研究班の調査によると国内で販売されている9銘柄のうち2銘柄の蒸気成分からホルムアルデヒドが検出され、通常のタバコ以上の濃度だったという結果が先週の新聞に出ていた。ホルムアルデヒドはいわゆるシックハウス症候群の原因物質の一つである。また、発がん性も指摘され、特に白血病を引き起こすリスクが高いと言われている。やはり電子タバコだからといって安全とは限らない。

さらに私が心配するのは、危険ドラッグのことを考えると、例えば麻酔薬や向精神薬などの薬物がカートリッジに詰められて密売されるようなことである。手軽に薬物を気化させて吸入するようなものが一般に普及すると、悪用される可能性が出てくる。だから、あまり流行って欲しくない。君子危うきに近寄らず、神経質危うきに近寄らず、である。

2015年5月22日 (金)

神経質礼賛 1147.自撮り棒

 近頃、自撮り棒と称するグッズが話題になっている。観光地で風景を背景に自分、あるいは家族・友人とともにいる自分の写真を撮ろうと思うと、通りがかりの人にシャッターをお願いするか、伸ばした片手にカメラを持って広角レンズにして自分を撮るか、カメラをどこかに置いてタイマーで撮るしかない。今では軽いスマートフォンで写真を撮る人が増えていることもあって、スマホを先端に取り付けて1m位の長さに伸ばせる自撮り棒が爆発的に売れているらしい。確かに便利な道具だと思う。棒の手元スイッチから無線でスマホのシャッターを押せるようにしたものもある。

  しかしながら、他の人に接触して頭部や顔にケガをさせる心配がある。特に問題が多いのは「自撮り」でなく「他撮り」に使われる場合だ。新幹線ホームで自撮り棒を使って列車を撮っているアジア系外国人を見かけることがあるけれども、もし車両に当たったら極めて危険である。盗撮に利用しようという不届きな輩も出るかもしれない。近隣某国ではコンサートや映画館や美術館などで自撮り棒があまりにも多用されて問題となっているらしい。日本でも規制の動きが出始めている。博物館・美術館・観光庭園・駅のホームなどで使用を自粛するように呼びかけているところがあるようだ。そのうち、運動会でわが子を撮ろうという父兄にも自撮り棒禁止令が出るかもしれない。こういう便利道具が出てくると必ず後から問題が出てくる。自撮り棒は、英語ではselfie stickというのだそうだ。問題となる使われ方ではselfish stick(わがまま棒)になってしまう。使う人が、人に迷惑をかけたらどうしようと心配するような小心翼々の神経質人間ばかりならば、そういうことにはなりにくいのであろうけれども。

2015年5月18日 (月)

神経質礼賛 1146.初物・人の噂の「七十五日」

 今年の新茶を飲んだ母が「これで七十五日寿命が延びるのかしら」と言う。それにしても、どうして七十五日と言うのだろうか。いくつかいわれがあるようだ。中国の五行思想が元になっていて、季節を春夏秋冬に加えてその間の「土用」を一つと考えて五つの季節があるので、365÷5=73、一つの季節はおおむね75日ということになり、初物の生命力をいただいて季節一つ分長生きできる、というのがその一つ。また、野菜が種をまいてから収穫するまでが75日ほどだから、その分長生きできるのだ、という説もある。


  井原西鶴の『日本永代蔵』に「世界の借家大将」という倹約家の話がある。初物を食べると七十五日長生きするという迷信はすでに江戸時代からあった。初茄子を一つ2文、二つ3文で売りに来た。誰もが二つ買った方が得だ、と二つ買ったが、その倹約家は一つしか買わなかった。もう少し待てば大きな茄子が一つ1文で買えるのだから、今は一つ買って皆で分けて食べ、残りの1文でもう一度買った方が得である、という説明をしたという話である。現代的に考えても、初物は盛りの時期の作物に比べれば味や栄養の点で劣り、値段も高い。初物は縁起担ぎ程度にして、盛りの時期に買った方が得である。さすがは大坂商人。合理的である。


  同じく「七十五日」を使った諺に「人の噂も七十五日」がある。季節が変わる頃には噂も忘れられるから気にする必要はない、ということなのだろう。神経質な人は、人が自分をどう思っているかを過剰に心配しがちである。そんな人にはこの諺をよく引き合いに出して、そんなことをクヨクヨ考えても仕方ないのだから、とにかく目先の仕事をこなしていこうよ、という具合によく話す。神経質人間が心配するような他愛無い噂は、実際には七十五日どころか、すぐに消えてしまうのである。この諺の英語版は
A wonder lasts but nine days(驚きが続くのも9日だけ)なのだそうであり、実際そんなところだろう。

2015年5月15日 (金)

神経質礼賛 1145.就労継続支援事業

 せっかく病状が軽快して精神科病院を退院しても、自宅でダラダラと過ごして生活が不規則になり、それをたびたび家族から注意されて家族との関係も悪くなる、というケースが以前はよくあった。現在は精神科病院でもクリニックでもデイケアに力を入れている。デイケアに通所することで生活のリズムが保たれ、適度な運動にもなり、趣味を楽しめ、人間関係を築くよい訓練にもなる。しかし、そこから一足飛びに通常の就労というのはなかなか難しい。まずは、障がい者就労継続支援事業のB型事業所に通所して簡単な作業訓練をしていくのが現実的である。受け取る工賃は月に1万円程度であるが、それでも作業しようというモチベーションを高めることになる。ここで半年とか1年とかやってみて、本人の意欲や作業能力があれば、雇用契約を結び給与を受け取るタイプのA型事業所で働くことになる。事業所から月6-7万円の給与を受け取り、さらに障害年金も受けていれば、何とか自立することも可能になる。(A型事業所やB型事業所の利用を希望される方は、まず、通院している病院やクリニックのケースワーカーさんに相談してみるとよいでしょう。)

 入院中にあれこれ問題を起こしてさんざん手を焼かせた人が、退院してB型事業所に通い、やがてA型事業所に通うようになると、表情がすっかり変わり、生き生きとしてくるのがよくわかる。それを見ると本当にうれしくなる。やはり、働いてお金を稼ぐことで自信がつき、人から当てにされる存在となって認められることは大きい。病気を治すのは薬だけではない。以前、書いたように、仕事が人を治す(154話)ということもあるのだ。

 以上の話は精神病の方の場合であって、神経症の「症状」を理由に仕事をしないのはもってのほかである。森田正馬先生の言われた「神経質は仕事の為にす 治るためにせず」(220)の通りである。つらくても仕方なしに働くのが治す第一歩。そして忙しく働いているうちに、いつしか「症状」は忘れてしまい、ふと気が付いたら治っているのである。

2015年5月11日 (月)

神経質礼賛 1144.樹木葬

 昨年亡くなった義妹(1056)の一周忌・納骨式に参列した。弟夫妻には子供がないこともあって、弟はいろいろと考えて、バラの樹木葬を扱っている霊園の夫婦墓を選択した。私鉄の駅から徒歩5分ほどの所にあるので、高齢になってからでも墓参がしやすい。小さな墓碑にはフラメンコが大好きだった義妹がよく口ずさんでいた歌の冒頭2小節の楽譜が刻まれている。納骨の後、墓碑の近くの焼香台で親類・友人が焼香する。僧侶は呼ばなかったが、弟が上手に取り仕切ってスムーズに式は進行した。園内には色とりどりのバラが咲き、爽やかな感じだった。


  私も、自分たちが死んだ時に墓をどうするか、と妻と時々話をしている。どちらも親の片方が亡くなった時に墓を作っている。妻は一人っ子だから生きている間はその墓を維持するにしても、子供たちに押し付けることはしたくない、と言う。私も同感である。自分が死んだら墓には入らずにできれば海か山に散骨してもらうことを希望している。戒名も墓碑も要らない。自分としては、名はなくとも生き尽くして地に帰れれば理想的である。しかし、散骨はだんだん難しくなっていくようなので、樹木葬が現実的な選択肢かも知れない。

墓のことを考えると、今こうして生きていられるのは実に有難いことだと感じる。今日一日、とにかくできることをやっていこう。

2015年5月 8日 (金)

神経質礼賛 1143.結婚はコスパが悪い?

 こどもの日前後の新聞各紙には少子化が進んでいる話題に伴って、若い人たちが結婚したがらなくなっている傾向について取り上げていた。その背景にはいろいろなことが考えられている。コンビニや単身者向けの商品やサービスが増えて結婚せずに一人暮らしでも不便がないこと。価値観が多様化し、自由さや気楽さを失いたくないと考える人が増えていること。個人のプライバシーを尊重する社会になり、昔のように上司や知人の紹介で結婚するようなことが減っていること(現代では「結婚する気はあるか」などと部下に尋ねたらセクハラになってしまう)などが指摘されている。

 「結婚はコスパ(コストパフォーマンス:費用対効果)が悪くてメリットがない」という若い人もいるようだ。特に子供ができると養育費や教育費がかかる。給与が年齢の上昇に従って右肩上がりになっていく時代ではない。年金だってこのままでは破綻するのは目に見えていて、若い人たちにとっては「ぼったくり詐欺」同然のシステムである。自分たちが中高年になった時の経済的不安があるのでは結婚に踏み切れないのもわからないではない。特に神経質な人は慎重にならざるをえないだろう。

 以前293話で紹介したように、ダーウィンは結婚するメリットとデメリットを詳細に検討した上で母方(ウエッジウッド家)従妹との結婚に踏み切っている。進化論で有名なダーウィンは肥満型なので、性格は循環気質だとする精神科の書籍も見かけるが、本当は神経質だったと私は考えている。第一、若い頃から太っていたわけではない。手紙の字はものすごく細かいし、繊細な人なので外科手術をするような医師になることを途中であきらめている。「あがり症」のため学会発表も大の苦手だったという。

 それにしても、結婚する段階で将来が全て見通せるわけではない。経済的などの面に将来の不安はあっても、一緒に暮らしたい、できれば子供も欲しい、という「純な心」が優って結婚に踏み切っていただきたいと思う。

2015年5月 4日 (月)

神経質礼賛 1142.芍薬(シャクヤク)

 例によって旧実家に行くと、畑の大きな花が目に付いた。茎はとても細い。後で母に聞いたら、昔、伯母(父の姉)が植えた芍薬だという。この伯母は私が小学校1年の時に亡くなっているから、少なくとも半世紀以上も咲き続けていることになる。伯母の葬式の際、私は同じ歳の従兄弟と悪ふざけをして、祖父に厳しく叱られた記憶がある。

 美女をあらわす言葉として「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」というものがある。確かに芍薬は大輪の花の割に茎がスマートですらっとして美しい。芍薬の根には、消炎・鎮痛・止血・抗痙攣作用があって、漢方薬の原料として使われる。女性向けによく処方され、女性の妙薬とも呼ばれる当帰芍薬散(ツムラ23)が有名ながら、風邪の時に服用する葛根湯(ツムラ1)や、がっちりした体型の人の便秘などに用いられる大柴胡湯(ツムラ8)にも含まれている。更年期障害に用いられる加味逍遥散(ツムラ24)にもやはり芍薬が含まれている。また、芍薬と甘草が1:1で含まれている芍薬甘草湯(ツムラ68)は急激に起こる筋肉の痙攣を伴う疼痛に効果があり、「こむら返り」に有効である。

花が美しいだけでなく有用なのはとても結構なことである。

2015年5月 1日 (金)

神経質礼賛 1141.ベルトの穴

 休日に穿くチノパンに使っていたベルトがくたびれてきたので、新しい物を買った。しっかりした造りの物を選んだのだが、ベルトの穴位置がよろしくない。ものすごいメタボ体型でなければ合わない位置に穴がある。見た所、バックル部分が狭く、そこを開けてベルトをはずして短縮するのができそうにない。となると、ベルトに穴を開けなければいけないなあ、と考える。

以前は電子回路のプリント基板を自作していたので、電動ドリルと種々の径のドリル刃を持っていたが、全部処分してしまった。となるとキリで穴を開けて小さなドライバーなどで少しずつ穴を大きくしていくことになる。失敗したら嫌だなあ、と思ってベルト穴を開ける工具を調べてみると、ペンチ型のものが1000円位で売られている。とはいえ、そのような本格的な穴あけ器を買っても、一生の間に何回使うか疑問である。100円ショップでベルト用の穴あけポンチが売られているという。これはハンマーで叩いて穴を開ける道具のようである。

 そのポンチを求めて大きな100円ショップに行ってみた。工具のコーナーに穴あけポンチはなかった。せっかくなので店内を見て歩く。100円ショップでもベルトを売っているのには驚きである。以前買ったものと似たようなタイプのものがあって、手に取ってみる。ベルトの長さは調整可能と書いてある。よく見ると、バックルの長さは長いけれども、構造が似ている。ということは、以前買ったものも実はバックルを開いて皮部分をはずして短縮できるのかもしれない。そこで、このベルトを試しに買って家で短縮してみた。同じようなやり方で以前買ったベルトもバックルを開けることができて、長さを7cm詰めてちょうどよくなった。100円ショップで買ったものは一夏使ったらヘタってしまいそうだが、もったいないので、しばらく使ってみることにする。工具を買っても場所を取るのでこれでよかったのかなあ、と思う。当初の目的は果たせなかったけれども、臨機応変ということになるだろうか。

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