神経質礼賛 1330.畑野文夫著『森田療法の誕生』
学会で自分の発表を終え、壇上から席に戻ってきたら、正知会(しょうちかい)会長の畑野文夫さん(1245話)から出版されたばかりの御著書『森田療法の誕生』(三恵社)をいただいた。初版は平成28年11月25日。ハードカバーA5版460ページにわたる大著であり、あとで重量を測ってみると672gもある。当初は別の出版社から出すおつもりだったが、普通だと上下2巻になり高価になってしまうからと担当者から難色を示されたという話を以前お聞きしていた。10年の歳月をかけ、森田先生の日記を丹念に読み込み、さらに関連文献を精緻に調べ上げた上での書であり、極めて完成度が高い。さすがは講談社で編集長として長年にわたり活躍され同社の役員を勤め上げられた畑野さんが神経質の限りを尽くされただけあって、すばらしいものに仕上がっている。例えば、森田先生が久亥夫人としょっちゅう夫婦喧嘩をして一時は籍を抜いた、という話は大原健士郎先生の本に載っているが、戸籍謄本を調べて日記と照合して、実は久亥さんの父親が亡くなり、男の兄弟がいない二人姉妹の長女だったため、先祖伝来の田畑・屋敷を守るため一時離婚して戸主となった可能性が高いことを明らかにしておられる。これまでに書かれた森田先生の伝記としては今から40年以上前に出版された慈恵医大教授・野村章恒先生による『森田正馬評伝』(白揚社)があるけれども、それをはるかに凌駕する名著であり、人間・森田正馬を知り、森田療法が編み出されていった過程を知るには、最高の書だと思う。末永く読み続けられて欲しいものである。
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コメント
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森田正馬の生涯と業績、素晴らしい本が出ましたね。よく話題になる禅との関係などもこれで詳しく解明されるのかもしれません。
こういう本はご本人が立派なだけでは世に出ず、敬愛の心に満ちた理解者の強烈な意志が必要です。
刑事法に夭折した藤木英雄という天才がいましたが、亡くなった時に追悼本が出たものの、人物と業績をきちんと記した書物は未だに現れません。法学界には点取秀才は多いですが、どんぐりの背比べ的な嫉妬深さで、なかなか人材がいないようです
投稿: たらふく | 2016年11月28日 (月) 14時46分
たらふく様
コメントいただきありがとうございます。
おっしゃるように、深く尊敬する理解者かつ篤志家が必要だと思います。水谷啓二さんも森田先生の伝記を雑誌に連載していて、いずれ本にしようとされていたようですが、残念ながら志半ばで急逝されて実現しなかったそうです。
投稿: 四分休符 | 2016年11月28日 (月) 22時26分
和尚さんではないですかm(_ _)m?
投稿: 北喜一 | 2016年11月28日 (月) 23時12分
鈴木知準先生の偉大な功績が正当に評価されていないのが、残念です。
投稿: 鈴木知準先生の弟子の端くれ | 2019年12月22日 (日) 22時54分
森田正馬先生が大正、昭和の親鸞なら、鈴木知準先生は、昭和、平成の親鸞だと存じます。
投稿: 鈴木知準先生の弟子の端くれ | 2019年12月22日 (日) 22時58分
鈴木知準先生の弟子 様
コメントいただきありがとうございます。鈴木学校の卒業生の方々に知準先生のすばらしさをもっともっと発信していただけるとよろしいかと思います。
投稿: 四分休符 | 2019年12月23日 (月) 21時35分
鈴木知準先生の弟子 様
鈴木先生診療所の治療者だった方でしょうか。それとも、入院・卒業生だったのでしょうか。気になります。
私のほぼ同期(昭和53年頃)に東大理Ⅲへ診療所から入試に臨んで進学した入院生がいました。厳密に言うと理Ⅱに合格して、鈴木先生の勧めで理Ⅲへ転部したと聞いています。入院中に悟った経験を冊子に載せていました。また、ご家庭の事情か、自らの経験からか、卒業して追体験に通っているうちに医学部に入り直した女の子がいました。先に書いた彼はその後在学中にクリスチャンになっています。これも冊子に載っていました。さて...森田療法を継承したのでしょうか。検索してもヒットしないので、どうなのか...
お二方共医師になったかもしれません。しかし、森田は継がなかったのか...人の歩む道はいろいろですものね、お元気でいらっしゃれば、と思ったりしています。
投稿: yukimiya | 2019年12月31日 (火) 07時36分