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2017年4月28日 (金)

神経質礼賛 1380.働くほどよく読書ができる

 ゴールデンウィークはどこへ行っても人で混んでいるし、出かければお金もかかる。することもないから読書でもしようか、と思っている方もいらっしゃるかもしれない。ところが、いざ連休に入って時間が十分にありすぎると緊張感がなくダラダラと過ごしてしまい読書も進まず、気が付いてみると何もしないで終わってしまった、ということはありがちである。森田先生は次のように言っておられる。

此療法では、七時間臥褥の外は、終日休みなく働き、二三週間の後、仕事が多忙になつた頃から、仕事の暇々に、読書を許す事になつて居るが、患者は此法によつて、従来読書が少しも出来ず・理解記憶の甚だ悪い・と思つて居たものが、如何なる時と場所でも、読書が出来るやうになり、例へば前に健康の時に、学校の席次が、十番であつたものとすれば、治療後には、普通、五番以上になるとかいふ風である。而かも之れで、無理な努力を要せず、身体は相当の活動をしながら、自然に勉強が出来るやうになるのである。(白揚社:森田正馬全集 第7p.394-395


 
 案外、忙しい時の方がその合間を縫って読書がはかどるものなのである。連休中に全くやることがないという方は、普段手を付けていない部分の清掃や片付けをやってみるとよいかもしれない。すると、その合間に読書も思いのほか進むものである。

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2017年4月27日 (木)

神経質礼賛 1379.心臓ペースメーカー

 先日、当直をしていて、深夜に高齢の患者さんが亡くなられ、御家族に電話で連絡した。この方は重症の不整脈があってペースメーカーを装着していた。必ず毎月面会に来て下さる御家族ではあるが、あまり近くにお住まいではなく、高齢の御家族が車を運転してきて頂くのも危険なので、夜が明けてから来ていただくことにした。30分ほどして御家族から電話があり、「ペースメーカーはそちらで外してもらえませんか。外さないと爆発するから火葬できないという話を聞いたことがあるんですが」と言われて、はて困った。あらためて病院のマニュアルを調べると、ペースメーカー装着患者さんが亡くなった場合、取り外しはしないことになっている。ネットで調べてみても、行政や循環器専門の学会による公式見解はない。朝になってケースワーカーが出勤してきてから調べてもらった。その方の手術をした循環器専門病院に問い合わせると、「県東部地区の火葬場はどこでもそのまま火葬できるが、その方の住所地の火葬場はわからない。炉が古いと火葬できない場合もありうる。また、こちらの医師が外へ出向いて御遺体のペースメーカーを外すことはしていない」とのことだった。さらに葬儀屋さんに問い合わせると、「その住所地の火葬場はペースメーカーが付いていても大丈夫なはず」とのことで、念のためさらに住所地の市役所に問い合わせて確認したところ「外さなくても問題ない」との返事があり、一件落着した。

 日本国内で心臓ペースメーカーを装着している人は30-40万人いると推定されている。新たに年4万人の方が埋め込み手術を受けているという。そして、私は知らなかったが、ペースメーカーはすべて輸入品であり国産のものはないのだそうだ。そして火葬された場合、装置の破裂は起こるものの、爆発というレベルではないとのことだ。心臓ペースメーカーを埋め込んだ方の火葬については、行政なり専門医の学会から周知を図ってほしいところである。

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2017年4月24日 (月)

神経質礼賛 1378.道

 昨日の読売新聞日曜版1・2面の「名言巡礼」は松下幸之助(1894-1989)の創業の地・大阪市福島区大開町にある記念碑に刻まれた「道」という詩に関する記事だった。


自分には

自分に与えられた道がある

広い時もある

せまい時もある

のぼりもあればくだりもある

思案にあまる時もあろう

しかし 心を定め

希望をもって歩むならば

必ず道はひらけてくる

深い喜びも

そこから生まれてくる

       松下 幸之助


 経営の神様と呼ばれた松下幸之助が実は神経質人間だったことは以前に書いた通りである(211話・拙著p.240-243)。この詩を作った1967年にはすでに松下電器産業(現・パナソニック)は日本を代表する大企業になっていたが、起業した時は妻と義弟(のちに三洋電機を創業)の3人で始めた借家内の小さな作業場に過ぎなかった。当初開発した商品はまるで売れず苦難の連続だった。ようやく事業が軌道に乗り始め、1918年に大開の地に松下電気器具製作所を創業。以後は次々とヒット商品を世に送り出していった。この大開の地には強い思い入れがあり、本籍を移さなかったそうである。松下幸之助は自ら成功した理由を「学歴がなかった」「貧しかった」「病弱だった」としている。神経質の人一倍強い「生の欲望」に沿って行動し続けてマイナスをプラスに転化してきたのだと思われる。そして、強い反省心が大きな失敗を予防していたのだろう。この点はメンタルヘルス岡本記念財団初代理事長の岡本常男さん(37268871)とも共通する。また、「企業は社会の公器」という理念を貫き、PHP研究所を創設した。最近の日本では社会の公器であることを忘れて安直な金儲けに走った挙句に崩壊して社員たちを路頭に迷わせる一流企業が目立つ。

 広い道・狭い道・上り道・下り道、人生にはいろいろある。時には道を見失ってしまうこともある。それでも歩いているうちに必ず道は開ける。私たちを元気づけてくれる詩だと思う。岡本常男さんも著書『私は森田療法に救われた』の中で「どんなときにもところにも 道はあるもの」と書かれている。窮地に立たされて足がすくんでしまった時にはこの言葉を思い出して一歩前へ進みたい。

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2017年4月21日 (金)

神経質礼賛 1377.ヘボ将棋 王より飛車を かわいがり

 将棋を覚えたての頃は一番強力な駒である飛車を大事にする。飛車取りをかけられて飛車が逃げ回っていたら王を詰まされて負けてしまった、というのは私も小学生の頃に経験がある。王手飛車取りをかけられたら飛車を逃げてしまった、というのが、「ヘボ将棋 王より飛車を かわいがり」という川柳にもなった落語の話である。将棋ではいくらたくさん駒を持っていても王を取られたら負けになるので、本末転倒なのである。これが高段者の将棋ともなれば、一番弱い駒の「歩」を実にうまく使いこなす。なぜここで歩を突くのか、素人には全然わからないが、後になってそれが大きく効いてくることがある。そして大事な飛車であっても勝つためには思い切って捨てて相手の王に迫っていくのである。

 森田療法も覚えたての人は、「目的より気分をかわいがり」に陥りやすい。気分(症状)をよくしたい、という気持ちはとてもよく理解できる。しかし、症状をなくすために作業するというのでは、本末転倒である。症状があろうがなかろうが、作業は必要だからやっていくものだ。そこは森田療法が行動療法と異なるところである。症状をなくそうとすれば、「一波を以て一波を消さんと欲す、千波萬漂交々(こもごも)起こる」(540話)となって、さらに症状へのとらわれが強くなってしまうのである。気分は天気のようなものでどうにもならない。それよりも少しでも手を出し足を動かし、やらねばならないことをやっていくのが森田のやり方である。

さらに中級者では森田理論を振りかざして実際の行動が伴わない人を時々見かける。これなど、将棋で言えば「定跡を覚えて弱くなり」である。森田正馬先生の養子にして三島森田病院の創設者・森田秀俊先生が言われた「理屈はいらない。理屈は君にとって役に立たない。ただ、不安な時には、不安なままになすべき事をなしていくという生活様式を身につけること」という言葉がピッタリである。

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2017年4月17日 (月)

神経質礼賛 1376.散る桜

 今年は桜の開花が例年になく遅く、3日ほど前にようやく満開となった。今は風に吹かれて花びらが舞い散って道路を桜色に染め、城跡の堀には花筏(いかだ)が見られている。これもまた風情があってよい。それにしても、ようやく咲いたかと思えばもう散ってしまう。何ともあっけない。

「散る桜 残る桜も 散る桜」は良寛の辞世の句と伝えられている。太平洋戦争中に死地へと旅立つ特攻隊員の若者たちの心情を表現する歌ともされた。良寛さんの時代は天災や飢饉や疫病に見舞われていつも死と隣り合わせだったから、この句は当時の人々の心に沁みたことだろう。戦争中は兵士ばかりでなく国内の民間人も空襲のためにいつ命を落とすかわからなかった。幸いにして平和な現代では急に命を落とすリスクは低い。日常生活の中で諸行無常を実感することは少ないかもしれない。しかし、人間は生まれたからには必ず死んでいくことを運命づけられている。徒然草第155段「世に従はん人は」の後半にあるように「死は、前よりしも来らず、かねて後に迫れり」なのである。死を人一倍恐れる神経質人間としては、今こうして生きていられることに感謝しつつ、できることを地道に積み重ねていく他はない。症状探しをしたり、症状をなくすためのはからいごとをしたりして、症状を相手にしている暇などないのである。

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2017年4月14日 (金)

神経質礼賛 1375.年忌の準備

 今年は父の三十三回忌を行う年である。十三回忌までは親類を呼び、十七回忌・二十三回忌・二十七回忌は家族だけで済ませた。普通は三十三回忌が最後である。これまでは母が準備をしてくれたが、今回はすべて私の仕事である。まるで勝手がわからない。まず寺に行って日時を相談して決める。ちょっと聞きづらいなあ、と思いながら、寺の奥さんに「お布施はいかほどお包みすればよろしいでしょうか」と尋ねてみる。すると、「これを参考にして下さい」と紙を渡された。「お寺での四十九日法要」と題したプリントである。一応の目安です、として、信士、信女・・・3万5000円 上座、尼上座・・・4万円 居士、大姉・・・4万5000円 院号・・・5万円と書かれている。しかし、5千円は半端だから切り上げになるのだろうな、と考える。そして、本堂とお墓の花を各一対、お供えの菓子、果物も用意して下さい、と言われる。母はお供えの菓子は用意せず、果物は家の庭になっている夏みかんで済ませていたような気がする。まずは渡された紙に書いてある、当日に寺に配達してくれるという製菓店へ行って相談する。「三十三回忌で人数も5人位だったら、焼き饅頭10個とどら焼き10個位でいいんじゃないでしょうか」と店の人が言うのでそれを頼む。生花店は心当たりがないのでネットで調べて自宅から近い店に行って聞いてみる。店内にちょうどお寺の本堂に飾る花を注文した人のものがあって、「こんな感じでどうでしょう」と言われて、ではそれで、と予約する。果物は前日の仕事帰りに駅近くの果物屋へ買いに行くことにする。神経質人間は段取りを決めておきたがるものである。ここまで準備すれば一安心だ。

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2017年4月10日 (月)

神経質礼賛 1374.あれこれ気の張っている時、最も仕事ができる

 普段、あれもやらねばこれもやらねば、ということが次々と発生し、ジタバタの毎日を送っている。そして雑念も始終沸き起こる。禅僧のように悟った人ならば青空のように澄み切った心で淡々と仕事をしていくことができるのだろうなあ、と思ったりする。しかし、森田正馬先生は心をいじる必要はなく、そのように気の張った状態でよいとしている。形外会の場で貿易商をしていた香取会長に対して次のように言っておられた。


 心が絶えず緊張するには、一口にいえば、忙しい境遇に身を置けばよい。香取さんは、いつも子供の遠足のような気持ではありませんか。常に事業の事や、次からつぎへと、仕事の事が、気になっているでしょう。ここで電話が、リンと鳴っても、御自分の家からかかったのではないかと、思うような事はありませんか。よその電話まで、自分のものに取り込むという風ですね。よく読書もでき、面白い話もできる時は、周囲の事に対して、あれやあれやと気の張っている時です。机上論で腹式呼吸でもやり、周囲の事も何も忘れて、心が一つになった時が、仕事が最もできるという風に考えるのは、思想の間違いである。精神が四方八方全般に働いて、しかも現在の仕事の最も適切にできる状態を、「無所住心」というかと思います。これがいわゆる「悟り」でありましょう。(白揚社:森田正馬全集
第5巻 p.326)


 森田療法と禅との関係はよく言われるところだが、その違いについては以前に書いた通りである
(135)。日常生活を離れた静寂な禅寺で座禅を組み瞑想しても実際の生活の中でそれが役立たなければ意味なしである。森田療法ではハラハラドキドキはそのままにして雑念も浮かぶままで仕事に取り組んでいくよう指導する。禅の修行は大変であるが、この森田療法ならば、いつでもどこでも実行できる点が優れている。

鎌倉時代に大徳寺を開山した禅僧・宗峰妙超(大燈国師)は

「座禅せば 四条五条の 橋の上 往き来の人を 深山木にみて」

と歌ったと伝えられている。それに対して森田先生は

「折角に 座禅したらば 正直に 人は人ぞと 見てやればいい

                         形外蝉子」

と色紙に書かれている。京の四条五条を行き交う人々も座禅していれば深山の木々と同じように見える、という禅師の句に対して、森田先生は蝉子とへりくだりながら、チクリと皮肉っている。人は人、あるがままに見ればよいではないか、というわけである。森田療法の主戦場は平凡な日常生活の中にあるのだ。

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2017年4月 7日 (金)

神経質礼賛 1373.岩佐又兵衛

 4月3日の毎日新聞夕刊「アートの扉」というページに熱海のMOA美術館で現在公開中の岩佐又兵衛(1578-1650)作とされる重要文化財「山中常盤物語絵巻」が写真入りで大きく紹介されていた。この絵巻は義経伝説を題材にしている。のちに源義経となる牛若丸は奥州藤原氏の庇護を受けるが、母親の常盤御前が牛若に会うために侍女1人とともに奥州へと向かう。その宿泊先で盗賊たちに襲われて常盤と侍女は殺される。偶然それを知った牛若が盗賊たちをおびき出して仇を討つ。やがて元服した義経は大軍を率いて京に上り平氏を滅ぼし、常盤の供養を盛大に行う、という内容である。

 私は先月この展覧会を見ている。地図で見ると美術館は駅から近そうなので歩いて行くと、つづら折りの急坂が待っていた。20年位前に一度来た時も歩いて登って汗だくになったことをやっと思い出した。足に自信のある方以外は熱海駅から20分おきに出ているバスかタクシーを利用された方がよい。受付を通ってから暗い洞窟の中の長いエスカレーターを何本か乗り継いでようやく美術館の建物に辿り着く。後ろを振り返ると熱海の海の絶景が望める。近くに初島、その先に伊豆大島、遠く三浦半島。これ自体が絵のようであり、現実の世界を離れて別世界に来たような感がある。梅の季節にだけ公開されている尾形光琳の国宝「紅白梅図」の展示が終わってしまった直後で、今回の展示に替わっていた。

新聞記事の見出しに「気品と野卑みなぎる」とあるように、情景は美しい色遣いで精緻に描きこまれていながら、常盤が血を流して死んでいく姿をこれでもか、これでもかと繰り返し描いている。そして牛若の復讐により盗賊たちが次々と斬られていく場面も生々しい。どうしてこのような絵巻になったのだろうか。又兵衛の父親が荒木村重だと言えば、歴史好きの方ならば「ああ、そうか」と納得されるに違いない。荒木村重は織田信長に仕えていたが謀反を起こして失敗。村重は城から逃走したが、妻子や一族そして家臣たちは捕えられ惨殺された。又兵衛はまだ2歳で乳母がかくまって脱出させ、石山本願寺で育てられたのだった。源義経も父・義朝が平治の乱で平清盛に敗れて殺された。その血縁の者たちも探し出されて多くが殺された。常盤御前は今若・乙若・牛若の3人の幼児を連れて逃避行の末、捕えられて清盛の前に差し出された。息子たちの命乞いをし、清盛の妾となることで赦されている。だから又兵衛は自分を牛若丸に、亡き母を常盤御前に重ね合わせたのだろう。そしてこの絵巻を描くことが「喪の仕事」(577)であり、理不尽に命を奪われた母への追悼であったと考えるのが自然だろう。

展示室のちょっと重苦しい雰囲気から解放されて黄金の茶室(複製)を見る。奥に掲げられた「豊国大明神」の字は秀頼が子供の時に書いた真筆なのだそうだ。MOA美術館では展示作品等の写真撮影は自由とのことで、カメラをロッカーに置いてきてしまったのは残念だった。帰りのバスを待つ間、自然食品ショップで有機栽培米の日本酒の小瓶を1本買って帰る。

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2017年4月 5日 (水)

神経質礼賛 1372.サヤエンドウとグリンピース

 病院で朝のミーティングの前に、薬局長が栄養士さんに「ねえ、サヤエンドウとグリンピースの違いってわかる?」と聞いていた。病院食では時々「ピース御飯」と言ってグリンピース入りの御飯が出る。昨日の昼食にも出た。彩りや味は良いけれども匂いが強くてちょっと気になる。今まで考えたこともなかったけれども、違いを答えるのは難しい。グリンピースと言うと、冷凍食品や缶詰を思い浮かべる。野菜売場でグリンピースを見た記憶はない。知りたがりの神経質としては気になるので調べてみた。

 グリンピースはエンドウの未熟な種子をいうのだそうだ。一方、サヤエンドウは未熟な莢(さや)を食用とする場合の呼称である。また、最近スーパーでよく見かける豆苗(トウミョウ)はエンドウの若菜である。グリンピースは晩春から初夏が旬ながら、ほとんどは冷凍食品か缶詰となって出荷されるらしい。ハンバーグなどの付け合わせに出てくるミックスベジタブル(人参・コーン・グリンピース)は色鮮やかだし、シウマイの中に入っているグリンピース1粒はアクセントになっている。脇役ではあるけれども、他の豆類同様で栄養的には優れていて、ビタミンB群やミネラルが豊富である。存在感のある脇役と言えるだろう。

 エンドウの仲間にスナップエンドウがある。これは莢が柔らかくて甘い品種であり、病院で森田療法の患者さんたちがよく植えていて院内の無人販売に並ぶ。スジを取って塩ゆでにして食べるとおいしい。私はゆでたものに少しマヨネーズを付けて食べている。また、同じくエンドウの仲間の赤エンドウはみつ豆に用いられている。エンドウの仲間にもいろいろあるものだ。

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2017年4月 3日 (月)

神経質礼賛 1371.蛍光管ローテーション

 新年度に入り、例年ならば桜満開の時期なのに、ようやく昨日になって開花宣言が出たところである。例年にない寒さもおさまってきた。そこで昨年末にサボってやっていなかった蛍光器具の掃除をした。1年以上放っていると、白いプラスチックのカバーが汚れ、内側には小さな虫の死骸があったりする。メンテナンスが楽なように5か所の蛍光器具は全て同じ型のシーリングライトで買いやすい丸型40W+32Wのものである。蛍光管は黒ずんでから交換するとか、点灯しなくなってから交換するといった方も多いかもしれないが、私は暗くなり始めたら早目に交換してしまう。神経質の心配性ゆえかもしれない。夜、突然に切れて暗い中で交換するのは大変だからだ。使用頻度が高いダイニングの物をを新品に取り換え、それを他の部屋の中で一番古くなっているものと取り換えている。タイヤローテーションならぬ蛍光管ローテーションである。これでしばらくは安心だ。

 今年の4月からは蛍光管の廃棄の仕方が変わった。従来は燃えないゴミとして他のものと一緒に廃棄することができたが、4月からは蛍光管だけ別の袋に分けて出すことになった。蛍光管には水銀が含まれていて、最近それが問題になっているからだそうだ。何でも廃棄する時のことを考えてモノを買わなければならない時代である。白熱電球は少しずつLED電球に交換しているが、蛍光管を使った器具はそうはいかない。グロースタータを使う器具の直管型蛍光管の代わりに使えるLEDはすでに販売されているがインバータ型の器具には使えないし、丸型蛍光管の代わりに使えるLEDは販売されていない。いずれは器具をLEDシーリングライトに交換すれば数年から十数年はそのままで済むことになる。しかし、LEDそのものを交換することはできないから寿命が来たら器具全体の交換が必要になる。何の前触れもなく急に点灯しなくなったら厄介だろうなあ、と今からもう心配している。

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