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2016年3月14日 (月)

神経質礼賛 1245.書籍『鈴木知準診療所における入院森田療法』

 正知(しょうち)会会長・畑野文夫さんから新刊書の正知会編『鈴木知準診療所における入院森田療法―体験者の記録―』(三恵社、2100円+税)を送っていただいた。畑野さんをはじめとして「鈴木学校卒業生」30名による治療の実際の記録である。本郷斉藤クリニック院長・斉藤洋先生が書かれたものもある。作業内容や知準先生の具体的な指導内容が書かれていて大変興味深い。知準診療所やバラ園の見取図と数枚の写真もあってイメージがわきやすい。森田正馬先生の診療所では湯を汚さないように工夫できる者から順に入浴したのに対し、風呂には浸からず、熱めに沸かした風呂桶の湯バケツ1杯分に適宜水を加えたもので体を洗うのが鈴木学校流の「入浴」だった。作業スケジュールはびっしり詰まっている上、突然、抜き打ちで先生の講話が始まり、入室が遅れると部屋から閉め出されてしまうため、作業をしていても、入浴中であっても、常に周囲に気を配っている必要があったということだ。「針が落ちていることにも気がつくようでなければいけない」という指導の通りである。植木鉢はその花の種類を勘案した上で、午前→午後→夕方と位置を移動させていたし、突然の大雨の時には夜中でも取り込むということをしていた。種々の当番の中で大変だったものの一つに消灯当番というのがあって、明方に庭などの電灯を消すのだが、季節によって消灯する時刻が異なり(5月だと午前4時)、目覚し時計を使わずに起きるという決まりがあった。起きられないと知準先生自ら消灯されるのでバレてしまう。禅寺以上の真剣勝負の修行場だったようだ。「すっと動く」「よろよろでもよいから目の前の仕事に手をつける」「嫌なことをやる、やってみたらそれほど嫌なことではない」「大いに粘ろう」といった指導の言葉は行動を通して入院生たちに自然と染み込んでいった。知準診療所での不問技法の実際や「打ち込み」的助言の様子がよくわかり、知準先生の治療を後世に伝える貴重な書だと思う。

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コメント

この書籍はいろいろに書かれた森田理論にはあまり触れることなく、実際の鈴木知凖先生の指導の中身を入院生の体験から拾い上げたものです。私も入院まもないころ「消灯当番」をしましたが「目覚ましを使ってはいけない、外が明るくなったら自然と目が覚めるようでなくてはいけない」と言われ次の日から朝早く起きました。朝起きるときの時計の針の位置や白々と明ける様子をイメージしてから眠りにつくと不思議と目は覚めました。6月に薄着で外へ出ていきましたら(朝4時台)先生がご自宅からでてこられるところに出会ったことがありました。先生はもうそんな時間からお仕事しておりました。
鈴木先生が実際、臨床家としてどのような指導をしておられたかというところを入院経験者から残せれば、森田理論に詳しい先生方のお役にも立てるものでもあり、現在悪戦苦闘されている方々のお役にも立てるものという思いがあって、単なる体験談にはしたくなかったものです。先生の晩年の思いを考えると、これが先生の思いを最も伝えるものになってほしいと願うものです。

今に生きる 様

 コメントいただきありがとうございます。

 森田正馬先生のように大学教授だと、お弟子さんたちもまた教授となってその精神療法の実際を伝えていくことができました。鈴木知準先生のように生涯にわたり臨床家として御活躍されていますと、御著書は多数あっても、精神療法の実際が後世に伝わりにくいのが残念です。その意味で、『鈴木学校』の様子が活写されたこの書は本当に貴重な存在だと思います。

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