神経質礼賛 1319.小人の過ちや必ず文(かざ)る(2)
神経症の患者さんの話を聞いていると、自分の行動について枝葉の部分の説明が長い。特に、失敗したことについてはその理由を長々と解説しようとするのである。それを聞いていると自分にもこんなところがあったし、今でも時々あるかなあ、と反省することしきりである。
630話に「小人の過ちや必ず文(かざ)る」ということで森田先生が話されたことを書いた。このことは患者さんたちによく言われていたとみえて、形外会の記録の別のところにもあるので紹介しておこう。
孔子の「小人の過ちや必ず文(かざ)る」という語があるが、誠によくうがった言葉です。小人は、何かにつけて、必ず自己弁護をして、素直に黙っている事ができない。わかりきった過失でも、少しでもこれをつくろうて、過ちでなさそうに、いいくるめるのである。
つい袖をひっかけて、茶碗を落として壊す。君子ならば「アッしまった。惜しい事をした」という。しかしそれが小人だと、「注意していたけれども、ちょっと側目した間に袖が触った。誰かこんなところへ置くのが悪い」とかいう事になる。怪我は、すべて不注意の結果であって、決して注意していて起こるはずはないけれども、なんとか理屈をつけて、その様にいいくるめようとするのである。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.595)
森田先生の高弟・高良武久先生も『生きる知恵』(白揚社)という著書の中で「口数の多い人ほど人生をつまらなくしているということができよう」と書かれている。事実唯真。いくら言い訳しても事実は変わらないのである。言い訳よりも次に失敗しないように工夫して神経質を生かしていくことが大切である。
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