神経質礼賛 1360.カラー
中学・高校と学生服を着ていて襟のプラスチック製の白いカラーは首に当たって慣れるまでは痛かったし窮屈感があった。それに、たまに割れてしまうことがあった。高校生の時、冬場は学生服を着た窮屈なままでヴァイオリンを顎と肩で挟んでいられたのだから慣れというものは大きい。カラーは襟の形を整え、飾りになるばかりでなく、汚れを防ぐ役割もある。今では割れにくい素材に変わったと聞く。そもそも公立の中学や高校でも学生服ではなくブレザーの学校が多くなっているから、詰襟服体験をしたことのない男性も増えているだろう。
明治時代は高い襟がオシャレとされ、そこからハイカラという言葉が生まれた。森田正馬先生は学生服と同様の詰襟服を愛用され、講義や診察の際に着ていることが多かった。外来の患者さんに詰襟のカラーをネタに指導された記録が残っている。患者さんは二十八歳の元数学教員。二十歳頃から性的煩悶があり、三年前から対人恐怖となり、退職したままである。苦痛は苦痛として受入れたらいいんですか、と問う患者さんに対して森田先生は次のように言っておられる。
又さう・いっては、いけません。受入れやうが・受入れなからうが、ふりかゝつた苦痛は、どうしても苦痛です。貴方の・その高いカラーは、窮屈を窮屈として、受入れようとせずに、受入れて居る。貴方は、カラーをはめる時、苦痛をいひましたか。(いゝえ)さういふのを受入れたといひます。僕は昔、カラーに苦情をいひました。今でもいひます。西洋人といふものは、余計な窮屈な事をするものだ。なぜ日本人は、こんないやな事をまねしなければ・ならないのかと、不平をこぼしました。しかし普通の人は、そんな事をいはずに、素直に忍受して・受入れてゐる。そして少しも苦痛を苦痛と感じない。貴方は其様なカラーを、窮屈として居るのですか。(解りました。窮屈だらうといへば、さう思ひますが、常には何とも思はないですね。)
カラーの事でも・暑さでも、対人恐怖でも、皆受入れるとか・任せるとか・あるがまゝとか・いつたら、其一言で苦しくなる。理屈をいへば・いふほど、其事に氣がつき・心が執着するやうになる。
今あちらの大工の音が、相当にやかましい。しかし、それを貴方は、僕にいはれるまで、氣がつかなかつたでせう。それは当然の事として、うるさいのを受入れるとか・何とか批判をしないで、其まゝになるとか・何とかいはずに、其まゝになつて居たからであります。
それで、其苦痛の方は、其まゝにして、自分の欲望に従ひ、四角四面に働くやうになつたら、一方の性的の方も、自然に調節されて、治るやうになるから、不思議です。只之を治さう治さうと工夫して居る間は、決して治らないのであります。
今貴方の採るべき道は、外にはない。何でも職業に就いて、少しでも出世するやうに努力するか、それが出来なければ、入院して精神修養するか、其二道であります。 (白揚社:森田正馬全集 第4巻 p.50-51)
苦痛を受入れようとしても簡単に受入れられるものではない。仕方なしにそのまま行動しているうちに自然と苦痛は忘れているのだ。あるがままになろうとしてもなれるものではない。仕事を一生懸命にしている時に、あるがままになっているのである。理屈をこねているだけではダメである。いつまでもグチをこぼしていないで行動するかどうかが大事なのである。
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