神経質礼賛 1196.鉄の肺
地元の市立病院でかつて使われていた「鉄の肺」と呼ばれる人工呼吸器を展示しているという話がローカルニュースで紹介されていたので、それを見てきた。この機械は長さ2mほどの円筒形で、患者さんは頭だけ出してすっぽり入る。モーターが回ると足側の部分が出たり引っ込んだりして、内部が陰圧になったり平圧(大気圧)になったりして、それによって肺を伸縮させて呼吸ができるようにするというものだ。大がかりな機械なので、全国の大きな病院に100台ほどしかなかったそうである。呼吸器の病気のため40年近くこの機械に入って生活していた女性もいたという。現在の人工呼吸器と違って、話ができ、食事もできるので、その女性は家族やボランティアの人たちと一緒に歌ったり、短歌を作ったりしていたそうだ。とはいえ、ずっと鉄の箱に閉じ込められているようなものだから体の自由は利かず、清拭してもらうのも大変だろうし、排尿・排便もままならなかったろう。
アメリカではさらに長い61年間をこれと同じ人工呼吸器の中で過ごしたマーサ・メイソン(1937-2009)という人がいて、展示場にはそのビデオが流れていた。マーサは11歳の時にポリオにかかって呼吸不全に陥り、鉄の肺のおかげで何とか生き続けることができた。地元新聞社の記事を書き、作家としても活動していたという。厳しい状況下、鉄の肺の中で一生を「生き尽くした」と言えるだろう。
その話を知って、森田正馬先生が患者さんたちに正岡子規の話を引き合いに出して、運命を切り開き、生き尽くすことについて話されていたことを思い起こした。
我々はただ運命を切り開いていくべきである。正岡子規は、肺結核と脊椎カリエスで、永い年数、仰臥のままであった。そして運命に堪え忍ばずに、貧乏と苦痛に泣いた。苦痛の激しい時は、泣き叫びながら、それでも、歌や俳句や、随筆を書かずにはいられなかった。その病中に書かれたものは、随分の大部であり、それが生活の資にもなった。子規は不幸のどん底にありながら、運命を堪え忍ばずに、実に運命を切り開いていったという事は、できないであろうか。これが安心立命であるまいか。(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.261)
私たちにもいつかは病苦がやってくる。日本では二人に一人はガンになるとも言われている。しかしながら、そんな状況になっても、できることはある。そして、人の役に立ったり人を悦ばせたりすることもできるはずだ。
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子規というと健啖家であったことが有名です。
教科書に出ていた次の句をよく思い出します。
「鶏頭の十四五本もありぬべし」。
病の床にある子規は起きて庭の鶏頭を眺めることもできないで、ただ赤々と力強いのが
14,5本も育っておるだろうと想像しているのだな、と読めまして、
わたくしはこの句が大好きです。
ところがこの句の評価は割れていて長く論争にもなったようです。
子規は自らの境遇の中で生ききりましたね
投稿: たらふく | 2015年10月16日 (金) 22時42分
たらふく様
コメントいただきありがとうございます。
健啖家という点も強い「生の欲望」と関係ありそうですね。御紹介いただいた句は、身動きの取れない病床の中で生き抜いた子規の渾身の句だと思います。
投稿: 四分休符 | 2015年10月17日 (土) 18時50分