神経質礼賛 1231.担雪埋井(たんせつまいせい)
長年、森田療法原法に沿った禅的森田療法を行ってきた京都の三聖病院が平成26年末で閉院となったことは1100話に御紹介した通りである。病院は取り壊されてあとかたもなくなり、現在はコインパーキングになっているそうである。病院の解体により廃棄処分される運命となっていた森田療法ゆかりの品々は京都森田療法研究所の岡本重慶先生が私費で借りられたマンション3室に運び出して整理・保管されていた。しかし、いかにせん、長期にわたり私費で支えきることはかなわず、このほどその活動を終えたと言う。外国人研究者からは、記念館を作っては、という意見もあったそうだが、記念館を作るだけでも巨額の資金が必要、さらには運営費を考えたら、実現は極めて難しい。せめて、貴重な写真の数々や宇佐玄雄先生の講演テープなどはディジタル化して残していただき、その一部でもネット上に「三聖病院記念室」として公開していただけたら、森田療法に関わるすべての人々や外国の精神医学の研究者にとって大変に役立つものとなるかと思う。
岡本重慶先生は、多額の私費を投じられてのこの行動を、禅語の担雪埋井とも言っておられる。雪を担いで井戸に放り込んでも雪はすぐに融けてしまい井戸は埋まらない。つまり客観的には無駄な報われることのない行動だけれども、やらざるを得ない。無私の心のなせる業である。強い共感を覚える。
担雪埋井という言葉から連想するのが、水谷啓二著『草土記』(670話)のラストシーンである。これは森田正馬先生の治療を受けた画材商・河原宗次郎さんの自伝の形を取っている。終戦後、苦難を乗り越えてようやく事業が安定してから再び河原さんは強迫観念にさいなまれる。そこで、森田先生亡き後、形外会を続けておられた古閑義之先生(聖マリアンナ医大学長)の自宅を訪れて相談する。そこで古閑先生から「生の欲望」について教えを受け、ハッと自覚する。自分は生の欲望が強い人間であり、それゆえ死の恐怖にもおびえるのだ、と。「人生の努力はすべて賽の河原で石ころを積み上げるようなものかも知れない。それでも、自分の好きな石を拾って、一つ一つ積み上げてゆくことの中に生甲斐もあれば、救いもあるのだ。こわされたら、また始めから詰み直すだけだ」と河原さんが考えるところで小説は終わっている。
鬼がやってきて積んだ石ころをこわしても、井戸に入れた雪がすぐに融けてなくなってしまっても、努力をやめない、それは三聖病院を創設された宇佐玄雄先生ら森田先生のお弟子さんたちが歩んできた道でもあると思う。その志を引き継ぐ人がいる限り、本物の森田療法は続いていくはずである。
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