神経質礼賛 1304.井伊直虎と直政(1)
この週末は梓澤要著『城主になった女 井伊直虎』(NHK出版)を読んだ。井伊直虎は来年のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主人公であり、何かと話題になっているが、井伊家について書かれた歴史書にも詳しくは取り上げられていない。先日、書店でこの本を見つけて買ってみた。
井伊氏は現在の浜松市北部にある井伊谷を本拠地とした一族であり、始祖は平安時代の藤原氏の流れという。平安末期には源義朝に従い、その子・頼朝の鎌倉幕府では有力御家人の一つだった。南北朝時代には後醍醐天皇の第四皇子・宗良親王が井伊氏を頼って身を寄せたこともあった。室町時代は足利一門の今川氏と斯波氏の争いに巻き込まれるが最終的には今川氏のもとで井伊谷の領主となる。直虎は22代当主の井伊直盛の一人娘であり、大叔父の直満の息子・亀之丞(のちの直親)と結婚して亀之丞が後継者となる予定だった。ところが家老の小野政直が、謀叛の疑いありと今川義元に讒言したため、直満はその兄とともに駿府に呼び出されて謀殺され、亀之丞も捕らえて殺せという命令が下った。このため亀之丞は信濃国に逃れ、彼女も出家して次郎法師と名づけられる。十年後に亀之丞が戻り、直親と名乗ったが、桶狭間の戦いで直盛や重臣たちが戦死し、さらに直親も今川氏真に呼び出されて駿府に向かう途中に掛川城主・朝比奈氏の配下に襲われて家臣十八人とともに殺された。井伊家唯一の希望は数えで二歳になる直親の遺児・虎松(のちの直政)だけである。次郎法師は直虎と名乗り女地頭となり、虎松の後見人となる。その後、今川・武田・松平の戦いが繰り返されて井伊谷は何度も焼野原となり、直虎は虎松を鳳来寺に預けて井伊家菩提寺の龍潭寺の維持や領民たちの保護に力を注いだ。「おんな城主」というネーミングからは派手な武者姿を想像してしまうが、本当は井伊家と井伊谷の領民を守るために黒子のように働きぬいた人だったのである。出家して禅の修行を積み高い教養も身に付けた上で、「己の性(しょう)を尽くし 人の性を尽くす」(350話)を実践した、すばらしい女性であったことは確かなようである。
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