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2016年1月29日 (金)

神経質礼賛 1230.神経質はストレス増?

 昨日128日の毎日新聞第14面に「神経質はストレス増」という大きな見出しの記事があった。免疫学、特にアトピー疾患を専門とする順天堂大学の奥村康特任教授が書かれたもので、こういう記事を見ると、「ああ、やっぱり神経質はダメなんだー」としょげてしまう方もいらっしゃるかもしれない。血圧などを薬できちんとコントロールし、喫煙や酒の飲み過ぎを控えるよう指導し、食事や運動面でも専門家が細かくアドバイスした人たちよりも、何も制約しない人たちの方が死亡・自殺・心血管系疾患が少なかった、というフィンランドでの疫学調査結果を紹介し、健康管理に神経質になるのはマイナスである、と述べている。しかし、その主張は、必要以上に健康のことを考えない方がむしろ健康に良い、という逆説であり、これは実は森田療法にも通じる面を持っている。

神経症の症状は実に多彩であるが、器質的な異常がないのに起こる、頭痛、耳鳴、めまい感、動悸、胃腸障害、震戦などの一見身体症状は、それをなくそうとすればするほど注意が自分の身体に向かい、さらに感覚が鋭敏になって、かえって一層症状を強めてしまうのである。森田療法では、つらいけれども症状は相手にせず、四方八方に気を配って行動していく。すると症状はいつしか消えているばかりでなく、仕事や勉強もはかどっているのである。神経質性格を生かして、病気探しよりも健康な部分を伸ばしていくのが森田式である。それが身についていれば、神経質らしく検査データはきちんと管理しておくが、あまり結果に一喜一憂せず、長い目で見ての健康管理ができるようになるはずである。

記事の中には奥村流ストレス予防法10か条が書かれていた。「何があっても能天気にかまえる」は私のような神経質人間にはできそうもない。「趣味をつくる」「食べる楽しみを持つ」はOKだ(と言ってもヴァイオリンとヘボ将棋にBC級グルメだが)。

神経質人間には今まで紹介してきた家康公や貝原益軒のように長命で亡くなる直前まで働いていた人物も少なくない。森田正馬先生のお弟子さんにも高良武久先生や鈴木知準先生のように御長寿で長く活躍された方々がおられる。神経質は「生の欲望」が強いので、そうした方々にあやかれば健康寿命が延びること請合いである。

2016年1月25日 (月)

神経質礼賛 1229.「ワンポイント森田」始動

 今月から病院のデイケアに私が登場することになった。「生活に役立つワンポイント森田」と題して、生活の中での困った場面について参加者と討論し、それについて森田療法的な視点での解決法を提示して、さらに議論を深めていく、という企画である。参加者の方々は森田療法が本来適応となる神経症ではなく、統合失調症や感情障害やパーソナリティ障害など多岐にわたる。森田療法は神経質の人にはよりシャープに効くが、そうでない人に対しても幅広く役立つ部分を持っている。そこに着目して、森田療法的アプローチが問題解決の選択肢の一つになる、ということを話していく予定だ。それが参加者さんたちの生活の中で、ワンポイントリリーフ投手のようにピンチの場面で活躍し、さらにはロングリリーフ、うまくすると先発完投投手になってくれることも期待している。月1回の登板なので、私自身もワンポイントのリリーフ投手みたいなものである。


  浜松医大では、大原健士郎教授の時代、森田療法がすべての入院患者さんたちの治療のベースになっていた。神経症でなくても、その人の病状に応じて臨機応変に活用していくというものであり、「ネオ森田」と呼ばれていた。もっとも、教室員たちはそれを十分に理解しきれていない面があり、統合失調症の人に森田なんて無理だろう、というように考えている医師が多かったし、森田療法担当の私ですら、理解が不十分だったと反省している。森田療法は「かくあるべし」と石頭で決めつけていたのである。森田正馬先生が「人を見て法を説け」とよく言われていたように、純粋な神経質に近い神経症の人にはより原法に近い森田療法を行い、そうでない人には利用できる部分を選んで森田療法を活用していけばいいのである。


 先週の金曜日の第
1回では、緊張して困る場面について討論した。やはり想定した通り、試験や試合や何かの発表前に緊張して困るという意見が多く出た。診察の時に緊張して思ったことが言えない、という意見もあった。パトカーが近づいてくると緊張する、という人がいたが、確かに警察官が自分の方にやってくると、別に悪いことをしたわけでもないのに緊張するものである。そして、緊張への対処法としては、呼吸を整えるとか自律訓練法をするとか音楽でリラックスするのがよい、というような意見が出た。意外なことに、3、4人の人からは緊張するのは仕方がないから、その時やることに集中していく、という森田療法的アプローチに近い意見も出ていた。やはり、森田療法的アプローチは、従来考えられていたよりも幅広い適応を持っていると思う。

2016年1月22日 (金)

神経質礼賛 1228.USB加湿器

 お正月の暖かさとは一変して寒気が流れ込み、連日きびしい寒さが続いている。家でも職場でも車の中でもエアコン暖房全開。おかげで顔も手もすっかりパサパサ乾燥肌になってしまっている。

 妻が東急ハンズでUSB加湿器を見つけて買ってきた。とても小さなもので、水を入れたペットボトルの上に取り付け、垂らした芯から水を吸い上げ、本体内の素子の超音波振動によってミストを発生させるタイプのようだ。妻いわく「このコンセントはどこに入れるの?」。仕方ないので手持ちのUSB充電器を一つ提供する。ランプは点灯したがミストは全く出てこない。これではコップに水を入れて置いた方がマシである。ドライアイを訴える子供にも同じものを買ってあげたらしく、そちらは順調に作動している。パソコンのUSBに繋いで机上に置いて使っていて、ミストが出過ぎて周りが濡れてしまうほどだと言う。

 昨日、帰宅したら、加湿器は姿を消していた。「使い物にならないから捨てた」と言うので、ちょっと待て、と捨てられかけていた加湿器に芯を挿し直して水をいれたペットボトルに取り付けてスイッチを入れたらミストが出てきた。ただ単に、芯が振動素子の所まで届いていなかっただけと思われる。とりあえず、捨てられなくてよかった。

 この種のUSB加湿器の価格ドットコムや通販サイトのユーザー評価を見ると、あまり芳しくない。3日で壊れたとか1週間で壊れたという書き込みが目立つし、ミストが出過ぎて周りが濡れて困るとか逆に出が悪くて役に立たない、といったものも見られる。かわいらしいキャラクター物も販売されていて、場所を取らず、価格も手頃な千円から二千円の間のものが多いので、それにつられて気軽に買い求める人が多いのだろう。アイデアは面白いけれども、やはり実用性を考えたら本格的な加湿器を購入して、カビが生えないようにメンテナンスしながら使った方がよさそうだ。

2016年1月18日 (月)

神経質礼賛 1227.回り道もまたよし

 昨年末に旧実家の片づけをしていて、ふと、彼はどうしているかな、と思い出した人物がいる。私が医大生の時に家庭教師をしていて、さらには一時期わが家に下宿していた人のことである。

彼は静岡市内にある中高一貫私立男子校の生徒であり、その父親は隣県で外科・整形外科の大病院を経営していた。私が浜松医大に入学した年の秋、彼の父親の病院でアルバイトをしているという内科医から電話がかかってきて、家庭教師を依頼された。父親から良い家庭教師を探してほしいと頼まれているのだけれども、静岡から浜松医大に通っているのは君だけだから何とかお願いしたい、と強く頼み込まれた。当時私は、片道2時間半かけて通学していたし、学生オケにも入っていたし、会社員時代の先輩と設立したばかりのソフトウエア会社にも関わっていて、時間的にはかなり厳しかったが、引き受けた。その時、彼は高2であり、寮を出て高校の近くに下宿していた。数学の問題を解くセンスはすばらしく、優秀な頭脳の持ち主だとわかったけれども、地道に英単語・熟語を覚えるとか構文を勉強するのは苦手な人だった。

彼が高3になって6月頃だったか、下宿を出なければならないから私のところに下宿させて欲しい、と言い出した。まあ、半年位ならば、ということで私の母も了解してくれて、引越してきた。引越しの荷物を運んできたのは何と彼の父親が経営する病院の救急車で事務員が運転していた。もちろんサイレンは鳴らさなかったが、他県ナンバーの救急車が近所に止まったのだから、見た人は驚いたろう。彼と生活を共にして、前の下宿を追い出されたワケがすぐにわかった。ギターを弾くのはいいとして、夜の帰りが遅く、さらに無断で夜中に外出するのである。こっそり浴室の高窓から抜け出したらしいこともあった。何度か朝帰りしたところを私の母に見つかったが、心配して「どこへ行っていたの?」と問う母にはあいまいな返事しかしなかった。週2回のペースで勉強は教えていたが、そんな具合であるから、医大受験は厳しいように思えた。翌年1月の受験シーズン前には引き払って実家に帰って行った。それから4年ほど経った頃、彼から突然電話をもらった。「いろいろあって体を壊したりしたんですけど、医大めざして頑張っています。国立はムリだけど私立は大丈夫そうです」とのことだった。

彼のことが気になって検索してみたら、父親が経営していた病院のホームページに院長として載っていた。副院長は奥様らしい。会社経営者たちのトークを紹介する動画の中に彼が出ているものも見つかった。40代後半の彼は紺色のスクラブ(半袖でVネックの医療用ユニフォーム)姿ながら長髪で、青年期の雰囲気もちょっぴり残していた。高校を卒業してミュージシャンになろうとして家出同然に東京へ出て4年ほどバンド活動をしたが挫折して体を壊して家に帰ったという。その後、死ぬ気になって勉強して地元の私立医大に入学。卒業して研鑽を積み、父親の病院を継承したのだそうだ。この御時勢、個人病院を継承するのは至難の業である。しかしながら、リハビリテーションに重点を置いた病院、という特色を前面に押し出して、それをやってのけた。動画の中の彼は「当たり前のことを当たり前にやれば、必然として結果は出る」と言っていた。大きな挫折を味わい、どん底から自力で這い上がる体験を通して、彼は大きく成長したのだと思う。そして、その体験をきっと患者さんたちのリハビリテーションに生かしているに違いない。回り道もまたよし、である。


  これが神経質人間ともなると、まずスロースターターであり、環境に適応するのに時間がかかり、周囲の目を気にして遠慮し、要領も悪いから、どうしても回り道が多くなりがちである。しかし、それらの回り道はその人を成長させる糧となるとともに、長い目で見ればどこかで役に立つのである。「鋸の目立て」(
557話)にも書いたように、回り道を嘆くことはない。

2016年1月16日 (土)

神経質礼賛 1226.何はさておきシートベルト着用

 昨日は軽井沢でスキーツアーバスが道路から転落して14名が亡くなる悲惨な事故が起きた。亡くなられたのは休日を利用してスキーに向かった将来有望な学生さんたちであり、御家族の悲しみははかり知れない。いつものことながら、事故が起きてから、バス運行会社のずさんな管理が明るみに出ている。運転手の健康診断や適性検査を怠っていたとか、大型バス運転経験が乏しい運転手に運転させていたとか、指示書に運転経路を記載していなかった、等々である。

亡くなられた原因は14名中12名が頭部と頸部の衝撃によるものだそうで、もしも全員がシートベルトをしていたら、これほどの犠牲者を出さずに済んだことも考えられる。高速バスや観光バスに乗ると、シートベルト着用を促すアナウンスが必ずあるものだが、助かった人の証言によれば、シートベルトをするようにという運転手からの指示はなかったという。夜行バスだと寝ている人も多く、シートベルトは窮屈だけれど、いつ何が起こるかわからない。仮に運転手さんが完璧な運転をしていたとしても、無謀運転のトラックに衝突されるとか、土砂崩れで川に転落することだって起こりうる。

私もたまに高速バスに乗ることがある。乗ったら何はさておきシートベルト着用である。火災が起きて急いで逃げ出さなければならないケースもありうる。とっさのことでパニックになってしまうと外すのに手間取ることもあるだろうから、一度試しに外してみてから、また着用することをお勧めしたい。神経質が身を守る。

2016年1月15日 (金)

神経質礼賛 1225.FAX

 例年2月に行われる指定医会議の出席連絡票というものが県からFAXで送られてきた。勤務先の病院から参加するのはいつも私一人なのであるが、出席者氏名を書いてFAXで送り返さなければならない。心配性の私はどうもFAXでは、①本当に送れているのだろうか、②誤って裏側を送信しているのではないか、③ちゃんと送れたとしても担当者の手に渡るだろうか、とあれこれ心配になって、あまり気持ちがいいものではない。とりあえず機械の用紙の表裏表示を確認し、電話番号を押す。事務員さんに聞くと、通信履歴で送れたかどうか確認できるというのでそのボタンを押して①はクリアできたが、②と③はわからない。

こういうものはメールにしてもらえると送信内容の記録も残って安心なのだが、お役所はそうもいかないらしい。そもそも会議自体、「会議」と名打っていながらお役所からの一方的な伝達だけで質問は受け付けないことがほとんどだから、わざわざ会場を借りて県内のあちこちの病院から人を集めなくたってメールに資料を添付してさらに必要ならば偉いお役人様がお話しになっている動画も添付して一斉配信してくだされば済むことである。書類と会議を増やしたがるのが「ものそのものになる」ことができない形式第一主義のお役人様たちの常である。

話をFAXに戻すが、患者さんの情報提供のFAXは誰が見るかわからないから個人情報保護のため、あちこち黒く塗りつぶしたものがよくFAX送付されてくる。見た目がよくないだけでなく、知りたい情報まで塗りつぶされていることもあって、まったくFAXは便利なのか不便なのかわからない。

2016年1月11日 (月)

神経質礼賛 1224.農鳥(のうとり)

 土曜の朝、いつもの時刻の電車に乗ると、通勤客は少なくてすいている。旅行に出かける客の方が多い。上り列車が富士川を越えて富士山がくっきり見えてくるとスマホやケータイで写真を撮る人がいて、通勤中の私もつい撮ってしまう。今年は暖冬のため雪が少ない。数日前の新聞に農鳥がみられたという記事があった。農鳥とは残雪の一部が鳥の形に見えることを河口湖周辺の地方で言う言葉であり、例年は3月から4月に見え、稲作の開始時期を告げる鳥、とされているのだが、今年は暖冬のため正月早々に農鳥が出現しているそうだ。

 駿河湾側からも鳥に見えるような部分が現れることがあってもおかしくない。もっとも、富士市はかぐや姫伝説がある地だから、残雪全体を見て、長い髪を垂らしたかぐや姫の後ろ姿と見てもよさそうである。残雪の形が何に見えるか、いろいろあった方が夢があって楽しい。

 精神科で行われる心理検査にロールシャッハテストというものがある。インクを垂らしたシミの図版を見せて、そこに見えるものを被験者に聞いて、心理状態を調べるものである。不安感を抱きやすい人は何でもないものも怖いものとして見てしまいがちである。森田正馬先生はよく江戸時代の俳人・横井也有の「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という句を引用して患者さんに話をされた。怖いと思っているものも正体を知ったら大したことはない、ということはよくあるものである。ビクビクハラハラのままでよいから行動してみることである。

2016年1月 8日 (金)

神経質礼賛 1223.納豆汁

 今週、病院の昼食に納豆汁が出た。私が住む県内ではあまり一般的ではなく、普通の食堂のメニューには見かけないが、東北地方では郷土食としてよく食されるようである。そして俳句の世界では冬の季語だという。納豆汁は江戸時代からある食べ方で昔は納豆売りが具材をまとめて売っていたとのことである。納豆売りはいつ頃までいたのだろうか。神経質ゆえ、気になる。正岡子規は亡くなる数日前に納豆売りの声を聞いて納豆を買い求めさせたというから、明治時代には一般的だったのだろう。私の少年時代に豆腐屋さんはラッパを吹きながらリアカーを引いて豆腐を売り歩いていたけれども、納豆売りにお目にかかったことは一度もない。赤塚不二夫(333)のアニメ「ひみつのアッコちゃん」のエンディングの歌の中に「♪用もないのに納豆売りがー」という一節にあったのが印象に残っているくらいである。きっと作詞者の井上ひさしさんの少年時代にはまだ納豆売りがいたのだろう。

 ともあれ、納豆汁は納豆と野菜が一度に摂れるので、栄養的にはとてもよい。お正月の飲み食いで疲れた胃腸にもやさしい。ただし、欠点は強烈な匂いである。納豆汁の日は病院中に濃厚な納豆の匂いが充満する。そして、3、4時間は匂いが漂っているから、特に納豆嫌いの人にとっては最終兵器であろう。私は普段、納豆そのものはよく食べている方だ。納豆汁の味はおいしいし、そのまま食べる時のように口の周りにべとつかないのは大きなメリットだけれども、匂いはちょっと気になってしまう。美味ながら独特な匂いの「くさや」の干物といい勝負である。納豆健康法の信者である妻に知られて家でも納豆汁を作ると言い出されぬよう、家では納豆汁の話をしないように気を付けなくては。

2016年1月 4日 (月)

神経質礼賛 1222.地蔵心とあるがまま

 今年の正月は例年になく暖かかった。元日は妻の実家へ行き、義母の墓参りに行った後、瀬戸川の土手にある日限地蔵尊にお参りに行く。ここが例年、我が家の初詣の場である。地元の人々がひっそり守っているこのお地蔵さんは他に訪れる人もなく静かだ。中央のお地蔵さんは大きな真ん丸頭に素朴なお顔をしている。家族の健康を祈る。

 地蔵菩薩は弱い立場の人々、とりわけ子供たちを守る仏様である。むずかしい経典も仏教理論もいらない。自分より弱い立場の人を守り救おうという地蔵心があれば、それだけで十分である。皆が地蔵心を持てば、戦争もいじめもなくなり、誰もが幸せな世になるはずである。

 森田療法も本来はシンプルそのものである。あるがまま・・・今の自分そのままでよい、気分はいじらずに、素直な気持ちでやるべきことをやっていけばそれでよいのである。むずかしい理論をこねくり回していたら屁理屈となり、新たな強迫観念を生み出す。神経質人間は理屈の迷宮に入りこみやすい。森田正馬先生の甥で養子となり、三島森田病院を創設された森田秀俊先生は、「理屈はいらない。理屈は君にとって役に立たない。ただ、不安な時には不安なままになすべき事をなしていくという生活様式を身につけること」と患者さんたちを指導しておられた。論より行動である。

2016年1月 1日 (金)

神経質礼賛 1221.一

 徳川家康が少年時代に、禅僧で今川家の軍師でもあった雪斎に学んでいたという地元の臨済寺は年二回一般公開される。昨年秋の公開日に行ってみた。仏像や今川義元らの座像や竹千代(家康)手習いの間などを見て、建物の一番奥に続く屋根の付いた階段を昇ったところに茶室がある。そこにはたった一文字「一」と書かれた書が掛けられ、その前には一輪花が飾られていた。「一」の意味は何なのだろう。茶室であるから一期一会を意味するのだろうか、などと考えてみるが正解はわからない。考えさせることに意味があるのかもしれない。

 「一」の人名の読みには「はじめ」がある。今日は一月一日、一年の初めなので、今年は何をしよう、と考えている方も多いことだろう。神経質な人はあれこれ細かいプランを考えるのは得意中の得意だけれども、いざ実行する段になると、その手間を考えて面倒だなあ、人からどう思われるだろうかなあ、ということで先送りしたりそのまま計画倒れに終わらせてしまったりしやすい。思い切って始めの一歩を踏み出すことが大切である。一旦動き出せばしめたもの。完全欲をエネルギー源にして、森田正馬先生が「神経質は重い車」と評したように、今度は簡単には止まらなくなる。単なる年の「初め」に終わらせず、実際に行動して「始める」のが大吉である。

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