神経質礼賛 1234.気がもめる
私たちの日々の生活では、あれもしなくては、これもしなくては、と次々にやらなければならないことがあって、のんびり温泉気分で過ごせることはまずない。スケジュールに追われて仕事をこなしている最中に、さらに急ぎの仕事が割り込んでくることもよくある。こういう時はハラハラして気がもめるものである。もう少し、ゆとりを持って仕事ができたらなあ、と恨めしく思ったりするものだが、森田先生は次のように言っておられる。
僕は今日、六人の患者で、続けざまに、五時間しゃべった。そして、またこの形外会で、しゃべらなければならない。これが僕の感謝であり、同時にハラハラであって、同一の事柄であります。
形外会では、かくの如く、大勢が来て、僕も気がもめて、その日は食が進まない。このうるさい事が、同時に感謝です。皆さんが僕を慕って、集まって下され、僕に気をもませてくれるという事は、有難い事でなくて、なんでありましょう。誰も来てくれる人はなくウツラウツラと昼寝でもしていれば、どうして感謝の生活がありましょう。(中略)
人間の喜びも感謝も、みな自分の力量の発揮であって、決して酔生夢死が安楽ではないのであります。(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.383)
確かに、何もしないでぼーっと一日を過ごしたところで喜びはない。仕事があって、人からあてにされ、自分の力を発揮してこそ大きな喜びがあり、日々是好日ということになってくるのだと思う。
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