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2017年1月30日 (月)

神経質礼賛 1350.ローカル路線バス

 勤務先の病院は山の中腹にある。外来患者さんからは「山の病院」などと呼ばれている。移転前は三島から裾野・御殿場を結ぶ県道に近く、路線バスも1時間に4本位あって、私も路線バスで通勤していた。いざとなれば駅から歩くこともできた。現在の地に移転してからは山の住宅街に上がっていくバスが1時間に1本あるかないか、とても不便である。特に土日祝日はさらに本数が少なくなる。朝、駅へ向かう便はそれなりに通勤・通学の人が乗っているが、それ以外はスカスカである。当然、本数は年々減る一方である。通院患者さんをマイカーで送迎している親や兄弟が高齢になって運転が大変になってきたので、他の医療機関を紹介してほしいと頼まれることが時々ある。

こうしたローカル路線バスの状況は都心を除く全国どこでも同じで、マイカーの普及により、路線バスの採算悪化⇔不便なため利用者減少という悪循環に陥っている。バスの減便や路線廃止は車を手放した高齢者にとってはとても困ったことである。

10年ほど続いた「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」という番組がこの1月の第25回で一段落した。何度か見たことがあるが、単なる旅番組と違い、ハラハラでつい最後まで見たくなる番組だ。太川陽介・蛭子能収(えびすよしかず)の二人組がゲストの女性タレントと3人で、ローカル路線バスだけを使って3泊4日で目的地まで行く、というものだ。電車はもちろん高速道路を通るバスやタクシーやヒッチハイクは不可、ネット使用不可という厳しい条件があって、なかなか難しい。地図上にはバス停が書いてあっても、1日1便か2便しかないとか、運行日が限られるとか、その路線は去年廃止されました、ということがよくある。バスが途切れている県境の山越えなどは5kmとか10km徒歩のため暑さや大雨や雪の中では過酷な状況になる。ローカル路線バス網が年々縮小しているので、こうした番組を制作するのは難しくなってきているだろう。この番組ではリーダー役の太川さんの神経質ぶりが目立つ。マイペースの蛭子さんがバスの中で寝てしまうのに対し、何度も地図を確認してバスが繋がりそうなルートを熟考し、運転手さんや案内所の人や地元の人に聞いて情報を集める。あとの二人の体調を気遣い、へこたれそうな時にはムードを盛り上げ、昼食を取っていられない時には三人分の食物を調達する。一日の最後には翌朝のバスの行先と時刻を確認し、皆で遅い夕食を食べる。その時、生ビールをおいしそうに飲む太川さんの表情が実にいい。神経質を駆使していても時には休符があるとよいものだ。

2017年1月27日 (金)

神経質礼賛 1349.セカンドオピニオンの誤解

 外来に70代後半の男性が初診でみえた。紹介状はない。フラツキが気になって、A病院の脳神経外科を受診し、CTを撮ってもらったが異常ないと言われた。納得できず、翌日、脳神経外科のBクリニックを受診してMRIを撮ってもらったところ、微小な脳梗塞はあるが特に問題はないと言われた。大して薬らしい薬も出ていない。今度は気になって眠れなくなり、神経内科のCクリニッを受診。MRIを撮ってもらい、デパスを処方された。その後またBクリニックにかかったが、まだ御不満とみえて神経科も標榜している当院を受診されたのだった。その間10日ばかり。どうしてそんなに医療機関を変えるのですか、と問うと、セカンドオピニオンがほしいからと言う。

 しかし、これではセカンドオピニオンとは言い難い。本来はある医療機関で治療を受けていて、他の見解があるのでは、ということで紹介状を書いてもらって別の専門家に意見を求めるものである。紹介状なしに次々に受診して同じような検査を受けるのは無駄であるし、この方のように後期高齢者では自己負担はさほどかからないにしても、健康保険組合の資金を無駄に食いつぶすことになる。セカンドオピニオンではなく、単なるドクターショッピングである。

 御本人に対しては、①いくつも医療機関を受診して同じような検査を受けるのは無駄である。同じ医療機関に通院して診断・治療を受けるのが良い。その上で、2、3か月通院しても良くならず他の医師のセカンドオピニオンを受けたいのであれば、紹介状を書いてもらって受診すること。②微小脳梗塞があるとすれば、脳血流の良し悪しで症状が変化しやすく、調子が良い時があったり悪い時があったりするので、一喜一憂しないこと。③デパスのように筋弛緩作用が強い睡眠薬・抗不安薬を服用すると転倒リスクが高くなる。主訴のフラツキを悪化させかねない。眠れないと言ってもどこかで眠っているのだから、そうした薬はなるべく飲まない方が良い。と話しておいた。薬なし、検査なし、カルテ表紙の病名欄は「神経症」。安上がりで実質的なセカンドオピニオンを提供したつもりである。

2017年1月23日 (月)

神経質礼賛 1348.森田貞子女史逝去

 119日、三島森田病院理事長・森田貞子女史が急逝された。大正154月、高知県のお生まれで、享年90。森田正馬先生の養子で三島森田病院を創設された夫の秀俊先生が亡くなられた後、ずっと理事長として病院を切り盛りされてきた。さすがに2,3年前に車の運転はやめられたが、毎日午前中は病院に出勤しておられ、最近もお元気そうだった。まさかこんなに急に亡くなられるとは思いもよらなかった。本日が葬儀だが、私は外来担当日で動きが取れないため、昨日の通夜に参列した。

かつて院長宅は病院のすぐ近くにあった。森田正馬先生のお世話をしていた親戚筋の田原綾(84)さんが病院の寮に住んで森田療法の患者さんたちを指導していた。貞子女史は森田療法の患者さんたちはもちろん、閉鎖病棟の患者さんたちにも気軽に声をかけて話をしておられたから、とても家族的な雰囲気の病院だった。正馬先生の形外会と同様に森田療法で退院した人たちを集めての三島での形外会では、秀俊院長とともに座談会に参加し、参加者たちと肩を組んで合唱している貞子女史の写真が残っている。また、森田療法学会の初期には森田正馬賞の副賞をポケットマネーで出しておられたと聞く。近年は病院経営的には「お荷物」となっている採算の取れない森田療法を続けてきたのも貞子女史の気概によるところが大きいと思う。

平成15年に病院は新築移転しているが、その際ご自宅も病院近くに移転されている。その頃、私は一度ご自宅に呼ばれたことがあった。日当たりの良い広い応接室には新しいピアノがあった。昔買ったというヴァイオリンを出してこられ、「何か弾いて下さいよ」と言われてバッハを弾いた記憶がある。貞子女史は趣味で手芸をしておられ、ビーズとカラー針金で作った花と稲穂をおみやげに頂いた。

貞子女史は人間味あふれた循環気質的な性格だったとともに、土佐の言葉で男勝りの「はちきん(418)」的な性格も持ち合わせていたように思う。病院の忘年会の際にカラオケで歌う曲は「昴」と「南国土佐を後にして」が多かった。毎年、高知へ墓参りに行かれ、私たち勤務医は名物の茹で卵入りのかまぼこをお土産にいただいていたものである。

貞子女史のご冥福をお祈りいたします。合掌。

2017年1月20日 (金)

神経質礼賛 1347.大寒

 今日は大寒。これから半月ほど厳しい寒さが続く。あまりありがたくない時期と思いがちだが先人たちは逆にこの寒さを利用していた。水が冷たいということは雑菌も少なくなるので、味噌、醤油、酒の仕込みに適している。現代のような科学的な知識はなくても体験的に知っていたのだろう。高野豆腐や寒天もこの時期に作られる。ちなみに大寒の卵、ということがある。寒さでニワトリが産む卵の個数は減るが栄養があるのだそうだ。寒さを乗り切るには良いかもしれない。大寒の卵を食べると金運に恵まれると宣伝している店もあるようだ。

 この時期、木々の葉が落ち草は枯れる。けれども春に向けてじっと準備をしているのである。寒さのピークが過ぎれば少しずつ動き始めていく。人もまた同じ。多かれ少なかれ気分が良く動きやすい時もあれば真冬のように気分がすぐれず動けない時がある。今はまるでダメだとがっかりすることはない。冬が永遠に続くことはない。今はエネルギーを蓄える時だと考えればよい。そして、ボチボチ仕込みを始めればよいのである。春は遠くない。

2017年1月18日 (水)

神経質礼賛 1346.心配し尽して心配を忘れる

 1340話に書いた最後の形外会の際には、森田先生の高弟・古閑義之先生が自身の強迫体験を語っている。

 

 私自身の例でいうと、十七、八歳のころ肺病を非常に心配した事がある。方々の医者を回り、薬をのんだりした。癩病の事も気になった。眉毛を引っ張ってみると抜けるので、癩病の初期ではないかと非常に恐怖した。

 二十一歳の時、慈恵大学に入学し、その後、いろいろの病気の講義を聴くようになり、どれも自分にもあるような気がして随分恐ろしかった。しかしあまり心配の事柄が多いので、一つの心配にこだわっている事ができなくなり、恐怖がなくなったのであります。

 強迫観念は、ただ一つの事ばかりを心配して、しかもそれを心配すまいという心の拮抗作用から起こるので、何かにつけて、あれもこれもと心配するようになると、強迫観念はなくなるのである。(白揚社:森田正馬全集第5巻p.764


 これは誰でも、特に神経質な人は、経験するところだ。TVの健康番組で病気の話を見ると、自分もそうではないかと心配になる。家庭の医学のような本を見たら怖い病気の例が数多く載っているから、自分にあてはまるところを見つけて恐ろしくなってしまうのである。私も古閑先生と同様に医学生の時には自分の病気の兆候を見つけては心配になったものである。しかし、心配しなくてはならないことは日常生活の中に山ほどあるし、必要に迫られて次々と行動しているうちにいつしか忘れている。ふっと思い出してまた恐怖することはあっても、忙しい中でまた忘れるのである。これがもし立ち止まって同じ心配にとらわれていたら強迫観念のスパイラルにはまりこんでしまう。

 森田先生の言葉「神経質は仕事のためにす 治るためにせず」(220)の通りである。心配をなくそうとジタバタすればかえって深みにハマってしまう。心配はあっても次々とやるべき仕事を見つけて行動していけば健康的な生活が送れるばかりでなく、人並み以上に仕事ができているのである。

2017年1月16日 (月)

神経質礼賛 1345.骨抜き魚

 一昨日は病院で当直していて夕食の献立には「さんま塩焼」と書かれていた。このところ、頭と尾を落として開いた骨抜き魚のさんまがよく登場する。多分それかな、と思っていたら頭と尾はないものの丸いままで出てきた。それもやはり骨抜きになっていた。一度開いて骨を抜いた後、食用の接着剤でくっつけてあるものだろう。食べていて、不思議な感じがする。私はさんま好きであり、はらわたも食べたい方なので(954)ちょっと物足りない。もっとも病院では高齢の患者さんが多くなっているので、自分で骨を取るのが大変な人が増えているし、骨が喉や歯茎に刺さったりする心配がなくて事故防止になる。

こうした骨抜き魚は人件費の安い中国や東南アジアで加工されている。人間が開いた魚の骨を丹念にピンセットで抜き取り、再冷凍して日本に輸送するのである。出荷前にX線にかけて骨が完全に除去されていることをチェックしている業者もあるということだ。病院や介護施設の高齢者用の食事ばかりでなく、近頃は学校給食にも使われるようになってきているそうだ。給食の魚の骨が子供の喉に刺さろうものなら責任を取れと大騒ぎするモンスターペアレントもいるからそういう流れになっているのだろう。

確かに骨抜き魚は食べやすいし安全ではあるが、やはり加工して再冷凍している分、味は落ちる。食用の接着剤は安全とは言うもののちょっと気になるところである。高齢者には良いとしても、できれば小学生くらいになったらたまに骨が喉に刺さることはあっても自分の力で取るようにさせたい。楽をしていると、失敗しながら上手になっていくチャンスを逃してしまう。

同じ日の夜、テレビ東京の「アド街ック天国」という番組のテーマは「豊洲」であり、変わった魚屋さんが紹介されていた。古くからある魚屋さんのようだが午後の4時間しか営業していない。なぜかと言うと、店主は早朝に市場から仕入れた魚を開いて骨を取って保育園の給食に使えるように配達しているのだという。それからまた店舗で販売する魚を仕入れに行くため、店主の睡眠時間はわずか4時間だ。業務用の骨抜き魚と異なり再冷凍しないからおいしい魚を保育園児たちに食べてもらえる。それが成長に必要な栄養補給になるとともに、園児たちも魚好きにくれたら、という心意気がいい。


 骨抜きと言えば、昨今の森田療法も、手軽にやさしくという点はいいのだが、骨抜き森田になってしまってはいないだろうか。精神病の方々に応用するのはそれでいいとしても、本来適応の神経症に対して骨抜きでは治るものも治らないのである。

2017年1月13日 (金)

神経質礼賛 1344.赤面恐怖

 このところ赤面恐怖を訴える人をとんとみなくなった。なぜだろうか。森田正馬先生の時代には対人恐怖と言えば赤面恐怖というほど多かった。形外会の記録を読むと、赤面恐怖の話が出ると我も我もと発言者が出ていたし、新年会の余興では水谷啓二さんら「赤面恐怖一座」が滑稽劇を披露して赤面恐怖の症状を笑い飛ばしたりしていた。森田先生のお弟子さんの中にも赤面恐怖の人がいた。現代人がクールになったためだろうか。それとも、対人恐怖のため、ひきこもって赤面する場面を回避してしまうためだろうか。あるいは他の症状に隠れて目立たなくなっているためだろうか。

 私などは元々対人恐怖・赤面恐怖であるばかりでなく、実際に緊張するとすぐ顔が赤くなる赤面癖だった。今では赤面しても仕方なしにビクビクハラハラのままで人と会って話をしているので、赤面はしてももはや「恐怖」ではない。時々病院の行事の際には患者さんたちの前で楽器を弾く。これもやはり緊張するもので、後でビデオや写真を見るとしっかり赤ら顔が写っている。そして、冬場には、診察室やナースステーションにいると頭上のエアコンからの暖風が顔に吹き付けるので、それだけでも酔っ払いのように顔が赤くなってしまう。それでも顔が赤いままやるべきことができればそれでよいのである。私は初めて森田正馬全集を読んだ時に、次の文が自分のことをピッタリと言い当てているように感じたものだ。


 
 顔が赤くなるといふことは、恥かしいとか怒るとかいふ時に誰でも起る反応であり表情である。只だ色の黒い人には目立たぬのみである。又人によりては一杯の酒にも顔が眞紅になるやうに、交感神経の関係で其潮紅反応の多少の相違はある。然れどもこれは恐怖即ち強迫観念といふことには全く無関係である。単なる赤面癖は、只だ氣の小さい恥かしがり屋といふに止まる。

 赤面恐怖はこれに反して単なる恥かしがり屋ではない。恥かしがるのを以て、自らをフガヒなしとし、恥かしがらじとする負けじ魂の意地張り根性である。単に氣の小さいのは意志薄弱の素質から起り、負けじ魂は神経質の素質から起るのである。(白揚社:森田正馬全集                    第3巻 (赤面恐怖の治療法) p.114


 
 後半の「恥ずかしがるのを以て、自らをフガヒなしとし、恥ずかしがらじとする負けじ魂の意地張り根性」は神経質性格の本質を捉えた見事な言葉であり、赤面恐怖ばかりでなく他の症状の神経質にも当てはまる。神経質の弱力性と強力性が表裏一体のものであることを言い表している。赤面したところでどうということはない。生の欲望に沿って行動あるのみである。

2017年1月 9日 (月)

神経質礼賛 1343.ヒートテック肌着に御用心

 寒さが厳しくなってきた。朝はホームに止まっている始発電車に乗るので楽だが、仕事帰りに冷たい西風が吹き曝しのホームで電車を待っているのがつらい。天気予報の気温予測を見て、寒さが厳しそうな日はヒートテックタイツを穿いて凌ぐことにしている。これを続けて穿いていると、どうも下肢の皮膚がかさかさしてくる感じになるため連用は避けている。

 ユニクロのヒートテックですっかりお馴染みになった保温肌着はこれからの季節に便利なアイテムだ。その一方で皮膚症状に悩まされる人も増えているという。日経メディカルの最新号(1月号)p.24-25に「乾燥肌やマラセチアの陰に保温肌着」というタイムリーな記事が掲載されていた。

 保温肌着は皮膚表面から放出された湿気を繊維が吸収して水蒸気が水に変わる際に発生する熱により表皮を温めている。冬は空気が乾燥しているため皮脂欠乏性湿疹を生じやすい。特に中高年は要注意である。そしてマラセチアという真菌(カビ)による、ニキビのように見える毛包炎の原因にもなりうるのだそうだ。対策としては直接肌が保温肌着に接触しないように綿の肌着の上に着用するのがいいという。比較的温暖な私の地方ではそこまでしたら完全に着ぶくれになってしまうので、やはり連用はせずに冷え込みが厳しい日だけ限定で利用するのが現実的な対策のように思う。

2017年1月 6日 (金)

神経質礼賛 1342.痛風対策には低脂肪牛乳

 一昨日、仕事から帰って夕食を食べている時に妻がNHKの「ガッテン」を見始めた。こういう健康番組は食事をしながら見るのには不向きな気がするが、妻は平気である。結論は低脂肪牛乳(あるいはヨーグルト)が尿酸値を下げ痛風の予防に効果があるということだ。何かの雑誌で読んだことがある話である。牛乳やヨーグルトに含まれるカゼインやラクトフェリンが腎臓からの痛風排泄に作用するのだそうで、アメリカでの大規模な疫学調査でも効果が認められているという。普通の牛乳でも効果はあるものの脂肪を多く摂ってしまうのが逆に尿酸値を上げる方に作用するため低脂肪の方がよいとのことだ。ということは無脂肪牛乳(235話)はもっとよいことになりそうである。この種の番組で○○が健康に良いということを言うと、急に売れ出してスーパーの棚から○○が姿を消すことがある。今回はどうだろうか。

 外来患者さんにも痛風の既往がある人、尿酸値を下げる薬を処方している人がいる。姿を思い浮かべると大体が身長は中位で体重80kgくらいの小太りの中年男性である。メタボリック症候群と痛風の関係も取り沙汰されている。インスリンが腎臓からの尿酸やナトリウムの排泄を抑制するので糖質を取り過ぎると尿酸値が上がりやすくなるのである。

 痛風の人には尿酸の元となるプリン体の多い食物を控えるようにという食事指導が行われる。ビールがすっかり有名になってしまったが、プリン体が多い食物というと煮干し、アジやイワシの干物、レバー、大豆などが代表選手である。妻の料理でよく出るのが、アジの干物に納豆、煮干しがそのまま入った味噌汁であるから、痛風促進食と言えるかもしれない。しかし、それぞれ貴重な栄養素に富んだ有用な食品であって、単純にプリン体の少ない食品だけ食べていれば健康になれるかと思ったら大間違いである。低脂肪牛乳ばかり飲んでいればいいというものでもない。ある病気の予防に良い食品が摂り過ぎると他の病気の誘因になることもある。神経質人間はつい「○○が体に良い、××が悪い」という話に乗りやすいが、こと食品に関してはやはり「善悪不離」であって、結局はバランスよく摂取することが大切なのである。

2017年1月 2日 (月)

神経質礼賛 1341.年男・年女

 元日には例年通り妻の実家へ行き、家族で瀬戸川沿いの土手の小屋に佇む日限地蔵さんへお参りする。

 今年は酉年で私は年男にあたる。年男・年女は縁起がいいとか逆に悪いとか諸説あるけれども、大きな神社の前に掲げられた表を見ると、私の年齢の男は大厄なのだという。厄年にも意味はある。心身の大きな変化が出やすい年齢だから無理をせず慎重に暮らすようにという古くからの知恵のような気がする。

 年齢は○十代と十年単位で括って言い表されている。現代人の人生の区切りを考えると案外年男・年女にあたる12年単位で見ていくと面白いのではないかと思う。12歳・小6までが基礎教育の期間であり、24歳くらいまでに多くの人は学校を出て自立し、36歳くらいまでに仕事に慣れ結婚生活や子育てを始め、48歳くらいまでは公私ともに大きく活躍し変動が大きく、60歳までは仕事が安定し子育てから親の世話へと役割がシフトする。サラリーマンの定年が56歳とか60歳だった時代と違って年金もアテにならないこの御時勢、60歳を過ぎても働けるだけ働け、である。楽隠居はできそうもない。72歳くらいまではフェードアウトしながらも働く必要がありそうだ。

 だんだん歳を取ってくると正月には一休さんの言葉が思い浮かぶようになる。

「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」

「世の中は起きて箱して(糞して)寝て食って 後は死ぬを待つばかりなり」

 幸いにして一休さんの時代のように戦火や疫病に斃れることはないものの、店や病院にいても暴走車が突っ込んできて一瞬にして命を落とすようなこともありうる。無常であることに変わりはない。その一休さんも臨終の際には「死にたくない」と言ったというし、江戸時代の禅僧・仙厓さん(90話・238話・1033)もやはり「死にたくない」と繰り返して死んでいったという。そして我らが森田正馬先生も同じだった。神経質の強い「生の欲望」に沿って、今こうして生きているありがたい時間を少しでも活用していきたいものである。

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