神経質礼賛 1159.東照公御遺訓
静岡駅南口(新幹線口)を出るとすぐ右手に大きな石柱が立っている。長く静岡に住んでいて見慣れた光景だが、今まで何の石柱か気にも留めなかった。朝、出勤の時に時間があったので、よく見てみると、久能山東照宮三百年記念の石柱だった。台座には大正四年と刻まれていて、今からちょうど百年前ということになる。そして、台座の左面(南面)には有名な東照公御遺訓がはめ込まれている。
人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し、急ぐべからず。
不自由を常と思へば不足なし。心に望み起らば困窮したる時を思ひ出すべし。
堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思へ。
勝つ事ばかり知りて負くる事を知らざれば害其身に至る。
おのれを責めて人を責むるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり。
現代でも岡崎城の近くにある小学校では子供たちがこの遺訓を音読するという。本当は家康自身の言葉ではなく、後世の創作とのことだが、家康の生き方を端的に表現していると言ってよいだろう。冒頭部分では、我慢・辛抱して、現実に立ち向かい、根気強く一歩一歩進んで行くことの大切さを教えている。森田正馬先生の言葉の「自然に服従し境遇に柔順なれ」(263話)や「事実唯真」(280話)「あるがまま」(31話・250話・764話)にも通じるところがあろう。「怒りは敵と思へ」は私など大いに反省しなくてはならないところである。「鳴くまで待とうほととぎす」と思われている家康も実は短気だった。イライラして貧乏ゆすりをし爪を噛みながら怒りをやり過ごしていた。怒りにまかせた行動や言動は、怒りを鎮めることにならず、かえって怒りを増大させ長引かせることになる。「感情の法則」(442話)の通り、時間が経てば自然に収まってくる。「勝つ事ばかり知りて」については、以前書いている(209話)。プラス思考がもてはやされる昨今ながら、マイナス思考に見えても、失敗を繰り返し反省し、同じ失敗を繰り返さないようにする、そして、自己愛的な根拠のないプラス思考に基づいた無謀な行動を決してしないようにすることが大切なのである。この遺訓は誰にとっても役に立つものであり、特に家康と同じ神経質人間には有益だと思う。
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