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2015年11月30日 (月)

神経質礼賛 1210.迷いの心

 神経症の患者さんの中には症状について長々と書いたものを持ってくる人がいる。そのエネルギーたるや凄まじいもので、それを仕事に充てれば随分のことができるはずであり、しかも注意が外に向けば症状も軽減すること請け合いである。

 森田正馬先生のもとに、便箋38枚に細かい字で書かれた手紙を送ってきた人がいた。頭内朦朧感・頭痛・疲労感・不眠・心悸亢進・疾病恐怖などを長々と訴えていた。それに対して森田先生は次のように返事を書かれている。


 
 正しい理解は、病にかゝりはせぬかといふ心配は、其の病にかゝりたるよりは、非常の幸福であるといふ事です。迷ひの内にあるものは、こんな平凡な事が分らず、其心配が、皆無になつてしまへば、もっとよい。いやサラリと心配が無くなつてしまはまければならぬといふ風に、無理な強情をはるのである。若しこの「本当の病よりは、心配の内が安全である」といふ事に氣がつけば、それが小生の「自然に服従し、境遇に柔順なれ」といふ事の初めで、其病の治る端緒となるのであります。(白揚社:森田正馬全集第4巻 p.545


 
 そして、入院治療を受けるか、あるいは家庭の幸福のために自身を犠牲にして職業にいそしむのが、解決法である、としておられる。森田先生は、大久保彦左衛門著『三河物語』の冒頭にある「迷いの中の是非は是非とも非なり 夢の中の有無は有無とも無なり」という言葉(白揚社 森田正馬全集第6巻p.48)を患者さんの指導に使われた。夢については260話に書いた通りである。迷い・・・強迫観念のため頭の中が無限ループに陥っていてはフリーズ状態と同じである。そこから脱却するには、理屈は置いておいて、手足を動かして仕事をすることである。それは森田先生の言われるように一挙両得ということになる。

2015年11月27日 (金)

神経質礼賛 1209.捲土重来

 今週は遠州(静岡県西部地区)の人々を大いに喜ばせるニュースが二つあった。一つはサッカーJ2ジュビロ磐田のJ1自動昇格が決まったことである。かつては日本代表の中山選手や名波選手に代表されるスター選手たちを揃え、Jリーグ開始当初より、県内のライバル・清水エスパルスとともに優勝争いに常にからんでいた名門ジュビロだったが、有力選手たちが抜け、世代交代もうまくいかないまま成績が低迷し、ついに一昨年J2に降格してしまっていた。J1復帰を目指した昨シーズンはプレーオフで敗れて復帰は実現しなかった。今季の最終戦ではきわどいながら、最後は選手やファンたちの強い思いが勝ちにつながり、J1復帰を決めた。その一方で清水エスパルスはJ2に陥落した。実業団チームではないから、経済的な困難もある。何とか捲土重来、再びJ1に復帰してジュビロと競い合って欲しいと思う。

 もう一つの話題は浜松市で行われた2015ゆるキャラグランプリで地元の「出世大名家康くん」が優勝したことである。一昨年の2013グランプリでは市役所が中心になって大量の組織票を重ねて優位に立ったものの逆転されて2位に甘んじ、家康くんはチョンマゲを切って出家してしまった。今年は組織的なネット投票に加えて、地の利を生かし、中学生などを大量動員して会場票を確保して逆転優勝を決めた。ネット上には「キャラクターがかわいくない」とか「大手広告代理店を利用するのはけしからん」というような批判も流れているけれども、関ヶ原の戦を情報収集力と調略によって勝ち抜いた本物の家康公と同様で、まあこれもありかな、とも思う。


 
 誰でも負ける時はある。勝敗にこだわる神経質人間は負けるとひどくしょげて凹んでしまう。神経質な家康公も三方原の戦で武田軍に大敗を喫し、家臣たちが次々に身代わりとなってくれたおかげで命からがら浜松城に逃げ帰った。恐怖のあまり馬上で脱糞していて兄貴的存在の酒井忠次に笑われ、これは味噌だと言い訳したと言われる。以来、これがトラウマとなって、寝ていても、うなされることが多かったという。普通ならば早く忘れようとするところだが、あえて家康公はみじめな自分の姿を描かせた「しかみ像」を座右に置いて、たとえ勝っても慢心せず、常に反省して次の布石を打つ、ということを繰り返してついには天下を取ったのだ。地道に努力を積み重ねるのが神経質の本分である。

2015年11月23日 (月)

神経質礼賛 1208.強迫行為への対応

 1119日付毎日新聞夕刊第3面「どうすれば安全安心」というページに「生活に支障来す強迫症 家族と共に心理教育を」という見出しの記事が掲載されていた。その中では家族や周囲の人の対応についても書かれていて、ここまで踏み込んだ新聞記事は珍しい。強迫性障害(強迫神経症・強迫症)には強迫観念と強迫行為の症状がある。汚れが異常に気になったり、縁起にこだわり過ぎたり、ミスを犯しているのではないかと心配し過ぎたり、といった強迫観念のうちはまだしも、長時間儀式的に手を洗ったり、縁起が悪いと決めつけて必要な行動を回避したり、何度も何度も確認してしまったり、といった強迫行為をやり始めると、例えば1回の確認が5回、10回と増えて症状が進行する。さらには家族や周囲の人が本人の求めに応じて強迫行為を代行してあげてしまう「巻き込み型」になってくると極めて重篤化してしまうのである。これはイネーブラー(1112話)に書いた通りである。ヘトヘトになるまで家族が身を粉にして本人の強迫行為をお手伝いして、さらに症状を悪化させてしまうのだ。本人のためだと思い込んで一生懸命にやっているのだが、逆に本人のためにならないことをしているわけだ。実際、そうした人が外来に通院してくる。重症のためひきこもりというケースも少なくない。そのからくりを説明して、本人の強迫行為に手を貸さない、できることは自分でやってもらう、なるべく家事をやってもらうようにする、といったアドバイスを家族にしている。今回の新聞記事には大きく、「本人に代わり」逆効果・できたことをほめる、と見出しが入っているが、まさにその通りである。

私自身、若い頃は対人恐怖や強迫観念に悩んでいた。そして、今でもいくらかの強迫行為はある。家を出る時には、ポケットを探って定期券・家の鍵・職場の鍵・財布の存在を一度確認する。ドアを閉めてからオートロックがかかっているかどうか一度確認する。たまに心配になって数メートル進んでから一度だけ再確認することはある。すべて23秒で済むことなので生活には全く支障ないし、ミスを防ぐ上で役に立っている。確認はしても一回に留めることが大切である。二度三度確認しても意味がないし、確認回数がどんどん増えてしまう。確認したいという気分はそのままに、後ろ髪をひかれる思いを持ちながらも、目的本位に前へ前へと進んでいくことが大切なのである。不潔恐怖の人の手洗いも同様で、510分洗ったところで意味はない。手が荒れて水の無駄遣いになるだけだ。健康人は5秒か10秒で洗っているのだから、よほどひどい汚れの時はともかく、普段は健康人と同じ時間で済ませるガマンが必要である。森田正馬先生は強迫行為をする人を「意志薄弱者」として治療対象外としながらも本人に治療意欲がある場合には治していた。森田療法で使われる言葉「健康人らしくすれば健康になれる」は強迫行為にも当てはまるのである。

2015年11月20日 (金)

神経質礼賛 1207.半不問

 80歳の女性が、月1回、リュックサックを背負い片手に杖を持って、電車とバスを乗り継いで片道1時間半以上かけて通院して来られる。結婚せず長年工員をされ、定年過ぎても嘱託で働いていたが、年金をもらっているし貯金も十分あるから悠々自適の生活をしようと仕事を辞めてから、種々の身体症状に悩まされるようになった。大きな病院のいろいろな診療科にかかり、あれこれ検査してもらったが特に異常はなく、自宅近くのかかりつけの内科の先生からの紹介で私の外来に通い始めたのだった。一回の診察時間は10分程度である。森田療法のことは一言も言わないけれども、症状はあまり大きく取り上げない「半不問」の対応だから、いつしか話題は彼女の日常生活の出来事が中心になっている。知らない人が診察に立ち会ったら、一見、雑談ばかりでどこが治療なのだ、と疑問に思うことだろう。一応、少量の抗不安薬は処方していて、かかりつけの内科の先生のところで出してもらえる内容であるから、わざわざ大変な思いをして交通費をかけて通院して来なくてもよさそうなのだが、「ここへ来るのが旅行みたいで楽しい」と言って通院し始めてかれこれ5年になる。診察室を出ると横の処置室で体重計に乗り、血圧を測り、看護師さんとおしゃべりして帰っていく。

 これが私の神経症の方に対する外来での対応の一例である。最初のうちは症状を聞いているが、「そうですねえ、まあ、こんなものと思ってやっていくしか仕方ないかもしれませんね」と言って、症状よりも日常生活での工夫に焦点を当てていく。そして注意を自分の心身よりも外部に向けていくようにアドバイスしている。最初から森田療法を希望して来られる方の場合は別として、大上段に森田理論を振りかざすことはせずに、患者さんに応じて半不問から不問の対応をしている。時に見込みのある人には少々きびしい言い方もするし、外来で日記指導している人もいる。森田正馬先生は「人を見て法を説け」とよく言われていたが、そのサジ加減が大切であり、そしてなかなか難しい。

2015年11月16日 (月)

神経質礼賛 1206.河井寛次郎記念館

 今回、京都へ行った際に歴史関連とは別に見たいと思っていたのが河井寛次郎記念館である。京都国立博物館を見終わったのが11時過ぎだった。東大路を北に向かって歩く。だんだん北風が出てきた。観光シーズンのため、ネットで調べてあったレストランはいずれも外に行列ができていたり予約で一杯だったり。朝から歩き続けだったから電池切れ気味である。渋谷通に入って西に向かい河井寛次郎記念館の方に曲がる手前に喫茶店があったので入る。市川屋珈琲という名前のこの店は3日前に開店したばかりとのことだった。カフェオレで体を温め、ベーコンと壬生菜のサンドイッチがとてもおいしかった。内装も京町屋の情緒が残っていて良い雰囲気だった。

河井寛次郎記念館を通りから見ると地味な京町屋の風情で入口の戸も閉まっているから、入るのにちょっぴり躊躇する。中の作りは寛次郎自身が日本各地の民家を参考にして設計したということだ。外国人観光客が多いのには驚く。自身がデザインした面白い形のベンチや椅子があって、座るとお尻がすっぽりはまる。二階に上がって上段の間に飾ってあった木彫像に目が行った。お多福顔の母親が同じ顔の娘を抱っこしている像である。ほのぼの感が伝わってきて見るものをシアワセにしてくれる。猫好きの人ならばテーブルの中央にちょこんと座った猫の像に惹かれることだろう。一階に下りて中庭に沿って陳列室・茶室・素焼窯が並ぶ。私は陶芸はよくわからないが、遊び心があって面白い作品が多いように感じた。その奥には陶房があり、一番奥には巨大な登り窯があった。とてつもない広さである。

寛次郎は有名な陶芸家、ということしか知らなかったが、実に多才な人だった。東京高等工業学校(現在の東工大)で学んだ時代のノートも展示されていて、理系の素養も相当あった人だ。窯業を科学的にも研究していたという。彫刻、デザイン、書、詩、随筆など幅広い分野の仕事をしている。また、含蓄に富む言葉も多く残している。その中で「手考足思」は頭でっかちに陥りがちな神経質人間にはピッタリの言葉のように思う。また、「暮らしが仕事 仕事が暮らし」は森田正馬先生が患者さんたちに指導した仕事三昧の日常生活を示しているようにも思えてくる。

2015年11月15日 (日)

神経質礼賛 1205.琳派展

 週末、京都へ日帰りで行ってきた。全くの観光目的で出かけるのは3年前に奈良(845846)へ行って以来である。一番の目的は京都国立博物館で開催されている「琳派 京を彩る」という展覧会である。そして近くの秀吉・家康関連の寺社を回ろうという神経質らしい欲張った計画だった。

いつもの通勤よりも20分早く家を出て新幹線に乗り、8時前には京都駅に着いた。博物館の開館は9時半なので、その前に、まず豊国神社と方広寺境内を散策する。豊国神社の立派な国宝の唐門を見てから方広寺の敷地に入るとすぐに例の鐘があった。大坂の陣の発火点となった鐘である。鐘突き棒が当たる部分の左上の方に、「国家安康」「君臣豊楽」の文字がある。よく歴史書や歴史の教科書で写真を見ると、その部分を強調した白文字になっていて周囲を白線で囲ってあるが、まさか現物がそうなっていたとは知らなかった。その後は、淀殿が父・浅井長政の供養のために建立し、後に秀忠・お江夫妻が再建した養源院に入る。9時に一番乗りである。本格的な紅葉にはちょっと早かったが境内の楓が美しい。入口を飾る俵屋宗達筆の唐獅子の杉戸絵は琳派展に出展されていてレプリカながら照明を消してほのかな外光で見ると、参拝した当時の大名の気分である。その裏側には麒麟が描かれている。奥の同じく宗達筆の白象図が歓迎の挨拶をしてくれる感じだ。見上げれば、関ヶ原の戦の直前に伏見城をわずかな将兵で守り石田三成の大軍に攻められて自刃した鳥居元忠らの霊を弔うための血天井がある。お寺の人が長い棒で「ここが元忠公の頭、足の跡」と解説してくれた。片足が曲がっているのは鉄砲傷で片足が不自由だったからだという。お市の方から娘の淀殿さらにお江に伝えられた品もあって戦国から江戸初期の歴史を肌で感じた。

国立博物館には開館時刻を少し過ぎて入る。ほとんど待たずに入れたが、開館前から並んでいた人たちがすでに入っていたので、会場は混んでいた。本阿弥光悦・俵屋宗達・尾形光琳・尾形乾山らの名品が並ぶ。先刻養源院でレプリカを見た唐獅子杉戸絵の本物もある。最大の見物は宗達筆の国宝・風神雷神屏風、同じテーマの重文・光琳筆、江戸琳派の酒井抱一筆の屏風を一室に集めて展示したところだった。微妙な違いにそれぞれの個性が出ていて面白い。3人の間に直接の師弟関係はなく、年代も100年ほどずつズレているが、作品に共感してそれから学び取り、自分の個性を加えていったのである。

この日の午後は二年坂・三年坂を通って秀吉の妻・ねね(おね)が晩年を過ごした圓徳院を訪ねた。ねねは道を隔てた高台寺に通い、秀吉を供養し、豊臣家の行く末を見守ったという。ねねは秀吉の養子となった武将たちの世話をよくしていて大きな影響を与えた。徳川二代将軍秀忠もそのうちの一人だった。彼女は陰で日本史を動かした偉大な女性だったとも言えよう。彼女が日常眺めて過ごしたという圓徳院の庭は紅葉が始まったところで美しかった。圓徳院の拝観出口は入口とは反対側にある。ちょっと方向がわからなくなってウロウロしてしまったがそれもまた楽しかった。八坂の塔近くの「文の助茶屋」本店で白玉ぜんざいを食べて一休みした後、歩いて京都駅へと向かった。

2015年11月13日 (金)

神経質礼賛 1204.ペットに要注意の食品

 私たちの周りには甘味料としてキシリトールを使った食品がある。虫歯予防のガムなどの菓子、低カロリーを売り物にした飲料などである。私もキシリトール入りのガムやのど飴を時々買っている。キシリトールはもともと北欧の白樺から抽出された天然甘味料だった。口の中に入れると独特のヒンヤリ感がある。私たちが摂取した場合には、血糖値が急に上昇したり、それに反応してインスリンが急上昇したりすることはない。多量に摂取すると便が緩くなるが、大きな問題は起きない。

 ところが、最近、キシリトールが入った食品を摂取したイヌが死亡する事故がアメリカで次々と報告され、ニュースで話題になっている。イヌがキシリトールを摂取するとインスリンが多量に分泌されてしまうのだそうで、そうなると、一過性には低血糖をきたす恐れがあり、長期的には肝障害をきたす恐れもあるという。

 また、イヌ・ネコ・ウサギに与えない方がよい食品に、タマネギ・ニンニク・ニラなどのネギ科の野菜がある。いわゆるタマネギ中毒では含まれる成分のために溶血性貧血を起こし、ひどければカリウムが上昇して死に至ることもあるという。他にも多くの動物によくない食品としてチョコレートがある。ヒトと異なり、チョコレートに含まれるテオブロミンという成分を代謝できないため中毒が起きるそうである。

 人間とペットの距離が縮まり、人間と同じ物を与えたいということもあろうが、ヒトと他の動物には違いがある。何でも与えてよいというわけにはいかない。室内で飼っているペットが放置しておいたキシリトール入りの菓子や飲料、あるいはチョコレートを誤食することもあり得る。ペットを飼っている人はもちろん、ペットのいるお宅を訪問する時には、ちょっと注意した方がよいだろう。

2015年11月 9日 (月)

神経質礼賛 1203.応援歌

 一昨日は高校の同窓会総会というものに参加してみた。同窓生が年1回集まる会だから、いろいろな年代の人が集まる。毎年56歳(かつてサラリーマンは55歳定年だったため)にあたる代の同窓生が幹事役、さらにその1年下の代が副幹事役を務めることになっている。私は3年前に初めて参加。幹事役にあたる2年前は勤務のため出られなかった。まず、幹事役の学年の著名な同窓生の講演会がある。今年はタンパク質の研究をしている京大教授の女性だった。これを聞く席を確保するためには、その前の定時総会から座っている必要がある。神経質ゆえ早目に座る。周囲はどう見ても、60代・70代位の方々が多い。事業計画・決算・来年度予算などの案件を拍手で承認した後、部活動で活躍した現役高校生たちの表彰があった。ドラフトで選ばれ、来年プロ野球選手となる子もいた。講演内容は筋線維の分子レベルの働きを調べた研究内容をアニメーション動画も交えてわかりやすく説明したものだったが、アクチンやミオシンの話では生物系出身者でないとちょっとキビシイものがあり、隣に座っていた巨体の70歳前後の男性がコックリコックリ始めてそのうちこちらに倒れ掛かってきた。こうした基礎研究は地味だけれども、いずれ医学や薬学に応用されるものである。講演の後は巨大な会場に移動し、懇親会だった。大体卒業期別に丸テーブル周りの席に座る。同期の人たちとビールを片手に談話する。最後は応援歌と逍遥歌を皆で肩を組んで歌う。そして〆は校歌である。卒業して長い年月が経ってみると、学生の頃は何気なく歌っていた学校の応援歌や校歌は、いつしか自分たちを励ましてくれるありがたい存在に変わっている。先日参加してみた最初に卒業した大学のホームカミングデーの時にもやはり応援団に合わせて会場の皆で応援歌や校歌を歌ってとても感慨深かった。


 
 森田正馬先生が色紙などに残されたいわゆる「森田の言葉」も神経質人間にとっては応援歌である。行き詰った時、迷った時、ピンチの時には、つらくても行動するよう背中を押して応援してくれるありがたい存在である。そして、ピンチがチャンスに変わるのだ。

2015年11月 6日 (金)

神経質礼賛 1202.ミカンとβ-クリプトキサンチン

 毎朝通勤の時に横を通る華陽院というお寺の塀を超えて道路側に延びた枝に小さなミカンがたくさん生っていた。これは徳川家康が66歳の時に生まれた最後の子供、五女にあたる市姫が眠る墓の近くに植えられた木である。実は小粒で、おそらく駿府城公園にある「家康公お手植え蜜柑」(1086話)と同じ品種と思われる。先週、橙色に色づいてきたので、そろそろカメラに収めようと思っていたら、時すでに遅し。今週になってお寺の人が収穫したらしく、道路側に延びた枝も刈り取ってあった。(今の写真は3週間ほど前の状態です)

 スーパーで売られているミカンが安くなってきた。皮に少し緑が残っていて、ほどよく酸味が効いた今時分のミカンが私は好きである。三ケ日ミカンの「わせ」の出荷が始まったというニュースが流れていた。生鮮食品では初めての機能性表示食品なのだそうだ。三ケ日ミカンは温州(うんしゅう)ミカンという品種であり、温州ミカンはカロテノイド色素の一種であるβ-クリプトキサンチンという成分を多く含んでいて、閉経後女性の骨粗鬆症予防に効果があることが疫学研究で証明されている。この成分には、糖尿病の進行抑制、免疫力強化(発がん抑制)、美肌効果などもあると言われている。おいしく健康になれる食品は大いに結構である。三ケ日ミカンに限らず、他の産地の温州ミカンでも同様と考えてよいだろう。

 もっとも、β-クリプトキサンチンは卵黄、リンゴ、バターなどにも多く含まれているのだそうだから、ムキになって温州ミカンばかり食べる必要はないし、実よりも多くβ-クリプトキサンチンを含んでいるという皮まで食べなくてもいいだろう。結局はバランスよくいろいろな食品を摂って、さらに、その季節の旬のものをいただくのが健康によいのである。折しも食欲の秋。食にも知にも貪欲でありたい。ちなみに森田正馬先生の色紙に次のようなものがある。


常に何かと食ひたいと思ふ人は健康な人であり

常に何かと知りたがり疑ひ考へ工夫する人は

精神優秀なる人なり          正馬

2015年11月 2日 (月)

神経質礼賛 1201.父親の存在感

 1029日付毎日新聞夕刊2面特集ワイドの「オヤジの悲哀よ 薄れゆく存在感」と題する記事に目が行った。かつては映画やドラマや漫画のストーリーのテーマに取り上げられた「父親の悲哀」が見られなくなり、父親の存在感自体が希薄化しているという。アニメ「巨人の星」に出てくる星一徹のように、大きな壁の如く息子の前に立ちはだかってそれを乗り越えることを要求するような父親は、現代ではまずありえない。記事では、「昔のオヤジは多少理不尽でも稼いでくるから大事にされたけど、今は母子が仲良くなって疎外されるだけ。また、当のオヤジ自身がオヤジ化を嫌っているので存在感はなくなるばかり」と分析している。

 そういえば、携帯電話S社のTVコマーシャルでは「お父さん」だけが犬になってしまっている。何か吠えても家族からは相手にされない存在である。女性の社会進出が叫ばれている一方で、オトウサンたちは社会でも肩身が狭くなり、家にも居場所がない、という状態になりつつあるのだろうか。


 森田療法の治療者は父親的な存在だとよく言われる。かつての森田医院では、森田正馬先生が父親、奥さんの久
亥さんが母親、そして入院者は子供たち、という家族的な雰囲気だった。森田先生は患者さんたちにとって厳父そして慈父でもあった。そして久亥さんがそれを支えた。子供が父親の背中を見て育つように、森田家の家庭生活の中で患者さんたちは森田先生の日常生活を見よう見まねで実行していき治っていった。そういう家族的な関係に最も近かったのは生活の発見会の創始者・水谷啓二さんの啓心寮だろうと思う。水谷さんは東大生の時に強迫観念などに悩んで森田先生の治療を受け、その後も形外会の幹事を務め、森田先生の薫陶を受け続けた。ジャーナリストとして活躍された後、自宅を開放して啓心寮として寮生たちの指導を行っておられた。鈴木知準先生の「打ち込み的助言」もまた、厳しくも温かい父親像を思い描かせる。私が師事した大原健士郎も医局員たちに「俺たちは家族」と言い、森田療法を受ける患者さんたちにとっても父親的な存在だった。それに比べると、現代の森田療法家たちは概してソフトでスマートであり、父親的な存在感は乏しい。森田療法の適応となりにくい・生の欲望の乏しい不純型神経質が増えていると言うが、治療者自身も不純型になっているのではないか、という指摘もある。


 かく言う私自身、父親的な存在感は乏しい。ただ、患者さんたちと同じように神経症の症状に悩んだ経験を持つ、兄貴・先輩的な存在になれれば、とは思っている。

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