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2015年12月30日 (水)

神経質礼賛 1220.神経質性格の陶冶(とうや)

 生活の発見誌201510月号に1973年(昭和48年)の記事が再掲されていた。とても良い記事なので、生活の発見会会員の方、あるいは(私もその一人だが)発見会協力医に見せてもらうとよいと思う。高良武久先生の講演を元にした「神経質の性格の陶冶」と題するものである。高良先生はまず御自身を「患者」として青少年期に悩んだ「症状」について述べておられる。九大を卒業して医師になってからも学会発表や学生への講義が苦しかったそうである。九大精神科主任教授の下田光造先生がいち早く森田療法を高く評価して自らも森田療法を行っていた御縁で、森田先生を紹介してもらい、東京に移って直接森田先生に師事することとなった。やがて森田先生の後継者として慈恵医大精神神経科教授となり、自らも森田療法専門の高良興生院を創設された。高良先生は、完全欲が強く非常に気が小さかったので、若い頃は「自分ほどつまらない人間はない」と悩んでいたが、やがて「気が小さいことは自分にとってありがたいことだ」「細心でなければいい仕事はできない」と思うようになったそうである。人間の生活には不安や苦痛はつきものであり、どうにもしようがない。だから事実を「あるがまま」に認めて、向上発展の欲望に乗って不安や苦痛はあっても努力していくしかない。それが神経質性格を陶冶(とうや:陶器を造るように、人間の持って生まれた性質を円満完全に発達させること)していくことになる、と述べておられる。

 私が師事した大原健士郎教授は高良先生の弟子にあたる。大原先生は森田先生の性格について高良先生にお聞きしたところ「完成された神経質」と答えられたそうである。そして、高良先生もまた陶冶されて「完成された神経質」になられたのである。

 それに比べると私などはまだまだ未熟者。陶冶にはほど遠いけれども地道に努力していく他はないなあ、と反省するばかりである。


 
 本年も当ブログをお読みいただきありがとうございます。皆さま、どうぞ良いお年をお迎え下さい。

2015年12月28日 (月)

神経質礼賛 1219.旧実家最後の日

 昨年まで母が一人で住んでいた旧実家の片付けをこの1年、休日の大部分を使って続けてきた。車が入れない小路に面した広い庭のある家なので、作業は困難を極めた。年内一杯で明け渡すことになっていて、その作業もついに終わる。私が小学校6年の時に建て替えた家も半世紀近く経ち、外壁塗装などのメンテナンスを怠っていたので雨漏りや床の剥がれなどがあって住めない状態になってしまった。さらに問題は、母があれこれ溜め込んだ物品が屋内に溢れ、内部はゴミ屋敷に近い状態だった。最も多かったのが紙類。大量の本や雑誌はまだマシで、チラシの裏に書いたメモ類、新聞や雑誌の切り抜き、講座で配布されたプリント類、レシート、封書やハガキ、電気ガス等の検針票・引き落とし通知、などの「雑紙」。大きさがまちまちで縛って出すのが難しく、ほこりをかぶっていて、燃えるゴミの袋に入れるとかなりの重量になる。茶道具、使わない景品類や置物の類、御祝・御見舞などのお返しのタオル・シーツ類も長年溜め込んで大変な量だった。古い衣類も「毛糸をほどしてまた使える、汚れものを拭くのに使える」と称して積んでいたから、私が小学生の時に来ていたセーターまで残っていた。昭和ヒトケタ、物がなくて不自由した時代の人だから何でも取っておきたい気持ちはわかるが、「見切り千両」である。患者さんの中にも強迫神経症のために物が捨てられない、という人がいる。何年か使わないものは必要になる可能性は極めて低いのだから、「時間」を基準にして取っておくか捨てるか判断するのが間違いない。それをやらないで処分や片づけを先送りし続けるとゴミ屋敷になってしまうのである。

 あさっては有休を取ったので、最後に持ち出す物品を運び出し、長年見慣れた家に別れを告げようと思う。かつて父が植えた3本の夏ミカンの木にはたわわに黄色い実がついている。旧実家最後の日、お寺にも行って父の墓参りをするつもりだ。

2015年12月25日 (金)

神経質礼賛 1218.みーんな悩んで大きくなった

 年末になってくると著名人の訃報がよく入ってくる。先日は作家の野坂昭如さんの訃報を聞いた。学生時代には文庫本で野坂さんの小説はよく読んだものだ。作家というだけでなく、「おもちゃのチャチャチャ」「ハウスバーモントカレーの歌」「ハトヤの歌」の作詞でも知られている。歌手として「黒の舟唄」「マリリンモンロー・ノーリターン」などを歌ってもいた。何と言っても強烈なインパクトがあったのはサントリーウイスキーGOLDCMに出て歌っていた「ソクラテスの歌」である。「♪ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか ニ、ニ、ニーチェかサルトルか みーんな悩んで大きくなった (大きいわ 大物よ) 俺もお前も大物だー!」2番もあって「♪シェ、シェ、シェークスピアか西鶴か ギョ、ギョ、ギョエテかシルレルか」だった。ギョエテとかシルレルって誰?と思われるかもしれない。ドイツの詩人のゲーテとシラーのことを昔の学生たちはそう発音していたのだ。

 日本では年末になるとベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」がよく演奏される。この合唱の歌詩の元になったのがシラーの『歓喜の歌』である。シラー(1759-1805)は若くして『群盗』という劇作によって有名になったが、反権力的な内容だったため、領主によって幽閉されてしまう。その後、亡命するも、生活に困窮していた。それを温かく支えてくれたのが親友ケルナーとその仲間たちだった。友情に感激したシラーが書いたのが『歓喜の歌』だという。まさに苦悩を通り越しての歓喜である。


 
 森田正馬先生は、歴史上の偉人たちも神経質で悩み苦しんだという話をされ、「大疑ありて大悟あり」(558)という言葉を使われている。


 
 この神経質の徹底的という事が、最も有難いところである。昔から釈迦でも、白隠でもその他の宗教家でも、哲学者でも、皆徹底的に苦しみ抜いた人ばかりである。少しも煩悶し苦労した事のない人にろくな人はない。

 ここでも、倉田氏(劇作家の倉田百三)でも佐藤氏でも、徹底的に強迫観念に苦しんだ人である。「大疑ありて大悟あり」で、その人は必ず、生来立派な人間であって、それが悟って成功したのである。この点から諸君は、ただ私のいう事を丸のみに聞いて、徹底的に苦しむべきを苦しみさえすれば、それで万事が解決するのである。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.82


 
みーんな悩んで大きくなったのだ。神経質で悩んだ人にも歓喜の日は必ず来る。

2015年12月21日 (月)

神経質礼賛 1217.安

 年末恒例「今年の漢字」は「安」だった。常に手放しで現政権を礼賛し続けるY新聞によると首相の苗字の「安」なのだそうだが、庶民が求めているのは、お役人様たちが繰り返し口先で言う安全安心ではなく本物の安全安心の「安」なのである。そして、「安」が一位になるということは、「安」が欠乏した不「安」な世の中だからと言えるのではないだろうか。

日本人の平均年齢が伸び続けているのは喜ばしい反面、追いつかない介護、老後破産といった問題が膨らむ一方だ。私がいつも国営ネズミ講・ぼったくり詐欺と呼んでいる年金は基金がハイリスク投資をして何兆円もの損失を出した。このままでは基金が先細りして年金支給開始年齢はいずれ70歳、75歳、80歳と上げざるを得なくなるのは目に見えている。それまでどうやって生きていけというのだろうか。「安」心には程遠い。原子力発電所も目先の経済優先で「安」全性を無視していつの間にか再稼働されている。世界平和に貢献のためと称して、不戦を誓った憲法理念を無視して黒を白と言いくるめる詭弁で「安」保法をゴリ押しした。これからアメリカの国益のために戦わされ海外で血を流し犬死する日本の若者たちが出てくるだろう。そして日本国内でテロが起こるリスクが高まる。本物の安全安心の世にするためには、誰もが危機意識を持ち、ニセの安全安心に騙されないようにする必要がある。自分には関係ない、どうせ無駄だと選挙で棄権するのは無責任極まりない。現政権の最大の支援者は棄権する人々なのである。


 
 安心はもともと儒教で言う安心立命(天命を知り心を平安に保つこと:370話)の略なのだそうだ。不安な世ではあっても、生活に不安があっても、自分の健康に不安があっても、不安常住(240)。諸行無常であって不安はどうにもならない。不安はそのままにしてできることをやっていくしかない。そうすることで不安心即安心となるのである。

2015年12月18日 (金)

神経質礼賛 1216.養生訓(2)

 養生訓は単なる健康法・病気予防法というだけではなく、老年期の生き方を提言しているところに価値がある。「長生きすれば、楽しみ多く益が多い。日々いままで知らなかったことを知り、月々いままでできなかったことができるようになる。だから学問が進んだり、知識が開けたりするのは、長生きしないとできない」と益軒は言う。老化すると心身ともに衰えていくと誰もが考えがちだが、いくつになっても進歩することができる、という老いを肯定する考え方は画期的である。

前回述べたように貝原益軒は83歳の時にこの書を書き、同じ年に妻を看取り、翌年に自らの死を察知して自分の棺桶を注文し「自分は儒者であるから僧侶は呼ばなくてよい」と死後の段取りを指示して亡くなっていったと言われる。若い頃は数多くの病気に苦しんだがその後は長く健康を保ち、死の直前までできることをやり抜いて、人生の幕を下ろしたのは見事としか言いようがない。「己の性(しょう)を尽くし 人の性を尽くし 物の性を尽くす」の通りに神経質性格を活用して生き尽したのである。

もちろん、彼のように病気知らずの老年期を過ごせるとは限らない。いくら摂生していても、がんをはじめとする大きな病気に見舞われることだってあるだろう。歳とともに体の不具合箇所は増えていく。それでも、「時々自分の体力でつらくない程度の運動をする」「楽しんで毎日を暮らす」といった益軒のアドバイスは心身の健康な部分を伸ばしていくということで有用である。その点は、悪い所探しをしないでできることをやっていく、気分本位でなく行動本位にして、より健康的に生きて行こうという森田療法の考え方にも通じるのではないかと思う。「年をとってから後は、一日をもって十日として日々楽しむがよい。つねに日を惜しんで一日もむだに暮らしてはいけない」・・・まさに、日々是好日(50)、日新又日新(141)である。

2015年12月14日 (月)

神経質礼賛 1215.養生訓(1)

 江戸時代の儒学(朱子学)者・本草学者であり『養生訓』の著者である貝原益軒(1630-1714)については、歴史上の神経質人間として紹介している(605話、拙著p.235-237)。あらためて養生訓を最初から読んでみようという気になった。いくつかの出版社から現代語訳のものが出ている。書店で探してみたら中公文庫のものがあったので買ってみた。訳者は松田道雄(1908-1998)さん。小児科医で安楽死法制化反対を唱えた人である。私は医学生の時、松田さんの書かれた安楽死関連のブックレットを買って読んだ記憶がある。なお、養生訓をはじめとする貝原益軒の著書の原文はありがたいことに福岡市にある中村学園大学図書館のホームページ内「貝原益軒アーカイブ」からダウンロードすることができる。

 益軒は福岡藩の黒田家に仕える武士の家に生まれたが、体が弱く病気ばかりしていた。その中には神経症による症状もあったのかも知れない。益軒は大変な読書家で博学であった。今でいえば医学書を読み漁るとともに、自ら実践してみて、役に立つ情報かそうでないか調べた。武を好む二代目藩主の黒田忠之からは疎まれて浪人になってしまったが、三代目藩主の光之には高く評価されて藩医に任命され、藩費で京に行って朱子学と本草学をさらに学ぶことになる。藩の重要任務を任されたり、黒田家譜の編纂を命じられたりして、藩主の知恵袋として活躍した。引退後は多くの書を書き、妻との旅行を楽しんだという。養生訓は亡くなる前年、83歳の時に書いたものだというから驚く。益軒と号したのは晩年であり、その前は損軒と号していたのは神経質らしいへりくだりだと思う。妻の東軒さん(1651-1713)も病弱で子供はできなかったが、益軒に学んでだんだん健康になっていった。和歌や書や音楽に優れ、益軒の代筆をして助手としても活躍した。

 以前にも書いたように、健康になるためには食欲、色欲、睡眠欲、発言欲を抑えるよう益軒は説いた。欲はほどほどに、何事も腹八分目、ということである。実際に彼自身が実践したことに基づいての説だから説得力がある。彼が実践していたことの中には現代医学からみると不適切なものもある。例えば口をゆすいだ塩湯を濾過してそれで目を洗うというのは、アデノウイルスによる角結膜炎をきたす恐れがある。しかし、彼の時代には知られていないことだからやむを得ないだろう。そうしたいくつかの点には訳者の注が加えられている。

訳者の松田道雄さんが総論の部分で注目したのは、「心は体の主人である」という益軒の考え方である。益軒は老子の言葉「人の命は我にあり、天にあらず」を重視した。自分の健康は自分が決める自己決定権があるということだ。私は、「完璧を望むな」「いつも畏れ慎むように」に神経質向けの言葉として目が行った。神経質の完全欲はほどほどにして、心配性を生かして身を慎み病気を予防するということだ。そして「薬をむやみに飲まない」も神経症には大切なことである。忘年会シーズンのこの季節、「酒は微酔(ほろよい)に限る」にも気を付けたい。

2015年12月11日 (金)

神経質礼賛 1214.音声誘導装置

 弟から、彼の家の近くの新京成の無人駅に音声誘導装置が設置されたとの写真付メールをもらった。小鳥のさえずり音で通路を知らせる装置である。この駅では昨年5月、視覚障害のある義妹が転落して列車にはねられ亡くなるという事故があった。それを知った視覚障害のある方々が声を上げ、安全対策の強化を鉄道会社に求めたが、なかなか動いてくれなかった。毎日新聞がこの問題を取り上げてホームドア設置を求める記事を書き、地元の県会議員さんもホームドア設置を求めて粘り強く鉄道会社に働きかけてくれて、ようやく会社側も重い腰を少し上げた。安全性の高いホームドアではなく音声誘導装置のみだが、それでも視覚障害のある方々にとって一助にはなる。バラ園の墓地に眠る義妹もきっと喜んでくれると思う。もっとも、これで終わりではなく、さらなる安全策を講じて欲しいと思う。

 安全対策のハードウエアをただ用意すればよいわけではない。昨年の事故があった時にはホームの監視カメラは故障していて何の役にも立たなかったという。その対策が本来の効果を発揮できるように普段から気配りしていく必要がある。私たちも点字ブロックの上に物を置いたり駐輪したり、点字案内板に物を立てかけたり、といった神経質の足りない行動は厳に慎みたい。人が便利なように周囲に気を配っていくのが森田正馬先生の教えであり神経質の本道である。

2015年12月 7日 (月)

神経質礼賛 1213.生誕百五十周年の作曲家

 今年生誕百五十年にあたる作曲家ということでシベリウス(1865-1957)とデュカス(1865-1935)に関する音楽番組を見た。私の目から見るとどちらも神経質傾向を持った作曲家である。

 シベリウスについてはすでに157話に紹介している。当時ロシアに支配されていたフィンランドの人々にとって独立の応援歌とも言える「フィンランディア」など祖国にちなんだ交響詩やヴァイオリン協奏曲や7曲の交響曲の作曲家として有名である。元はヴァイオリニストを目指していたが人前でひどく緊張する「あがり症」だったため諦め、作曲家に転向している。完全主義的な面もあって、せっかく書き上げた大曲を焼却してしまうこともあったという。

 デュカスの名前は知らなくても交響詩「魔法使いの弟子」は御存知の方も多いと思う。この曲は後にディズニーのアニメ映画「ファンタジア」に使われて有名になった。映画ではミッキーマウス扮する魔法使いの弟子が師匠の留守中に頼まれた水汲みが面倒で魔法を使ったところ、箒がどんどん水を汲み続けて水浸しになったが、止める呪文がわからず、ついには溺れそうになる。そこに師匠が帰ってきてたちまち元に戻り叱られる、という話である。曲と画面が実にマッチしていて強く印象に残る。この話の原作は何とゲーテだが、元ネタは古代ギリシャの話らしい。和尚さんの留守に小僧さんが悪さをして大失敗するような話は日本にもあるから、万国共通なのかもしれない。デュカスの他の作品は私も聞いたことがない。デュカスは極度の完全主義者であり、1曲作るのに1年位かけていて、さらに多くの曲を廃棄していたため、今日残っているのは二十曲ばかりと言われる。それでも、その完全欲を駆使して魔法使いの弟子という長く愛される作品を作り、名を残したのは、神経質のおかげなのかもしれない。

2015年12月 4日 (金)

神経質礼賛 1212.コロッケ

 寒くなってくると温かいものが無性に食べたくなる。湯気が出ている今川焼き(大判焼き)、タイ焼き、肉まん(豚まん)などを外で頬張っている人を見かけると、そんな欲望がますます膨らんでくる。そうしたものの一つにコロッケがある。昔は肉屋さんの前を通るとコロッケを揚げているいい匂いがしたものだ。紙にくるんだコロッケを外で食べる人もいた。しかし、今では魚屋さん・八百屋さんとともに肉屋さんは街から姿を消した。コロッケも発泡スチロール製の白いトレイにパック詰めされたものをスーパーで買う時代である。あのピンクレディーの二人が学校帰りにコロッケを買って食べたという肉屋さんも閉店してしまった。

 ところが、母親が住んでいる家から近い所にコロッケを揚げている肉屋さんがあることを知った。店の入口に揚げ物のショーケースがあり、奥には牛肉・豚肉・鶏肉などのショーケースがある。揚げ物のショーケースの中のトレイには商品名と値段が書かれた札がついているだけで現物は一つもない。注文すると、それから揚げてくれるのである。揚げたてのアツアツが食べられるようになっている。あらかじめ電話で注文しておいて取りに来る人もいる。面白いことにその店のカレーコロッケは普通のカレー味コロッケとは異なる。カレーパンと同様にカレーの具がそのまま入っているのである。これはハマる。御飯のお供に最適である。エビグラタンコロッケもおいしい。注文するとカットしてくれる焼豚も人気商品で、その店オリジナルである。いろいろと注文すると、刻みキャベツを少しオマケにつけてくれるのもうれしい。こうしたちょっとした気配りもまた心を温めてくれるものだ。神経質としても見習いたい。

2015年12月 1日 (火)

神経質礼賛 1211.お見送り

 早朝に枕元のPHSが鳴る。私の受け持ち患者さんで、末期の肝硬変のため、このところ意識障害が続いていた方の呼吸が停止したとの連絡だった。看護師さんとともに最期を看取る。一仕事終えて病棟から戻る途中、窓の外に目をやると、雪を被った富士山に朝日が当たって赤く見える。夜が終われば朝が来る。こうして亡くなっていく人もいれば、今どこかでこの世に生まれてくる人もいるだろうな、と思う。

 精神科病院では一般の病院に比べるとそこで亡くなる方の数は少ない。それでも、年に3人位は担当している患者さんの死に直面する。多くは高齢の長期入院者であり、老衰に近い状態あるいは重篤な合併症がありながら精神症状のために一般病院では対応しきれないため精神科病院で最期を迎えることになる。

 いつものように看護職員と一緒に並び、礼をして霊柩車を見送る。霊柩車が見えなくなったところで合掌する。いつも「お見送り」をすると、その患者さんにまつわる様々なことを思い出す。暑い盛りに病院から逃げ出したものの道に迷って熱中症寸前で通りがかりの人に助けられて病院に送り返された人、盗み癖があって困った人、病識がなく妄想に基づき私に「このヤブ医者!」「殺してやる!」などと怒鳴りつけた人、いろいろな人がいたが、どの人もまだまだ生きていて欲しかった。

思い出しついでに、私が研修医だった頃、精神分析を専門としてADHDやアスペルガーの大家になっている先輩医師から、「お前は葬儀屋に向いてるなあ」と言われたことがあったのを思い出す。私が神経質でカタそうに見えたからだろう。そうそう、最近、毎日病院に来ている清掃業者の女性から「知らずに霊安室の清掃に入った時に御遺体がある時にはビックリするので、わかるようにしてもらえませんか」と言われた。ミーティングの場でそれを言ったが誰もやろうとしないので、当直中に自分で霊安室のドアに付ける札を作った。ドアが金属製なのでマグネットで止められる。「使用中 お静かに願います」、裏側は「空室」というものである。

 お見送りをするたびに、こうして働くことができて御飯を食べることができるのはつくづくありがたいことだと思う。今と言う時間を大切にしなくてはもったいない。

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