神経質礼賛 1201.父親の存在感
10月29日付毎日新聞夕刊2面特集ワイドの「オヤジの悲哀よ 薄れゆく存在感」と題する記事に目が行った。かつては映画やドラマや漫画のストーリーのテーマに取り上げられた「父親の悲哀」が見られなくなり、父親の存在感自体が希薄化しているという。アニメ「巨人の星」に出てくる星一徹のように、大きな壁の如く息子の前に立ちはだかってそれを乗り越えることを要求するような父親は、現代ではまずありえない。記事では、「昔のオヤジは多少理不尽でも稼いでくるから大事にされたけど、今は母子が仲良くなって疎外されるだけ。また、当のオヤジ自身がオヤジ化を嫌っているので存在感はなくなるばかり」と分析している。
そういえば、携帯電話S社のTVコマーシャルでは「お父さん」だけが犬になってしまっている。何か吠えても家族からは相手にされない存在である。女性の社会進出が叫ばれている一方で、オトウサンたちは社会でも肩身が狭くなり、家にも居場所がない、という状態になりつつあるのだろうか。
森田療法の治療者は父親的な存在だとよく言われる。かつての森田医院では、森田正馬先生が父親、奥さんの久亥さんが母親、そして入院者は子供たち、という家族的な雰囲気だった。森田先生は患者さんたちにとって厳父そして慈父でもあった。そして久亥さんがそれを支えた。子供が父親の背中を見て育つように、森田家の家庭生活の中で患者さんたちは森田先生の日常生活を見よう見まねで実行していき治っていった。そういう家族的な関係に最も近かったのは生活の発見会の創始者・水谷啓二さんの啓心寮だろうと思う。水谷さんは東大生の時に強迫観念などに悩んで森田先生の治療を受け、その後も形外会の幹事を務め、森田先生の薫陶を受け続けた。ジャーナリストとして活躍された後、自宅を開放して啓心寮として寮生たちの指導を行っておられた。鈴木知準先生の「打ち込み的助言」もまた、厳しくも温かい父親像を思い描かせる。私が師事した大原健士郎も医局員たちに「俺たちは家族」と言い、森田療法を受ける患者さんたちにとっても父親的な存在だった。それに比べると、現代の森田療法家たちは概してソフトでスマートであり、父親的な存在感は乏しい。森田療法の適応となりにくい・生の欲望の乏しい不純型神経質が増えていると言うが、治療者自身も不純型になっているのではないか、という指摘もある。
かく言う私自身、父親的な存在感は乏しい。ただ、患者さんたちと同じように神経症の症状に悩んだ経験を持つ、兄貴・先輩的な存在になれれば、とは思っている。
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