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2015年6月29日 (月)

神経質礼賛 1160.苦痛になりきる

 誰も苦しいことは嫌である。しかし、人生には四苦八苦はつきものでそれをなくすことはできない。思うようにならないことが次々と発生してくる。何の不安なく生活できたらどんな楽だろうか。ところが、不安は次々と浮かび上がってくるものである。それに、よりよく生きていくためには不安は必要なものでもある。森田正馬先生は苦痛について次のように言っておられる。


 「なりきる」といふ事がある。苦痛其のものに・なりきれば、「山に入つて、山を見ず」といふやうに、比較する何物もないから、只それきりのものである。然るに「これ位の事は、我慢しなければならぬ」とか、「之では、とても耐(こら)えきれない」とか、苦痛の大小・軽重を比較・批判する時には、其處に苦痛は、客観的に、眼前にありありと現出して、益々耐えられないやうになる。又客観的の表現としては、「苦痛を甘受する」とかいつて、「苦いものを甘く感ずる」といふやうな言語の矛盾にさへも陥る事がある。

 要するに吾々は、吾々の精神的事実を表現するに、常に主観即ち自分から観察批判する事柄といふものとの区別を明瞭にする事を忘れては、種々の間違ひの元となるのである。(白揚社:森田正馬全集第7巻 p.348


 苦痛はどうにもならないものと諦めて苦痛そのものになりきる。不安も同様に、不安をなくそうとジタバタしていては、ますます不安は増大してしまう。不安はどうにもならないものとそのままにして、不安なままに行動していくことである。鈴木知準先生が言われた「不安は不安でそれっきり」という不安を相手にしない対処法が一番である。

2015年6月26日 (金)

神経質礼賛 1159.東照公御遺訓

 静岡駅南口(新幹線口)を出るとすぐ右手に大きな石柱が立っている。長く静岡に住んでいて見慣れた光景だが、今まで何の石柱か気にも留めなかった。朝、出勤の時に時間があったので、よく見てみると、久能山東照宮三百年記念の石柱だった。台座には大正四年と刻まれていて、今からちょうど百年前ということになる。そして、台座の左面(南面)には有名な東照公御遺訓がはめ込まれている。


 
人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し、急ぐべからず。

不自由を常と思へば不足なし。心に望み起らば困窮したる時を思ひ出すべし。

堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思へ。

勝つ事ばかり知りて負くる事を知らざれば害其身に至る。

おのれを責めて人を責むるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり。


 現代でも岡崎城の近くにある小学校では子供たちがこの遺訓を音読するという。本当は家康自身の言葉ではなく、後世の創作とのことだが、家康の生き方を端的に表現していると言ってよいだろう。冒頭部分では、我慢・辛抱して、現実に立ち向かい、根気強く一歩一歩進んで行くことの大切さを教えている。森田正馬先生の言葉の「自然に服従し境遇に柔順なれ」(263)や「事実唯真」(280)「あるがまま」(31話・250話・764)にも通じるところがあろう。「怒りは敵と思へ」は私など大いに反省しなくてはならないところである。「鳴くまで待とうほととぎす」と思われている家康も実は短気だった。イライラして貧乏ゆすりをし爪を噛みながら怒りをやり過ごしていた。怒りにまかせた行動や言動は、怒りを鎮めることにならず、かえって怒りを増大させ長引かせることになる。「感情の法則」(442)の通り、時間が経てば自然に収まってくる。「勝つ事ばかり知りて」については、以前書いている(209)。プラス思考がもてはやされる昨今ながら、マイナス思考に見えても、失敗を繰り返し反省し、同じ失敗を繰り返さないようにする、そして、自己愛的な根拠のないプラス思考に基づいた無謀な行動を決してしないようにすることが大切なのである。この遺訓は誰にとっても役に立つものであり、特に家康と同じ神経質人間には有益だと思う。

2015年6月22日 (月)

神経質礼賛 1158.今日の一針、明日の十針(とはり)

 日めくりカレンダーをめくったら、今日の一針、明日の十針、という諺が出てきた。ちょっとギクッとさせる言葉である。今日のうちに綻びを直しておけば一針で済むものを、明日に延ばしてしまうとほころびが広がって直すのに十針かかる、という意味のようだ。虫歯治療などはこれにあたるだろう。歯医者さんに行くのは面倒だなあ、嫌だなあ、と先送りしていると、齲蝕が進行してそのうち歯茎まで腫れてどうにもならなくなって行ったのでは治療も大事になってしまう。早めに行くに越したことはない。

 私たち神経質人間は、何かやらねばならないことができると、その手間を計算して、面倒だなあ、嫌だなあ、と思い、ズルズル先延ばししてしまいがちである。神経質は「重い鉄の車」と森田正馬先生が言われたように(白揚社:森田正馬全集 第7p.391)、ああでもない、こうでもないと考えて、なかなか動き出さない。機を逸してしまうと、この諺のように大変なことになってしまう場合もあるし、第一、嫌だなあと思っている時間が長くなって損である。それに、他にもやらなければならないことは次々と発生して仕事が溜まって、首が回らなくなってしまう。解決法は、まず、ちょっとでも良いから手を出すことである。例えば、綻び直しだったら、とにかく糸と針を用意することだ。虫歯の治療だったら、とにかく歯科医院に電話をして早めに予約を取ることだ。最初の一歩を踏み出しさえすれば、後はスムーズに動き出すのである。

2015年6月19日 (金)

神経質礼賛 1157.抗不安薬・睡眠薬の急性薬物中毒

 先週の新聞記事に、医療経済研究機構の調査結果を紹介したものがあって、抗不安薬や睡眠薬を過剰服用して意識障害などの急性薬物中毒を起こした患者の約4割が規定量を超える処方をされていた、ということだった。また、処方した医師の9割が精神科医だったという。

 以前から抗不安薬や睡眠薬が安易に処方されて、薬物依存をきたしたり中止して離脱症状をきたしたりするなどの問題を引き起こすことは指摘されてきた。現在では、抗不安薬や睡眠薬は原則それぞれ2剤しか処方できないことになっている。しかし、精神科専門医が講習を受けて申請すれば3剤以上の処方が可能、という抜け道がある。私が勤務している病院の医師は全員精神科専門医ながら、あえてその講習は受けず、2剤までのルールを順守している。もっとも、精神科以外の内科などですでに睡眠薬を処方してもらっている人もいるので、「お薬手帳」などでチェックしないと重複処方を見落とすこともあるので注意が必要である。

 抗不安薬や睡眠薬は即効性のある対処法ではあるけれども、それだけに頼って解決しようとするのは無理である。特に神経症の不安や不眠の場合、それをなくそうとはからうことが症状悪化や症状固着を招く。たとえパニックになってもそれで命を落とすことはないのだし、一睡もできないと言いながらどこかで眠っているものである。生活を整えることに主眼を置き、「症状」は放っておく、という森田療法的な対処法が最も優れている。そうなれば急性薬物中毒の問題も解消できるし、厚労省が強く望んでいる医療費削減もできるはずである。安いジェネリック薬に切り替えて医療費削減を図るよりも、そもそも不要な薬は処方しないというのが本筋である。

2015年6月15日 (月)

神経質礼賛 1156.カタツムリ

 時間が少し空いた時には作業療法室へ足を運ぶ。患者さんたちの様子を見るためである。塗り絵をしている患者さんの絵を見る。季節に応じた絵が多いので、今はアジサイやカタツムリ、長靴をはいて傘を差した子供などがテーマに使われている。ふと、実物のカタツムリを近頃みないなあ、と思う。週に1回は旧実家の片づけと草取りに行っているので、梅雨時には見かけてもよさそうなものだが。カタツムリを餌にする生物は多いらしい。天敵としてマイマイカブリという昆虫がよく言われるが、それ以外にもカエルなどの両生類・トカゲなどの爬虫類、鳥類、ネズミなどの哺乳類などにも食べられてしまう。カタツムリを見かけなくなったのは、そうした生物の自然界の餌が減ってカタツムリが食べられてしまっているからなのだろうか。それとも気候の変化の影響なのだろうか。あちこちで使われる除草剤のためなのだろうか。原因はわからない。


 
 自分の住処を乗せて、体を伸び縮みさせながら、ゆっくりゆっくりと移動していくカタツムリはユーモラスだし、見ていて何かほっとするものである。神経質人間は気が急きやすい。あれをしなくてはこれもしなくてはと、いつもハラハラで次々と仕事をしていくのは良いことではあるが、時にはカタツムリになったつもりで肩の力を抜いて一息ついてみるのも悪くない。

2015年6月12日 (金)

神経質礼賛 1155.地域移行

 今、精神科医療に大きな変化が起こっている。日本の精神科病院の入院患者数は諸外国に比べて多すぎる、医療費削減も必要だから、患者さんを病院ではなく地域で支えるようにせよ、というのが厚労省の方針であり、都道府県を介していろいろな圧力がかけられてきている。患者さんが入院する時に本人に渡す入院治療計画書がなぜか県にコピーが送られてチェックが入る。入院期間の見通しが1年を超えるように書くとクレームがついて書き直しを求められる。いろいろな薬剤を使ってもどうしても幻覚・妄想が改善しない人も中にはいるし、近隣に迷惑行為をしたため退院反対運動が起きているような人もいる。わいせつ行為や窃盗癖があって、施設への退院さえ困難な人もいる。とにかく1年以内に退院させろ、ということなので、そういう人はやむなく「11か月」と記載しているが、個々の患者さんの状況により1か月で退院が見込める場合から長期にわたる入院が必要な場合があるわけだから、おかしなことだと感じる。

長期入院者や高齢者の場合、グループホームや老人施設などの退院の「受け皿」が必要な場合が少なくないが、それが圧倒的に不足しているという問題が多くの関係者から指摘されている。今回の日本精神神経学会でも地域移行と病床削減に関するシンポジウムが開催されていた。その中では、厚労省は本気で受け皿作りをする気はないのではないか。本気ならば、退院させる人数に見合った受け皿を作るための予算を取って動けばいいはずだがそれをしない。現在入院している患者さんの約半数は65歳以上の高齢者だから、受け皿を作らなくても今のように病院の尻を叩いていれば、10年先から20年先には現在入院中の高齢者が死に絶えて、病床半減が実現するので、それを待っているのではないのか、というような発言も聞かれた。

 退院して地域で生活する人たちを援助して、再発・再入院となるのを予防するには訪問看護は欠かせない。勤務先の病院でも力を入れ始めている。患者さん宅が遠方である場合は、その地域の訪問ステーションにお願いすることになる。そうしたステーションからは、患者さんを訪問するたびに訪問看護報告書と訪問看護計画書が送られてくる。送付書を入れるとA4で6枚にもなる。外来カルテに貼っているけれども、1年、2年経ったらカルテがその種の書類で分厚くなってしまうだろう。内容的にはA4用紙1枚で十分に足りる。枚数が多ければ郵送料だって高くつく。退院可能な人はなるべく退院させていく、という方向性自体は良いのだが、お役所仕事の形式主義が随所に見える。患者さん本位の「ものそのものになる」姿勢が欠落している。


 
 以上は精神病患者さんの入院に関することである。一方、神経症の場合、現在でも病院で医療として入院森田療法を行っていくにはいろいろと不都合な点が多い。病床削減の流れが進めばさらなる困難に見舞われるだろう。入院森田療法の良さを入院外で実現させるためには、デイケアの中で森田療法を行ったり、訪問看護を利用して森田療法を行ったり、といった工夫も必要になってくる。

2015年6月 8日 (月)

神経質礼賛 1154.廬山寺(ろざんじ)

 土曜日は帰りに京都に寄る。中之島から京阪電車で三条へ。寺町通りを歩いて北上し、廬山寺を目指す。道路の両側にはイチョウが植えられていて所々にアジサイも咲いている。古くからのお菓子屋さんがあったりして風情があっていい。だんだん御所の緑が近づいてくる。さらに上がっていくと、新島襄の旧邸宅があり「公開中」の看板があるので入ってみる。6月は火・木・土が一般公開とのこと。受付で新島八重に関する小冊子をいただく。中には入れないが外から室内を見ることができる。また、別館で新島襄と八重の手紙や写真などの展示も見ることができた。明治の世に私立大学を創設した人たちの情熱には本当に頭が下がる。

 さらに御所を左にして北へと歩いて行くと廬山寺に着く。入口に「桔梗が咲き始めました」の看板がある。参観者は誰もいなかった。本堂前の中央に腰掛け、源氏庭を眺める。桔梗はほんの咲き始め。あと一週間もしたらもっと紫色で賑やかになりそうだ。白砂との対比で苔の緑が美しい。さわさわと木々が風に揺れる音、チュンチュンと雀たちの鳴き声がBGMである。時の経つのをしばし忘れ、とても爽やかな気持ちになる。神経質人間の紫式部(414話)も執筆の合間に庭を眺めていたのだろうか。

 帰りには錦小路に寄る。外国人や修学旅行生やTV取材のクルーなどでごった返していたが、とても楽しい空間である。麩嘉で粟麩と麩饅頭をお土産に買って京都駅へ。2時間余りの旅だった。

2015年6月 7日 (日)

神経質礼賛 1153.酒封じの神

 6月4日-6日、大阪の国際会議場で日本精神神経学会があった。精神科専門医のポイント更新のためには、私は1日半出席する必要がある。5日と6日の午前に参加した。例によって神経質の欲張り根性から、せっかくだからどこか立ち寄ろう、ということで、5日は講演を聴いてから、ホテルにチェックインする前に天王寺へ行った。今話題の「あべのハルカス」には目もくれず、雨の降る中を一心寺へと歩く。「大坂の陣400年」と書かれ、豊臣家と徳川家の両方の家紋が入った旗が所々に立っている。茶臼山に隣接するこのあたりは大坂夏の陣で家康の本陣があった場所だと言う。一心寺入口の平成年代になって造られた巨大な鉄骨むき出しの山門と仁王像には圧倒される。境内に入って左手の方に徳川四天王・本多忠勝の次男、本多忠朝の墓があり、「酒封じの神」として信仰されている。忠朝は父譲りの勇猛果敢な武将で関ヶ原の戦いでは父とともに大活躍し、5万石の大名となった。ところが大坂冬の陣の戦いでは飲酒のために敗れ、家康から叱責された。夏の陣の天王寺・岡山の戦いでは汚名を挽回しようと最前線に立って鬼神の如く戦うも討ち取られた。「忌むべきは酒なり。今後わが墓を詣でる者は必ず酒嫌いとなるべし」と言って亡くなったという。そのため「酒封じの神」とされ、断酒を誓う人たちが墓所の塀の内側壁面に願かけの「しゃもじ」を掛けて奉納してある。よく見ると、酒断ちばかりでなく、「パチスロがやめられますように」とか「借金がなくなりますように」と書かれたものも目立つ。また、意外に女性が書いたものも見かける。酒封じの神様もギャンブルや借金問題にまで対応しなくてはならない世の中になって、さぞお忙しいことだろう。お酒が飲めなくなっては寂しいので私は拝まないで軽く一礼して退出する。

 一心寺と道路を隔てて安居神社がある。ここは大坂夏の陣で真田信繁(通称:幸村)が戦死した地である。数の上では圧倒的に不利ながら、真田勢はターゲットを家康一人に絞り込み、果敢に徳川陣に攻め入った。ついには家康の旗印が倒され、家康は自害を覚悟したという。しかしながら猛攻の繰り返しで真田勢は疲弊していて今一歩のところで家康を討ち取ることはできず、最終的には徳川勢の圧倒的な兵力が物を言った。社殿近くの「眞田幸村公之像」は片膝を立てて座っている。討ち取られる直前の姿であろう。やるべきことをすべてやりつくした清々しい表情に見えた。

2015年6月 4日 (木)

神経質礼賛 1152.症状は相手にせず

 現在勤務している精神科病院で担当している入院・外来患者さんの最も多い病名は統合失調症である。ここ20年位の間に治療薬が随分進歩した。しかしながら、2割前後の方はいろいろな薬剤を使ってみても症状が改善しない。また、薬によって症状が軽減しても一日中「バカ、死ね」という幻聴に苦しめられているという患者さんがいる。異性から「愛している」「遊びに来てね」などという幻聴があって、つい実際に会いに行って、当然誰もいなくて、ということを繰り返していて生活に支障をきたしているという人もいる。治療の目標は、幻覚・妄想・興奮などの陽性症状、無為・自閉・自発性低下などの陰性症状をともに消退させることだが、現実にはなかなかむずかしい。薬が良くなったとはいえ、どの薬もそれぞれ特有な副作用を持っている。薬を増量して症状を軽減させるのと、副作用の問題とのせめぎ合いでバランスの良いところで手を打つしかない。残存する幻聴に苦しんでいる人には、その辛さを共感した上で、聞こえてくるいつもの声は相手にしないようにしましょう、と言っている。実際、幻聴に対して返事をしたり反応したりしていては、次々と新たな幻聴が沸き起こってくるからだ。症状は相手にせず、日常生活を充実させることに主眼にしていくとよい。多少の症状残存があっても、薬を規則正しく服用しながら、仕事に就いている人も少なくない。

 また、うつ病でもスッキリ治らない人がいる。慢性期のうつ病には症状に目を向けるよりも生活に目を向ける森田療法的なアプローチが奏功する場合もしばしばある。

 ましてや神経症では症状を相手にしないことが一層大切である。症状をなくそう、と症状のモグラ叩きをやったところで、どうせまた出てくるだけである。そして症状へのこだわりを強めてかえって悪化してしまう。辛くても症状は相手にせずに、どうにもならないと開き直って、仕事・勉強・家事など、現実の生活と向き合っていく。そういう生活態度が身に付いて来れば、いつのまにか症状は軽減していくものなのである。

2015年6月 1日 (月)

神経質礼賛 1151.『家康 その一言』出版

 昨年夏、突然、静岡県文化財団から原稿依頼の話が舞い込んだ。同財団では「しずおかの文化新書」という本を年4冊出版している。家康公四百年祭に向けて本を出したいが、ありきたりの歴史学者の本では面白味がないから、違った視点から見た家康像にしたい、ということで私に白羽の矢が立った。地元放送局のカルチャー教室などで俳句の師匠をしておられ、同財団の新書に寄稿している鈴木啓造さんが八木洋行編集長に私を推挙して下さったためである。家康についてはブログでも何度か書き、拙著『神経質礼賛』にも書いてあるが、ほぼ1冊分の原稿を書くのは少々しんどい。毎週図書館通いをして多くの文献を読み漁り、ようやく昨年末に原稿をほぼ書き上げた。年が明けてから修正要請に沿って手直しをし、4月に校正完了。5月末に発売にこぎつけた。従来、衣冠束帯姿の堂々とした肖像画や「鳴くまで待とうほととぎす」のイメージが強い家康だが、本当は神経質性格であり、小心で心配性な面を持ち合わせていた。その神経質性格を活かして無謀な戦いは避けて粘り強くピンチを切り抜けて着々とポイントを上げ、民政にも気を配り、戦国の世から平和の世を築き上げる大事業を成し遂げて生き尽した一生だったのだ、という流れになっている。神経症と森田療法についても簡単に説明を入れた「隠れ森田本」でもある。この本は県内の学校や図書館にも配布されるので、神経質な性格に悩んでいる方々や神経症に苦しんでいる方々の目に留まり、あの家康公も神経質だったのだ、大いにあやかろう、と神経質を覚醒させて発揮することになってくれれば、こんなにうれしいことはない。

さてやれやれ、とほっとしていたら、文化財団から連絡があり、今度は出版に伴う文化講演会もあるとのこと。さあ大変、プレッシャー大、ドキドキハラハラである。お恥ずかしい限りだが、あわてて準備を始めている。

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