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2016年4月25日 (月)

神経質礼賛 1259.無事

 毎日が雑事に追われてバタバタと過ぎていく。そうして歳を取っていく。出世も金儲けも無縁のパッとしない人生だ。しかし、あれこれ不具合はあっても、とりあえず毎日が送れているのだから、とても有難いことであって、これが「無事」ということなのかなあ、と思う。

 普通、無事と言えば、変わりなく健康で平穏であることを言う。一方、白隠禅師など著名な禅僧が書いた書に「無事」とか「無事是貴人」といったものがある。禅で言うところの「無事」とは求めなくてもよいことに気付いた安らぎの境地なのだそうである。

この言葉は、以前に紹介した「求不可得」(求めて得べからず、750話)という言葉にも重なる。森田療法では、不安をなくそうと求めてジタバタしても解決からは遠ざかってしまうので、不安はそのままにして仕方なしに行動していこう、ということになる。

今からちょうど20年前、第14回森田療法学会で「森田療法と生きがい」というシンポジウム(内容は翌年の森田療法学会雑誌第8巻第21997に掲載)が開かれた。「生きがい療法」の伊丹仁朗先生が座長で、慈恵医大の中村敬先生が青年期患者への森田療法、浜松医大の私がガン患者への森田療法、最後に生活の発見会の岡部陽吉さんが神経質人間と生きがいの発表をした。岡部さんは神経症だけでなく会社で左遷の憂き目にあい、いろいろと悩まれた。生活の発見会に入会されて二年ほどしたある日曜日に小さな庭の手入れを一生懸命にした。全身汗まみれになって風呂を浴び、冷たいビールを飲んだ時に、心地よい疲れとともに充実感が全身をおおい、これが幸福なのではないかと実感したという。幸福とは生きがいとは何かキラキラ輝く特別なものと考えていたが、幸福の青い鳥のように、遠くではなく近くにいたのだ。毎日を自分なりに真剣に生きる時に、心の喜びと充実感があり、それが幸福・生きがいになってくるのだ、という岡部さんの体験的な発表に、まさにその通りだと痛感した。

何の変哲もない平凡な日常。その中に幸福も生きがいもある。そして無事の境地がある。

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