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2016年10月 7日 (金)

神経質礼賛 1312.平等観と差別感

 森田療法を行っている施設では、治療者による講話や、治療を受けている人たちの座談会が行われることが多い。大原健士郎教授時代の浜松医大では月1回茶話会があり、入院患者さんたちがお茶菓子を作り、退院間近の人が体験発表のスピーチを行い、それを元に大原教授が講話をされていた。また、病棟では毎週、森田ミーティングがあり、各人が1週間の行動を発表し、それに対して助教授または森田担当助手がコメントをしていた。これらは集団精神療法と言える。神経症に悩んでいる人は、自分だけが苦しくて人は何ともない、という差別観で物事をとらえがちである。しかし、そうした場で、症状がすっかりよくなって何も困っていないように見える先輩患者さんも実は苦しみながら行動しているのだと知ることで、偏った認知が是正され、平等観で物事をとらえられるようになってくる。「雪の日や あれも人の子 樽拾い」(631話)の句を、小僧は寒さ知らずだが自分はとりわけ寒さに弱いという差別観でみるか、いくら元気な小僧でも寒い中では辛かろうという平等観でみるか。平等観でみることができるようになれば、自己中心性も是正されて社会への適応も良くなっているのである。

森田正馬先生は月1回の形外会の場で次のように言っておられる。


 ここで一言したいのは、治った人と、治らぬ人との区別。治らぬ人は、自分の殻に閉じこもり、城壁を築いて、なかなか自分の事を発表する事ができない。自分のような特殊なものは、世の中にないと、ことさらに差別観を立てて、頑張っている。人に話す事が、恥ずかしい、恐ろしい。治った人は、夏は暑く、冬は寒い。恥ずかしい事は恥ずかしく、苦しい事は苦しい。世の中は、誰でも同様である、という事実を認める事ができて、平等観に立つ事ができる。「事実唯真」といって、世の中の心の事実を、明らかに認識できるようになる。治らぬ人は、世の中の事実に対して、近頃のいわゆる認識不足であるのである。それで治った人は、自分はしゃべるために、世の人の害になる事は、いわないけれども、少しでも、人の為になり、ここでいえば、同病相憐れんで、人を治すために、少しでも効のある事ならば、俗人から見て、自分の恥になるような事でも、喜んでこれを告白する事ができるようになる。私が想像するに、馬場さんや端君やは、これができる人であろうと思う。皆さんは、自分で省みて、この発表ができるか、できないかという事が、治ったと、治らないとの区別のメーターになるから、自己紹介のついでに、これもつけ加えるとよいかと思います。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 
p.246


 かくいう私自身、若い頃は対人恐怖や強迫観念に悩み、自分は気が小さくて情けない、他の人のように大胆になりたいものだ、と常に思っていた。自分だけが苦しいという差別観である。歳を重ねるにしたがってだんだん平等観が身に付いてきた。そして、気が小さいのは悪いことでも何でもなく単なる性格特徴であって、神経質の良さを生かして行けばよい。それが「あるがまま」なのである。

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コメント

私は、現在外来森田療法を受けながら、会社勤めしている会社員の者です。
社会人5年目の26歳です。

過去の記事などを拝読させていただきました。皆様がコメントされているように、インターネットでは鈴木知準先生についての記載がほとんど見られませんが、ここでは貴殿が鈴木先生のことを書いて下さっているので、とても参考にさせていただいております。

現在森田療法を本を読んだり、頭でわかっても仕方ないので、本ばかり読んでいないで、実際の生活の場で実践することを心がけておりますが、
森田療法を知り、頭で理解すればするほど、
私の頭の硬さ、性質では、(丁寧、迅速に行動するようにしていますが、いつもどこか、治りたいという目的を持って行動してしまう。)たぶん外来で「治る」ことはできない、もしくは外来で「治る=悟る」には相当の時間を要すると感じいるところです。

実際、仕事をしていても、何とか仕事にしがみついている状態で、ミスも多く、自分ではどうしようにもままならない状況で、切羽詰まった状況だと、(主観的に)感じております。

森田の本の中で、今年になって初めて鈴木先生の著書を読む機会に恵まれ、感銘を受け、「この先生がご存命だったら指導を受けてみたい。この先生しかいない。。」と思ってしまうくらい、何かぐっとくるものがありました。

そこで、いきなりで、不躾な質問となってしまいますが、
鈴木先生の指導を受けた、鈴木先生の森田療法を受け継いだ入院森田療法を現在行える
先生(医者、森田療法家)をご存知でしょうか?
鈴木先生の情報を得ようとしても、なかなか得られない状況なのです。

私について申し上げますと、神経症発症は11歳の頃で、何とか大学を卒業して現在の会社に採用されました。

大学時代に神経症と併合する形の鬱病となり、その頃から、今年の2月頃まで森田療法を実施していない、よくある心療内科とカウンセリングを受けておりました。

社会人2年目で実家から通える本店から支店へ転勤となり、そこで生活環境や職場環境の変化により、神経質症状が悪化し(極度に気になり)、1か月ほどで再び鬱病となり、3カ月休職しました。復職してからは、私が自分の担当の仕事を処理できなかったことなどもあり、会社の求める通常レベルの仕事ができていないということで、人数の少ない本店に配属していただいている状況です。

なお、今までの人生で、大きな環境の変化があるタイミングで3回程、軽度の鬱病になっておりますが大体3カ月程で回復しており、休職後は一度も鬱病になっておりません。

その休職期間中に、森田療法を知り、生活の発見会を知り、数カ月に一度の頻度くらいで発見会に参加している状況です。

突然の不躾な質問となっていまい、大変申し訳ございません。。

あるがまま、について。このあるがまま、は、なかなか難しい言葉だと思います。あるがまま、は、苦しい感情を放任できる心的状態を言うのだと思います。この心的状態を持てるようになるには、森田療法によって体験、体得するしかないのだと思います。最後で書かれた、あるがまま、は、生活姿勢としての、あるがまま、で、心的状態としての、あるがまま、とは違うでしょうか?あるいは、本質は同じでしょうか。心的状態のあるがまま、は、禅の悟りになるのでしょうか。。

Oasi ~sさんへ、

鈴木知準先生のところで入院森田療法で対人恐怖を治せた、まさとしです。四分音符さんのほうが、正しい回答をしてくれると思いますが、現在は、神経症体験者が治療者となっている入院できる個人の森田療法の病院はないと思います。残念なことです。慈恵医大病院か、三島森田病院、浜松医大病院などの入院森田療法を選択することになるでしょうか。なお、自分は、真の森田療法を追求する、のブログを書いているので、ぜひ読んでください。近々、自分でできる森田的作業療法というものを説明していくつもりです。

oasisさんへ、

正知会発行の、鈴木知準診療所における入院森田療法、という本があります。なかなかよいです。体験者の入院記録です。そとに投稿している、本郷斎藤クリニックの斎藤先生も体験者です。ただし、斎藤先生は外来しかやっていません。

まさとし

まさとしさんへ、

丁寧なご回答、ありがとうございます!
私も調べてはいたのですが、
やはり、入院となると、慈恵医大病院、三島森田病院、浜松医大病院あたりになってしまいますよね。
ある程度は覚悟して質問させていただきましたが、やはり、鈴木先生のようなご指導を受けられる病院や診療所は、現在ないのですね。

慈恵医大の森田療法案内のHPを見ると、「時代と伴に森田療法も変わってきているので、現在は入院期間も3カ月程度で~」のような趣旨の、入院森田療法の説明がなされており、時代と伴に原法に近い森田療法が実施できなくなっているようで、とても残念です。

生活の発見会でも、何年経っても変化がない(治る方向に進めない)会員の方がたくさんいます。

自分自身もそうですが、たくさん森田理論を勉強したところで、頭で理解して、実践してみても限界があるのだと感じています。
結局変化できない人達には、体得するための基礎を築く環境が必要で、それが原法に近い入院森田療法だったのだろうと思っております。

関係ないことまで書いてしまい申し訳ありません。

まさとしさんのブログ。拝読させていただきますね。

本当にありがとうございました!!

Oasi~s様

 コメントいただきありがとうございます。

 鈴木知準先生の治療を受けられ森田療法を行っている医師は私の知る範囲では本郷さいとうクリニックの齊藤洋先生のみです。入院施設はありませんから、入院目的で患者さんを三島森田病院に紹介されることもあります。正知会(しょうちかい)と言って、知準先生の治療を受けた方々で森田療法を勉強しているグループがあります。齊藤先生はその会にも加わっておられ、数年前、正知会が三島森田病院を見学に来られた際、私もお会いしました。
 医療制度の変化により、もはや原法に近い森田療法を医療機関で行うのは、ほぼ不可能となってきています。手厚い看護師配置・検査・薬(併用することもありますが)は森田療法には無縁のものです。それでいて作業環境を確保するのには大きなコストがかかりますから保険診療では全く採算が取れません。三島森田病院では長時間の畑作業を行っていますが、行政(県・保健所)からは「患者さんを働かせるのはけしからん」「患者さんに部屋の掃除をさせてはいけない」等々、御指導を賜ってしまいます。現在わずかに残っている森田療法の入院施設も正直言っていつまでもつのか疑問です。
 御体験を読ませていただきました。長い神経症経験に加えてうつ病もあって御苦労されたのですね。神経症の方は、他の人から見れば明らかに良くなっているのに、ご本人は「何も良くなっていない。苦しいだけだ」と仰ることがよくあります。皆さん、生の欲望が強く完全欲が強いので、当然と言えば当然なのですが、悪い所探しばかりしないで、良い所も公平に見てあげたら、と思います。Oasi~s様もまだまだ完全ではないと思いながらも、仕事が続き、ちゃんと給与がもらえている。まずは合格点。その上で神経質の完全欲を発揮して、無理のない範囲で少しずつ着実に上積みを図る、というスタンスでよろしいのではないでしょうか。

まさとし様

 コメントいただきありがとうございます。

 「あるがまま」は心地よい言葉ですが、実は難しく、誤解を招きやすい言葉でもあります。森田療法の立場での「あるがまま」とは、気分や症状は起こってくるままに受け入れ、しなければならないことを目的本位にやってゆくこと、となっています。
 ここで、行動がセットになっているところが重要です。あるがままとは何か?どうすればあるがままになれるか?などととらわれて頭で考えてばかりいると、それこそ「かくあるべし」になってしまいます。
 理屈はさておき、四方八方に気を配り神経質を発揮して行動していくうちに、結果的にあるがままになっているのだと私は考えます。

四分休符さんへ

丁寧にご回答していただき、本当にありがとうございます!
現在の、入院森田療法を実施されている医療機関の方々も、周囲の環境の変化(行政等の介入)や、採算の問題で、苦労なさっておられるのですね。

神経質症が、鬱病やその他の精神障害等と比べて、周囲からの認知度や理解が得られないのが非常に残念です。

コメントしていただいたように、
ひとまず、仕事を続けており、頑張っていることは会社の方からも認めていただいており、給料も頂いております。

幸運なことに、相性の良否に関係なく、主治医は本物の森田療法家だと感じでおりますので、主治医の下で、ひとまず、今をコツコツ生きていこうと思います。

「日に新たに、また、日々に新たなり」。


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