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2016年4月29日 (金)

神経質礼賛 1260.怠け者の節句働き

 今年もゴールデウィークが始まった。その最終日5月5日子供の日は端午の節句と言われる。節句とは節の日の供え物・・・節供からきていて、人日(じんじつ・1月7日)、上巳(じょうし・3月3日)「桃の節句」、端午(たんご・5月5日)、七夕(たなばた・7月7日)、重陽(ちょうよう9月9日)「菊の節句」の五つの祝いの日を言うのだそうだ。もっとも、現代では節句と言えば桃の節句と端午の節句に二つに絞られる。

 連休になると俄然元気に活躍するような人は「怠け者の節句働き」などと言われてしまうかもしれない。森田正馬先生は次のように言っておられる。


 
 この間、家内から聞いた田舎の諺に、「怠け者の仕事と、生木の燃え出したのとは、果てしがない」というのがある。山火事も、生木が燃え始めると、きりがないそうです。僕の郷里(土佐)では「極道の四季むくり」という。佐藤君の郷里(福島県)では「怠け者の節季働き」というそうです。怠け者は、常人の休む時にことに働く。そこに面白い心理があると思います。神経質は、本当の怠け者ではないが、仕事になかなか手を出さぬ事と、いったんやり始めると、なかなかやめない点が似ている。似ているが、しかし違う。神経質は、怠け者のように、意志薄弱ではない。

 神経質は、時間割をこしらえ、仕事の見積もりを立てて、納得できるまでは、手を出さない。このように、するとしないとの境が、はっきり別れる。しない癖がつくと、惰性でなかなか手が出せぬ。僕はこれを重い鉄の車にたとえてある。神経質は、重い車で、動き始めるまでは、大変力を要し、急には動かぬが、いったん回転し始めると、今度はこれを急に止める事はできない。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.421


 
 怠け者と神経質の違いがよくわかる説明である。神経質の場合は一旦動き始めれば、長続きするばかりでなく、意志が強固であるから、何か困難な状況が発生しても簡単には中断しないのである。ただし、毎日草木に水をやるといって雨が降りそうなのに水を撒くというようなムダをしないように、全体を見て考えて臨機応変に行動していく必要がある。

2016年4月25日 (月)

神経質礼賛 1259.無事

 毎日が雑事に追われてバタバタと過ぎていく。そうして歳を取っていく。出世も金儲けも無縁のパッとしない人生だ。しかし、あれこれ不具合はあっても、とりあえず毎日が送れているのだから、とても有難いことであって、これが「無事」ということなのかなあ、と思う。

 普通、無事と言えば、変わりなく健康で平穏であることを言う。一方、白隠禅師など著名な禅僧が書いた書に「無事」とか「無事是貴人」といったものがある。禅で言うところの「無事」とは求めなくてもよいことに気付いた安らぎの境地なのだそうである。

この言葉は、以前に紹介した「求不可得」(求めて得べからず、750話)という言葉にも重なる。森田療法では、不安をなくそうと求めてジタバタしても解決からは遠ざかってしまうので、不安はそのままにして仕方なしに行動していこう、ということになる。

今からちょうど20年前、第14回森田療法学会で「森田療法と生きがい」というシンポジウム(内容は翌年の森田療法学会雑誌第8巻第21997に掲載)が開かれた。「生きがい療法」の伊丹仁朗先生が座長で、慈恵医大の中村敬先生が青年期患者への森田療法、浜松医大の私がガン患者への森田療法、最後に生活の発見会の岡部陽吉さんが神経質人間と生きがいの発表をした。岡部さんは神経症だけでなく会社で左遷の憂き目にあい、いろいろと悩まれた。生活の発見会に入会されて二年ほどしたある日曜日に小さな庭の手入れを一生懸命にした。全身汗まみれになって風呂を浴び、冷たいビールを飲んだ時に、心地よい疲れとともに充実感が全身をおおい、これが幸福なのではないかと実感したという。幸福とは生きがいとは何かキラキラ輝く特別なものと考えていたが、幸福の青い鳥のように、遠くではなく近くにいたのだ。毎日を自分なりに真剣に生きる時に、心の喜びと充実感があり、それが幸福・生きがいになってくるのだ、という岡部さんの体験的な発表に、まさにその通りだと痛感した。

何の変哲もない平凡な日常。その中に幸福も生きがいもある。そして無事の境地がある。

2016年4月22日 (金)

神経質礼賛 1258.劣等感もまたよし

 4月は入学・進級・入社・職場替えなどであわただしい時期である。自分自身の異動がなくても、周囲の人が入れ替わって職場の雰囲気がガラッと変わってしまうこともある。ふと周りを見渡せば、優秀な人、うまくやっている人ばかりで、自分ばかりがダメ人間で情けない、そんなふうに悩んでおられる方はいないだろうか。森田正馬先生のお話を紹介しておこう。


 
 私共は学生時代に、互いに試験問題の話をするとき、相手はいろいろの事をよく知っている。自分はちっともわからないで悲観する。試験場を出て来ると、皆が答案を、俺は三枚とか、俺は四枚書いたとかいっている。私はたった一枚あまりしか書かない。心配していると、自分の方がかえって成績がよい。彼等が七十点であれば、私の方が八十点であった。不思議である。後に思い当たった事であるが、実はなんでもない。彼等は自分の知っている事ばかりをしゃべって、少しも自分の知らない事はいわない。(笑声)また、答案でも、無用の事を余計に書いて、要領を得ていないのである。この様に、神経質は、自分の劣等感から、常に用心し勉強して、人に劣らないようになるのが特徴であります。(白揚社:森田正馬全集第5巻p.346


 
 神経質の方は必ずや森田先生と同じような経験をされたことがあるはずである。劣等感については以前にも書いている(511話・880話)。小心で心配性の神経質人間は、自分の悪いところばかりに目が行きやすく、悲観しやすい。しかし、本来は「生の欲望」が強く、完全欲が強く、人より優れたいと内心思っているのが神経質の特質でもある。もっと気が大きく楽観的になれたらなあ、と思われるかもしれないが、楽観的な人は大きな失敗をしやすい(もっとも、それをクヨクヨ考えないのではあるが)。神経質人間は先の心配をしてあれこれ準備し努力をするので、人並み以上の結果が出せるのである。劣等感はよりよく生きるためのエネルギー源でもあるのだ。劣等感もまたよし、である。

2016年4月20日 (水)

神経質礼賛 1257.森田正馬先生と将棋

 森田正馬先生は大変な将棋好きだった。神経質の負けず嫌いから、お若い頃は負けると勝つまで何番も指すというようなところがあったそうだ。晩年、持病の悪化のため臥床するような時にもよく弟子の佐藤政治先生と指していた。森田先生は臥床していても玄関に誰が来たかわかるように鏡をセットしてあったから、逆に佐藤先生も森田先生の様子を見て病状を察して、将棋を指さずにそのまま帰ることもあったという。森田先生遺品の将棋盤と駒は弟子の高良武久先生が受け継ぎ、さらにその弟子の大原健士郎先生の手に渡っている。

 森田正馬全集(白揚社)第7巻の最後にある「我が家の記録」から将棋に関する記録を抜き出してみよう。

昭和三年九月二十一日、山内豊範公ヲ官幣社トスルニツキ委員トシテ相談会ニ華族会館ニ出席。宴後、仙石大臣ト囲碁、黒ヲ取リ一敗ス。次ニ山内子爵ト将棋三勝ス。

昭和四年三月二十四日、午後上野寛永寺ニ将棋会ニ行ク。来会者五百人余。余ハ十六級ニテ二番負ケ、又初段ノ人ニ六枚落ニテ負ケタリ。二十九日、将棋四級ノ人ト金銀ニテ勝チ、金銀桂一ニテ負ク。十八級位ナリトノ事。

 これを見ると、森田先生も五十代半ばにして大きな将棋大会に参加されたことがわかる。六枚落ちとは上手が飛車・角と桂馬2枚・香車2枚を落とす大きなハンデを付けての対局である。金銀落ちは今では行われていない。現代では簡単にアマ初段の免状が取れるようになったけれども、この時代の初段はめったにおらず、よほどの強豪であって、稀少価値からすれば今のアマ四段・五段に相当するだろう。森田先生の棋力も現代だったら5-7級クラスというあたりだろうか。滅法お強いわけではなかったが、いろいろな人たちと対局され、病床でも楽しんでおられ、実によい趣味だったと言えよう。

2016年4月18日 (月)

神経質礼賛 1256.熊本大地震

 414日以降、熊本県から大分県で繰り返し起きている大地震により多数の死傷者が出ている。倒壊したのは古い建物ばかりでなく、比較的新しい学生アパートまでもが1階部分が潰れてしまった。学生さんの犠牲者が出て、駆けつけた親御さんのお気持ちを察するといたたまれない。崩れた民家から赤ちゃんが無傷で救出された場面には感動した。山がザックリとえぐれるように崩れている写真を見ると、自然の力の恐ろしさを痛感する。もしその場に居合わせたらどうだろうかと思うと身震いを感じる。まだ大きな余震が続いていて危険なため、現場での救助や援助物資搬入もままならない状況である。何とか早く余震が収まって、本格的な救援が始まってほしいと祈るばかりである。

 地震で文化財の被害も相次いでいる。敵の攻撃を何重にも防御し、水の確保も万全な、難攻不落の熊本城も今回の地震にはかなわなかった。心配性で意外と神経質な加藤清正公(843話)にも想定外のことだった。

 今回の地震では活断層上の部分に極めて大きな被害が出ている。最近は原子力発電所の近くに活断層がないかどうかが議論されたり、小学校の校舎を建てる際にも活断層上を避ける工夫がされたりしている。活断層の所在位置は自治体のホームページで知ることができるので、自分が住んでいる場所や勤務先や学校の周辺はどうだろうかとそれを見て知っておいて損はない。いざという時に自分や家族の身の安全につながる可能性がある。

2016年4月15日 (金)

神経質礼賛 1255.鏡の中の姿

 毎朝通勤途中に通りかかるお寺・華陽院の掲示板には、ここ1カ月ほど落語家の春風亭昇太さんのポスターが貼られていたが、今週になってまた標語風の掲示に変わっていた。

「鏡には 姿ばかりが うつるぞと 思う心の あさましきかな  伝聖翁」とある。

それもそうだ。表情や姿勢にはその人の内面が現れるものだ。床屋さんの大きな鏡に映った自分の姿を見てずいぶん老けたなあと思う。お金を払おうとしたら、店の人にシルバー割引料金だと思われてしまった。「まだちょっと早いですよ」と笑って通常料金を払う。これはいけない。着ているものが年寄くさいのもさることながら、表情や姿勢や動きがピリっとしていないからだ、と反省する。

 森田療法では「外相整いて内相自ずから熟す」(8687話、拙著p.100)と言う。健康人らしくすれば健康になれる、ということである。「若さ」も同様なところがある。きりっとした姿勢でなるべく大きな声を出すように心がけたい。森田療法に関わる方々は御歳を召しても元気に活動しておられる方が多いように思う。80代になっても森田療法学会の場で若手の研究者に対して「打ち込み的助言」をされていた鈴木知準先生(372話)の姿を思い出す。大いにあやかろう。

2016年4月11日 (月)

神経質礼賛 1254.精神科薬の処方制限

 診療報酬改定により今月から精神科で処方できる薬の数が種類ごと2剤までに事実上制限されることとなった。例えば抗不安薬は2剤まで、睡眠薬は2剤まで、抗うつ薬は2剤まで、抗精神病薬は2剤まで、といった具合である。事実上というのは、全く処方できないというわけではないが、3剤以上処方すると保険点数が減点されてしまうのである。

 統合失調症の薬物療法では、かつては多剤併用が行われて問題となっていた。現在では副作用の少ない非定型抗精神病薬が普及し、初発の方では多くの場合単剤処方で治療できるようになってきた。しかし、経過が長い方でどうしても幻覚・妄想などの諸症状が残存していて、3剤使ってどうにかコントロールできているような方もいる。なるべく単剤で、なるべく低用量で、というのはよくわかるけれども、一様に2剤までと決められてしまうのは困る。

 一方で、こと神経症に関しては今回のことは良いことである。神経症の治療にはなるべく薬は使わないのが望ましい。不眠や不安を訴えて、睡眠薬や抗不安薬の服用がどんどん増えてしまうケースがある。特に問題となるのはハルシオン、レンドルミン、ユーロジン、ロヒプノール、デパス、ソラナックス、レキソタンといったベンゾジアゼピン系の薬剤だ。増量したその時は効果を感じても、しだいに「慣れ」が生じて、さらなる増量を希望するようになる。そして、減量しようとすると強い不眠や不安に襲われたり時には痙攣のような重篤な離脱症状を起こしたりすることもある。かつて森田正馬先生が指摘されているように、不眠に関しては生活習慣の改善、そして不安をなくすことはできないと認識することが重要ある。

2016年4月 8日 (金)

神経質礼賛 1253.幻の女性作曲家たち

 先日、大作曲家J.S.バッハの作品の一部を実は妻アンナ・マグダレーナが作曲していたというTV番組を見た。有名な無伴奏チェロ組曲も妻の作品だという衝撃的な説が紹介されていた。アンナは元ソプラノ歌手でバッハの後妻となり、多くの子供たちを産み育てながら、楽譜の浄書など夫の仕事を補助していたことはよく知られている。仮に彼女が作曲していたとしても、いわばバッハ工房作品、とでもいうようなもので決してバッハの価値が下がるわけでないけれども、事実ならば彼女の名も大いに顕彰されるべきである。

 他にも幻の女性作曲家がいたのかもしれない。モーツァルトの姉ナンネルも作曲していたが、男社会の中では彼女の才能を表に出せなかった、という話が映画になっている。実際に作品が最も多く残っているのは、シューマンの妻で名ピアニストだったクララ・シューマンかと思う。

 日本では女性作曲家として最も有名なのは、ピアノ曲「乙女の祈り」の作曲者テクラ・バジェフスカということになろうか。私はこの言いにくい名前をしょっちゅう忘れてしまう。ポーランドのピアニストで作曲家だったが、二十代で亡くなっていて他の曲は知られていない。面白いことに、「乙女の祈り」は日本以外ではあまり有名ではないらしい。ポーランドでも知られておらず、日本に留学した人が逆輸入してやっと母国で知られるようになったという話もある。この曲は私の住んでいる街では子供の頃からどういうわけかゴミ収集車のオルゴール音として使われていた。

 楽器の演奏者だと、楽器によっては手の大きさや肺活量が必要なために、やや女性に不利になるものもあるだろうけれども、作曲に関して言えば全く男女差はないはずである。以前、神経質な有名作曲家を何人か紹介してきたように、作曲は神経質が生かせる仕事だろうと思う。もっともっと女性作曲家の登場を願いたい。

2016年4月 4日 (月)

神経質礼賛 1252.記録媒体の相性問題

 自宅の机上で使っていたCDラジオが古くなって音量ボリュームを調整するとガリガリ大きな音を出すようになったので買い替えることにした。同じT社のCDラジオで大きさもほぼ同じ、机上に置きやすい薄型である。今度の機種はプリセット式の電子チューナーで、USBメモリやSDカードに録音や再生ができたり、再生速度の調整ができたり、と多機能のデジタル家電である。多くのCDをMP3でUSBメモリやSDカードに書き込んで再生できて便利だ。

 ところが、手持ちのSDカードにパソコンでデータを書き込んでセットするとエラーになってしまう。そこで、新品のSDカードを同じ店で買ってセットしてみたが、やはりエラー表示が出て使えない。まあ、USBだけでも使えていればいいのだけれど、せっかく買ったSDカードが使えないのでは気分が悪い。そこで、日曜日の早い時間帯に買った店に相談に行った。神経質ゆえ本体だけでなくテスト用に2枚のSDカードやCDやUSBも準備しておいた。同じ機種の展示品にSDカードをセットするとやはりエラーになった。ということは仮に本体を交換してもらっても、同じ現象が起こる可能性が高い。店員さんは新しく買ったSDカードの問題かもしれない、と言うので、同じメーカーのSDカードを出してもらって試すとやはりエラー。さあ困った。結局他のメーカーのSDカードを出してもらって使ってみたらエラーにはならず、録音・再生ともできるのが確認できた。そこでSDカードをそれに買い替える、ということで落着した。手間はかかったが、これでスッキリした。

 パソコンやビデオデッキなどのデジタル家電は記録媒体の読込・書込トラブルがよくある。いわゆる相性問題である。ビデオデッキではDVD-Rをずいぶんムダにした経験がある。たまたま個体の初期不良ということもありうるが、今回のように個体の問題ではなく、同じ機種のクセとでもいうケースもあるのだろう。メーカーが開発した段階で市販されているなるべく多くの種類の記録媒体で動作テストをしてから販売して欲しいものだ。

2016年4月 1日 (金)

神経質礼賛 1251.桜餅

 今年は桜の開花が少し遅かった。一昨日、患者さんたちのレクリエーションのお花見は、やっとチラホラ咲き始めたところだったそうだ。昨日、自宅近くの公園の桜を見ると日当たりの良いところは三分咲きになっていた。この週末はちょうど見頃になるだろう。お菓子屋さんの店先には「桜餅」の貼り紙があって、桜餅も満開といったところか。

私が子供の頃に食べた桜餅はもっぱら餡の周りを円筒形に薄皮で包んでその外側を塩漬けした桜葉で巻いたものだったように思う。これは関東風で「長命寺」というのだそうだ。江戸時代に隅田川の桜の落葉を塩漬けにしたものを利用して向島の長命寺にお参りに来る人々に売られたのが始まりだと言う。ところが最近では店頭に並んでいる桜餅は、道明寺粉で作った餅を桜葉で巻いた関西風(京風)の「道明寺」を見かけることが多いように思う。長命寺は主に関東・東北で作られ、道明寺は主に近畿・北陸以西で作られていて、静岡県はちょうどその境にあたるから両方見かけるのだろう。近頃の桜餅に関しては東軍より西軍の方が優勢なのかもしれない。そして、桜餅に使われる桜葉は伊豆地方の特産物であり、長八桜餅と言って2枚の大きな桜葉で餅をサンドイッチした独特のものもある。どの桜餅もそれぞれに美味しい。

桜餅を食べる時にいつも迷うのは、桜葉をはがすか、それとも一緒に食べてしまうかである。一緒に食べると桜葉の香りが口いっぱいに広がる反面、ちょっと塩気が強いし葉の筋が気になる。はがして食べるとせっかくの桜葉を捨ててしまうことになり惜しい。どちらにするか実に悩ましい。私はどちらかというと桜葉も一緒に食べることが多い。しかし、葉が大きい場合ははがしている。ちなみに桜葉の香り成分のクマリンは通常の摂取量では問題ないが大量に摂取すると毒性があるという。葉をはがして十分に香りを楽しんでから餅を食するのがベストということか。

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