神経質礼賛 1309.弓
土曜日の朝、いつもと同じ時刻の列車に乗るために駅に向かう。平日に見かけるサラリーマンやOLや制服姿の学生さんの姿は少なく、同じジャージを着た運動部らしき高校生のグループとよくすれ違う。そして、切符券売機や改札近くには弓を持った高校生のグループをいくつも見かける。何か大会があるのだろう。着物に袴の弓道着姿で、長い弓を立てているのでとても目立つ。神経質ゆえ、横を通る時に弓がこちらに倒れてこないか心配であり、改札を通るまでは気を付けている。
私はやったことがないが、弓道は極めて高い集中力を要求される競技だろうと思う。森田正馬先生は、患者さんたちに次のように言っておられる。
兼好法師のいってある事に、弓をひく者が、矢を二つ持ってはいけない、必ず一つの矢で射なければ、二つの矢を試す気になって、真剣にならないから、結局二つともあたらないという事がある。試すとか手習いするとかいう事がいけないのである。この練習練習という事が、今日教育上の大なる弊害の一つである。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.203)
これは、入院生活の中の作業を「練習」だと思い込んでいる患者さんに対して徒然草の一節を引用して注意した言葉である。一本の矢で決めなくてはならないとなるとプレッシャーが強く緊張感にさいなまれる。二本のうちどっちか当たればいいや、と思えば緊張は軽くなるけれども、集中力も緩みがちとなって、結局は両方とも外すということになりかねないのである。誰しも緊張するけれども、神経質人間は特に緊張を感じやすく、それを苦にしやすい。しかし、緊張は自然なことであるし、逆に緊張感が抜けた温泉気分ではよい成果は得られない。リラックスしなくてはいけないと焦る必要はない。ハラハラするままに、臨機応変、事に当たって、適応して行ければよいのである。
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ここ何年か大一番を前に「楽しんできます」という選手が増えました。こういうのはメンタル面のコーチの影響なのでしょうか?
アメリカなど軍事の必要から研究もされてきたのでは、と想像します
投稿: たらふく | 2016年9月26日 (月) 23時50分
初めまして。まさとし(匿名)です。このたび、真の森田療法を追求する、というブログを作りました。よろしかったら、ご覧いただけないでしょうか。
投稿: まさとし | 2016年9月27日 (火) 04時39分
たらふく様
コメントいただきありがとうございます。
選手たちが判で押したように「楽しんできます」と発言するのには少々違和感を感じます。「緊張してますけれど、できる限りがんばります」で良いのでは、と思います。そして銀メダルや銅メダルになって悪いことでもしたようにうなだれて「東京でリベンジします」と言わなくても、メダルを取れたのは立派なのだから「精一杯頑張りました」と胸を張れば良いのでは、と思ったりします。
投稿: 四分休符 | 2016年9月27日 (火) 20時50分
まさとし様
ブログ拝見いたしました。是非これからも長く続けられることを期待いたします。
よろしければ「京都森田療法研究所」HPも御覧下さい。「ブログ」や「研究ノート」を見れば長年、三聖病院に勤務されていた岡本重慶先生の真摯な森田療法に対する見解に触れることができます。
投稿: 四分休符 | 2016年9月27日 (火) 21時07分
お返事ありがとうございます。神経質礼賛のこのブログは、少なくとも8年前から書いておられるようですね。たいへんご立派なことと尊敬申し上げます。岡本先生の京都森田療法研究所は少しだけみております。いろいろと勉強させていただきます。私のブログでの内容で間違いの指摘など、ご意見もありましたら教えて下さい。今後ともよろしくお願いいたします。
投稿: まさとし | 2016年9月28日 (水) 21時33分
まさとし様
神経質人間の強迫性もありまして(笑)、毎月きっちり10話と決めて書いています。始めてから11年目になります。皆様からいただくコメントも大変勉強になっています。また、よろしくお願いいたします。
投稿: 四分休符 | 2016年9月28日 (水) 22時06分
11年とは!凄い。まさに、神経質ですね、笑。昨日、専門家を名指しで批判する記事を書いてしまいました。少しやな気持ちですが、間違った森田療法は、害あると思うので、批判は私のブログの目的だと考えています。真似をしているつもりはないのですが、鈴木知準先生も同じような批判をよくなさっていました。
投稿: まさとし | 2016年10月 1日 (土) 05時25分
まさとし様
K田先生の講演に関する記事、読みました。鈴木知準先生が森田療法学会で理屈に偏った発表に対して厳しい質問をなさっていたことは当ブログ372話にも書いております(その時の発表者は慈恵の心理士さんでひょっとしてK田先生だったかもしれません、上司のK西先生があわてて助け舟を出しておられたような気がします)。
実際問題、入院森田療法を行っている施設が希少となり、森田療法学会が外来森田療法の標準化なんていうことまで言い出して、単なる説得療法、言葉だけに流れてしまう、形骸化の懸念は感じています。最近の森田療法学会での一般演題を聞いていると、一体どこが森田なのだろうかと疑問を抱く内容のものが少なくありません。知準先生がお元気だった頃とは隔世の感があります。
投稿: 四分休符 | 2016年10月 1日 (土) 16時56分
四分音符様、
コメントありがとうございます。
森田療法にもし欠点があるとしたら、治療法のマニュアル化が難しいことなのかもしれません。「標準化」=マニュアル化と思いますが、私は、間違った治療法を除外するという意味では、標準化もいいのではないかと感じます。標準化の内容が問題ですが、標準化で、言葉だけの説得はだめということを盛り込めばいいのだはないかと。ところで、佐藤条二さんの、ある日、「誰にもいえない」ことに襲われる、を読みました。感動しました。このかた、自力で強迫観念を克服なさたっとか。
http://moritakyohaku.blog.fc2.com/
投稿: まさとし | 2016年10月 1日 (土) 20時08分
まさとし様
私は佐藤条二さんの本を読んだことはありませんが、強迫症状の克服体験は同じような症状に悩む人たちに役立つことと思います。パニック障害は多くの有名人が体験を語ってくれたおかげもあって、広く知られるようになりましたが、強迫症状・対人恐怖の体験を語る人はなかなかいません。少なくとも森田療法にたずさわる人は森田先生・知準先生・高良先生のように自己の神経症体験を語る方がよいと私は思います。
投稿: 四分休符 | 2016年10月 2日 (日) 19時02分
四分音符様、
返信ありがとうございました。
岡本重慶さんの京都森田療法研究所のサイトを読みました。難しい(笑い)。英語ならまだしもフランス語は読めません。
森田療法をここまで高度な研究にするとは、さすが学者さんです。学識の高さに敬意を表します。ただ、もう少し分かりやすくしていただけると助かります。自分の学識の低さのためかもしれませんが、自分はもっとやさしいところに眼を向けていこうと思います(笑)。
投稿: まさとし | 2016年10月 2日 (日) 22時29分
追伸。自分は理系なんです。
投稿: まさとし | 2016年10月 2日 (日) 22時31分
まさとし様
私もフランス語は読めません(笑)。
神経症を治し、神経質性格を活かしてよりよく生きるようになるための主戦場は、何気ない平凡な日常生活の中にある、というのが私の考えです。
投稿: 四分休符 | 2016年10月 3日 (月) 20時41分
四分音符様、
絶版になっているようですが、神経質礼賛、を購入しました。これから読ませていただきます。
投稿: まさとし | 2016年10月 8日 (土) 09時30分
まさとし様
拙著を御購入いただきありがとうございます。
確かに白揚社HP上でも品切れになっていますし、ネット通販でも新品の販売はストップしています。
そこで、著者在庫保管分を希望の方にお分けすることにしました。私の実名をブログ上に晒すことになりますが、多少なりともお役に立てれば、ということでやってみます。
投稿: 四分休符 | 2016年10月10日 (月) 08時08分
4分音符様の鈴木知準先生に対する数々の消息をお聞きして感銘しております。
鈴木知準先生は、私が約半世紀前に昭和43年に離人神経症で約3ヶ月森田療法を受けて、全く先生曰く「別人」になりました。
神経症は、薬では決して治りません。何故なら、病気ではないからです。
神経質と言う性格そのものだからです。むしろ、「神経質の良い所を伸ばして、人生を生きて行きなさい。」と言う意味の言葉が、鈴木知準先生の口癖でした。
又、先生は禅を好んで追及しておられました。森田療法を行う先生の中でも特異な先生でした。鈴木知準先生は、正に「私の人生の師」です。
但し、私は、禅ではなくその後には、クリスチャンになりました。
鈴木知準先生は、神経症の「とらわれ」からの解放は、禅の悟りと同じ様な者であると時々、言われていました。そうかも知れません。しかし、今の現代は、結果ばかりを求めすぎです。
だから、薬を多用します。又、カウンセリングでは、絶対に神経症は治りません。
ある意味、神経症のからくりを又、人間の心のからくり特に、森田先生の「感情の法則」を参考にすれば、ヒントが与えられます。
神経質性格の人は、なるべく若いうちに神経症を乗り越えるべきだと、思っています。
何故なら、その性格は死ぬまで(クリスチャンは、天に召される迄)変わることはないからです。
投稿: パウロ英男 | 2016年12月14日 (水) 20時53分
パウロ英男 様
貴重な御体験をふまえてのコメントをいただきありがとうございます。
森田先生が「神経質は病氣でなくて、こんな仕合せな事はありません」(森田正馬全集第4巻 p.386)と言われたのは画期的なことです。仰るように、森田神経質(高良先生の言う神経質症)は薬では治りません。治すのは本人の力です。現代の精神医学では、SSRIなどの抗うつ薬、抗不安薬を投与すると統計的に有意に症状が軽減するから、その治療薬はエビデンスがある、ということになってしまいますが、これは神経症に関しては間違いだと思います。
症状があるとかないとかは全く問題ではなく、神経質性格を生かして「己の性(しょう)を尽くし 人の性を尽くし 物の性を尽くす」を実践して「生き尽くす」ことが森田療法の最終目標ではなかろうかと私は考えます。
投稿: 四分休符 | 2016年12月14日 (水) 23時09分
4分休符様
症状があるとかないとかは全く問題ではなく、神経質性格を生かして「己の性(しょう)を尽くし 人の性を尽くし 物の性を尽くす」を実践して「生き尽くす」ことが森田療法の最終目標ではなかろうかと私は考えます。
上記のご回答その通りです。鈴木先生も良く使われた言葉は、「感心です。」「その通りです。」「思い切りやりなさい。」などという言葉を非常によく使われました。
正に「打ち込み的」な言葉です。
神経質性格の良いところは、「真面目さ」です。良くも悪くもこの本質が人生を左右します。
鈴木先生は、おおざっぱな性格の人(神経症とは、無縁の人)には、人生の本当の意味の良さを経験できないだろうとよく言われました。
森田先生の「こんな幸せなことはない。」という言葉と共通しています。
人間は、苦しめば苦しむほど人間味に磨きがかかります。苦しんだことのない「神経症とは無縁の人」人は、結局ある意味、本当の人生を歩まないし「人格の完成」がありません。このことも鈴木先生は、よく言われました。
ただし、何度も言うように私は、このことは、単なる「人格の完成」や「人格を磨く」こととは、捉えていません。何となれば、神からの試練と捉えます。そうでなければ、全ては無意味になります。但し、これは私の人生上の捉え方です。
今の時代は、不真面目すぎます。しかし、裏を返せば人生を真剣に取り組まない人達が多くなっていることも事実です。
結果ばかりを焦りすぎです。いわゆる成果主義の末路が今の時代の人生の考え方ではないでしょうか?
投稿: パウロ英男 | 2016年12月16日 (金) 21時32分
パウロ英男 様
コメントいただきありがとうございます。
確かに真面目にコツコツ努力する人が報いられにくい世の中になってしまっていますね。目先の利益だけを追う成果主義の横行も目立ちます。
それでも、悩みながら地道にできることを積み重ねていくのが神経質の生きる道かと思います。
投稿: 四分休符 | 2016年12月17日 (土) 15時07分