フォト
無料ブログはココログ

« 神経質礼賛 1263.さざれ石 | トップページ | 神経質礼賛 1265.自動車税 »

2016年5月 9日 (月)

神経質礼賛 1264.負けの味

 5月7日(土)の毎日新聞に「名作の現場」という記事があり、今回は平家物語をテーマとしていた。名作の舞台となった地を訪ねる案内人はエッセイストの酒井順子さんで、今ぞ知る「負け」の味、という見出しが目を引いた。若い頃は「勝」「上」「進」を求め上昇志向であるが、歳を取るにつれ挫折を味わわざるを得ず、敗者への親近感を抱くようになる。平家物語は大人のための話であって、負けること、滅びることを前提としているこの物語は、負けることを存分に味わうための書である、という酒井さんの解釈にはうなずける。

 もう少し前の貴族全盛の時代に作られた、華麗な王朝文学と思われがちな源氏物語にしても、出世や恋の世界で勝利して頂点を極めた光源氏が老いとともに因果応報とも言える辛酸を味わいついには愛する人を失い出家を志して亡くなっていく、という流れを考えると実は同様なのかもしれない。

 神経質人間は負けず嫌いであり、失敗したことをいつまでもクヨクヨ嘆きがちである。しかしこれは悪いことばかりではない。家康公遺訓に「勝つことばかり知りて負けることを知らざれば、害その身に至る」とあるように、うまくいった時のことばかり考えて都合の悪いことは忘れて反省しないようでは同じような失敗を繰り返してしまうであろうし、敗者への思いやりに欠けた自己愛のかたまりのような人間になってしまう。負けを味わい負けを知ることも必要である。それに、どんな人でも生きている以上、老・病・死からは逃れることはできない。「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」と豪語した藤原道長(413話)でさえ、晩年は糖尿病やその合併症に苦しみ、パニック発作に悩まされたことは以前に書いた通りである。誰しも歳を取れば思うにまかせないことは増える一方である。そんな中でも「生の欲望」に沿ってできることを積み重ね、生き尽くしていくのが、森田的生き方の真骨頂なのである。

« 神経質礼賛 1263.さざれ石 | トップページ | 神経質礼賛 1265.自動車税 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 神経質礼賛 1263.さざれ石 | トップページ | 神経質礼賛 1265.自動車税 »

最近のトラックバック

2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31