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2016年6月29日 (水)

神経質礼賛 1280.早く手を出す

 私たち神経質人間は、いろいろ思いついてもそれを行動に移すのに時間がかかる。せっかく良いことを思いついても、その手間を考えて面倒だなあ、どうしようかなあと思案してみたり、他の人がどう思うだろうかと気になったりして、結局何もしないまま終わるということがよくある。万事、熟考してから行動するので、大きな失敗は少ない反面、チャンスを逃しがちである。森田正馬先生は「腰を軽くする」「早く手を出す」ということをよく患者さんたちに指導しておられた。


 
 いま、神経質の気質を、いかにして変化させるか。これは面白い問題ですが、ここの治療を受けて、気の重いのが、軽くなったという事を自覚されている人も多いことと思う。つまり、ここへ入院すると腰が重くなくなる、手が出やすくなる、鋳型主義・理想主義にとらわれなくなる。予定や設計をせず、時々の感じや物に触れて、早く手を出す癖がつく。これが一番大切。しかし、これは神経質に限る事で、意志薄弱性や発揚性気質の者は、なかなか容易にこれを感化・改良する事はできない。

 ではいかにしてこのようになるか。理屈をつければ、万物流転・諸行無常で、万事世の中の事は、予定通りに行くものではないという事を体験自得して、その理想主義・標語・格言主義を捨てる事になる。この事が、治った人には、チャンとできている。(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.422


 
 森田先生の指導を受けて書痙と対人恐怖がよくなり、のちに形外会の副幹事として神経質者たちにアドバイスをしていた山野井房一郎さんは著書『神経質でよかった』の中で能率的生活6か条を提唱している(660話・661)。それは

(1)やさしいことから手をつける

(2)理屈は後回しにして、とにかく手を出す

(3)少しのひまがあれば手を出す

(4)場所を選ばないで仕事にかかる

(5)時々仕事をかえる

(6)億劫なときは無理にはしないが、仕事はしまいこんでおかず、常に目につく所においておく

 というもので、「早く手を出す」ことの重要性を強調しておられる。とにかく理屈より行動である。

2016年6月27日 (月)

神経質礼賛 1279.顔

 

 来月は5年に1回の精神保健指定医の更新のための研修会に出なくてはいけない。その際に新しい指定医証のための顔写真を提出する必要があり、あわてて顔写真を撮ったのだが、いかにも老人顔に見えてガッカリである。しみやホクロが増え、皺も目立つのはともかく、一番印象を左右するのはやはり髪だろうと思う。額が後退して白髪が多くなっているとなるとどうしても年寄に見えてしまう。

 

 80歳近い男性の患者さんが初診でそのまま入院になった。髪はふさふさ黒々としていて、かなり若そうに見えた。染めているのだろうと思った。ところが、病棟に入ってこの髪はカツラだったことが判明した。就寝時も入浴時もはずそうとしない。汚れていて不潔であるため、はずすようスタッフが説得するのにとても苦労したそうだ。現在カツラは付けていないので年齢相応に見える。

 

 メディカル朝日の5月号に、大原健士郎教授の時代の浜松医大精神科にいたM先生の記事が4ページにわたって載っていた。歳は私と同じ。私と同様、早大理工学部の出身者である。ただし、現在は名前を改め、男性から女性になっていた。当時よりも髪を伸ばし、綺麗にお化粧して笑顔で写った写真を見たら、40歳位の女医さんに見える。現在、東京でクリニックを開き、性同一性障害(GID)の人々の治療にあたっておられるとのことである。

 

 かつてアメリカの大統領リンカーンは「40歳を過ぎたら男は自分の顔に責任がある」と言ったそうである。また、評論家の大宅壮一は「男の顔は履歴書」という言葉を残している。そういえば、先日、東京都知事を辞任した人などは、「ゲゲゲの鬼太郎」に出てくる「ねずみ男」そっくりのズルさ丸出しの風貌だったなあ、と思う。

 

 私は髪は染めず、まさに「あるがまま」である。着るものも地味である。いつも妻から「もう少し何とかならないの?」と小言を言われている。ショボくて年寄っぽく見えるのは仕方がないが、中身までショボくならないように気をつけたい。

 

2016年6月24日 (金)

神経質礼賛 1278.ジャガイモ

 森田療法の患者さんたちが畑作業で野菜を収穫してくると、職員出入口に近い廊下の隅の机の上に並べ、無人販売が行われている。このところキュウリとともにメークイン・キタアカリといったジャガイモが並んでいる。一昨日、病棟の仕事を終えて廊下を歩いていたら、大量のキタアカリが並び、「今年最後の収穫です」と書かれていた。一袋150円。スーパーで買えば倍以上の値段である。これはぜひゲットしなくては。サイフを開けてみると、あいにく50円玉がない。そこは神経質。突然小銭が必要な場合に備えて自分の机の中にはフィルムケースに500円玉から5円玉まで揃えてあるのですぐに取ってきて買った。仕事帰りに母のところへ届ける。

 キタアカリは男爵芋系であり、形は丸っこい。メークインに比べると煮崩れしやすく煮物にはあまり向かずコロッケやマッシュポテト向きと言われているが、歯が悪くなった母には煮物でもちょうどよいかもしれない。ジャガイモと言うと、でんぷんの塊・高カロリー・太るというよからぬイメージがある。しかし、そのでんぷんがビタミンCの熱崩壊を防いで、煮物にしてもビタミンCが結構残っているという。そしてカロリーも実は御飯よりも少ないし、カリウムを多く摂れるから高血圧を心配する人によい。ジャガイモは意外にも健康食なのである。

2016年6月20日 (月)

神経質礼賛 1277.善玉菌が少ないとうつ病になる?

 6月18日付毎日新聞夕刊に「うつ病 腸内善玉菌少ない」という見出しで国立精神神経医療研究センターとヤクルトの共同研究結果が紹介されていた。腸内細菌は脳の機能に影響を与えるというような研究報告が最近増えているという。今回の研究は、うつ病患者43人と健康人57人のビフィズス菌やラクトバチルス菌といった腸内善玉菌数を比較分析したもので、便1g中ビフィズス菌数が34億個以下、ラクトバチルス菌が309万個以下だと、うつ病発症リスクがそれぞれ3倍、2.5倍になるという結論を出している。

ヤクルトが研究費を出しているところをみると、「ヤクルトを飲んでうつ病を予防しましょう」という結論が欲しいことは容易に想像できる。現段階では、腸内善玉菌が減少するとうつ病になる、と断定はできない。うつ病になった結果、腸内善玉菌が減少した、という可能性もあるからだ。うつ病になると食欲が低下して、1か月に3kgとか5kg体重減少をきたすのはザラである。十分に栄養が経口摂取できなくなって一種の飢餓状態に陥るわけで、そのために腸内善玉菌が減少することも考えられるからだ。本当にうつ病予防効果があるかどうかを調べるためには年数のかかるもっと大規模な疫学調査も必要になってくるだろう。

ともあれ、精神病と関係の深いセロトニン、ノルアドレナリン、ドーパミンといった神経伝達物質はアミノ酸から作られる。その化学反応には多くの酵素やエネルギーも必要である。よくTV番組で喧伝されるように「○○が体によい」という単純なものではなく、古くから医食同源と言われているように、バランスよく栄養を取っていくことが病気を防ぐ上で重要なのだと思う。

2016年6月17日 (金)

神経質礼賛 1276.マウンティング

 先日、TVの歴史番組で江戸時代初期の福島正則改易について取り上げていた。台風の水害のため損壊した広島城を修復した件を二代将軍徳川秀忠から武家諸法度に反すると咎められ、城の破却を命じられた。それに十分に従わなかった結果、関ヶ原の戦いの大功労者だった正則だが安芸・備後五十万石の所領を没収されてしまったのである。秀忠からの破却命令について、番組に出演していた脳科学者の中野信子さんは一種のマウンティングであると発言していた。確かにそういう見方もできるかもしれない。以前、「いじめはなくならない」(824話)の中で、ニワトリのつつき、順位制について書いた。マウンティングとは順位制の一種であり、サルの集団でよく観察されている。強者が弱者に乗っかって力を誇示し、弱者は恭順を示すことで、集団の中での個体の順位が定まり、無用な争いが避けられる仕組みである。

 最近はマウンティング女子という言葉があるらしい。会話の中で、巧みに相手を貶めて自分の優位性を示すような女性を言うのだそうだ。そうした人は周りの人々に嫌な感情を惹起させる。男の世界だと、ハッキリしたパワーハラスメントが出るところ、女性の多い職場や学校やママ友など女性同士の集団だと、表面的には友好的であっても水面下で言葉のバトルが繰り広げられることもあるのだろう。

 周囲からどう思われるかを気にしやすく控えめな神経質人間は、マウンティングをされる側になる可能性がある。どう対処したらいいのだろうか。まともに相手にしていては疲れてしまう。やはり「気に入らぬ 風もあろうに 柳かな」(89)で受け流す。そして、沸き上がった嫌な感情は、「感情の法則」(442)を思い出して、別の行動で解消していくのが得策のように思う。

2016年6月13日 (月)

神経質礼賛 1275.仕事が人を治す(2)

 私が勤務している病院には社会復帰施設やグループホームがないため、退院して帰る自宅のない精神病の患者さんたちは、隣市にある社会復帰施設などに受け入れをお願いしている。先週の金曜日は退院した患者さんたちを受け入れていただいている社会福祉法人を看護師さんやケースワーカーさんと一緒に見学に行った。そこでは18歳から80歳まで50人位の利用者さんたちが作業に取り組んでいた。就労継続B型作業所であり、自動車部品の組立作業、廃品の仕分け作業、小物の縫製作業、空き缶つぶし、ラスクの製造、調理実習などの仕事がある。別の場所には喫茶店や弁当製造の最低賃金が保証されたA型作業所もある。それらを見学し、施設長さんのお話を聞いて、調理実習で作られた昼食をいただき、さらに、グループホームも見学させていただいた。かつては東海大学のキャンパスが近くにあったが、数年前に閉鎖されてしまい、学生マンションが空き部屋になっているところをグループホームとして使うようになったこともあって、地域の受け入れも比較的良好とのことである。部屋の冷蔵庫には、掃除・ゴミ出し・御飯焚きなどの当番表が貼ってあった。

 入院時、私が担当していた患者さん二人もそのグループホームに住み、作業所に通っている。一人は退院して1年弱、もう一人は退院して3カ月である。入院中は、午前中の作業療法には参加するものの、午後はベッドに寝て過ごしていることが多かった。今ではキリっとした表情で作業に取り組み、笑顔であいさつしてくれた。入院していた時とはすっかり変わり、健康人そのものである。

 入院生活は上げ膳・据え膳であり、自分のベッド周辺の掃除をすることすらない。昔は状態の良い患者さんには職員と一緒に配膳・下膳や掃除を手伝ってもらったこともあったが、それは使役にあたるからけしからん、という県の指導により現在は行われていない。入院患者さんの6割位は統合失調症の患者さんであり、慢性期の無為自閉症状を持った人が多く、どうしても寝て過ごすことが多くなってしまう。統合失調症の治療は薬物療法が基本ながら、仕事の大切さを痛感する。以前書いたように仕事が人を治す(154話・拙著p.17)という面があるのだ。

 ましてや精神病ではない神経症の人が部屋にひきこもってゴロゴロしているようではいけない。「神経質が自己の苦悩のうちに埋もれて布団を被って寝ておれば、心身の機能は自然に沈下低減していくことは、当然の帰結である」と森田先生の高弟・古閑義之先生の言葉の通りであって、自分で不健康状態を作り出しているのである。神経症の本当の特効薬は仕事なのである。

2016年6月10日 (金)

神経質礼賛 1274.水素水

 最近、水素水と称するものが流行っている。ペットボトル入りのものが売られているし、水素水を作る装置が有名電気メーカーから発売されている。健康番組大好き人間の妻がいろいろTV番組を見て、今にも買わんばかりの勢いである。そもそも水素水とはどういうものなのだろうか。水素を多く含んだ水のことで、水に直接水素ガスを溶解させる、あるいは水の電気分解で作られる。

電気分解で作られるアルカリ電解水は胃腸症状を緩和する効果があると考えられていて、かなり前から電子イオン水とか呼ばれて生成装置が販売されていた。私の母方の親類で、その代理店をしていた人がいて、私が子供の頃、物好きな父が購入した。かなり高価だったはずである。大きな木箱2つの装置で、片方は電圧計と電流計がついた直流電源器、もう一方には四角形のポリタンクと内側に円筒状の陶器が入っていて、そこに水を入れ、大きな炭素棒電極が5本(中央に1本、四隅に各1本)付いたものを上からセットして電流を流すと、炭素棒に小さな気泡が発生した。何のことはない電気分解装置である。陶器の中にできる方が飲用であり、これが今で言う所の水素水だった。3、4年は使っただろうか。私も時々その水を飲まされた。別に目立った効用があるはずもなく、手入れも面倒だから、そのうち押入れに入れられたまま忘れ去られていた。昨年、旧実家の片付けをしていて出てきたので、燃えないゴミとして処分した。

 水素水の効用はいろいろ言われているが、何百人、何千人を対象とした二重盲検試験(どちらが本物か与える側も与えられる側もわからない条件で実薬投与群とプラセボ(偽薬)投与群を比較して調べる試験でありプラセボ効果を除外するためには必須)で結論を出してはおらず、どれも数人から数十人規模の少数のデータで医学的な効用の可能性を謳っているため、本当のところはまだわからない。それに水素水といってもどれだけ水素を含有しているかという問題がある。水素が有害な活性酸素を還元してくれそうな気はするが、飲んだ場合、胃以外の組織に水素がどうやって達するのか疑問である。そもそも水素水は疑似科学だとする批判もある。万病に効くというような話は極めて怪しい。今年の3月には消費者庁が一部の行き過ぎた医学効果を宣伝している業者に対して業務停止命令を出している。マルチ商法まがいの販売方法を行っている業者があるのも問題である。あわてて飛びつくことはない。買うのは科学的なデータが蓄積されて評価が定まってからでよい。

2016年6月 6日 (月)

神経質礼賛 1273.不眠症の椎名誠さん 

 6月3日付毎日新聞夕刊の「人生は夕方から楽しくなる」というページに作家の椎名誠さん(71)のインタビュー記事があった。新宿の酒場でニコニコしながらビールを飲んでいる椎名さんの写真が大きく出ている。若い頃から一晩にビール大瓶1ダース以上という大酒家は「年相応に酒量も減って、ビール大瓶2本にワイン、焼酎を毎日飲む」程度になったのだそうだ。椎名さんは長年にわたり不眠症に悩まされてきた。深酒したり好きな落語を聞きながら寝ようとしたりしたが効果はなかった。結局、「安らかな自然な眠りは戻ってこない」とあきらめて、眠れない自分を受け入れ、睡眠薬を上手に使い、精神が楽になる道を探すしかない、ということである。今も不眠は頑固だけれど、ちょっとした時間を見つけて少しまどろみソファで目を閉じる、それで日々をやりくりしていければいいや、と考えているという。

 何本も連載を抱えるプロの作家ともなると原稿の締め切りに追われ、ストレスフルな上、どうしても生活が不規則になるから、良質な睡眠はとりにくいことは容易に想像できる。酒量が減ったと言っても、アルコール依存症レベルの飲酒量である。アルコールは睡眠の質を悪化させることは、当ブログで何度も書いている通りである。飲酒した上での睡眠薬はさらにいけない。それが常態化していると、もはや耐性がついてしまっていて、ますます眠れないということになってしまうのである。一医師としては、何とか週1、2日は休肝日を作って、アルコールと睡眠薬の併用はやめて、お体を大切にして良い仕事を長く続けていただけたら、と思う。

 しかしながら、長年の不眠症に悩まされた挙句に達した、眠れなくてもよい、体を休めて、それで日々の生活が続けられればそれでよいのだ、という結論は、森田療法の不眠への対処法と同じである。神経症性の不眠は「眠らなければいけない」という過度のこだわりによるものであり、眠れなくてもよいのだ、と開き直った時、悩みは消えている。そして、神経症性の不眠では、本人は「一睡もしていない」と主張しても、実際にはそれなりに眠っているものである。

2016年6月 5日 (日)

神経質礼賛 1272.麩饅頭

6月になって私が住んでいる地方も梅雨入りした。空はどんより曇り、時々弱い雨が降る。それでも7月の梅雨明け前に比べると暑さがない分過ごしやすい。夕方、駅のホームで列車を待っている時には風が少し冷たく感じ、まだ薄い上着は必要である。

 昨日、仕事帰りに和菓子屋の前を通ったら、麩饅頭があったので、買って帰った。日持ちがせず、その日のうちに食べなくてはならないので、母のところに1個置いてきて、週末、義父のところへ行く妻にその分を渡した。保冷剤を追加して持って行ってもらうのが神経質らしいところである。今年になって初めて食べる麩饅頭だ。包んである笹の葉の香りもよい。冷たくもちっとした食感が何とも言えず、嬉しくなる。ここの麩饅頭は粒あんで生麩はヨモギ入りである。京都へ行った時に買って帰る有名な麩嘉の麩饅頭はこしあんで、生麩は青のり入りだったように思う。旧実家の近くの和菓子屋さんでは毎年6月になると、青のり・こしあんタイプとヨモギ・粒あんタイプと両方作っていた。どちらのタイプか一見してわかるように、笹の包み方を変えてあって神経質が行き届いていた。両方買って食べ比べると甲乙つけがたかった。残念ながら一昨年あたりから店主の体調が悪いのか、休業が増え、この頃店は閉まったままだ。麩饅頭はこの季節のささやかな愉しみである。和菓子屋さんの店頭でつい足が止まる。

2016年6月 3日 (金)

神経質礼賛 1271.アドラー本ブーム

 街の大きな書店の目立つ場所に『嫌われる勇気』などのアドラー心理学関係の本が平積みされているのをよく見かける。読みやすくしたマンガ本もある。今年NHKのEテレで番組が組まれたりTVのニュースでも取り上げられたりして、ちょっとしたブームになっている。

アドラー(弘文堂の新版精神医学事典ではアードラーと表記:Alfred Adler 1870-1937)はハンガリー系ユダヤ人でウィーンに生まれた。ウィーン大学医学部を卒業した後、ウィーン病院に精神科医として勤務し、フロイトの研究会に参加していた。神経症の原因が性的な心的外傷にあり、その原因を追究しようとするフロイトの精神分析から、やがてアドラーは離れて、目的論的立場を主張していくようになる。そして自らの心理学を個人心理学と呼ぶようになった。アドラーは、すべての人間はなんらかの身体器官の劣等性を持ち、それを補償しようとする傾向により、その人の生き方が影響されると考えた。アドラー自身、幼少時は病弱であり、母親からかわいがってもらえず、低身長だった。また、内科医として開業した場所が遊園地に近く、そこで働く軽業師や大道芸人などの患者たちの多くが実は幼少時は病弱だったり身体的な欠点があったりしながら、それを努力により克服して生計を立てていることを知り、「補償」「過補償」の理論を考え出したと言われる。フロイトのように過去志向ではなく、今ここで、を重視した未来志向であり、自分の行動や思考の目的を見出していくところに特徴がある。アドラーは教育方面にも力を注ぎ、児童相談所を設立している。彼の教えの中には、ありのままの自分を受け入れる、他人の役に立ってみる、といったものがあって、森田正馬先生の教えとも重なる部分を持っているように思う。

森田先生が形外会で語ったことは白揚社の森田正馬全集第5巻に収録されていて、当ブログでもたびたび紹介しているが、神経質者のみならず誰にも役に立つ教育的なものを含んでいる。アドラー本に負けずに森田正馬先生の存在を世に知らしめていく必要があると思う。

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