神経質礼賛 1235.春近し
朝、マスクをして家を出ると、すぐにメガネが曇ってしまう。その曇ったメガネ越しに、通りがかりのお寺の掲示板が新しく変わっているのに気が付いた。「春の日に 凍土を割りて 咲き出づる 途の辺の花 美しきかな 武内彰円」とある。凍土の間から這い上がって咲く花のことを思えば、この程度で寒がっていてはいけない。ともあれ、少し前までは家を出る時が夜のように真っ暗だったのが今では少し明るい。ニュースでは河津桜が咲き始めているという。ありがたくないスギ花粉も飛び始めている。病院の昼食にはイチゴが2個付いていた。もう春は近い。
森田正馬先生の春の歌を一句。「春の雨 うすら濁れる 堀ばたの 柳ほのぼの 靑み渡れり」(白揚社:森田正馬全集第7巻 p.441) 春の雨が降る薄暗い中に堀ばたの柳の鮮やかな緑が目に浮かんでくるようで、柳の面目躍如といったところだろう。花は紅、柳は緑(第3話、拙著p.123)。神経質人間も柳と同様、華やかさには少々欠けるが、あるがままにその持ち味を生かして行けばよいのである。
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