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2016年2月29日 (月)

神経質礼賛 1240.捨鉢と向上心

ある時、森田正馬先生のところに、強迫観念に悩み「今の自分は生ける屍のようだ。いっそボルネオの山に行って土人たちの中で暮らして修養したい」と訴える店員から手紙が送られてきた。それに対して森田先生は次のように返事をされている。


 
 「今の私は生ける死屍の如き」といふやうな言葉は神経質の不満の捨鉢の言葉であって、全く意味をなさない事です。こんな事を一々答へなければならぬ小生こそ、よい面の皮です。小生とすれば、これも職掌柄と往生するより外ありません。即ち「生ける屍」とは何の氣もない無神経の事であつて、君の如き向上心に燃えて居る火のやうな、血みどろの煩悶がどうして死屍でありませう。燃える火は活力であり灰になってこそ死屍であります。余り八つ当りの不平をいはずに、現在の君の境遇に最善をお尽くしなさい。君は神経質の特徴として、人に対しては、今にも仕事が全くできず、現在の位置を捨ててしまいそうな口吻をもらしながら、実は一人前以上の仕事が出来て、而かも現職に恋々として、決して農園や山やへ思ひきり出かけられるものではありません。(白揚社:森田正馬全集第4巻 p.594-595


 
 そして、「山の中で修養する」というような空想や迷論はやめて、現在の自分の仕事の中で売場の装飾の工夫や接客の仕方などに気を配っていくようにと指導されている。


 
 私たち神経質人間は物事を悲観的に考え過ぎて、ともすれば「もうダメだ」「自分は生きていても仕方がない」というような結論を出してしまうことがある。しかし、そうした捨鉢は神経質人間が持っている強い「生の欲望」の向上心の裏返しなのである。あの天下人・徳川家康でさえ、長い人生の中で何度か「もうダメだ」と切腹しようとして、菩提寺の住職や家臣から説得されて思いとどまったことは当ブログや拙著に紹介してきた通りである。神経質人間はワーストケースを予測するので、もうダメだと思いながらももう少し進んでみれば、そこからは外れて大丈夫になってくるものだ。将棋の大山康晴十五世名人の名言(元は実業家の大原総一郎から大山名人に贈られた言葉)「助からないと思っても助かっている」の通りなのである。ピンチはチャンス。「もうダメだ」と思った時は「ダメでもともと」と踏ん張って行動してみることだ。すると道は開けてくる。

2016年2月26日 (金)

神経質礼賛 1239.電力小売全面自由化

 この4月から電力小売全面自由化になるということで、電力会社から契約の申込書が送られてきた。今後は利用者が電力を販売する業者を選んで契約する形になる(当面は現状維持も容認される)。そこでガス会社やIT関連会社が「セット割引」を宣伝して顧客獲得を図っている。すでに東京ガスは5万件の電力顧客を確保したという。無料で毎週配られている地元の広告新聞には、4月以降の主な電力会社4社の比較表が載っていた。旧来の中部電力、都市ガス大手の静岡ガス、LPガス販売のTOKAIと鈴与である。これが携帯電話やIT関連業者ともなると、まるで携帯電話の料金のように、安くする代わりに2年縛りの契約もあるようだ。安いといってもいろいろな縛りがあると解約・変更が厄介だったりする。

 「電力自由化により自分に合った業者を選択できて自由競争のために安くなる」という触れ込みながら、本当にそうなのだろうかと疑問に思う。実際、電力小売が自由化された欧米諸国では電気料金が高くなっているそうだ。そもそも、新しい電力会社が新たに自社で作った発電所から電力を供給するわけではなく、大部分は今ある電力会社の電力を仕入れて小売するという形を取るだけであるから、中間に余分な業者が入るだけのことで、かえって無駄なコストがかかるだけ、と見ることもできる。根本的に安くなるはずはないのだ。また、自由化により、収益第一主義になって、資金運用に失敗して電力会社が倒産したり、カリフォルニアのような大停電が起きたりしないとも限らない。

 今週になって新電力大手(従来の電力会社を除くと業界第5位)の日本ロジテック協同組合が電力事業から撤退するというニュースが入ってきた。東日本大震災後、安い料金を売物にして自治体や官公庁に電力を供給していたが資金繰りが悪化して業務継続が困難になったためとのことだ。だからといって急に停電することにはならないけれども、また従来の電力会社と契約し直さなくてはならない。

 電力自由化となっても供給の安定性が損なわれるようでは困る。心配性の私としては、結局、従来の電力会社と契約するつもりだ。

2016年2月22日 (月)

神経質礼賛 1238.いちごは「野菜」だった

 私が住んでいる県内にはいちごの名産地が多い。中部では徳川家康が眠る久能山のふもとで明治時代から「石垣いちご」が栽培されていて、現在は斜面にビニールハウスが並び、いちご狩りができる観光農園も多数ある。東部では伊豆の国市韮山町が産地として有名であり、源頼朝・政子像の周りはビニールハウスが並んでいる。先日見たTVニュースで幼稚園児たちがいちご狩りをしている場面があり、農家の人が、「いちごは果物ではなく野菜です」と園児たちに説明していた。恥ずかしい話、私は今まで、いちごは果物だと思い込んでいた。果物と野菜の定義は国によっても違うようである。わが国の行政上の定義としては、草やつるなどの草本性の植物を「野菜」、樹木になるものを「果物」としているそうである。だから、その定義からするとすいかやメロンも「野菜」になる。一般的な感覚からすると甘味が強く調理せずにデザートとしてそのまま食べるものは果物・フルーツといったところだし、実際のところいちご・すいか・メロンもスーパーの野菜売場ではなく果物売場に並んでいるので、この定義には少々違和感はある。

 よく認知症の検査に使われる改訂長谷川式スケールでは、見当識や記銘力などをチェックする。最後の問題は「知っている野菜の名前をできるだけ多く言って下さい」というものであり、6つ言えれば1点、7つで2点、8つで3点、9つで4点、10言えれば満点の5点が与えられる。全部で30点満点、20点以下が認知症の疑いとなっているので、この問題の比重は結構大きい。今まで「いちご」と答えた人は記憶にないが、たまに「すいか」と答える人はいる。チェックする側も間違えないように気をつけるとしよう。

2016年2月19日 (金)

神経質礼賛 1237.体重・血圧測定の意味

 外来通院患者さんの約半数位は診察の後に診察室の隣の部屋で看護師さんが体重・血圧を測ってカルテに記録している。血圧測定は、高血圧ばかりでなく、精神科薬の影響によって低血圧になっていないかのチェックになる。異常があると看護師さんが知らせてくれるので、あらためて診察室にお呼びすることもある。体重は何のために測るのか疑問に思う人もいるかもしれないけれども、食欲が落ちていないか、逆に食べ過ぎや飲み過ぎになっていないか生活習慣のチェックになる。うつ病やうつ状態の時には1カ月で体重が3キロや5キロ減少することもある。一方、統合失調症などによる無為自閉状態で日中ゴロゴロしていてジュースやコーラ類を多量に飲むとかスナック菓子を大量に食べて体重が激増する人もいて、さらに糖尿病のチェックが必要になってくることもある。

 多くの方々は血圧と体重を測られることに異議を唱えない。むしろ年配の女性だと、毎回、看護師さんとの会話を楽しみにしている人もいる。ところが、どうかすると神経症の人で妙にこだわる人がいる。体重が多くなっていると嫌だからと頼みもしないのにパンツ1枚になって体重計に乗る男性がいる。また、「服を着たまま測ったって意味がない」「血圧は内科でいつも測っている」と言って拒否した人がいた。別に料金がかかるわけではないし、うつ状態のチェックなどにもなる、と説明すると、「私はうつ病ではなくて神経症だと言われている。先生が言っていることはおかしい」と強く主張するため、測らないことにした。これぞこだわりが強い神経症である。彼が言っていることには一理ある。夏と冬とでは衣類の重量が変わるから正確な意味での体重測定にはならないのは確かだ。しかし、学校の身体検査ではないのだから、正確さは必要ないのである。それに、誰でもうつ状態になることはあり得る。大きなストレスを抱えていて気が付かないうちに体重が減少していることもあるから測る意味はあるのだ。彼のように神経症の屁理屈を押し通そうとすれば些細なことで周囲の人との軋轢が生じて社会適応も悪くなる。こだわりはそのままに放置して神経質を仕事や勉強に向けてくれればよいのであるが。

この外来での体重・血圧測定は、それに対する反応をみることで、実は隠れた心理検査にもなっているのである。

2016年2月15日 (月)

神経質礼賛 1236.チョコレート

 先週、デパートの地下食品売場や特設会場はバレンタインデーのチョコレートを買い求める人々で賑わっていた。それに合わせて最上階の催事場では北海道物産展をやっていた。年数回の北海道物産展の際にはいつもチョコレートのロイズが出店している。そんな話を妻にしたら、「じゃあ、帰りに生チョコ買ってきてよ」となって、墓穴を掘ってしまった。ロイズは人気があり、一番奥に配置されている。人の波をかき分け、ガーナビターの生チョコを手にして、レジ待ちの行列に並ぶ。女性ばかりでなく、私のような中高年男の姿もチラホラ見かける。単品買いの人は少なく、皆さん大量に買い込んでおられる。今年のバレンタインデーは日曜日ということもあって、義理チョコの需要が若干少ない代わりに自分への御褒美チョコが売れているというような話もあった。

 疲れた時にひとかけらのチョコレートは元気を与えてくれる。漫画家の松本零士さんの書いたものに、若い頃、手塚治虫さんの下宿に行ったらチョコレートうどんを食べさせられてびっくりした、というような話がある。現在のロイズの人気商品にポテトチップチョコがあって、ミスマッチのように思えるが、食べ始めると止まらなくなるので、案外チョコレートうどんもいけるのかもしれない。手塚さんは徹夜仕事の際によくチョコレートを食べていて、切らしてしまうとコンビニのなかった時代、スタッフが苦労して買いに行ったそうである。チョコレートにはカフェインやテオブロミンによる覚醒作用があり、カロリーも高いから、疲れを癒す効果が高い。最近ではカカオに含まれるポリフェノールの薬効がいろいろ言われている。212日付毎日新聞第18面に最近わかったカカオの効果が紹介されていた。高カカオチョコレート(カカオ72%以上)を続けて食べると便秘解消効果があるという。また、高カカオチョコは脳血流を増やし、認知機能改善効果があるという。

チョコの食べ過ぎで鼻血が出るとかニキビができるという俗説は医学的根拠が薄いようではあるけれども、食べ過ぎればカフェイン過剰や肥満の原因になりうるから注意が必要である。そして、以前にも書いたことがあるが、ヒト以外のほとんどの動物はテオブロミンを代謝できないため、チョコレート中毒をきたす。かわいいペットと仲良く一緒にバレンタインチョコを食べよう、などということがないように気をつけていただきたい。

2016年2月12日 (金)

神経質礼賛 1235.春近し

 朝、マスクをして家を出ると、すぐにメガネが曇ってしまう。その曇ったメガネ越しに、通りがかりのお寺の掲示板が新しく変わっているのに気が付いた。「春の日に 凍土を割りて 咲き出づる 途の辺の花 美しきかな  武内彰円」とある。凍土の間から這い上がって咲く花のことを思えば、この程度で寒がっていてはいけない。ともあれ、少し前までは家を出る時が夜のように真っ暗だったのが今では少し明るい。ニュースでは河津桜が咲き始めているという。ありがたくないスギ花粉も飛び始めている。病院の昼食にはイチゴが2個付いていた。もう春は近い。

森田正馬先生の春の歌を一句。「春の雨 うすら濁れる 堀ばたの 柳ほのぼの 靑み渡れり」(白揚社:森田正馬全集第7巻 p.441) 春の雨が降る薄暗い中に堀ばたの柳の鮮やかな緑が目に浮かんでくるようで、柳の面目躍如といったところだろう。花は紅、柳は緑(第3話、拙著p.123)。神経質人間も柳と同様、華やかさには少々欠けるが、あるがままにその持ち味を生かして行けばよいのである。

2016年2月 8日 (月)

神経質礼賛 1234.気がもめる

 私たちの日々の生活では、あれもしなくては、これもしなくては、と次々にやらなければならないことがあって、のんびり温泉気分で過ごせることはまずない。スケジュールに追われて仕事をこなしている最中に、さらに急ぎの仕事が割り込んでくることもよくある。こういう時はハラハラして気がもめるものである。もう少し、ゆとりを持って仕事ができたらなあ、と恨めしく思ったりするものだが、森田先生は次のように言っておられる。


 僕は今日、六人の患者で、続けざまに、五時間しゃべった。そして、またこの形外会で、しゃべらなければならない。これが僕の感謝であり、同時にハラハラであって、同一の事柄であります。

 形外会では、かくの如く、大勢が来て、僕も気がもめて、その日は食が進まない。このうるさい事が、同時に感謝です。皆さんが僕を慕って、集まって下され、僕に気をもませてくれるという事は、有難い事でなくて、なんでありましょう。誰も来てくれる人はなくウツラウツラと昼寝でもしていれば、どうして感謝の生活がありましょう。(中略)

 人間の喜びも感謝も、みな自分の力量の発揮であって、決して酔生夢死が安楽ではないのであります。(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.383


 確かに、何もしないでぼーっと一日を過ごしたところで喜びはない。仕事があって、人からあてにされ、自分の力を発揮してこそ大きな喜びがあり、日々是好日ということになってくるのだと思う。

2016年2月 6日 (土)

神経質礼賛 1233.三島梅花藻(みしまばいかも)

 今日は午前が仕事で、午後は精神保健指定医会議に出なくてはならなかった。昼食後、1時間ほど時間がある。そこで得意のミニミニツアー。三島駅から南へ歩くこと15分。佐野美術館向かいの三島梅花藻の里へ行ってみた。三島梅花藻とは三島駅近くの楽寿園内の小浜池で発見された水草である。これは冷たい清流で育ち、五月から九月頃に小さな白い花を咲かせる。梅の花の形に似ていることからその名がある。しかし、富士山からの湧水が減り生活排水のために水質が悪化して、一時は三島市内から姿を消してしまった。清水町の柿田川にはまだ自然のものが残っていて、それを三島梅花藻の里に移植して生育させているのである。きれいな湧水に藻の緑が映えて清々しい。ここでは年中花が咲くとのことで、かわいらしい白い花を見ることができた。いずれはここで育てた三島梅花藻が市内のあちこちの川で見られるようになることだろう。もっとも、そうなるためには皆が気をつけなくてはいけない。ゴミやタバコのポイ捨てなど神経質の足りない行為はもってのほかである。

そのすぐ横には雅心苑というお菓子屋さんがある。イートインスペースもあって、コーヒー・紅茶・緑茶(税込150円)も注文できる。この店の人気商品「雅心だんご」(税込130円)を食べてみる。少し大きめのみたらし団子が二玉串刺しになっている。面白いことに中はこしあんである。一粒で二度おいしい、というわけだ。みたらし団子を食べようか、あん団子を食べようかと迷う必要もない。お土産には最近駅の売店に登場するようになった「みしまコロッケ饅頭」を買ってみる。三島のB級グルメ三島コロッケを模した外観ながら中は饅頭という不思議なお菓子だ。こういうおいしい創意工夫は大歓迎である。ちなみに駅売りは箱入り61000円だが、ここではバラ売り1150円で買える。次々と客が来る。若い店員さんが一人でテキパキと対応していて気持ちがよかった。この応対も味のうちである。

2016年2月 5日 (金)

神経質礼賛 1232.危険なパスワード

 アメリカのインターネットサービスのSplashData社が昨年よく使われた危険なパスワードを発表した。そのワースト10は①123456、②password、③12345678、④qwerty、⑤12345、⑥123456789、⑦football、⑧1234、⑨1234567、⑩baseballだという。qwertyとは何の単語かな?と思う。これはキーボードの左上から中央方向のキーを順に並べたものである。ABCDEが入っていないのはちょっと意外だった。こうしたよくありそうなパスワードはハッキングのソフトで自動的に試されて簡単に破られてしまうので危険だというわけだ。passwordというパスワードは私もかつて使ってしまったことがある。これは神経質が足りなかった。少なくとも普通の人が思いつかないパスワードにする必要がある。

そして、パスワードを使い回ししていると、ハッキングされた場合の被害を大きくしてしまうので、なるべく違うパスワードにするべきなのだが、実際には難しい。何しろパスワードを必要とするものは数十あるから、全部違うパスワードを用意するのは無理だ。数種類のパスワードでやりくりしないと自分でも管理しきれない。ポケットの手帳にはサイトごとのユーザ名とパスワードをメモしてあって、時々それを見るハメになる。ましてや、定期的にパスワードを変更すれば安全性は高まるけれども、自分でもわけがわからなくなりそうで、そこまではなかなかできないものである。全くネット生活も便利なようで不便である。

2016年2月 1日 (月)

神経質礼賛 1231.担雪埋井(たんせつまいせい)

 長年、森田療法原法に沿った禅的森田療法を行ってきた京都の三聖病院が平成26年末で閉院となったことは1100話に御紹介した通りである。病院は取り壊されてあとかたもなくなり、現在はコインパーキングになっているそうである。病院の解体により廃棄処分される運命となっていた森田療法ゆかりの品々は京都森田療法研究所の岡本重慶先生が私費で借りられたマンション3室に運び出して整理・保管されていた。しかし、いかにせん、長期にわたり私費で支えきることはかなわず、このほどその活動を終えたと言う。外国人研究者からは、記念館を作っては、という意見もあったそうだが、記念館を作るだけでも巨額の資金が必要、さらには運営費を考えたら、実現は極めて難しい。せめて、貴重な写真の数々や宇佐玄雄先生の講演テープなどはディジタル化して残していただき、その一部でもネット上に「三聖病院記念室」として公開していただけたら、森田療法に関わるすべての人々や外国の精神医学の研究者にとって大変に役立つものとなるかと思う。

 岡本重慶先生は、多額の私費を投じられてのこの行動を、禅語の担雪埋井とも言っておられる。雪を担いで井戸に放り込んでも雪はすぐに融けてしまい井戸は埋まらない。つまり客観的には無駄な報われることのない行動だけれども、やらざるを得ない。無私の心のなせる業である。強い共感を覚える。

 担雪埋井という言葉から連想するのが、水谷啓二著『草土記』(670)のラストシーンである。これは森田正馬先生の治療を受けた画材商・河原宗次郎さんの自伝の形を取っている。終戦後、苦難を乗り越えてようやく事業が安定してから再び河原さんは強迫観念にさいなまれる。そこで、森田先生亡き後、形外会を続けておられた古閑義之先生(聖マリアンナ医大学長)の自宅を訪れて相談する。そこで古閑先生から「生の欲望」について教えを受け、ハッと自覚する。自分は生の欲望が強い人間であり、それゆえ死の恐怖にもおびえるのだ、と。「人生の努力はすべて賽の河原で石ころを積み上げるようなものかも知れない。それでも、自分の好きな石を拾って、一つ一つ積み上げてゆくことの中に生甲斐もあれば、救いもあるのだ。こわされたら、また始めから詰み直すだけだ」と河原さんが考えるところで小説は終わっている。

 鬼がやってきて積んだ石ころをこわしても、井戸に入れた雪がすぐに融けてなくなってしまっても、努力をやめない、それは三聖病院を創設された宇佐玄雄先生ら森田先生のお弟子さんたちが歩んできた道でもあると思う。その志を引き継ぐ人がいる限り、本物の森田療法は続いていくはずである。

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