神経質礼賛 1200.犠牲心
森田正馬先生の医院では、入院治療を受けたことがある人や、雑誌「神経質」の読者が月に1回集まって森田先生を囲んでの座談会「形外会」が行われており、その様子は森田正馬全集第5巻に収録されている。時には、森田先生とともにピクニックに出かけたり、泊まりの旅行に行ったり、ということもあった。これは退院後のフォローアップという意味もあり、森田先生やお弟子さんたちや先輩患者さんたちの薫陶を受けて、一層神経質を実生活に生かしていくのに役立っていた。森田先生の直弟子、高良武久先生の高良興生院の「けやき会」、宇佐玄雄先生の三聖病院の「三省会」なども同じように機能していたと思われる。私の勤務先では現在は行われていないが、かつては初代院長・森田秀俊先生(森田正馬先生の養子で甥にあたる)が同様に「形外会」を行っていた。平成3年に発行された病院の30周年記念誌には、病院内で座談会をしたり、皆で肩を組んで合唱したり、近くの山へハイキングに行ったりしたりしている写真が残っているし、生活の発見会の創始者・水谷啓二さんが病院を訪問された時の写真も残っている。
そうした会を続けていくためには「縁の下の力持ち」である幹事役を務める人が欠かせない。幹事役はなかなか大変である。森田正馬先生の元で形外会の幹事を務めた山野井房一郎さん(660・661・662話)、水谷啓二さん、行方孝吉さん、井上常七さん、布留武郎さんといった方々は後輩たちが治るように努めるとともに、社会でも大活躍された。森田正馬先生は犠牲心ということについて次のように述べておられる。
既に治った人は、その喜びとともに、同病相憐れむの情から自分の症状を告白・発表して、他の人の参考にもし、同病を治したいという情が切になってくる。これがすなわち懺悔の情にもなれば、犠牲心ともなるのである。これと反対に、まだ治らない人も、自分で努めて懺悔し、犠牲心を出せば、これが治る機会となるのであります。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.124)
森田療法の自助グループ「生活の発見会」の会員数が減っていると聞く。会の幹事や世話役をされている方々の御苦労は多いと思うが、上記のように犠牲心を発揮しての活動は、神経質性格を陶冶することになる。犠牲心が人のためになり、さらには自分のためにもなるのである。自分が治りさえすればいい、症状が軽快したら会をやめる、という自己中心性が改まらなければ神経症は再発する。「人の性(しょう)を尽くす」ができるようになれば本物である。
いつの間にか1200話となりました。当ブログの開始は、平成18年(2006年)2月ですが、書き溜めた50話分を最初の2カ月間にまとめてアップしていますので、実質10年経過ということになります。「神経質は重い車」という森田先生の言葉の通り、スロースターターながら一旦動き出したら簡単には止まらないのが神経質であります。地味で面白味に欠けるきらいはありますが、「神経質の神経質による神経質のためのブログ」としてこれからも細々と続けさせていただきます。
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