神経質礼賛 1283.欲望と恐怖の調和(2)
私の師であった大原健士郎先生は森田理論について次のように述べておられる。
森田理論では、およそ対立概念というものがない。「生の欲望」と「ヒポコンドリー性」を例にとっても、一見対立概念に思えるものが、人格という一つの器の中で調和を保っている。ともすれば見落とされがちな「調和」の概念は、森田の人生観を象徴するものである。(大原健士郎著『森田療法』世界保健通信社p.190-191)
欲望と恐怖の調和ということで650話に書いているが、そこに引用したのとは別の部分を森田正馬全集から紹介してみようよう。
ハラハラというのは、あれもしなくてはならない、これもしたいという欲望の高まる事であって、これがために自分の異常に対して、一つひとつこだわっていられなくなり、そこに欲望と恐怖の調和ができて、神経質の症状がなくなるのである。ちょっと考えると、忙しくて気が紛れる、という風に解釈されるようであるけれども、決してそれだけではない。
ここの療法で、その症状だけは、単に苦痛もしくは恐怖そのものになりきる事によって、治る事ができるけれども、これが根治するのに、さらに欲望と恐怖との調和を体得する事が必要であります。(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.112-113)
言い換えれば欲望→強力性と恐怖→弱力性の調和ということになる。強力性と弱力性のバランスが取れてこそ、神経質性格の良さが最大限に生かせる状態になるのである。時に、薬物療法、特にSSRIの服用で不安や恐怖がなくなったのはよいが、妙に図々しく傍若無人となって、周囲の人たちから嫌われたり、トラブルを起こしたりする人がいる。弱力性が強すぎて不安や恐怖に圧倒されて日常生活が立ち行かなくなるようでは困るが、弱力性が消えて強力性が前面に出て、自己愛が暴走してしまっても困ったことになるのである。やはり神経質は小心なままが良い。当ブログにたびたび登場している神経質人間の徳川家康にしても、小心で心配性の弱力性ゆえ周囲に気を配り細心の注意を払うとともに、負けず嫌いで粘り強く完全欲が強い強力性とがうまく調和することによって、天下を収め太平の世を創造する大事業に成功したのである。不安を抱えながらビクビクハラハラのままで前へ前へと進んでいくのが神経質人間の本領である。
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香菜子です。「妙に図々しく傍若無人となって、周囲の人たちから嫌われたり、トラブルを起こしたりする人がいる。」、まさしく自己愛が強すぎてプライドが高過ぎる私に当てはまります。でも最近は反対に不安や神経質で頭が一杯になってしまうことのほうが多くて苦しんでいます。傲慢で傍若無人でもなく、過度な心配症・神経質でもなく、普通を目指すというのは私には難しいです。森田先生の森田精神を学べば答えが見えてくるのでしょうか。香菜子
投稿: 香菜子 | 2016年7月 8日 (金) 12時02分
香菜子 様
コメントいただきありがとうございます。
「自己愛が強すぎてプライドが高すぎる」と自省される方は人に迷惑をかけるようなことはありませんのでどうぞご安心下さい。問題を起こす方はそのような考えの浮かばない人です。
ちょっと長くなりますが、森田先生の言葉をご紹介しておきます。
僕の「形外漫筆」の中に、「白痴は常に自分を利巧と思う」という題で書いたものがある。多くの場合に、自分の考え方とは丁度反対になる。知恵の足りない人ほど、自分は知恵が多いように思っている。皆さんの内にも、自分は意志薄弱であると思う人は知恵があり、かつ将来ますます知識の進歩する人であるから、安心してよろしい。これに反して、自分は頭がよい・読書でもなんでも、よく理解ができると思う人は、なかなかあてにならないから、充分心配するように心掛けて下さい。(中略)なお皆さんの内で、自分は素直・従順であり・人に対して、思いやりがあるとかいう人は、みなその反対であるから、よくよく自省して下さい。また自分は礼儀正しい、人に親切を尽くしている・とかいう人は、常に人のきらう事や・迷惑をも顧みず、無理に自分の礼儀を押し通し、親切の押売りをする人であるから、よくよく気をつけて下さい。
僕の『根治法』の内に、「赤面恐怖は、恥知らずになり不潔恐怖は、ますます不潔になる」と書いてあるのも、みな自分の気分と事実とが、反対になる事柄を示したものであります。(中略)
「自分は頭が悪い、読書が少しもできぬ」と苦しむ人が、学校成績は一番になったりする事もあるように、およそ神経質は、何事につけても、いわゆる劣等感で、自分の悪い方面ばかりを考えるものであるから、事実においては、神経質は常に善良優秀なる人であるべきである。これがすなわち我々が、神経質に生まれたという事を感謝すべき事柄であります。これに反して、ヒステリーとか・意志薄弱性素質とかの人は、常に自分のよい面ばかりを考えて、独り得意になっているから、丁度神経質と反対になります。(森田正馬全集 第5巻 p.432-433)
あなたの心配性や不安になりやすいということは、よりよく生きたいという向上心のあらわれなのです。それを否定せずに(あるがままに)大切に生かしていけばよいのです。
投稿: 四分休符 | 2016年7月 8日 (金) 22時03分
「森田先生の言葉」のご紹介有難うございます。
森田先生はユーモア感覚が素晴らしいですね。
もし森田先生のお話をその場で聞いていたら、わたくしはブーッと吹き出してしまうでしょう。
一方で先生は厳しくも叱られていた印象があります。大きな方ですね
投稿: たらふく | 2016年7月 9日 (土) 01時49分
たらふく様
コメントいただきありがとうございます。
最近は笑顔の森田先生の写真を元にした絵がよく使われていますが、実際のところは大部分の写真がそうであるように、神経質らしくちょっと近寄りにくい雰囲気を持っておられたと思います。生活の中で患者さんを指導する際には言葉少なく、お弟子さんを厳しく叱ることもありました。入院患者さんも叱られるのを恐れて先生から逃げ回っていた人も少なくなかったようです。しかし、月1回の形外会の場では気さくに話をされ、その後で参加者と一緒に盆踊りをしたり、畳の縁を綱に見立てた綱渡りの芸を披露するといった面もありました。ユーモアのある方だったことは間違いありません。
もし、タイムマシンがあって、私が森田先生のところの入院患者になっていたら、いつ叱られるかとビクビクしていたことでしょう(笑)。
投稿: 四分休符 | 2016年7月 9日 (土) 14時20分