フォト
無料ブログはココログ

« 2016年9月 | トップページ | 2016年11月 »

2016年10月31日 (月)

神経質礼賛 1320.不安を抱えて生きる

 今年になって始めたデイケアでの月1回の「ワンポイント森田」は今月で10回になった。都会の精神科クリニックでのデイケアだと、うつ病の方を対象にしたリワークの際に森田療法的アプローチを導入しているところがあると聞くが、地方の精神科病院ゆえ利用者さんの多くは統合失調症の方である。そして、日常生活能力もまちまちで、週に何日かは作業所に通所して空いている日にデイケアに来ておられる方もいれば、参加するだけでやっと、時々席を離れたり眠ったりという方もいる。

 1回の時間は45分から50分程度。毎回、生活の中で困る場面を想定して、参加者に(時にはスタッフにも)自らの体験を語ってもらい、困難に対する解決法を討論した後で、森田的アプローチについて説明する、という形で行ってきた。困る場面としては、就職の面接などで緊張して困る時、眠れなくて困る時、意欲がわかなくて困る時、腹が立って仕方がない時、苦手な人への対処に困る時、劣等感に悩む時、人の目が気になる時、などを取り上げた。すでに、討論の段階で利用者さんの対処法の中に森田的アプローチが出てくることもあったし、「感情の法則」については納得されたという意見が多数あって興味深かった。

 今月の10回目では「将来の不安に悩む時」をテーマとしていた。皆さんから上がってきたのは今後の経済的な不安と病気の不安だった。これなどは誰しも抱えている不安だと思う。老後破産とか下流老人と言った言葉が話題になる。一見、貯蓄が十分あり厚生年金を受給できる大企業を退職した元サラリーマンでさえも悠々自適の生活が保障されているわけではなく経済的破綻をきたす可能性が指摘されている。そして、今は大きな病気はなくても、加齢とともにいつかは病気になり心身の不具合が発生し、最後には死が待っている。死は究極の不安材料である。

森田先生は「不安常住」(240)「不安心即安心」(208話)ということを言われた。不安を消そうとして消せるものではない。不安なままにやるべきことをやっていくうちに不安はあってなきがごとき状態となる、の意味である。さらに鈴木知準先生が晩年に言われたという「不安心即不安心」(707)は含蓄が深い。不安は不安でそれっきり。不安は不安なまま放っておけばよい、放っておくしかないのだ、というように解釈できる。不安を抱えながらもできることを積み重ねて生き尽していく。その森田的生き方は単に神経症の治療というだけでなく万人の人生に役立つものだと思う。以前書いたように、「仕方なし 不安抱えて また一歩」なのである。

2016年10月28日 (金)

神経質礼賛 1319.小人の過ちや必ず文(かざ)る(2)

 神経症の患者さんの話を聞いていると、自分の行動について枝葉の部分の説明が長い。特に、失敗したことについてはその理由を長々と解説しようとするのである。それを聞いていると自分にもこんなところがあったし、今でも時々あるかなあ、と反省することしきりである。

630話に「小人の過ちや必ず文(かざ)る」ということで森田先生が話されたことを書いた。このことは患者さんたちによく言われていたとみえて、形外会の記録の別のところにもあるので紹介しておこう。


 孔子の「小人の過ちや必ず文(かざ)る」という語があるが、誠によくうがった言葉です。小人は、何かにつけて、必ず自己弁護をして、素直に黙っている事ができない。わかりきった過失でも、少しでもこれをつくろうて、過ちでなさそうに、いいくるめるのである。

 つい袖をひっかけて、茶碗を落として壊す。君子ならば「アッしまった。惜しい事をした」という。しかしそれが小人だと、「注意していたけれども、ちょっと側目した間に袖が触った。誰かこんなところへ置くのが悪い」とかいう事になる。怪我は、すべて不注意の結果であって、決して注意していて起こるはずはないけれども、なんとか理屈をつけて、その様にいいくるめようとするのである。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.595


 森田先生の高弟・高良武久先生も『生きる知恵』(白揚社)という著書の中で「口数の多い人ほど人生をつまらなくしているということができよう」と書かれている。事実唯真。いくら言い訳しても事実は変わらないのである。言い訳よりも次に失敗しないように工夫して神経質を生かしていくことが大切である。

2016年10月24日 (月)

神経質礼賛 1318.コキア(ホウキギ)

 自宅の小さな花壇にはかつてアイビーを植えていた。最初は四葉のかわいらしい苗だったのがどんどん成長してはびこっていき、いつしか木のような太い幹になり、塀やら家の外壁やらに張り付いてモンスター化して始末に困り、刈り取って処分した。まだ塀には残党がいるし、根も取り切れていない。驚くべき生命力である(528)。空いたところが見苦しいので何か植えたいと思い、今年の初夏、ホームセンターの園芸コーナーに一鉢100円で売られていたコキアの小さな苗を3つ買って植えた。だんだん大きくなり、丸っこい緑のゆるキャラのようになった。そして、9月の後半にはごく小さな花らしいものが見られるようになり、10月になって朝がヒンヤリしてきたらだんだん枝葉が赤く色づいてきた。これまた風情があってよい。朝、出勤する時にちょっと眺めて楽しんでいる。コキアのホワホワ感はともするとカリカリしがちな神経質人間にとって癒しになりそうだ。偶然にも現在、病院玄関入口の両側には鉢植えの大きなコキアが置かれている。赤く色づいてきて、外来患者さんやデイケア利用者さんたちを出迎えている。

 コキアは1年草で冬には枯れてしまう。ホウキギ(箒木)の名の通り、乾燥した枝を屋外用の箒として実際に使うこともできる。実を加工してトンブリとして食用になるらしいが手間はかかりそうである。箒にも食用にもなるからか、花言葉は「恵まれた生活」なのだそうだ。翌年の春にこぼれ種が自然に発芽することもあるらしい。果たして我が家に定着してくれるだろうか。ちょっと楽しみである。

2016年10月23日 (日)

神経質礼賛 1317.地域格差と年代格差

 今朝の毎日新聞の日曜くらぶ(日曜版)「新・心のサプリ」のテーマは「秋刀魚の値段」だった。筆者の海原純子さんは東京23区内にお住まいのようで、地下鉄駅近くのスーパーの魚売場ではある店で二尾680円、別の店で二尾780円、そして少し離れた商店街の魚屋さんでは一尾200円だったそうである。ところが、ちょっと高級品を並べているスーパーでは何と一尾880円もして驚いたとのことである。心療内科医の海原さんはこうした価格の大きな違いが主観的格差観を生み出すことを懸念しておられる。そして、食べられないつらさを抱える人が増えないようにと思いながら生活することが格差拡大の歯止めになることを期待したい、と結んでおられる。

まさにその通りだと思う。そして、都心にお住いの海原さんには御理解しにくいことだと思うが、地方ではさらなる大きな格差問題がある。肉屋さん八百屋さん魚屋さんといった街の小売店が店をたたんでしまい、郊外の大型商業施設へ車で行かなくては、買物も思うようにできないのである。車の運転ができないとか車を手放した高齢者はいわゆる「買物難民」となっている。生協の宅配を利用すればいいじゃないか、と言われるかもしれないが、買物をする喜びや何を買うか頭を使うことを高齢者から奪ってしまうのは問題が大きい。認知能力の低下を早めてしまう心配もある。経済的格差だけでなく、便利な東京都心との地域格差が存在し、年代格差も存在するのである。今は元気で車を運転したり長い距離を歩いたりしていろいろな店に買物に行けても、いつかは自分も買物困難の身になるのだろう、それは辛かろうと、弱い立場の人のことを考える平等観も必要だと思う。

2016年10月21日 (金)

神経質礼賛 1316.天高く馬肥ゆる秋

 空が澄んで高く感じられる季節になった。天高く馬肥ゆる秋、という言葉がピッタリだ。のどかな農村風景が思い浮かぶけれども、この言葉は中国の漢書にあって、秋の収穫の季節になるとそれを狙って匈奴(騎馬民族)が夏草を食べて元気になった馬に乗って攻めて来るおそれがあるので用心するように、というのが本来の意味だったそうである。もっとも、飽食の現代では「人肥ゆる秋」になりやすく、食べ過ぎてメタボにならないように用心しなくては、という警告にもなろうか。

 現在、県立看護学校の学生さんたちが病院に実習に来ている。一人ずつ担当の患者さん(多くは統合失調症の患者さん)が割り当てられているので、私が主治医をしている患者さんについていろいろな質問を受ける。その中に、「どうしてこの患者さんはこんなにお腹が出てるんですか?」という質問があった。病院食は1日2000kcal弱なので、それだけでは太らないはずだ。やはり、間食の菓子と甘い飲物でカロリーを摂りすぎるのがいけない。特に売店のアイスクリームは人気商品であり、寒くなっても暖房が入るからよく売れる。おやつにカップ麺というのもよろしくない。そして午前中は作業療法(といっても趣味的なものや卓球程度)に行くが、午後は寝て過ごす人が多い。この生活では内臓脂肪がたまってお腹が出てしまうのも当然である。学生さんには担当患者さんを散歩やゲームに誘ってくださいね、とお願いしている。普段から、私が「摂ったカロリーから使ったカロリーを引き算した分が体にたまってしまいますよ」と言って動くことを勧めても、スタッフがあれこれ生活指導していても、なかなか乗ってくれないが、若い学生さんだと応じてくれることが多い。

 私もあまり人のことは言えない。体重は年々減ってきているものの、内臓脂肪の増加があるようで体型が悪くなる一方である。栗蒸し羊羹がおいしい季節だけれども気を付けなくては。

2016年10月17日 (月)

神経質礼賛 1315.病院運動会

 一昨日の土曜日はみごとな快晴。朝は8℃まで冷え込んだものの爽やかである。まだ雪のない富士山がクッキリ大きく見える。昼の気温は24℃まで上がった。病院の中庭では運動会が行われた。20年前、10年前と比べると、患者さんたちが高齢化して車イスを使う人が多くなっている。種目もそれに合わせて車イスの人でも楽しめるような工夫がなされている。例えば、輪投げ。シートの上に置かれた菓子や缶コーヒーに向かって輪を投げてゲットするというものだ。車イスの人でも楽しめる。もちろん玉入れとかごく短い距離のパン食い競争(ノドに詰まらせたら大変なのでパンを取るだけであり後でゆっくり食べる)などもある。手作り衣装の用意や応援の練習のために職員総出でかなり前から準備してきた。手作りの森田神輿も立派なものである。なるべくお金をかけず、後々の廃棄のことも考えなくてはならない、そして一番大切なのは危険のないようにしなくてはならないから、神経質の使いどころである。普段とは異なる患者さんたちの笑顔を見ることができた。そして、森田療法の患者さんにとっても職員にとっても「己の性(しょう)を尽くし 人の性を尽くし 物の性を尽くす」(350)の場となっていたように思う。皆、生き生きと動いていた。

昼のメニューはみんな大好きカレーライス。普段より出勤者数が多いので、それに合わせて職員用の保温鍋にはめいっぱいルーが入っていたが、「御飯とルーが不足したら連絡して下さい」と貼り紙があった。朝から準備やら車イス患者さんたちの移動に体力を使って食欲が増進していることに配慮してのことだろう。こういう気配りはありがたい。

2016年10月14日 (金)

神経質礼賛 1314.野菜高騰

 先週、ランチの外食に行った。5月の連休以来のことである。そこの店のセットメニューは通常サラダかスープかを選択なのだが、「すみません、野菜が良いものが入らなくて今日はスープでお願いします」と店員さんに言われた。北海道の豪雨被害のためジャガイモ・ニンジン・タマネギといった根菜類がとても高騰している。葉物も高い。私は毎週2回、母親の食材を買い出しに行って届けている。昨日はニンジンが欲しいと言われた。他の野菜類も買うので、スーパー2店と八百屋1店を回って見てみる。よく買いに行くスーパーでは中くらいのサイズのニンジン1本がなんと150円である。B級品も多いけれども安価な八百屋では北海道産ニンジンが少々細いながらも4本160円だったので、結局これを買った。ニンジンを物色している最中に、年配の女性から「野菜が高くてほんとに困るねえ、ほら、白菜なんてこんなに高いよ」と話しかけられた。全くその通りである。それとともに北海道の農家の人たちも、せっかく育てた野菜が大雨で台無しになって悔しい思いをしておられるだろうなあ、とも思う。そして、学校や病院の給食献立を考える栄養士さんたちも頭を悩ませていることだろう。

 こうやって店をいくつか歩き回って手頃な商品を探すのは結構いい運動になる。私の師であった大原健士郎先生は、「健康のために毎日散歩しています」という神経症の患者さんに対して「ただ散歩していたってしょうがないんだよ」とよく言っておられた。良い物を安く買うために歩き回る。これは目的本位だ。しかも得である。そして健康的でもある。神経質の欲張り根性を生かして、一石二鳥いや三鳥を目指すのが良いのである。

2016年10月10日 (月)

神経質礼賛 1313.譜面台

 ピアノ以外の楽器を弾いた(吹いた)ことがある方は誰でも楽譜を乗せる譜面台を使ったことがあることと思う。若い頃は主旋律を弾くだけの曲ならば簡単に暗譜できたのだが、悲しいかな記憶力の低下のため最近では暗譜が困難になってきた。見開き2ページの大河ドラマ「真田丸」のテーマ曲でさえ覚えきれず、譜面台に乗せた楽譜を見ながら弾いている始末である。自宅の譜面台は長年使っているスチール製のウイットナー譜面台で、これによく弾く曲の楽譜をこれでもか、と乗せている。たまに譜面台を倒してしまって後始末に苦労することがある。学生時代、オーケストラの練習で窓を開けていたら強い風が吹き込んで楽譜が飛ばされたり、譜面台がバタバタ倒れたりして困ったことがあったなあ、と思い出す。譜面台は結構重いし折畳んでも50cm位あって楽器と一緒に持ち歩くのは楽ではない。そこで持ち運びに便利な軽いアルミ製の譜面台を買ってみた。あまりの軽さに驚く。ウイットナー譜面台が1kgあるのに対し、400g少々の重量である。これならば楽器と一緒に持ち歩いてもさほど苦にならない。反面、重い楽譜を乗せて「頭でっかち」になっていると倒れる危険性が高い。ふと、神経質も同じだなあ、と思う。理屈ばかりこねくり回して「頭でっかち」になっていたのではそこに倒れて動きが取れなくなる。

パソコンに自分で打ち込んだ楽譜はソフトシンセで伴奏を演奏させながら見ることができるけれども画面が小さいし、隅まで行ったところでシフトするのにちょっと遅れがあって見づらい。TV画面大くらいで2ページ分の電子譜面台があると便利だろうなと思う。市販品はまだないのだろうかと思って調べてみると、すでにあった。画面上にメモを書き込むこともできる。ピアノ用もある。フットペダルで手を使わずに譜めくりができて便利なようだ。2台の大型タブレットPCを用いて表示するものもある。いまは高価でも、10年後、20年後にはもっと普及していることだろう。

書籍『神経質礼賛』購入御希望の方へ

 2011年発行となりました拙著『神経質礼賛』はおかげさまで白揚社在庫分を完売し、同社ホームページでは「品切れ」と表示されています。アマゾン等のネット通販から購入することも困難となっています。購入御希望の方には著者保管分在庫品をお送りすることが可能です。詳しくはPC画面で当ブログの右上写真のすぐ下にあるオレンジ色の「プロフィール」という所をクリックしてお読みください。

2016年10月 7日 (金)

神経質礼賛 1312.平等観と差別感

 森田療法を行っている施設では、治療者による講話や、治療を受けている人たちの座談会が行われることが多い。大原健士郎教授時代の浜松医大では月1回茶話会があり、入院患者さんたちがお茶菓子を作り、退院間近の人が体験発表のスピーチを行い、それを元に大原教授が講話をされていた。また、病棟では毎週、森田ミーティングがあり、各人が1週間の行動を発表し、それに対して助教授または森田担当助手がコメントをしていた。これらは集団精神療法と言える。神経症に悩んでいる人は、自分だけが苦しくて人は何ともない、という差別観で物事をとらえがちである。しかし、そうした場で、症状がすっかりよくなって何も困っていないように見える先輩患者さんも実は苦しみながら行動しているのだと知ることで、偏った認知が是正され、平等観で物事をとらえられるようになってくる。「雪の日や あれも人の子 樽拾い」(631話)の句を、小僧は寒さ知らずだが自分はとりわけ寒さに弱いという差別観でみるか、いくら元気な小僧でも寒い中では辛かろうという平等観でみるか。平等観でみることができるようになれば、自己中心性も是正されて社会への適応も良くなっているのである。

森田正馬先生は月1回の形外会の場で次のように言っておられる。


 ここで一言したいのは、治った人と、治らぬ人との区別。治らぬ人は、自分の殻に閉じこもり、城壁を築いて、なかなか自分の事を発表する事ができない。自分のような特殊なものは、世の中にないと、ことさらに差別観を立てて、頑張っている。人に話す事が、恥ずかしい、恐ろしい。治った人は、夏は暑く、冬は寒い。恥ずかしい事は恥ずかしく、苦しい事は苦しい。世の中は、誰でも同様である、という事実を認める事ができて、平等観に立つ事ができる。「事実唯真」といって、世の中の心の事実を、明らかに認識できるようになる。治らぬ人は、世の中の事実に対して、近頃のいわゆる認識不足であるのである。それで治った人は、自分はしゃべるために、世の人の害になる事は、いわないけれども、少しでも、人の為になり、ここでいえば、同病相憐れんで、人を治すために、少しでも効のある事ならば、俗人から見て、自分の恥になるような事でも、喜んでこれを告白する事ができるようになる。私が想像するに、馬場さんや端君やは、これができる人であろうと思う。皆さんは、自分で省みて、この発表ができるか、できないかという事が、治ったと、治らないとの区別のメーターになるから、自己紹介のついでに、これもつけ加えるとよいかと思います。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 
p.246


 かくいう私自身、若い頃は対人恐怖や強迫観念に悩み、自分は気が小さくて情けない、他の人のように大胆になりたいものだ、と常に思っていた。自分だけが苦しいという差別観である。歳を重ねるにしたがってだんだん平等観が身に付いてきた。そして、気が小さいのは悪いことでも何でもなく単なる性格特徴であって、神経質の良さを生かして行けばよい。それが「あるがまま」なのである。

2016年10月 3日 (月)

神経質礼賛 1311.FAX電話機

 私は家のFAXはめったに使わない。メールで用が足りるからである。それに神経質ゆえ、職場でFAXを使う時にも1225話に書いたように、表裏間違えて送っていないか、ちゃんと送信できているか、目的とする相手の手に渡ったか、と大変心配になる。もっぱら家のFAXを多用しているのは妻である。野菜・肉・魚などの食材やら通販の商品をよくFAXで注文しているらしい。最近、注文に送った文書が先方では真っ黒になってしまったという。買ってから12年経っているから、さすがに寿命が来たか。2台の子機はアナログ式で情報セキュリティの点で問題があるし、充電器の接点の具合が悪くなっているので、この際買い替えることにした。

 さて、家電量販店に行って、FAX電話機のコーナーを見ると、今まで使ってきたB社の製品はない。S社のものもあるが、ほとんどがP社(元N社)製である。ということは買い置きのインクリボンは捨てるしかない。機種が多くてどれにしたらよいのかわかりにくい。1回目は見るだけにして帰宅し、価格ドットコムのサイトを見て機能を比較しユーザーの意見を調べる。最新のモデルは機能が多すぎるので、価格が少し安くなっている3年前発売の機種を買うことにした。今度の機種は漢字表示である。電話帳データはP社のサイトからソフトをダウンロードして、パソコンを使って入力し、SDメモリで本体にデータを移せば良いので、さほど時間がかからず助かった。そして、迷惑セールス電話が多い0120で始まる番号(358)はまとめて着信拒否して鳴らないので、夜に電話機が鳴ることが少なくなった。仮に迷惑電話だった場合、お断りボタンもある。番号からかかってきた相手名を読み上げる機能もある。これがさらに最新機種ともなると、振り込め詐欺防止のための多くの機能が加わり、実際に詐欺に使われた電話番号情報を取り寄せてそれを拒否するなどという機能まであるらしい。ただ、あまり機能が多くても使いこなせないので、ほどほどが一番のように思う。

 

« 2016年9月 | トップページ | 2016年11月 »

最近のトラックバック

2023年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31