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2016年12月 2日 (金)

神経質礼賛 1331.『森田正馬評伝』が読みにくいワケ

 勤務先の病院には野村章恒(あきちか)著『森田正馬評伝』(白揚社)があって何度か読んだ。森田先生の日記を引用し、年代を追って書かれ、写真も豊富に載っていて、とても貴重な本である。森田療法関係者からは名著として絶大な評価を受けているが、どうも私には読みにくいと感じる。なぜだろうか。

 原因の一つは森田先生と同じく高知県出身の野村先生が同県出身の文化人に対する思い入れが強いためか彼らについて少々詳しく書き過ぎていることにあるように思う。森田家と血縁関係があり森田先生を叔父さんと呼んでいた英文学者の土居光知(こうち)、物理学者の寺田寅彦らである。そのため、森田先生の評伝としては少々流れが悪くなっていることは否めない。特に森田先生の中学時代からの友人だった若尾爛水は野村先生の叔父ということもあって力が入っている。爛水は俳人であり正岡子規門下だった。子規への追悼文「子規子の死」が子規に対する批判と受け取られて同門の俳人らから指弾され、中央の俳壇を追われ、高知に帰り隠棲する。『俳懺悔』という爛水の書には若気の至りで破門されたことへの無念の思いや田舎での孤立無援の生活ぶりが綴られていることを紹介している。爛水のことを世に知らしめたいという強い思いが伝わってくるが、森田先生の評伝としてはもう少しさらっと書いてほしいと感じてしまう。

 もう一つはこの評伝が出版された1974年(昭和49年)という時代も考えに入れなくてはならない。学生運動は下火にはなっていたが、まだそれなりの社会的影響はあった。私が高校生の時である。その2年後に受験で京大に行ったら時計台には白ペンキで大きく「竹本処分粉砕」と書かれ入試前日のTVニュースでは学長が学生たちに取り囲まれてどつかれているのを見て、明日からの入試は大丈夫かと心配になったくらいだ(試験には落ちたので心配する必要はなかった)。そんな時代である。読者が左翼思想に染まらないようにという配慮のためか、森田先生が左翼思想を批判したことに関連して、戦前の『左翼学生生徒の手記』(文部省)などからの引用を中心とした部分が20ページも続き、この部分が冗長に感じてしまう。戦争放棄をうたった憲法第9条の廃止を主張する政党が国会の大多数を占め日本も核武装すべきという意見までみられるこの頃である。現代の若い人たちには理解しにくいところだろう。

森田先生のお弟子さんたちの多くは真面目で努力家の神経質な秀才タイプだった。一方、野村先生は異質であり、内弟子時代に飲み歩いて門限過ぎに塀を乗り越えて帰ったり、森田先生の一人息子・正一郎さんが未成年なのに酒やタバコを勧めていたりして、森田先生からは少々疎まれていたそうである。一方で久亥夫人には可愛がられていたという。野村先生は天才肌ということになろう。神経質なお弟子さんが評伝を書いたらまた少し違ったものになっていたかもしれない。

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コメント

全集の編集委員に野村先生は入っていないようですね。『森田正馬評伝』はわたくしには読み切れないと感じましたです
 それにつけても全集の4,5巻というのは至宝の書と思われ、ただただ有り難いのでございます

たらふく様

 コメントいただきありがとうございます。

 仰るように、本物の森田療法を学ぶには森田正馬全集第5巻、さらには第4巻も読むのが最善かと思います。これらを繰り返し読んでいますと、森田先生の気合に触れることができるように思います。まさに永遠の宝であります。

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