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2015年11月20日 (金)

神経質礼賛 1207.半不問

 80歳の女性が、月1回、リュックサックを背負い片手に杖を持って、電車とバスを乗り継いで片道1時間半以上かけて通院して来られる。結婚せず長年工員をされ、定年過ぎても嘱託で働いていたが、年金をもらっているし貯金も十分あるから悠々自適の生活をしようと仕事を辞めてから、種々の身体症状に悩まされるようになった。大きな病院のいろいろな診療科にかかり、あれこれ検査してもらったが特に異常はなく、自宅近くのかかりつけの内科の先生からの紹介で私の外来に通い始めたのだった。一回の診察時間は10分程度である。森田療法のことは一言も言わないけれども、症状はあまり大きく取り上げない「半不問」の対応だから、いつしか話題は彼女の日常生活の出来事が中心になっている。知らない人が診察に立ち会ったら、一見、雑談ばかりでどこが治療なのだ、と疑問に思うことだろう。一応、少量の抗不安薬は処方していて、かかりつけの内科の先生のところで出してもらえる内容であるから、わざわざ大変な思いをして交通費をかけて通院して来なくてもよさそうなのだが、「ここへ来るのが旅行みたいで楽しい」と言って通院し始めてかれこれ5年になる。診察室を出ると横の処置室で体重計に乗り、血圧を測り、看護師さんとおしゃべりして帰っていく。

 これが私の神経症の方に対する外来での対応の一例である。最初のうちは症状を聞いているが、「そうですねえ、まあ、こんなものと思ってやっていくしか仕方ないかもしれませんね」と言って、症状よりも日常生活での工夫に焦点を当てていく。そして注意を自分の心身よりも外部に向けていくようにアドバイスしている。最初から森田療法を希望して来られる方の場合は別として、大上段に森田理論を振りかざすことはせずに、患者さんに応じて半不問から不問の対応をしている。時に見込みのある人には少々きびしい言い方もするし、外来で日記指導している人もいる。森田正馬先生は「人を見て法を説け」とよく言われていたが、そのサジ加減が大切であり、そしてなかなか難しい。

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コメント

一般に尊敬される立場であられるドクター、
とくに精神科の先生は気持ちのいい、人間的に "出来た方" であって欲しいですね。
私が唯一知ってる、いまは人が変わったようですがD医大のはひどかったですよ
 そのご婦人が月1の診察を楽しみにされているのは、
先生と看護師さんたちの気持ちのよい対応の賜物ですよ。
 不快事やムカつかせる人間が日々更新される世の中で、勉強に逃避することにしました
 

たらふく様

 コメントいただきありがとうございます。

 「気持ちのいい出来た人間」は理想ながら、私は到底そこまでは行きつきません。そう自覚しているだけ、まだマシかなあ、などと都合の良いことを考えたりします(笑)。
 「不快事やムカつかせる人間が日々更新される」は私も同じです。何とも仕方ありません。勉強に「逃避する」のではなく、それは「生の欲望」に沿った、目的本位の立派な行動であります。

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