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2015年7月13日 (月)

神経質礼賛 1165.葵の紋

 先週の講演会では来場者の方々から様々な質問をいただいた。中には変わった質問もあって、「徳川家の葵の紋は他では見かけないが、使われている例を知っていますか?」と聞かれた。私は知りませんと答え、同席していた八木洋行編集長も、図書館で調べられては、と答えていた。とはいえ、実際どうなのか気になる。知りたがりの神経質ゆえ、とりあえずネットで当たってみる。

家紋が作られるようになったのは平安時代からで、武士の間では戦闘の際、敵・味方がわかるようにという実用的な意味もあって鎌倉時代から普及したようである。あの有名な葵の紋は、元は京都の賀茂神社のものだという。それに関わる賀茂(鴨、加茂)氏が用いていた。徳川四天王の一人、本多忠勝の家では代々三つ葉葵を用いていたのを家康が召上げて使い始めたらしい。そして、忠勝に「三つ葉葵の紋は使わないように」と言ったところ、忠勝から「当家は神代より京の賀茂社に仕えており、この紋を使っている。殿こそ新田源氏の子孫を名乗られるのだから新田の紋を使われてはいかがか」と言い返されて家康はそれ以上言えず、本多家は葵の紋を使い続けた、などという話もあるようだ。明治時代になって家紋が自由に使えるようになっても、天皇家の菊の紋や徳川家の葵の紋を使うのは憚られた。だから、寺で葵の紋が入った庶民の墓は見かけないのだろう。

 今では紋付の和服を着ることは少なくなった。私は和服を一着も持っていない。旧来の「家」という概念が薄れ、墓や仏壇も家紋のないものに変わりつつあるから、いずれ家紋は庶民レベルでは消滅していくのではないだろうかと思う。

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コメント

「講演会の様子」を拝見しました。
先生のお顔を見るのは初めてかもしれません。
しかし、既にイメージが出来上がっていましたので
今回本物を拝みますと、カッコいいのであります

わたくしの脳内の四分先生イメージが、いつできたのか分かりませんが
中肉中背でメガネで、かなり禿げ上がった方として完成していました。

次は静岡テレビ→NHK教育→放送大学
→ラジオ深夜便でしょうか 

たらふく様

 コメントいただきありがとうございます。

 ブログの初期は自分の写真を掲載していましたが、2、3年位でやめたような気がします。年々前頭部が薄くなってきていまして、たらふく様のイメージ通りの姿になる日も近いかと思います(笑)。

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