神経質礼賛 1220.神経質性格の陶冶(とうや)
生活の発見誌2015年10月号に1973年(昭和48年)の記事が再掲されていた。とても良い記事なので、生活の発見会会員の方、あるいは(私もその一人だが)発見会協力医に見せてもらうとよいと思う。高良武久先生の講演を元にした「神経質の性格の陶冶」と題するものである。高良先生はまず御自身を「患者」として青少年期に悩んだ「症状」について述べておられる。九大を卒業して医師になってからも学会発表や学生への講義が苦しかったそうである。九大精神科主任教授の下田光造先生がいち早く森田療法を高く評価して自らも森田療法を行っていた御縁で、森田先生を紹介してもらい、東京に移って直接森田先生に師事することとなった。やがて森田先生の後継者として慈恵医大精神神経科教授となり、自らも森田療法専門の高良興生院を創設された。高良先生は、完全欲が強く非常に気が小さかったので、若い頃は「自分ほどつまらない人間はない」と悩んでいたが、やがて「気が小さいことは自分にとってありがたいことだ」「細心でなければいい仕事はできない」と思うようになったそうである。人間の生活には不安や苦痛はつきものであり、どうにもしようがない。だから事実を「あるがまま」に認めて、向上発展の欲望に乗って不安や苦痛はあっても努力していくしかない。それが神経質性格を陶冶(とうや:陶器を造るように、人間の持って生まれた性質を円満完全に発達させること)していくことになる、と述べておられる。
私が師事した大原健士郎教授は高良先生の弟子にあたる。大原先生は森田先生の性格について高良先生にお聞きしたところ「完成された神経質」と答えられたそうである。そして、高良先生もまた陶冶されて「完成された神経質」になられたのである。
それに比べると私などはまだまだ未熟者。陶冶にはほど遠いけれども地道に努力していく他はないなあ、と反省するばかりである。
本年も当ブログをお読みいただきありがとうございます。皆さま、どうぞ良いお年をお迎え下さい。
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