神経質礼賛 1153.酒封じの神
6月4日-6日、大阪の国際会議場で日本精神神経学会があった。精神科専門医のポイント更新のためには、私は1日半出席する必要がある。5日と6日の午前に参加した。例によって神経質の欲張り根性から、せっかくだからどこか立ち寄ろう、ということで、5日は講演を聴いてから、ホテルにチェックインする前に天王寺へ行った。今話題の「あべのハルカス」には目もくれず、雨の降る中を一心寺へと歩く。「大坂の陣400年」と書かれ、豊臣家と徳川家の両方の家紋が入った旗が所々に立っている。茶臼山に隣接するこのあたりは大坂夏の陣で家康の本陣があった場所だと言う。一心寺入口の平成年代になって造られた巨大な鉄骨むき出しの山門と仁王像には圧倒される。境内に入って左手の方に徳川四天王・本多忠勝の次男、本多忠朝の墓があり、「酒封じの神」として信仰されている。忠朝は父譲りの勇猛果敢な武将で関ヶ原の戦いでは父とともに大活躍し、5万石の大名となった。ところが大坂冬の陣の戦いでは飲酒のために敗れ、家康から叱責された。夏の陣の天王寺・岡山の戦いでは汚名を挽回しようと最前線に立って鬼神の如く戦うも討ち取られた。「忌むべきは酒なり。今後わが墓を詣でる者は必ず酒嫌いとなるべし」と言って亡くなったという。そのため「酒封じの神」とされ、断酒を誓う人たちが墓所の塀の内側壁面に願かけの「しゃもじ」を掛けて奉納してある。よく見ると、酒断ちばかりでなく、「パチスロがやめられますように」とか「借金がなくなりますように」と書かれたものも目立つ。また、意外に女性が書いたものも見かける。酒封じの神様もギャンブルや借金問題にまで対応しなくてはならない世の中になって、さぞお忙しいことだろう。お酒が飲めなくなっては寂しいので私は拝まないで軽く一礼して退出する。
一心寺と道路を隔てて安居神社がある。ここは大坂夏の陣で真田信繁(通称:幸村)が戦死した地である。数の上では圧倒的に不利ながら、真田勢はターゲットを家康一人に絞り込み、果敢に徳川陣に攻め入った。ついには家康の旗印が倒され、家康は自害を覚悟したという。しかしながら猛攻の繰り返しで真田勢は疲弊していて今一歩のところで家康を討ち取ることはできず、最終的には徳川勢の圧倒的な兵力が物を言った。社殿近くの「眞田幸村公之像」は片膝を立てて座っている。討ち取られる直前の姿であろう。やるべきことをすべてやりつくした清々しい表情に見えた。
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