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2015年8月31日 (月)

神経質礼賛 1180.一日活きれば一日の儲(もうけ)

 病院の図書室にあった水谷啓二著『慎重で大胆な生き方』(白揚社)を読んでみる。水谷さん自身の体験も交えて入院患者さんたちが森田正馬先生から受けた指導について書かれた書である。この本の終わりの方で、二宮尊徳翁夜話の言葉「人と生れ出でたるうへは、必ず死する物と覚悟する時は、一日活きれば一日の儲、一年生きれば一年の益なり」を引用し、苦しみも悲しみも失意もそのままにありながら、日々をありがたく感ずるのであり、すなわちこの世が極楽となるのである、と水谷さんは書いている。薪を背負いながら本を読んで勉強している二宮金次郎(正しくは金治郎)像を見たことのある方は多いと思う。当時の勉強の本と言えば四書(大学・中庸・論語・孟子)であり、中庸の中には森田先生が患者さんの指導に用いた「己の性(しょう)を尽くし、人の性を尽くし、物の性を尽くす」という言葉がある。二宮尊徳の生き方はまさにその通りであって、物を大切にして質素倹約に努め、農村開発に全力を尽くし、農民たちが力を発揮できるように指導していた。神経質者がその力を存分に発揮できるように尽力された森田先生の姿をそれに重ね合わせて見たのだろうと思う。病苦や一人息子や奥さんに先立たれて寂しい思いはありながらも、苦楽共存、水谷さんの言われるように森田先生は「この世の極楽」を生き尽されたとも言えよう。

 二宮尊徳翁夜話の中の言葉はさらに「故に本来我が身もなき物、我が家もなき物と覚悟すれば、跡は百事百般みな儲なり」と続いている。神経質人間は減点法で考えがちであり、「自分はダメだ」と思い込みやすい。それは森田先生の言われるように「生の欲望」が強い、欲張りのためである。ダメだと言いながらも、欲張ってあれもこれもとやっているのが神経質人間である。逆に何もないゼロから今度は加点法で見ていけば人並み以上なのである。神経質は大儲なのである。

2015年8月28日 (金)

神経質礼賛 1179.外壁塗装工事

 先週の初めから、わが家の外壁塗装工事が始まった。予定では新築後15年で再塗装のはずのところ、西日が強く当たる部分のコーキングが劣化していることもあって、1年早く塗装工事ということになった。できれば秋から冬にしたかったが、業者のスケジュールの関係でまだ暑いこの季節の施行になってしまった。

 工事は3週間に及ぶ。周囲に足場が組まれ、隣家に影響が少ないように細かい網状のシートが掛けられているから、圧迫感が強い。特に2週目の今週一杯は窓もシャッターも開けられないのでモグラ生活である。

 ついでにエアコンも全部取り換えることにした。先月の打ち合わせの際には住宅会社営業と塗装工事責任者に加えてエアコン工事の担当者も遅れて来て、設置個所やコンセントなどを確認していた。タバコ臭いオニイサンだった。いざ工事が始まってみると、すでに足場が組まれていて室外機を通せない、とか100Vコンセントを使うつもりの部屋に入れる機種が200V用だった、とかトラブルが頻出した。オニイサンは大慌てであちこちに電話をしまくって、妻の怒りメーターは振り切れたらしく、帰宅してきた私に怒りの矛先が向いた。とばっちりである。結局、工事の最初にエアコンを全部交換するはずが半分だけ交換して残りは塗装工事終了後になってしまった。神経質が足りないと実に困る。心配性や多少の確認癖はあった方がよい。

2015年8月24日 (月)

神経質礼賛 1178.朝顔や

 月に一回、土・日・月と3泊連続当直のパターンが発生する。院内に缶詰で一歩も外に出られない。もっとも最近はインターネットが使えるようになって便利になった。昔の研修医時代は携帯電話がなかったし、医局(医師室)からは外線電話が掛けられない病院も少なくなかったから、家族との連絡が不便だった。それを思えば雲泥の差である。

日曜日の日直当直では普段よりじっくり新聞を読む。昨日の読売新聞日曜版一面の名言巡礼は大きな朝顔の写真とともに「朝顔や釣瓶とられてもらひ水」という千代女の俳句があった。これを見て、オヤ、と思う。確か「朝顔に・・・」じゃなかったかなと。記事を読んでみると、千代女の地元・石川県白山市(旧・松任市)では直筆の掛け軸に準じて「朝顔や」なのだそうだ。広く流布している「に」だと前後の関係が明瞭になる反面、説明的になってしまう。切れ字の「や」ならば朝顔が鮮明に浮かび、句として整う、という説明があった。なるほど、たった一字の違いでずいぶん印象が異なってくるものである。つくづく俳句は神経質の仕事だなあと思う。千代女自身は最初「朝顔に」と詠み、後年になって「朝顔や」に詠み直したらしい。

朝顔というと小学生の頃、学校や家で植えたものである。だから夏休み・真夏のイメージが強いが、俳句の世界では秋の季語だ。病院の中庭には森田療法の患者さんたちが植えた朝顔が咲いている。そろそろ涼しい朝が期待できそうである。

2015年8月21日 (金)

神経質礼賛 1177.さつま汁の定義

 病院食の汁物として、普通の味噌汁や豚汁の他にけんちん汁、吉野汁、さつま汁が出ることがある。けんちん汁の発祥は鎌倉の建長寺と言われている。禅寺の精進料理であるから、肉は使わず、油揚げとコンニャクとニンジン・ゴボウ・ゴボウ・サトイモなど根菜類の澄まし汁である。実にヘルシーだ。もし玄米の御飯あるいは麦飯とけんちん汁を毎日食べ続けたらメタボ体型もすっかりスリムになることだろう。吉野汁は葛を加えてトロミを付けたもので、冬場は冷めにくくて良い。

 さて、さつま汁の定義はどうなのだろうか、と神経質ゆえ気になる。病院食ではサツマイモを含んだ根菜類の時と、さつま揚げと根菜類の時がある。調べてみると、元々は江戸時代の薩摩藩で士気を高めるため闘鶏を行っていたが、負けた鶏の肉を骨付きのままぶつ切りにしてダイコンとともに炒め、味噌や酒を加えて汁にして食べたのということだ。それが郷土料理となった。現代では鶏肉の代わりに豚肉も用いられている。さらに大根・ゴボウ・ネギ・サトイモなどを具としていて、必ずしもサツマイモを使わなければいけないわけではないようである。

 なお、薩摩ではなく伊予の国、愛媛県にも全く異なる郷土猟師「さつま汁」があるという。こちらはすりつぶした魚と味噌を炙ったものにコンニャクやキュウリを混ぜた汁で、温かい御飯にかけて食べるのだそうだ。全く「所変われば品変わる」である。

 いずれにせよ、地産池消の栄養満点の料理であることには違いない。今年の夏は例年以上に厳しい暑さが続いて、つい冷たい素麺や清涼飲料やビールに走りがちだった方も多いかと思う。夏バテ気味の体には、さつま汁で元気補給も良いのではないだろうか。

2015年8月17日 (月)

神経質礼賛 1176.神経質力士の誕生

 8月12日付読売新聞夕刊に大相撲の新十両昇進を決めた「一風変わった性格の」力士として元学生横綱だった正代(しょうだい)についての記事があった。とても緊張しやすい性格であり、記者会見の際に師匠の時津風親方からは「マイナス思考で、弱気」と言われて身を縮めていたという。最初は教師への道を目指すも教育実習で失敗、就職活動も挫折して、角界に入ったという変わり種だそうである。そうした話からは、どうやら神経質性格であろうと思われる。

 いろいろなスポーツの中で神経質性格が向いているのは卓球やテニスのようにネットを挟んだ競技、陸上ではマラソンなどの長距離走だろうと思う。一方、神経質が不向きと考えられるのは、直接人とぶつかり合って強く自己主張するサッカー、バスケットあたり。格闘技は概して苦手な分野だと思う。

 大相撲の世界は10年前、20年前とは雰囲気が変わってきている。皆がそうではないけれども、ボクシングのような張り手を連発して相手の顔を流血させるとか、すでに勝負がついてから「どうだ」とばかりさらに攻撃してダメージを与える、というモンゴル出身横綱の行動が目に付く。大相撲は、古代の見せ物・相手が死ぬまで戦う拳闘ではない。髷を結うのも武士道精神に恥じない相撲を取るためであり、ただ勝てばいいというものではなく品格が必要だ。そういう意味では、対戦相手や周囲に気を配る神経質な力士もいて良いのではないだろうか。現在は引退して親方になっている高見盛さんが小心な神経質性格の人であり、その気弱で控えめな発言、緊張しながら自分を奮い立たせる奇妙な儀式のために、かえって人気を博した。弱くて強いのが神経質である。正代さんも横綱や大関は無理としても、味のある力士として、ぜひ活躍して欲しいと思う。

2015年8月14日 (金)

神経質礼賛 1175.アイドリングストップ(2)

 以前にアイドリングストップについて書いたことがある(88話)。かれこれ10年近く前、路線バスが信号停止時にアイドリングストップをするようになった頃のことだ。子供たちと一緒に乗ったバスが信号で止まり、運転手さんが完全にエンジンを止めてしまったため、車内の運賃表示や次のバス停表示がリセットされてしまい、運転手さんが慌てていた場面を見て、記事に書いた。その後は運転手さんたちも慣れたのか、バスも改良されたのか、そのようなトラブルを見ることはなくなった。

 最近の自動車は燃費のデータを良くするために停車時に自動的にアイドリングストップするようになっている。先日買い替えた我が家の車も同様である。確かにアイドリングストップは燃費向上、排気ガス削減に効果があるだろう。その反面、バッテリーに大きな負担をかけるという問題点がある。市街地の生活道路は一方通行が多く、30mから50mごとに交差点で一時停止である。何度も何度も一時停止のたびにエンジンが止まり、ブレーキペダルから足を離すとイグニッション音とともにエンジン始動となる。普段、妻が実家に行くのと買物に使うだけでは走行距離が少なく、前の車は点検のたびに「もっと走らせないとバッテリーが痛みますよ」と言われていた。突然のバッテリー上がりで困ったことも一度あった。さらにアイドリングストップしていたのではバッテリー上がりのリスクも高まる。結局、解除ボタンを押してアイドリングストップを外す設定にして運転している。

 この時期、お盆休みに車で遠出している方も多いだろう。この暑さだからエアコンもフル回転だ。バッテリーもお疲れである。渋滞のため、アイドリングストップを繰り返していると、バッテリーが突然ダウンする心配がある。そうなったら一大事だ。ガソリンの残量に注意しながら、バッテリーの負担にも気を配って、楽しい旅にしていただきたいと思う。

2015年8月10日 (月)

神経質礼賛 1174.ラッピング電車

 新静岡⇔新清水間を走る地元・静岡鉄道の電車にラッピング車両がある。「コカコーラ」「午後の紅茶」などの商品や地元私大の宣伝以外に、期間限定で家康公400年祭宣伝用の全面黒塗りに金色の葵の紋が入った重厚な電車や劇団四季のミュージカル「美女と野獣」静岡公演宣伝の電車が走っている。先月末からはアニメ放映25周年を記念した「ちびまる子ちゃん」のラッピング電車が走り出した。ピンクとベージュのツートンカラー。正面に運転士の帽子をかぶった「ちびまる子ちゃん」が描かれ、側面にはクラスメートたちが描かれている。なかなか楽しい。静岡鉄道のホームページに、それらの期間限定ラッピング電車の運行ダイヤを公開していることを最近知った。

 ちなみに1年間の広告料は電車2両1編成全面ラッピングの場合500万円、ハーフラッピングで270万円、ドアのみで180万円なのだそうである。デザイン費も入れたら結構な金額になりそうだ。ラッピングの名前の通り、ペイントではなくフィルム貼りであるから、簡単に剥がしてまた付け替えられるようになっているらしい。

踏切で電車が通り過ぎるのを待つ時間は長く感じられるものだが、こういったラッピング電車が通って行くと電車のデザインに注意が行くためか待ち時間がそれほど気にならない、というメリットもある。注意が外に向いていれば「症状」が気にならなくなるのと同様である。

2015年8月 7日 (金)

神経質礼賛 1173.善行を積むと社交不安障害が改善?

 医療サイトの臨床ニュースに「善行を積む」と社交不安障害が改善する?という見出しの記事があって、気になって読んでみた。カナダのJennifer Trewという研究者が論文にしたもので、高度の社交不安を持つ大学生たちを被験者にして実験したところ、親切行為をした学生たちでは社会的交流を避けたいという気持ちが減少したという。善行は社会的不安の程度を低減することに役立ち、それにより社交を避けたいと思うことが少なくなる、と結論しているそうである。

 ほう、そうか、と感心される方もおられるだろう。しかしながら、これは森田療法の立場からすればごく当たり前のことなのである。DSM(米国精神医学会による診断基準)やICDWHOによる診断基準)で言うところの社交不安障害は神経症の対人恐怖にほぼ相当する。入院森田療法では、症状があろうがなかろうが、他の先輩患者さんたちを見習って作業・行動していくことが求められる。そんな中で物を大切に使う「物の性(しょう)を尽くす」や創意工夫して自分の能力を十分に発揮する「己の性を尽くす」ということを体得していく。さらには、後輩のお世話をする立場が回ってくる。周囲の人たちの能力が生かせるように気を配っていく「人の性を尽くす」が身に付いてくれば、自分にばかり向いていた注意が自然と外に向くようになって、精神交互作用という悪循環から脱却して、気が付けば症状はいつの間にか消退しているのである。善行を積むというのは「人の性を尽くす」に含まれる。森田療法の流れでは自然とそうなってくるところである。それに、善行を積むためには、嫌であっても人と接しなくてはならないから、行動療法で言うところの曝露療法になっているとも考えられる。

 善行しなければ、と難しく考えることはない。素直な気持ちで、「人に喜んでもらおう」という小さな行動の積み重ねで良い。そして自己中心的な善行にならないように気をつけよう。森田正馬先生いわく、

人に親切と思はれようとすれば 親切の押売りになり

人を悦ばせようとすれば 即ち親切となる

の通りである。

そして神経質人間・徳川家康の格言と伝えられる

最も多くの人を喜ばせたものが、

最も大きく栄える

もまた真であろう。

2015年8月 3日 (月)

神経質礼賛 1172.車の買い替え

 今年車検を通して12年目に突入したわが家の車。6月に突然エアコンが作動しなくなった。エアコンのスイッチを入れた時の「ウイーン」というコンプレッサーの作動音がしない。修理に出してみたら、原因を調べて見積を出すまで2-3日かかり、その費用だけで1万5千円かかるという。そのくらいが相場らしい。さらに大きな修理代がかかり、修理に時間がかかりそうである。昨年からそろそろ買い替えようかということも考えていたところなので、やはり見切り時である。車検を通したばかりではあるけれども修理はやめ、買い替えることにした。大勢で乗る機会も少ないので、3列シートにこだわらず、平凡なワゴンタイプにし、排気量も小さいものにすることにした。ダウンサイジングというわけだ。その車種で一番安いモデルとし、カーナビなし、付けたのはCDラジオだけである。衝突防止のレーダーブレーキシステムは試しに付けてみることにした。妻が実家との往復に使うのと、ホームセンターへの買い出しに使うだけだから、これで十分だ。神経質人間御用達の実用車である。地味な営業車に見えなくもない。注文してから1か月半の間、クーラーなしで我慢していた。このほどやっと納車となった。以前の車のナンバーが7979(泣く泣く)とか8786(やな野郎)だったことは書いている(444)。今度のナンバーは5359(ゴミ号泣)だった。旧実家のゴミ処理に苦労している現状にあったナンバーだと苦笑する。心配性の神経質なので、すぐに保険会社に連絡して車両入替の手続きをした。電話でのやり取りには20分ほどかかったが、これで一安心である。

同じ名前の車でもモデルチェンジするたびにサイズが大きくなっていく。買い替え客の心を掴もうという狙いだとうは思うけれども、狭い日本の道路には3ナンバー車は向いていない。逆にサイズを小さくするようなモデルチェンジがあってもいいはずだと思う。軽自動車人気もそうしたところにあるのだろう。「いつかはクラウンに」という高級車志向を煽るキャッチコピーは今の時代には似合わない。

2015年8月 1日 (土)

神経質礼賛 1171.ヒオウギ

 相変わらず休日は旧実家の片付けや草取りに追われている。自宅から歩いて往復するだけで1時間。厳しい暑さの中、脱水にならないように水を時々飲みながら、作業できるのは1時間が限度である。雑草の伸びも早いが、意外と困るのがミツバである。ほとんど野生化していて、あきれるほど大きくなって、庭のいたるところを占拠している。そんな中、細長い茎の先にかわいらしい赤色の花をつけている草がある。その根元には大きな剣状の葉が広げた扇のように並んでいる。仏壇に供えるように切って持って行ったら、母が言うにはヒオウギとのことである。

 ヒオウギはアヤメ科の植物である。宮中で女官たちが使う大きな檜扇の形に似ているためにその名前が付いたようである。京都では祇園祭の際に家々の軒先に厄除けとしてヒオウギを飾る風習があるのだそうだ。また、ヒオウギの黒い実は「ぬばたま」と呼ばれている。和歌の枕詞「ぬばたまの」(黒髪などの黒いものや夜に関連した言葉を引き出す)はそこからきている。そんな由緒ある花だとは知らなかった。こうなったらダメでもともと、移植してみようかと考える。

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