神経質礼賛 1269.揚げ足取り
森田正馬先生は東京帝国大学卒業後、巣鴨病院(現在の都立松沢病院)に勤務していた。当時はそこに東大精神科の医局があった。現在のような抗精神病薬がなく、薬はかろうじて鎮静剤があった程度の時代である。森田先生は日本の精神医学の祖と言える呉秀三教授の指導を受けて作業療法を取り入れて当時としては先進的で開放的な治療を行っていた。規則正しい生活と作業はのちの森田療法のベースにもなっている。しかし、森田先生も苦労した「変質者」の患者が二人いて、「絶エザル不平ト難題トヲ持チカケラレ、余ハ苦痛ノ余リ或時ハ巣鴨病院ヲ辞職センカトサヘ思ヒタル事モアリキ」だったそうである。今で言えば重度のパーソナリティ障害ということになろうか。ガラスの薬瓶を投げつけられて危ない目に遭ったり、組み伏せられて腰を叩かれたりしたこともあったという。森田先生の後任として同じ呉門下生の石田昇医師が男子部主任になった。彼はこうした人達を聖書の言葉で訓戒しようとした。森田先生は「之ヲ聞キテ同君ニ訓戒ノ無効有害ナルヲ注意シタリシガ、果シテ其訓言ハ逆ニ應用サレテ却テ自ラ攻撃サルヽノ具トナリタルナリ」(白揚社 森田正馬全集 第7巻 p.777)という結果になったという。人の言葉尻をとらえ揚げ足を取るような人に対して、言葉だけの力で問題行動を是正することは極めて困難である。
私もそのような入院患者さんを担当して苦戦することがある。朝、出勤するのに気が重いことさえある。しかし、逃げるわけにはいかない。「黙って今日の草鞋(わらじ)穿く」(887話)である。何とも仕方がない。出光佐三(689・895話)のように、「気に入らぬ風もあろうに柳哉」を思い浮かべ、ひるむ心に鞭を打って家を出る。スタッフの皆さんと力を合わせてやっていけば必ず何とかなると信じて。
ところで、前出の石田昇(1875-1940)は森田先生より1歳若く、極めて優秀な精神科医だった。29歳にして『新撰精神病学』という精神医学の教科書を著し、schizophrenia(統合失調症)の訳語を分裂病とした。わずか31歳にして長崎医専(長崎大学医学部)教授に就任する。ところが、40歳を過ぎてアメリカの名門ジョンズ・ホプキンス大学留学中に自身が統合失調症を発病。幻聴と妄想に基づいてアメリカ人の同僚医師をピストルで射殺し、死刑判決を受ける。のちに終身刑に減刑されて日本に送還され、かつて自分が勤めた松沢病院に入院し、結核のため亡くなっている。たとえ専門家であっても自分が精神病になってしまうと病識がないということなのである。
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コメント
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大変興味深い記事でした。森田先生の擬古文、「之ヲ聞キテ同君ニ訓戒ノ無効有害ナルヲ注意シタリシガ・・・自ラ攻撃サルヽノ具トナリタルナリ」は読みやすくわかりやすいですね。土佐の人は「話がそのまま文章になる」というのを森田先生の本で見た覚えがございます。
関連の記事をネットで見ますと石田昇の弟は検事だったのに軍部の横領を追及して変死したなど、まだ百年足らずの近代なのに、日本はナチスや北朝鮮みたいなことやってたんですねえ。
それにつけても森田先生の偉大さと味わいには本当に心酔いたします
投稿: たらふく | 2016年5月30日 (月) 00時10分
たらふく 様
コメントいただきありがとうございます。
森田先生が活躍された時代は軍国主義の足音が大きくなっていった時代です。だんだんと言論も統制されていきます。お国のために命を捨てよという風潮の中で森田先生は「生の欲望・死の恐怖」を唱えたわけですから大したものです。
投稿: 四分休符 | 2016年5月30日 (月) 21時02分